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学祭で女装コンテストに挑みまして

作者: 深海映

「ちょっと待て。それで睫毛を挟むのか!?」


 ビューラーを手に笑顔で近づいてくる幼馴染リンに、思わず後ずさりをする。


「あー、もう、ユーくん動かないでよ。危ないじゃない!」


「いい。 いいってばさ、自分でやるから!」


「怖くないよ。やってあげるから」


「断固拒否する! 」


 怖い怖い怖い!


 ビューラーっていうのは簡単に言えばまつ毛を挟んでカールさせる器具のこと。


 ビューラーが必要なのは分かる。睫毛がくるん、となっているだけで、格段に女の子らしさは上がる。女装には必要不可欠なアイテムだ。


 だけど......他人に目の周りを弄られるなんて、これ程怖いことは無い。目に入ったらどうするんだよ!


「いい。自分でやるから」


 僕はリンからビューラーを無理矢理奪い取った。


「根本、真ん中、毛先の三段階でカールさせるんだよ?」


 リンが細かく指示してくる。うむむ、難しい。

 僕は手間取りながらもなんとか睫毛をカールさせた。


「はー、疲れた」


「お疲れ様。女装の特訓は順調だね」


「だといいけど」


 そう、僕は今、女装の特訓中である。

 なぜ女装をすることになったのかというと、それは三日前に遡る。





 隣の家に住むリンと僕は幼馴染。

 部屋が二階の真向かいにあることもあり、屋根を伝ってお互いの部屋を窓から行き来できる。


 そしてその日も、屋根をつたい僕の部屋の窓をリンは叩いた。


 ベッドに横になっていた僕は思わずガバリと飛び起きる。


「どうしたの?」


「いいから開けて」


 有無を言わさぬ口調。


 小学生の頃はこうやってお互いの部屋を行き来するのは当たり前だったが、最近ではそんなことをするのも殆ど無くなったので僕は驚いてしまう。

 というか、高校になってからリンがこうしてやってくるのは初めてじゃないかな。


 何が余程のことでも起こったのだろうか。両親が倒れたとか? 僕は驚きつつ窓を開けた。


「わーい、おじゃましまーす」


 予想に反して呑気な声。リンが大きく足を広げて窓枠をまたぐ。白い太ももが露わになった。


「お前、なんつう格好で」


 リンが履いていたのは今にもパンツが見えそうなミニスカートだったのだ。


「これ? ざんねーん、キュロットでした!」


 リンがスカートを持ち上げる。スカートかと思っていたそれはよく見るとズボンだった。


 付け根の方まで露になった白い太もも。慌てて目を逸らす。


 本人はパンツが見えなければいいと思ってるのかも知れないけど、そういう問題ではない。


「ふふん、ドキドキした?」


「しないね、そんなんじゃ」


 ウソだった。少しドキドキしていた。少しだけど。


「全く、小学生じゃないんだからさ、いつまでもそんなガキじゃ彼氏もできやしないよ」


 嫌味っぽく言う僕に、リンはふふん、と鼻を鳴らした。何だその反応は。


「まあいいや。で、何の用? お前がわざわざ僕の部屋に来るということは、何か用があるんだろ?」


「そうそう、それね」


 リンは僕の部屋を勝手に物色し、通学鞄の脇に置いてあった学祭のパンフレットを手に取った。


 表紙にデカデカと書かれている「女装コンテスト開催」の文字。


「ほら、こんど学祭で女装コンテストがあるんだよ。これ、出てみない?」


「えー」


 気のない返事をする僕に、リンが身を寄せてくる。垂れ目がちの大きな目が輝く。


「なんと、優勝すれば、この最新ゲーム機が貰えるんだよ。ほら、もうすぐ私の誕生日だしさ!」


「却下」


「何で!」


 即答する僕に、涙目になるリン。


「何でって、恥かしいだろ」


「恥かしいだ~?」


 リンはゴソゴソと何かノートをシャツの中から取り出す。おい、どこにしまってるんだ。形の良いへそがちらちらと覗く。


「これを見ても、そんな事が言えるのかな~!?」


 リンが出てきたノートの表紙には『✝︎暗黒堕天騎士キリト✝︎』という文字が。


「や、やめろっ!」


「この黒歴史ノートをばら撒かれてもいいのかな~?」


「わ、分かった。やるから! 女装コンテスト出るから!」


 だからその俺の暗黒歴史ノートだけは返してくれっ!


