目覚め
4月は終わり、5月の半ばに差し掛かろうとしている。私は、彼を追い掛けるのをやめた。私にはどうにもできない世界だと思ってしまったからだ。夏希さんの所には忙しくて行けずじまい。例のメイドは辞退した。4月分のお金はちゃっかり貰ったけどね。
今日も平和な学校生活だけれど、彼はこの学校のどこかでまだ苦しんでいるのだろうか。
「そうちゃん?お弁当のお箸が止まってるよ?」
減っていないお弁当が目に入る。
「ほんとだ。考え事してたら箸が止まっちゃったみたい」
「もしかして、あの人のこと?」
やはり下がる、声のトーン。
「違うよ。今日の夕食何かなーって。苦手なものが出たらどうしようとか」
「あはは、そうちゃんって苦手なものあるんだぁ。なんでも食べるイメージがあったけど意外」
私も誤魔化すのがうまくなったものだ、と信じたい。
突然、クラスの空気が固まる。1人の足音が響く。
「夏希が目覚めた。君に会いたいと言っている。会ってくれないか?」
久しぶりの夏宮さんの声。
目覚めたんだ……泣きそうになった。
「うん!ごめん、早退する。先生に伝えといてっ!」
目を白黒させるななみんをよそに、急いで教室を出る。
病院の廊下を大股で歩く。
「記憶は多少、混同しているようだが、大体は把握しているみたいだ。開口一番に僕の友達に会いたいと言ったそうだ。君の声は届いていたんだ」
「よかった……よかったよぉおおお」
尋常じゃなく涙が出てくる。
「ここで泣くなよ。注目を集めるだろうっ!」
前髪の長すぎる少年と泣きじゃくる少女、確かに不審な組み合わせだ。
「着いたから、拭いて」
ハンカチを押し付けられる。
「入るよ」
車いすに座り、こちらを向いている少女。ベットに居るときと比べて、生きている人の質量を感じた。
「こんにちは。早くお会いしたかった」
長年、声を出していなかったからか掠れていた。
チクンと胸が少し痛んだ。
「本当はね、ずっと意識があったの。でも、身体が言うことを聞いてくれなくて……起きるのに時間がかかちゃった」
意識があったっていうことは……
「ずっと、僕の声が聞こえていたのか?」
「そうだよ」
夏希さんはうつむく。表情が見えなくなる。
「口下手なのに、病院にいる間、饒舌に話しかけてくれたね。私はそれが悲しかった。薄々わかっていたけど、作り話だって聞いちゃったしね」
一旦言葉を切る。しゃべるだけでも疲れるみたいだ。
「でも、爽果さんが来てから誠君は元に戻った。私の好きな誠君に。口下手だけど優しい誠君。そして、私、爽果さんの言葉を聞いて元気が出てきたの」
ありがとう、満面の笑みと共に感謝の言葉が贈られる。
「恋のパワーは女子の原動力ってね。自殺したときは、誠君も、みんなも恨んだけど、いつまで経っても誠君が好きなのは変わらないってわかったの」
夏希さんは破壊力抜群の笑顔を彼に向ける。
「僕は正直、今の気持ちはわからない。でも、夏希が社会復帰できるまで傍にいるよ」
照れが言葉の端々ににじむ。
ちょうどドアがノックされ、看護師さんが入ってくる。
「詳しい検査をさせていただきます」
「少ししゃべっただけでも、だいぶ疲れちゃった……難儀な身体だよ。また来てね、二人とも」
目覚めて、本当によかった。笑顔が見られてよかった。他人事なのにまた泣きそうになる。
「絶対に行くよっ!」
「またな」
前髪の隙間から見えた目は、柔らかく曲がっていた。
なんだ、鼻笑以外できるんじゃない。少し、胸が痛んだのは幻だ。