第2部分
【満のはなしD】
「ねぇ。」
その女子の声に僕の身体が跳ねる。
誰だろう。また何かされるのだろうか。いじめが始まってから女子とは全然話したことがなかった為、僕は異性と話すことに全く慣れていなかった。女子達の見て見ぬふりをするあの顔が思い浮かぶ。
じりじりと少しずつ声のした方へ顔を向ける。
「ここ使うんだけど。部屋出てくれない?」
全然知らない女子が楽器を持って立っていた。ドアの方にも何人か男女が見える。
吹奏楽部の人たちだ。この教室を練習場所に使うらしい。
「……ご、ごめんなさい…………」
僕はカバンに教科書を入れて制服を手に取りそそくさと教室をあとにした。他の部員からの視線が痛い。
早歩きをしながら何処に向かうか考える。どこだ。図書室…、確かどこかの部活が使っていた…屋上…開いてない…、トイレ…もう戻りたくない……。どこにも居場所がない……。
僕は2階から1階に降りる階段に座り込んだ。
まだ制服もカバンも濡れてる。もう帰ろうか…。家に帰ってすぐに自分の部屋へ入ったら母親にバレることはないだろう…。
僕は湿ったカバンを持ち上げて、その場から立ちあがった。
【満のはなしE】
まだ少し濡れたカバンを持って、階段を降りる。水を吸った上履きがぐにゅぐにゅとゴムと地面が擦れる音がする。一歩一歩、ゆっくり階段を降りた。
ゴムの擦れる音にパタパタと軽い足音が混ざった。誰か降りてきてる。僕は立ち止まり、手すりを握った。
すると僕の後ろで足音が止んだ。
「これ、忘れてるよ。」
ゆっくり振り返る。僕は目を丸くした。
そこに立っていたのは学校でも有名な、玲花という女子だった。どこかで地下アイドルをしていると噂で聞いたことがある。
しかし、これは噂以上だ…。とてつもなく可愛い。
「あ…、あ…あり…が、と…う」
声が震えて呂律が回らないまま礼を言った。それがまた恥ずかしくなって目を逸らす。
玲花はクスッと笑った。
「満くん…だよね、君いじめられめるの?」
僕らの学年で僕は悪い意味で有名だった。いじめられっ子の満。
「……え……っと……そ、その…いじ、められてる…っていうか…」
「私と一緒にいなよ。そうすればいじめられないと思うけど。」
玲花のその天使のような微笑みに、僕の心臓は大きく脈を打った。
「……で、でも…、僕と居たら……その……」
「満くん、女の子みたいな顔。」
僕は言葉を切った。何も言わずに肩にかけているカバンを持つ手に力を入れる。
「私が友達になりたいの。いいでしょ?」
心臓が大きく跳ねる。
僕は下を向いたあと小さく頷いた。
【満のはなしF】
「知ってると思うけど、私アイドルやってるの。だから学校も来ない日が多いんだよね」
後ろの靴箱にいる玲花が話をしている。僕はスニーカーに履き替えようと思ったが、靴が無いことに気付いた。
「それで、満くんがいじめられてるとかもあんまり知らなくて…、満くん?」
「あ…、う、うん…、そそ、そうなんだ…」
僕の靴箱をのぞき込む玲花。
「靴は?」
僕は無言で答えた。
上履きのまま帰らないといけない。母親に聞かれたらなんて言おう……。
すると玲花はカバンの中をあさって、透明のビニール袋から靴を取り出し、履いていた靴を脱いだ。
「これ使いなよ。私レッスン用の靴があるから。」
「…でも……」
「いいよ、あげる。私そろそろ新しいのに買い換えようと思ってたし」
本当にいいのだろうか。僕が彼女みたいな可愛くて人気者の靴をもらったりして…。それともこの人も僕をからかってるんだろうか。
「ほんと…悪いし……大丈夫だよ……」
「いいって。」
突然、玲花の出した低い声に身体が固まった。彼女を見る。その目は据わっていた。丸く緩いカーブを描いた二重の目が僕を強く睨みつける。