 僕の返答に、リンは満足そうに頷く。


「よろしい」


 仕方ない。女装も恥かしいといえば恥ずかしいが、黒歴史をばら撒かれるよりマシだ。


 去年の学祭にはアニメのコスプレをして接客する奴もいたし、僕以外にも女装するやつは沢山居るだろうからそんなに目立たない......はずだ。


「仕方ないな。幸い僕は、細身の色素薄い系美少年だし」


「それ、自分で言う?」


 目を丸くするリン。


 それに僕には自信があった。人よりちょっと女顔だし、可愛くなれるんじゃないかという自信が。


 拳を握って立ち上がる。


「やるからには優勝を狙わせてもらう!」


 リンも目を輝かせて立ち上がる。


「おおっ、めずらしくユーくんがやる気! 衣装とかお化粧とか、私、色々手伝うね!」


 リンが笑顔で右手を差し出してくる。僕はそれを、力強く握った。


「がんばろう!!」

「ああ」


 ガッチリと握手をし優勝を誓い合う。

 最強の男の娘になるための、僕の一夏の戦いが始まった。






「そうそう、上手い上手い。でね、アイラインは目の粘膜のところも書くといいよ」


「粘膜?」


「睫毛の間も埋めてね」


「間ってどこだ」


「ああもう、貸して!」


 イライラしたようにアイライナーを奪い取ろうとするリン。


「いいよ、自分でやるから!」


 僕は鏡の中の自分とにらめっこし、細心の注意を払ってアイラインを引いた。


「できた」


「まあまあかな。もうちょっと練習が必要だね」


 横で見ていたリンが頷く。


「ふう、女って大変だな」


 女装コンテストに出ると決めたその日から、リンのスパルタ教育が始まった。


 化粧をするというのは手間だ。


 下地とファンデーションを塗り、頬紅チークをつける。眉毛を書いて、アイシャドウをぬりアイラインを引いた。そして睫毛をあげて……


 ああ、面倒臭い! 女は毎日こんなことしてるのか!?


 とまあ、こんな具合に、僕はリンの部屋に行き、女装コンテストの予行演習のため、化粧の練習をしていた。


 リンは、普段は化粧っ気はあんまりないけど、最近アニメのコスプレにハマってるらしく、化粧品をたくさん持っている。


 コスプレ雑誌「コスドーモ」の女装メイクのページを開きながら楽し気にメイクを施すリン。まるでお人形遊びでもしているかのようである。


 そういえば、リンの部屋に来るなんて久しぶりだな。久しぶりに来たリンの部屋は、まるで知らない女の子の部屋みたいに甘いにおいがした。


 僕はちょっと落ち着かない気分になりながら、リンの可愛いお人形さんになった。


「うん、こんなもんかな?」


 アイメイクを施していたリンが満足気に頷く。僕は差し出された鏡を見た。


「うーん」


 その姿を見て、僕は少しばかりがっかりした気持ちになる。


「不満なの? 可愛いじゃん」


 リンも一緒に鏡を覗き込む。だが僕は不満だった。


「何か思ってたのと違う」

 

 女装した僕は、綺麗なことは綺麗だったが「オカマにしては美人」という感じで、要するに男なのがバレバレだった。


 おかしいなあ。もっと可愛くなる予定だったのに!

 

 この頬と顎のあたりがシュッとしてるのがいけないのかもしれない。あとちょっと切れ長の目も。首も案外太いし。


 クソッ、もうちょっと丸顔で童顔だったら可愛くなっていたかもしれないのに。


「僕のシュッとした顔が裏目に出たか」


 ガックリとうなだれる。


「なんかムカつくわね、あんた」


 リンがボソリと呟いた。

 だって本当の事だもん!


「そうだ。黒目カラコンつけてみる? 本当はアイメイクする前に着けたほうがいいんだけど、女の子っぽくはなると思うよ」


「つける」


 僕は即答した。

 

 黒目カラコンとは、黒目を大きく見せる事が出来るカラーコンタクトのことだ。


 赤ちゃんや小さい子供は大人よりも黒目が大きい。そして赤ん坊や子供というのは可愛い。


 つまり黒目を大きく見せることで、より幼く、可愛らしく見せることができるということ!


 とはいえ、コンタクトを付けるなんて初めてだ。


 目に物を入れるなんて、想像しただけでもおぞましい。目薬でさえ目をつぶってしまって上手く挿せない。


 そう、以前の僕はそうだった。しかし、今の僕は以前とは違う!


 「美少女になりたい」その思いが恐怖を上回った。アドレナリンが噴き出す。いける! 今ならコンタクトを付けられるぞ!


「うおおおおおおおおお!!」


 僕は、思い切って黒目カラコンをつけた。


「うう......」


「何でそんな大げさなの?」


「うるさい」


 綺麗になるというのは、命懸けなのだ。


 黒目カラコンをつけ、涙目になりながら鏡を見た。

 鏡の中で微笑む、色白の美少女。


「おお、可愛い!」


 思わず声をもらす。なんて可愛いんだ。これは、絶世の美女!

 自分の顔を右から左から、何度も鏡で見る。

 黒目がでかいってだけでこんなに女の子らしくなるのか。うん、どこをどう見ても美少女だ!


