古代陵墓位置図
日本の元号が平成から令和に変わってから二か月が過ぎた西暦二千十九年七月。
「百舌鳥・古市古墳群」が国内で二十三番目となる世界遺産としてユネスコに認定されたその日の夜。
「結局仁徳天皇陵では登録できなかったようですね」
田畑が広がる千葉の田舎には場違いな立派な洋館の一室で二十代半ばと思われる女性が呟いたその声に、まだ幼さは残るが、かわいらしさとそれを上回る上品さを備えた不思議な雰囲気を漂わせる少女が応じる。
「どうやらそのようですね。まあ、これがあれば、そのようなあいまいな名称で登録しなくても済んだのかもしれません。もっとも、私は『百舌鳥・古市古墳群』も詩的な響きがするので好きではありますが」
少女の言葉に笑みを浮かべた女性がその言葉を引き継ぎ、もう一度口を開く。
「もしかして、嬢さまはこれを公開すべきだと考えているのでしょうか?」
「……いいえ。私は出すべきはないと思っています」
彼女の言葉にそう答えた少女はさらに続ける。
「私は学者と称する者たちのすべて凡俗であるとまでは考えてしません。ですが、彼らにこれを与えても、その価値にふさわしいだけの活用方法を見出せるとも思っていません。なにしろ、彼らの頂上に位置する者たちにとって最も重要なこととは、何が発見されたではなく、誰が発見したかなのですから。ですから、おそらくこれが公開されても、真贋論争から始まり、核心から程遠いどうでもいい議論を延々と繰り返すだけになることでしょう」
「木を見て森を見ず。または宝の持ち腐れ」
「その表現はどちらも微妙に正しくはありませんが、言いたいことは十分に伝わります」
この後も続いた辛辣すぎるふたりの会話の中心にあるもの。
それはテーブルに置かれた古代陵墓の位置とその被葬者が示された地図、それから、それをつくるきっかけとなった彼女たちが「古代陵墓位置図」と呼ぶ古い文書だった。
さて、その「古代陵墓位置図」にまつわる話。
それは、「古書店街の魔女」こと天野川夜見子が間接的なオーナーである数多くの古書店のひとつに古い紙束が持ち込まれたことから始まる。
保存状態が良いわけではなく、すぐに中身を確かめることはできなかったにもかかわらず、それがどれだけ貴重なものかを一瞬で理解した元蒐書官である店主和田は、相手の言い値で奪い取るようにそれを買い上げるとすぐさま主のもとに届けた。
もちろん、夜見子がこれの価値を見誤るはずもなく、次の段階に進むためにふたりの側近をすぐさま自室に呼び寄せた。
実をいえば、彼女にはもうひとりこのようなときには絶対に欠かせない側近がいるのだが、あいにく彼は現在海外にいる。
……このふたりだけでは荒事確定となるわけですがこの際仕方がありませんね。
男の帰国まで待っているわけにはいかない夜見子は心の中でそう呟いた。
「まず伺いします。これについてのふたりの意見は?」
やってきたふたりに夜見子が訊ねたのはたったそれだけだった。
だが、このふたり嵯峨野真紀と北浦美奈子は、女性蒐書官ともいえる書籍鑑定官たちを配下として夜見子を支える立場である上級書籍鑑定官という肩書も持つその道のプロである。
当然のようにほんの一瞬で正解に辿り着く。
「最終的には科学的分析は必要ですが、紙質の特徴からこれは本物であると思われます」
「私も真紀と同じ意見です。付け加えるのならば、時代は奈良時代より前。当時の紙の貴重性から考えれば、おそらく国記とほぼ同時代に書かれた重要な文書か、同時期に書かれたその写しとみます」
「なるほど」
すでに同じ結論に達していた夜見子は頷く。
「つまり、ふたりともこれはフェイクではないという意見ですね」
「そのとおりです。夜見子様」
「そういうことであれば、これは非常に重要な発見となります。まず、これが本物ということになれば、書かれている内容からつくられた時代は最低でも欽明天皇から弘文天皇の間に特定できます」
「それはどういうことでしょうか?」
自身の言葉に対して女性たちから当然やってくる疑問に夜見子は用意した言葉で応じる。
「ここには歴代天皇陵の位置と被葬者が示されています。実は、先ほど少しだけ内容を確認したのですが、欽明天皇陵に関する記述がありました。そこからこれが書かれたのはそれより前ということはないと断定できます。そして、欽明天皇陵のすぐそばにある天武天皇の陵墓について全く触れていないことから天武天皇陵が造営されるよりも前に書かれていたことを示しています」
「なるほど」
「さて、ふたりが納得したところでこれを工房に回して保存修復とコピーの作成を始めることになりますが、それとは別におこなわなければならない大事なことがあります。あなたたちふたりはその指揮をお願いします」
「具体的には?」
「もちろん蒐書官を動かして、これを持ち込んだ男から入手経路を聞き出し、まだ何か隠し持っていないかを捜索することです。和田が部下にこれを持ち込んだ男の尾行をさせていますが、場合によってはかなりの抵抗が予想されます。最終手段を使うこともありえます」