「は…はい…」
僕は静かに腰を下ろし、彼女のスニーカーを履いた。アディダスと書かれた三本線の入ってるスニーカー。サイズは情けないことにピッタリだった。随分履いていたようで、新品用な硬さはなく柔らかくなっている。
「……ありがとう………」
玲花はニッコリ笑った。
「それじゃ、行こっか。」
【サトルのはなしB】
玲花が学年でも有名ないじめられっ子の満と階段で話していた。
茉莉に勉強を教えてもらっていた俺はトイレに行くため少し席を外した時、玲花が階段を降りていくのを見かけた。跡を追うと、玲花は満と話していたのだ。
何であいつが玲花と…。
俺は教室に戻って茉莉の席の前に座った。
「遅かったね。」
茉莉はペンをくるくると回しながら俺の方を見ないで言った。
「悪い、それでこの問題の続きって…」
「何かあった?」
茉莉は相変わらず参考書の方に目を落としている。
「いや、別に何もないよ。」
俺はにっこりと笑って言った。作り笑顔はアイドルをしているうちに身についた。どれだけブスが握手を求めてきても対応できるほどに。しかし茉莉は俺を見て言った。
「嘘だ。顔に出てるよ」
茉莉のその表情はまるで全てを見透かしているようで、俺は次第に隠しごとをしている事が恥ずかしくなった。
「ん〜、まぁ、なんて言うか。いじめられっ子の満ってやついるじゃん。そいつがさっき階段で玲花と話してたからさ。玲花っていじめられっ子でも関係なく話しかけるんだなって。すげーよな」
「ホントは嫉妬してるんじゃないの?満くんに。」
茉莉がペンを置いた。
「は?」
「なんであんな奴に話しかけるのに俺には声もかけてくれないんだ〜って。俺の方がカッコイイのにって。」
ニヤニヤと笑いながら俺を煽ってくる。イラッときた。
「んなわけないだろ。メンヘラかよお前」
「サトルがね。」
なんなんだコイツ。ムカつく女だ。何喧嘩売ってきてんだよ…。お前なんかこっちはいつでも関係切れんだよ。ちょっと顔がいいからって調子乗ってんじゃねえぞ…。
玲花に比べたらこんな奴……
「もうやめよう、それでこの問題の続きは?」
俺が苦笑いを浮かべてそう言うと、茉莉の顔から笑顔が消えて、彼女はつまらなさそうに参考書に書かれた数学の問題を説明し始めた。
【満のはなしG】
校門を出てすぐ、玲花はあの寂れたコインパーキングを指さした。
「満くん。あれ見える?」
彼女の指差す方向には、最早見なれた「A」が立っていた。
「え…あ、うん。み、見えてるよ。」
「ホント!?」
玲花は目を丸くして大袈裟に驚いてみせた。
「あれ、友達に言っても何の話?って言われるの。他の人には見えてないみたい。」
「え…」
いつも通り1人で佇んでいる「A」。もう見慣れてしまったはずなのに、他の人には見えていないというのを聞いて僕の心が少しずつ恐怖に染っていくのを感じた。やはり、この世のものではなかったのだ。
「あの子、何してるのかな。朝も夜もずっとああやって1人で立ってる。」
そんなこと僕にわかるはずがなかった。「A」が何者で、一体どんな理由があってああやってずっと駐車場から河川敷の方向を見ているのか。
「1回気になってあそこに行ったことがあるんだけど、私が行った時にはいなくなってた。」
「そ、そうなんだ……」
「幽霊かな。私たち霊感あるのかも」
僕はぼうっとあの少女を見た。幽霊だったとしてあの子は何故死んだのだろう。もしかしたら僕たちに何かを伝えようとしてるのかも……
そんなある訳もない妄想をしていると玲花は少し笑って僕に言った。
「満くんもう帰ろっか、あの子何もしてこないし。触らぬ神に祟りなしってね。」
玲花の言う通りだ。制服や教科書も乾かさないといけないし、こんな妄想をしても仕方ない。
帰って、早く寝よう。