「やーん、可愛いじゃん!」


 リンも頬を緩ませる。


「だろ?」


 僕は胸を張った。


「そうだ、せっかくだからウイッグも被ろう? ユーくんは色素薄くて目も茶色っぽいから茶髪が似合うと思う」


 手渡された茶髪でセミロングのウイッグ、つまりかつらを被ると、僕は完全に美少女だった。


「若干面長だから、それを隠すために頬のあたりで少しふわっと髪を巻こうね」


 僕の後ろに立ち、コテで器用に顔の周りの髪を巻いていくリン。


 途中何度か背中や二の腕に、とろけるような柔らかな感触が当たりビクリとする。


 横目でリンを見ると、ヒラヒラしたブラウスの袖口から、白い二の腕と無防備な脇が見えた。


 今のは胸……だよな。結構大きかった。

 リンのやつ、昔はガリガリだったのに、最近はなんかやけにムチムチしちゃってさ。


 胸だけじゃない。腰周りも、太もももそう。僕は太ももの間に隙間が出来るくらいのスレンダーな子の方が好みなのにさ。


 何となく寂しい気分になる。成長期ってのは何となく悲しい。リンは僕の知らない所でどんどん大人になっていく。


 小さい頃は、僕達は毎日の様にお互いの家を行き来し、遊んでいた。お互いに隠し事なんか無かったし、何でも知っていた。


 それが中学生になったあたりからだろうか?  なんとなく互いに同性の友達とばかり遊ぶようになり、距離ができるようになったのは。


 時々考える。僕も女の子だったらな。


 女の子だったら、リンとずっと友達でいられる。


 一緒にトイレに行って恋バナしたり、一緒に新しくできたパンケーキのお店をチェックしたり、可愛い雑貨屋さんに寄ったりしてさ。


 そういうのって、楽しそうだなって時々思う。あー、美少女になりたい!

 

「できた」


 リンの声に、僕は目を開けた。


 フワフワにカールした髪。若干、顔が丸く柔らかく見えた。


 髪型一つで結構印象が変わるんだな。「毛先十五センチで可愛いは作れる」はあながち嘘じゃない。


「器用なんだな」


「まあね、練習したから。じゃあ、髪はこれでよし、と。あとは服かな」


 ニヤリ、とリンが笑う。


「女物の服、一緒に買いに行こう」




 

 

 僕たちがやってきたのは、自転車で十分位のところにある近所のデパート。


 このデパートにはよく行くんだけど俺は初めて来た店みたいに落ちつかない気分で辺りを見回した。


 だってそうだろう? リンと二人で女物の服を見ているところを誰かに目撃でもされたら大変だ。


「うーん、どっちがいいかなー」


 目立たないようコソコソとしている僕をよそに、リンは白いスカートとピンクのスカートを手に悩み始める。


「ピンクのほうが可愛いけど、トップスと色を合わせるとしたら、ボトムスは白の方が便利かな?」


「そうか」


 トップスとかボトムスとかいう単語はよく分からなかったがとにかく早くしてくれ。


「ちょっとユーくん、真面目に選んでる?」


「選んでるよ」


「あっ、これならウエストがゴムになってて、フリーサイズだから男の子でもいいかも」


 リンが見せてくれたのはフリルがたっぷりついた白いワンピースだった。いいじゃん。清楚で。お嬢様っぽい感じだ。


「ああ、いいんじゃない、可愛くて」


「でもこれ、下着が透けるかな?」


 リンは裏地を確認すると、何やら悩み出す。


「......待てよ。下着か。下着も買わないとね。下がトランクスじゃあ、雰囲気も出ないし」


 リンが僕の腕を掴んだ。嫌な予感。


「ちょ、どこへ行くんだよ!」


「下着売り場」


「ええ!?」


 勘弁してくれ!

 だがリンは、問答無用で僕を隣の下着屋さんへ引きずり込もうとする。


「あれー? リンじゃない?」


 ......げっ!


 そこへタイミングの悪いことに、クラスの女子二人組がやってくる。最悪だ!


「どうしたの二人して」


 クラスメイトは俺たちと下着売り場を交互に見比べる。


「やだ、もしかして二人って!?」

「きゃあ、そういう関係だったの!?」


 ほら! あらぬ勘違いをされてるし!


 初めはきょとんとしていたリンだったが、その意図する所に気づいたのか、顔が見る見るうちに真っ赤になっていく。


「ち、違うわよ、これはユーくんが着るんだから!」


 大声で叫ぶリン。

 しん、と辺りが静まり返る。


 あのー、余計酷くなってません?

 クラスの女子さん、ドン引きしてますけど?





「全く、今日は散々な目にあったよ」


「ごめんごめん。でも、可愛いお洋服は手に入ったし」


 服と下着を買い終え、僕たちはフードコートでクレープを食べながらそんな話をした。


「それに、久しぶりだね。二人でこうやって遊ぶの」


 思えば、昔はよくここで遊んだな。リンがフードコート脇にあるガチャガチャが大好きだったから。


「うん」


 僕は口いっぱいにバナナクレープを頬張る。

 まあ、たまにはこういうのも悪くないかな。


「コンテスト、頑張ろうね」


 リンがこぶしを握ってみせる。


「ああ」


 僕は力強く頷いた。

 やってやる。目標は優勝。それ以外無い。






 僕がクラスでろくに話したことも無い女子に声をかけられたのは、その翌日だった。


「クスクス。女装コンテストに出るんだって?」

「SNS見たけど、似合ってたよー。フフフ」


 体温が一気に上がるのを感じる。


「あ、ドモ」


 委縮しながら答える。リン以外の女の子と話すのは苦手なんだ。


「頑張ってね。アハハハ!」


 二人の女子は去っていく。


 待てよ。SNSとか言ってたな。まさか。


 リンのアカウントをチェックする。

 そこには女装した僕の写真が載せられていた。


 くっそ。リンのやつ、どうなってんだよ!


