プロローグ3
俺は気絶した後、帰ってきた家族に発見され病院に連れていかれたそうだ。救急車によって運ばれたらしいが、その時の俺は意識がなかった為乗ったという実感はなかった。
今でも救急車に乗るという体験はこの時だけだったので、起きていれば内部が視れたのになあと思ったし、実際当時は「もう一度乗ってみたい」なんて事を口にしたが、親から「こっちは心配しているのに何考えてるんだ!」かなり怒鳴られた事を覚えている。
俺は病院に着くと色々な検査を受けたそうだ。全く意識が無く、何をしても起き無かった為にかなり危険な状態だと考えられたが、どんな検査だったかは詳細には知らないが、左目を除く全てが正常だったそうだ。
その後、俺は気絶して数日程経ってから起きる事が出来た。いや、正確にはその間にも何度も目は覚めて起きていた事もある。
だが、起きるたびに、無造作に左目を開けていた事により、情報が無理やり詰め込まれてまた気絶することを繰り返していた。何度も気絶するうちに、やっと左目を閉じたまま起きる事に成功したのだ。
起きた俺は何度も気絶したおかげで初めから自分がいる場所が病院だと理解していた。
看護師が俺が起きているのを見ると直ぐさまの医者と家族を呼びに行った。
先ずは父と母そして兄が病室にやってきた。父と兄に心配したと言われ、母には号泣されとても申し訳ない気持ちになった。
その後医者がやって来て、俺に何があったのかを質問した。
正直に答えたところで信じて貰えるとは思えなかったので、急に左目が痛くなり気絶したと嘘を言った。
医者は始めこの金色の目が黄疸によるものではと考えたが、ここまで綺麗に金色なのは例が無く、検査値に異常がないことから、新種の病気なのではないかと言っていた。
ただ、左目を開けて入れば直ぐに気絶してしまう事を除けばいたって元気な中学生を入院させる事は出来ず、アイマスクと週に一度通院する事を条件に2週間に及んだ入院生活は幕を閉じた。
入院を終えると俺は左目にアイマスクをつけて生活する様になった。
目を開けなければ、情報が流れる事はなく気絶しない事から前とほぼ同じ生活を送ることが出来た。
しかしながら、俺は当時中学2年生。そんな思春期真っ盛りの俺にとって左目を使いこなしたいと思う事を誰が責められようか。
とまぁ、そんなんこんなで俺は家にいる時に左目を開けて色々と修行の様なものを行った。
左目を何度も開け閉めしたり、遠くを見たり、と様々だが、試行錯誤を繰り返しだった。
たまに失敗して気絶してしまいその度に家族全員に怒られたりはしたが、辞めるという選択肢は取らなかった。
そんな試行錯誤を繰り返しの中で目の力が大体分かった。
まず一つ目、この目で見た対象の全てが見える。この力は例えば、本であるならその本の内容、その本の材質、そして作者が一目で分かる。加えて、眺め続けるとより一層詳しいことが分かる。
この力は生き物にも発動して、相手の名前やその人の人格、その人の考える事が分かり、また先ほどのと同様に眺め続ければより一層詳しいことが分かる。
2つ目は遠くを見れる。この力は数百メートル先の看板の文字すら読めて、眺め続ければより遠くまで見える。
3つ目は透視できる。この力は薄い壁であれば一瞬で透視でき、どれ程厚い壁でも時間をかければ透視できる。
そして1年程続けてようやく使いこなすと言える程では無いが、左目を開けていても気絶しなくなっていた。
それは俺の脳が大量の情報を得ても大丈夫なのではなく、左目の力を抑えることができるということだ。
ただ抑える事はできたとは言え、この力を完全に抑える事は出来なかった。その為、目の力により、人の嫌な部分を多く見てしまい、家族以外とは心を許すことは出来なくなっていた。
俺はその後、地元の高校に進学したが、目の力のせいで、人とは殆ど話すことなく周りから暗い人だと思われながら一年生の時間を棒に振った。
そして2年生になってもそれは変わらず、たった1人で過ごしていた。
そんな日々がある日突然終わりを告げた。