「承知しました。ところで、その者たちから情報を吐かせる方法ですが、それについては私たちにお任せいただくということでよろしいのでしょうか?」
「もちろん」
「では、さっそく仕事にかかります。最後にもうひとつ。用済みになったその男の処置は、いつものようにすべてを奪いすべてを消すということでよろしいでしょうか?」
「……闇から闇へということですね。それでお願いします。ただし、そうなる前に白状した場合には、それ相応の情報提供料を支払し解放するように」
……ですが、指揮官が彼女たちとなれば、多くの血を見なければ済まないでしょうね。やはり。
ふたりを送り出したあとに夜見子は心の中でそう呟いた。
翌々日の夕方。
「それにしても……」
沈みゆく夕日に捧げるように手に持ったティーカップを掲げながらそう呟いたのは本に埋め尽くされたその建物の主であり、目の前に控えるふたりの女性よりも十歳ほど若い女性である。
「私もまだまだ未熟であることを実感しました」
彼女のその言葉に先ほどあれに関わる一連の仕事を終え戻ってきた女性のひとりが応じる。
「しかし、そうは言っても今回のように指定文化財クラスの重要な古文書がこれだけ大量に古本屋に持ち込まれることはレアケースだと思いますが」
……まあ、それは事実です。
どちらといえば、自分に対する慰めの言葉であるその言葉に応じるその心の声の続きを口にするため夜見子が渋い表情のまま再び口を開く。
「ですが、あれが和田の店に持ち込まれなかったらまったく違う話になっていたのですから、やはり反省は必要です。市中から見つかる重要文書は卑弥呼について書かれた私たちが『卑弥呼第二文書』と呼ぶあれが最後だと思っていたのも事実ですし。鮎原が帰国したらその対策を協議する必要がありそうです。ところで……」
会話が途切れた三人の視線はテーブルに集まる。
そこには、ふたりが直属の書籍鑑定官と呼ばれる女性たちを総動員して古書店街から買い集めた書籍の山が出来上がっていた。
年長の女性のひとりが口を開く。
「書籍鑑定官だけではなく手すきの蒐書官たちも動かし引き続き古文書の専門店を探していますので奴らが売り払ったものは今日中にほぼすべては回収できると思います」
「そうですか。それはよかったです」
「ですが、結果は残念なものでしたね」
その女性が言外に言っていること。
それはその書を古書店に持ち込んだ者の口から元の所有者の情報を聞き出せなかったという事実だった。
女性の同僚が大きく頷く。
「まったくです。まさか、やつらは盗人の盗品をさらに盗んでいただけだったとは。ですが、合点はいきます。あの程度の三流盗人があのようなものを手に入れられるはずがありませんから。挙句の果てに、盗んだはいいが、売りさばくルートがなく、それどころかその価値さえわからなかったために渋々古書店に売りに行き、店主に散々買い叩かれてその価値を考えればタダ同然で売り払っていたとはどこまで間抜けな盗人なのでしょうか」
……確かに。
……ですが、あなたがたが不満なのは、そこではないでしょう。
……あっさりと白旗を上げられたのが気に入らない。
……つまり、暴れ足りなかった。
……そこでしょう。
夜見子はその言葉とともに皮肉交じり笑みを浮かべる。
「いいではありませんか。そのおかげであれをはじめとして、多くの貴重な書をこうして手に入れられたのですから。しかも、あれだけの物を手に入れたにもかかわらず、あれの元の所有者から恨みを買うのは私たちではないのです。これほど素晴らしい結果はないと思いますよ。そして、何よりもよかったのはこちらには死者どころか負傷者も出なかったことです」
……まあ、踏み込まれた瞬間に白旗を上げた相手も軽い怪我だけで済んだのですが。
「ところで……今回のきっかけになったあの文書について夜見子様の見解をお伺いしてもよろしいですか?」
「私もあれほどの文書が存在することすら知られていなかった理由を、是非お伺いしたいものです」
……どうやら彼女たちもそれほど機嫌が悪いというわけではなさそうですね。
ふたりが自ら進んで話題を変えたことに夜見子は少しだけ安堵し、大きく深呼吸してから話し始める。
「では、まだコピーが上がってこないのであれを完全に読み解いていない段階なので、あくまで私見ということになりますがお話します。あれはそれなりの家に伝わる儀式を司る者のための資料的なもので、もしかしたら乙巳の変で失われたはずの文書のひとつなのかもしれません。その場合には持ち主は蘇我氏となります。そして、もうひとつ重要なことがあります」
「それは?」
「流し読みしただけでも天皇のもの以外、それどころか皇族以外の陵墓についての記述があったことから公文書というより準公的な文書だった可能性が高いということです」
「なるほど」
「実際にあの文書を詳しく読むことができるようになればさらに詳しいことがわかるでしょう。どちらにしても、あれによってこれまでの定説が覆るかもしれません。もっとも……」
彼女はそこで言葉を切り、それから、再び言葉を吐きだした。
「その定説が、世に知られることはないのですが」