「でも......」


 僕は再びSNSを見た。そこには今まで見たことも無いような数の「いいね」がついている。

 そこについているコメントも好意的なものばかりだ。


 ・可愛い! モデルになれそう!

 ・男の子? 信じられない!

 ・女なのに負けた~

 

 

 .マジか。僕ってそんなに可愛いのか!

 どうしよう。このまま男の娘モデルとしてスカウトされたら!!


「クソッ、どうせ載せるなら、もっと可愛く写ってるのにしろよなー」


 もっと可愛く写る角度あるのに。それからこの加工アプリ使えば肌綺麗になるし目も大きくなるんだから、今度リンに教えてあげないと。


 ぶつくさ呟いていると、背後から男子に呼び止められた。


「よぉ、お前ら女装コンテストに出るんだって?」


 振り返ると、そこに居たのは三組のイケメン、相沢だった。違うクラスの奴にまで知れ渡ってる!?


「ああ。その、なんか成り行きで」


 照れながら小声で言うと、なんと相沢は


「そうなんだ。実は俺もなんだよ!」


 と言ってきた。


「あ、そうなんだ?」


 驚いていると、相沢は屈託のない笑顔で右手を差し出してきた。


「クラスの女子が出ろ出ろってうるさくってさ。まあ、一緒に頑張ろうぜ!」


 大きな手を握り、握手を交わす。


 まさか相沢まで女装コンテストに出るとは。相沢の顔をしげしげと見る。


 サラリとした黒髪。すらっと伸びた長身。幅の広い大きな二重の目に、高い鼻、形の良い口。


 僕が知る限りでは、相沢は学年で一番のイケメンだ。 


 彼は僕の嫌悪するリア充の巣窟、サッカー部なのだけれど、髪も染めないし、制服も着崩さない。全然チャラチャラしていない。


 それどころか、僕みたいな根暗なオタクにもフレンドリーに話しかけてくれるいい奴。


 学年の女子のほとんどは奴に抱かれたいと思ってるし、男子でも三割ぐらいの奴は奴に抱かれたいって思ってるんじゃないかな。たぶんだけど。


 手を振って去っていく相沢の後ろ姿を見て、僕は少し不安になった。大丈夫だろうか。勝てるのか? これ。


 いや!  首を振って弱音を振り払う。

 大丈夫だ。奴は男前だけど、それは男としての魅力だ。僕の方が色白だし、細身で女装には向いている ……と思う。


 そう思いつつも、僕の自信は段々と失われていった。


 女装コンテストは生徒全員による人気投票形式だし、例え完成度で勝ったとしても、相沢みたいなモテモテで人気な奴が票を集めるのではないだろうか?


 ため息をついていると、またしても声をかけられる。


「女装コンテストがあるの?」


 隣のクラスの宮下だ。

 童顔で身長が低く、まるで中学生みたいな宮下。彼とは去年、高一のころ同じクラスでそこそこ仲が良かった。


 彼は丸いほっぺを赤く蒸気させながら、キラキラした目で聞いてくる。


「ああ。学祭であるらしいよ。商品にこのゲームが貰えるらしいから、しかたなくさ」


 やれやれ、とパンフレットを宮下に見せた。すると宮下は、


「へー、そうなんだ。 僕も出てみようかな?」


 と言って目をキラキラさせた。


「そ、そうか」


「一緒に頑張ろうね!」


 手を振って去っていく宮下の後ろ姿。その姿を僕は見送りため息をついた。


 こんなにライバルがいるなんて。頑張らないと。

 心臓の奥で炎がメラメラと燃える。

 勝ちたい。僕は学校一の美少女になるんだ!









「わ、なんか凄い完成度が上がってる」


 リンが僕の女装姿を見て感嘆の声を出した。


「だろ?」


 もうすぐ九月だというのにまるで真夏のような炎天下。僕はヒラリと華麗に一回転した。


 今日は待ちに待った学祭当日。いつも以上に気合いが入っている。


 輪郭を隠すように姫カットにした長い黒髪。長い脚を際立たせるニーハイとガーターベルト。フリルとリボンたっぷりの白いワンピース。


「頬のチークを真横に引くことで愛らしいフェイスラインを実現させました! 下瞼は目じりを濃くして少し垂れ目気味に愛らしく! 睫毛はわざと束になるようにマスカラをつけて、着け睫毛となじませる。アイメイクが濃い分、逆に口元はシンプルに薄いサクランボ色の唇に……」


 熱弁していると、リンは若干引いたようにこう言った。


「なんか、本格的過ぎて怖い!」


 失礼な!


「ま、女の子に見えるんなら別にいいよ」


「うん、女の子には見える。不思議と。頑張ったんだね」


 リンは真顔でうなずいた。


 頑張ったどころじゃない。毎日スキンケアをし、化粧の特訓、ファッションチェック、ウィッグの手入れ。慣れない作業の連続だった。


「もっと褒めてもいいんだぞ?」


「調子に乗るな」


 リンはぺしり、と学祭のパンフレットで僕の頭を叩いた。


 程なくして校内放送がかかる。


「女装コンテストの参加者は、体育館ステージ横の控室にお集まりください」


「行かなきゃ」


「頑張ってね」 


 握りこぶしを作って応援するリン。


「うん」


 僕は頷くと、リンに見送られステージ横へと走っていった。


 いよいよコンテストの始まりだ!

 


 決戦の舞台となる体育館ステージ横では、男子たちが死に物狂いで化粧をしていた。


 着替え場所の分からなかった僕は先に教室で準備を済ませていたので、オカマたちの必死のドレスアップ姿を見ながら適当に過ごしていた。


 それにしても、全然可愛い子が居ないな。こんな雑魚共に本気出さなくても良かったかな。


「よお、ユーじゃん」


 後ろのドアから三組のイケメン・相沢が入ってきた。ピンクのウィッグに日曜朝にやっている少女アニメのコスプレ衣装を着ている。


 その衣装と化粧の出来栄えを見て僕はほくそ笑んだ。相沢のやつ、完全に笑いを取りにきている。


 他に目ぼしい美少年もいないし、今日は僕の優勝だな!


「すげぇな、お前、完全に女にしか見えねぇよ」


 相沢が僕の肩を叩き笑う。


「あ、ああ。クラスの女子がはりきっちゃってさ」


 わざとらしい笑みを作る僕。

 嘘だ。本当は僕がほとんど一人で化粧した。


「今日はお前の優勝かな」

「いや、まだ分かんないけどさ」

「いや、お前、一番綺麗だって!」

「いやいや、相沢だって……」

「いやいやお前が」

 

 二人の女装男がキャッキャうふふとしていると、不意に周囲がざわめいた。


 妙な気配を感じて後ろを振り返ると、天使の様な美少女がいた。


「あのぉ、女装コンテストの控室って、ここですかぁ?」


 天使が笑顔で首を傾げる。すると周りに花が咲いたかのように、ぱあっとその場の空気が明るくなった。


 茶色いフワフワのセミロング。花柄のピンクのチュニックに白いショートパンツ。そしてすらりとした太ももを包んだ黒いニーハイ。小柄な彼女は、クリクリッとした目で僕を上目遣いに見上げた。


 可愛い!


 体に衝撃が走る。

 そしてその数秒後、その美少女の正体気がつくとさらに戦慄した。その声にはよく聞き覚えがあったのだ。


「宮下?」


 呻くように僕が言うと、


「ぴんぽーん」


 宮下は小悪魔めいた笑みを浮かべた。

 や、やっぱり!


 小柄で童顔な彼は、男の状態だとそれほど美少年というわけではない。

 だが、女装した彼は、完璧なるゆるふわ愛され系女子高生だった。


 男の状態だとマイナス評価される彼のナヨナヨした線の細さや、ほんわかした丸いほっぺが、女装したことで上手い事プラスに働き、彼を女性らしくみせている。

 

「ひょー、宮下か!? 凄いなー。まんま女じゃねーか」

「お前なんで男に生まれたんだよ!」

「これなら付き合える!」


 周りの男どもも宮下をほめそやす。


 僕はというと、その女装の完成度の高さに、打ちのめされていた。


 襲ってくる敗北感と虚無感。


 まずい。こりゃ負けた。


 誰がどう見ても僕より宮下の方が可愛い。

 どう考えても優勝は宮下以外ありえない、そう皆が思うほど、宮下の女装は完璧だった。


 まだ勝負は始まっていないけれど、僕はもう敗北した気分だった。


 ガックリと肩を落とす僕に、ずいと宮下が顔を寄せた。


「ユーくん、カラコン入れてる?」


 僕は、しどろもどろになりながら答えた。


「あ、ああ」


 僕が答えると、宮下は嬉しそうに手を叩いた。仕草まで完璧に女子だ。


「そうなんだぁ。僕は『キューティーアイズ』の愛されモカブラウン。つけまはどこの?」


「ええと、『ユリちゃんセレクト』の天使の羽シリーズ」


「ああ、それ、前に使ってた。高いけど、ナチュラルな感じでいいんだよね」


「うんうん」


 頬を高揚させ、キラキラとした瞳でメイクやコスメについて喋り続ける宮下。

 しばらく僕たちは、女装についての話で盛り上がった。


 ふいに宮下はぐい、と俺の袖口を引っ張った。


「ねえ、まだ時間もあるし、こっちでもっとお話したいな」


「あ、おう」


 うるうるとした子犬の様な目の宮下に連れられ、僕は体育館の裏にやってきた。

 ジリジリと午後の日差しが腕を焼く。僕は涼しい日陰に移動した。


「そういえば宮下、アイプチやってる?」


 僕は宮下の顔を覗き込んだ。


「うん。アイプチとカラコンでだいぶ顔変わるね」


「確かに。僕は元々二重だけど」


 僕の顔を覗き込んでいた宮下が、パッとそっぽを向いた。


「宮下?」


「僕さ、中学の頃から女装してるんだ」


 ふいに宮下がそんなことを言いだす。


「あ、そうなんだ。それは凄い。ベテランだね」


 感心して言うと、宮下はうるんだような瞳でこちらをちらりと見た。


「僕はさ、女の子に生まれたかったんだよ」


 少しの沈黙。僕は、その宮下の言葉の意図するところを汲み取るのに少し時間がかかった。


「……あ、そう。そうな、のか」


「ユーくんは」


 なんだか変ちくりんな返答をしてしまう僕に、宮下は畳みかけるようにこう言った。


「ねえ、ユーくんは、男の人を好きになったことってある?」


 午後の風がそよぎ、校庭に砂埃が巻き上がる。

 宮下は愁いを帯びた睫毛を伏せながらチュニックの端をギュッとつかんだ。


 え……ええ? 何だ? 何なんだ?この展開は!!


「いや。宮下は……ええと、そういう?」


 僕が頭を真っ白にさせながらもなんとか返答をすると、宮下は少しすねたように口をすぼめた。


「そういうって?」


「ええと、恋愛対象が……男? なの?」


 額にびっしりと汗をかきながら僕が尋ねる。

 宮下は「そーだよ」と照れくさそうに頷いた。


「な、何ぃ―!? そんなこと、去年一年間同じクラスだったけど、全く気付かなかったぞ!?


 僕がそう言うと、宮下は可愛らしく首を傾げる。


「そう? クラスの大半にはバレてると思ってたけど」


 そうなのか? 知らなかったのは僕だけなのか?


「あ、あのな、言っておくけど僕は宮下と違って好きこのんで女装しているわけじゃ――」


 僕が慌てて言うと、宮下は目を細めて笑う。


「大丈夫、知ってるよ」


「そっか」


 上目遣いで僕を見る宮下。


「でね、もしユーくんがどうしても優勝したいっていうのなら、僕、コンテストの出場を辞退してもいいよ」


「えっ!?」


 思わず身を乗り出す。


 宮下がコンテストを辞退してくれるならば、確実に僕が優勝だ。こんなにありがたい話はない。でもどうして?


 そんな僕の瞳を、宮下は真っすぐに射貫いたまま言った。


「僕と付き合ってくれるっていうならね」



 僕が――宮下と付き合う。

 頭が真っ白になる。


 宮下を見る。見た目は完璧な美少女だ。

 でも――



「ごめん。それはできない」


 僕は宮下に頭を下げた。


「そっか」


 宮下が少し悲しそうな目を向ける。

 そして、口元に笑みを作ってこう言った。


「じゃあ、真剣勝負だね」


 真剣勝負。


  僕は息を飲み込む。


「ああ」


 心臓がうるさく音を立てる。

 僕は、宮下に勝てるだろうか?

 ここ一か月の頑張りは、実を結ぶのだろうか?





 そして女装コンテストは始まった。


 自己紹介をしたり、マイクパフォーマンスをしたりしてアピールする男の娘たち。

 


 コスプレ姿のままバク転をして会場を沸かせる相沢。

 アイドル歌手の曲に合わせて踊り、観客を魅了する宮下。

 僕もリンと練習した小悪魔モデルウォークを披露した。



「ふう」


 緊張のステージを終え部隊袖に戻ると、相沢が肩をたたく。額を流れる汗が止まらない。


「お疲れ、緊張したな」


「ああ」


 僕は宮下をちらりと見た。

 宮下は無表情のまま腕を組み、キラキラと光るステージを見つめている。


 負けたくない。


 ステージ発表が終わると、いよいよ投票開始だ。

 僕は手を組んで神に祈った。


「それでは、結果発表です。参加者の皆さんはもう一度ステージにどうぞ」


 司会者の声にビクリと跳ね上がる。

 再び壇上に上がった僕たち。 

 心臓の鼓動が鳴りやまない。

 僕は唾を飲み込み結果発表を待った。


 女装コンテストの結果は高らかに、マイクを通して発表された。



「それでは、女装コンテスト優勝者を発表します。優勝は二年三組、宮下涼くんです。みなさん、大きな拍手を……」



 頭が真っ白になる。



 ああ……


 負けた。


 負けたんだ……



 体育館の中が拍手で包まれる。


 まばゆいスポットライトの中、賞品を受け取り、喝采を浴びる宮下の後ろ姿。


 その後ろ姿を、僕はぼんやりと、光の当たらない暗い影から眺めていた。


 とてつもない疲労感と虚無感が襲う。



 あんなに頑張ったのに、僕は負けたんだ。







 あの怒涛の、嵐のような学祭が終わった。

 

「リン、誕生日おめでとう。約束してたゲーム機はとれなかったけど、これ……」

 

 僕は部屋にリンを呼び出し、おずおずと誕生日プレゼントを差し出した。

 リンへの誕生日プレゼント。それは小さなオレンジ色のガーベラの花束だ。


「……」


 リンが、差し出された花束を受け取り無言になる。


 ゲッ、まずい。不評か!? これ!


 そうだよな。花束なんて実用性皆無だ。リンは花より団子、そういうタイプの女だった。


「あ、あのさ、女装コン準優勝の商品で商店街の買い物チケット貰ったじゃん?」


 額からどっと汗が出る。僕は慌てて弁解した。


「それで商店街をうろうろしてたら可愛い看板猫がいる花屋を発見してさ、ついつい中に入ったら『何かお探しですか』って聞かれて......店に入った以上、何か買わないわけにはいかないしさ。でもやっぱ、花束なんかいらないよな! すぐ枯れちゃうしさ ……ハハハ! ごめんなー!」


 早口でまくしたてると、「ううん」とリンは首を横に振った。


 午後の風が吹いて、リンの黒くて長い髪と、オレンジのガーベラを静かに揺らす。


「……うれしい。すごくうれしい」


 ドキリとした。

 顔を上げたリンの鼻の頭が真っ赤だ。目に涙を溜めている。

 

 僕は慌てて目をそらした。


「は、花束なんてもらって嬉しいのか。女の子って、変なの」


 そう言うと、リンは涙をぬぐいながら、ふふ、と笑った。


「まあね。確かに私も昔はそう思ってたんだけど......けど、いざ貰うとさ、嬉しいんだよ」


 意地悪そうな目をするリン。


「それにしても、女の子に花束を贈るなんて、ユーくんもずいぶんキザなことを覚えたもんだ」


「いや、これは、花屋の看板猫がだな……!」


 僕は壊れたラジオみたいに同じ話を何度も話した。


 そしていつしか話題は、コンテスト当日の事になった。


「……実は僕、コンテストの日に宮下に告白されてさ」


 リンが、びっくりしたような目で僕を見てくる。そりゃ、びっくりするわな。


「それで……何て答えたの?」


「いや、普通に断ったよ。 好きじゃない相手とは付き合えないって」


 グラスのコーヒーを飲み干す。ほろ苦い風味が、口の中に広がる。


「好きじゃない相手とは付き合えない……男の子だから、じゃなくて?」


 不思議そうな顔をするリン。


「それ、宮下にも聞かれたな。でも、男だからとか女だからとか、そういう問題か?」


 リンが首をかしげる。


「僕はぶっちゃけ、自分のことを愛してくれて、大事にしてくれるなら性別なんてどーでもいい」


 伸びをしながらコキコキと首を鳴らし、天井を見上げた。


 実をいうと、僕は宮下と付き合っても良かったのだ。


 一緒に買い物に行ったり、映画を見に行ったり、そんな風に過ごして、二、三週間したら「やっぱり気が合わないから別れよう」とか言って別れを切り出す。それでも良かったのだ。


 僕はゲーム機を手に入れられるし、宮下はほんの少しの間、僕と恋人気分を味わえる。利害も一致するし、その手を使うのもアリだった。


 というか、ギリギリまでその作戦を使う気でいた。今思い出しても僕は最低の人間だと思う。

 でも、僕は今まで女の子と付き合うという経験をしたことが無い。


 自分の「はじめて」をそんな風に使うのはいかがなものか。そう考えた結果、断ったのだ。

 

 そのことをリンに説明すると、リンは、ほっとしたように笑った。


「良かった。そんな作戦をユーくんがとらなくて」


 そうだよな。そんな風にして手に入れたゲーム機を貰っても、リンは嬉しくないだろう。


 するとリンは口を尖らせ、こんな風に僕をせめた。


「だってそんなことをしたら、あんまりにも宮下くんが可哀想だよ」


 まっすぐな瞳。僕の汚れた心を反射する、磨かれた黒曜石みたいな黒。胸が痛くなる。


 僕はコンテストの日、あのステージの上で宮下の優勝が告げられた時のことを思い出した。

 

 優勝者が決まった瞬間、僕は客席を見た。ステージの上からはリンの顔がハッキリと見えた。


 リンは涙ぐんでいた。


 その時はなんで泣くのか分からなかったけど、今なら何となく分かる。


 きっとリンは、僕がリンのために死に物狂いで頑張った、その事実だけで泣くほど嬉しかったのだろう。だからきっと、これで良かったんだ。


 きっと、これで――





 落ち着かない気分のまま溜まっていた宿題を済ませる。


 ふと顔を上げるとリンの部屋に明かりがついているのが見えた。もう、そんなに暗くなったのか。


 僕も慌てて自分の部屋の明かりをつけた。向かい合わせになった二つの部屋に、柔らかな二つの明かりが灯る。


 外の空気を吸おうと、窓を開けた。


 昼間は九月なのが嘘みたいに暑かったけれど、夜になると急に秋なのを思い出したように冷え込む。遠くで車の音が、しんとした空気を震わせた。

 

 もう九月。必死で走り続けた八月が終わり、何日も過ぎているのに、僕の心の中にはまだ燃えきらない情熱の残りかすみたいなのがくすぶっている。


 あんなに頑張ったのに。全てが終わり残っているのは使い道のない化粧品だけ。行き場を無くしたこのむなしい思いを、虫の音と共に秋の風がさらって行く。


 リンの部屋をじっと見つめる。


 もうリンが僕に化粧をしてくれることも、洋服を着せ替えて悩んでくれることも、可愛いって褒めてくれることもない。


 そうして段々と平穏な生活へと帰っていき、僕らはまた徐々に疎遠になっていくのだろう。


 もしかすると、また僕が女装でもすればリンは手伝ってくれるかもしれない。


 でも、僕にはもうそんな気は無かった。


 僕の美少女になりたいという情熱は、あの学祭で燃え尽き、嘘みたいに消えてしまったのだった。


 思えば、僕は宮下みたいに本気で女の子になりたがっている訳じゃ無かった。なのに、なぜあんなに頑張っていたのだろう?

 

 この数週間で、いったい僕は何を得た?


 あんなに頑張って、徹夜してメイク方法を覚えたりファッション雑誌を読み漁ったりしてさ。


 結局のところ、コンテストで優勝もできなかったし、ただいたずらに、誰かの心を傷つけただけ。


 僕は急に寂しくなった。


 夏の終わりというのはいつも物悲しいけど、今回は特にそう思う。


 じっと明かりのついたリンの部屋の窓を見つめる。あの窓が空いて、リンが出てきてくれないかな。


 夜風が吹く。そして、思いが通じたかのように、リンの部屋のカーテンが動いた。


 カーテンが揺れ、白い腕が伸び、窓が開いた。僕はそこに釘付けになる。


 現れたのはお風呂上がりのリンだった。


 薄紅色に染まった白い首元に、濡れてぺしゃんこになった黒髪が張り付いている。


 いつもポニーテールにしているから分からなかったけど、いつの間にかこんなに髪が伸びていたのか。


 いつもは前髪を完璧に整えて、見せるのを嫌がっている狭いおでこを、薄いすっぴんの眉毛を、灰色のスウェットみたいな変な寝間着姿を、僕はその目に焼き付ける。


 僕の家は晩御飯を食べた後お風呂に入るんだけど、リンの家は晩御飯の前にお風呂に入るというのが習慣だ。


 変なの、っていつも思うんだけど、この髪が塗れた状態のリンを見るのは嫌いじゃない。


 リンと僕の目が合った。リンは少しぎょっとした顔をして姿を隠した。じろじろ見ていたことがバレたか。参ったな。これじゃまるでストーカーじゃないか。


 深いため息をついていると、リンは小さな花瓶に移し替えられたオレンジのガーベラを手に再び窓際に現れた。


 赤みを帯びたうるんだ目元と上気した頬。

 リンは、ガーベラを手に、嬉しそうに笑った。


 その柔らかな微笑みが、まるで映画のワンシーンみたいにスローモーションに見えたから、僕は夜の魔法にかけられたように、言葉を失いその場に立ち尽くした。


 その孤独な夜を照らす灯火に、息を吹き返す世界に、僕は声も出ない。


 ただ声にならぬ声で「おう」とだけ言って右手を上げるのが精一杯。


 急いでカーテンを閉める。勢いをつけ、自分のベッドにダイブ。枕に顔をうずめ、ベッドの上で右に左に、僕は身をよじらせた。何度も、何度も。


 なんだよあれ。なんなんだよ、あれは!

 胸が痛い。この胸が、熱くてたまらない。誰か助けて! あんなの卑怯だ!


 ゴロゴロとベットをのたうち回り悶絶する僕。傍から見たら、さぞかし滑稽だろうな。でもそうすることしか出来なくて。

 

 胸の痛みと共に、熱い息を吐き出して天井を見上げる。


 その時、僕の頭に蘇ってきたのは、数日前の出来事だった。





「ごめん、宮下。僕は宮下とは付き合えない」


 砂埃の舞う体育館裏で、僕は宮下に告げた。


「そうだよね。ははっ。ごめんね。気持ち悪いよね、男となんて――」


 困ったような笑顔で謝る宮下に、僕はぴしゃりと言った。


「違う」


 違う。違うんだ。


「違う。宮下と付き合えないのは、宮下が男だからじゃないんだ」


 とんびが高く、学校裏の林の上を旋回していく。


「好きな人が、いるんだね」


 息を呑む。頭の中に、少女の笑顔が浮かんだ。

 僕は頷いた。


「うん。僕は――その人のためにここにいるんだ」




 すべてはリンのためだった。


 僕が今まで頑張ってこれたのは、全てリンのためだったんだ。


 今まで自覚してなかったけど、宮下に言われてはっきりと分かった。


 僕は思い出す。オレンジのガーベラを手にしたリンの、あの笑顔を。暖かさの残る九月の風を。夜の匂いを。屋根の上、微かにきらめく星たちを。冷たいサッシの感触を、熱い胸の痛みを。


 僕に思いを伝えた宮下のことを。


 好きな人に思いを伝える勇気。


 僕もできるだろうか?

 いや、大丈夫だ。あの熱いステージ。あのドキドキ。あの大舞台を宮下と戦った、今の僕なら。


 僕はゆっくりと窓を開けた。月明かりの下、屋根を伝う。


 僕にあげられるものはまだ残っている。


 リン、君にあげたい。僕の、とびっきりの夏を。


 静かに窓をノックする。リンが鍵を開ける。

 テーブルの上、揺れるオレンジのガーベラ。

 秋の風。虫の音。


 僕は思いを告げた。


 三日月みたいに笑うリン。

 その瞳の奥で、星が静かに揺らめいた。


 僕は、どんなに化粧をしても追いつけない、可愛い女の子を抱きしめる。


 瞼の奥には、眩いステージ。


 夏の残り香が微かに残る夜。僕は、あの日挑んだ大舞台を思う。


 どんな滑稽でみっともない青春だって、がむしゃらに何かに打ち込んだ夏は、きっと無駄では無かった。全てはきっと、この夜へと繋がっていたのだ。



 


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