1 異世界で奥方になりました
「愛人とこんな所で逢引きだなんて、随分大胆ですこと。
妻に不貞を働かれて、お可哀相なグンナル様!もっとも、グンナル様には私がおりますから、貴方のようなとうの立った方にはその男がお似合いですわ」
そう言って声をかけてきたのは、お肌はぴかぴか、金の髪に、レースとリボンをたっぷり使ったドレスの、いかにも貴族なご令嬢でした。
その日、薫は執事のセブンスと一緒に久しぶりに町へ買い物に降りて来て、カフェでお茶をしていた。
…侍女くらい付けろって、いっつも旦那様には言われてたけど、私にはいらないと思ってた。
(はあ。旦那様の言うこと、聞いときゃ良かったわ…)
小声で愚痴ると、セブンスも小声で返してくる。
(ご納得頂けて幸いです。次からは腕利きの者を付けますので、今回はこのセブンスめでご辛抱ください)
(いえいえ、頼りにしてますって、セブンスさん!)
「ちょっと!!聞いていらっしゃるの!?」
目の前の令嬢がしびれを切らせて扇を打ち鳴らす。
前の席勝手に座ってるし…。はい、聞いてませんでしたよ。
「申し訳ありませんお嬢様。正式なご紹介も挟まずに突然話しかけられる事など、滅多にないものですから。私はセブンス・リースと申します。
よろしければ、お名とご家名をお教え願えますでしょうか?」
薫が口を開く前にセブンスが、丁寧な口調でジャブを放つ。
まあ、意訳しますと『勝手にうちの主の名前を口にするんじゃねえよ。正式な目通りもかなわない小娘が』って感じです。怖いね!
でももっと怖いことに、令嬢は意味全然分かってないみたいです。
「愛人の分際で失礼な。私を誰だと思っておりますの!?」
はい、アウト~!!
筆頭執事のセブンスさんを愛人と勘違いしている時点で、領主館に招かれた事がないの確定です。見た目は完璧なご令嬢なのに、中身がここまで残念だとショックだわ~。
さて、予定も押してるしこのまま放置で帰ろうかな…と思っていたら、おや?
「お嬢様、お止めください。…申し訳ございませんでした。突然お声掛けをし、ご無礼の数々。若い娘のした事と、お目こぼし頂けませんでしょうか」
令嬢を庇うように前に出たのは、おそらく彼女の侍女。令嬢よりも少し年上だろうけど、行動は明らかに横に立つこの娘の方が品がある。
「まあまあ、折角ですしそちらのお嬢さんもご一緒にどうぞ?お茶でも飲みながら話しましょうか」
(……奥様?)
私が席を勧めると、セブンスさんが咎めるような目を寄越す。
だって面白そうなんだもん。これはきっちり家名を教えて貰わねば!
令嬢の名前はローズマリー・ハイカラー 16歳!!あらやだ、私彼女のお母さんとの方が歳近いよ、きっと。
侍女さんの名前はリリーム・マーブル 22歳。うん、まだ近い。(歳が)
ハイカラー家といえば、貿易業に手を出して最近羽振りのいい郷士だ。
彼女の話によると、町で偶然出会ったグンナル様と彼女は恋に落ち、隠れて逢瀬を重ねたそうな。そして、『君と結婚するには愛人を囲って好き放題している妻を追い出さなければならない、協力してくれ』と言われ、今日に至る…と。
「ですから、私とグンナル様は愛し合っているのです。私達にとって貴方は障害以外の何ものでもございませんわ。グンナル様は『愛人と駆け落ちでもなんでもすれば良い。馬車も用立ててやるから好きにしろ』とおっしゃっておりましたわ。」
令嬢は得意満面だ。口元を扇で覆って隠しているつもりだろうが、隠せていませんよ。
隣で侍女さんが必死に袖を引っ張っている。彼女の方は顔面蒼白だ。
私とセブンスさんは二の句が継げない。吃驚しているわけじゃない。いや、吃驚もしているけど。笑い出しそうで必死に我慢しているのだ。
旦那様が浮気!?そんな甲斐性あったら、こんなことになってませんて!
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二年前。
私、桜木薫はいつも通りに家を出て、いつも通りに車を運転して、いつも通りに会社の扉を開けた。
「おっはようございま~す!」と開けた扉の先が異世界のグンナル・ブラック様の執務室でした。
グンナル様はこの異世界の国の一つオールフォリオの、国境沿いのブラック伯爵領の領主だ。黒い髪に金茶色の目をした、がっちりした美丈夫。外国の人って背もあるけど厚みも日本人とは違うよね。体重私の二倍…とは言わないけど、第一印象は熊っぽいだった。だって全体的に服装も黒だし。
そのまま後退して、扉を閉めれば間に合ったかもしれないんだけどね、勢い付いちゃってたから扉を閉めちゃったんだよね。
ちなみに執務室には二つ扉があって、私が出てきたのは廊下じゃない方の扉。
グンナル様の寝室に通じる扉だったんです。
寝室の隣が仕事場って。今思うとどんだけ仕事好きなんだお前って感じだけどね。
当時はそんなの知らないから、鍵のかかった自分の(上司の)寝室から見知らぬ女が出てきて固まる二人の男と、目の前にコスプレの外人が二人居て固まる私とで、五分は時間を無駄にした。
その後、言い訳のしようもないのでありのままを伝えたところ、異世界に迷い込んだんじゃない?ってことで話が落ち着き、(どうやらすっごく偶にいるらしい)話が通じて文字も読めたことで、見事事務見習いとして採用。こちとら事務歴10年のベテランだからね!
三か月ほど経った所で、グンナル様から依頼された仕事が奥方役の兼務でした。
「妻候補ならいくらでも話が来るんだが、いざ嫁に来ると皆ひと月と持たない。
今度は娶る前に猶予を設けて、令嬢にお試し期間の滞在をして貰ったんだが、やはりひと月と持たないんだ」
「え、何それ。引く手数多な自分自慢?それとも甲斐性なし自慢?いや、逆に激しいの?」
仕事中にする話じゃないよね。私も上司に対してかなりぞんざいだけどさ。
「実際困っているのですよ。領主館を束ねる奥方様は必要です。
しかし、貴族のご令嬢は皆様温室育ちですからね」
との言は補佐官のロレンツォムール・グリュピュース様。長いので、ロレンさんまたは心の中で課長と呼んでる。この世界における私の直属の上司なので。異世界トリップにかち合ったもう一人のコスプレは彼でした。しかも銀髪眼鏡!テンプレだ!!
ご令嬢達は、みんな辺境の生活に耐えられず出ていくらしい。
グンナル様は辺境伯だ。鍛え上げた軍隊を持ち、蛮族からの盗賊行為を討伐し、隣国からの干渉もあるため、有事の際には領主館総出で事に当たる。その間奥様はほったらかし。プライドの高いお嬢様には耐えられず、また侵攻の恐怖にも打ち勝てないらしい。
そうかな~。確かにここにお世話になってる三か月の間に何度か小競り合いはあったけど。きちんと防いでくれていたし、恐怖があっても団結した達成感にちょっと感動したんだけどね。
あ、不謹慎ですね、すみません。でも討伐の後とか、宴会になってお祭りチックなんだよね。カップルとか出来るし。私は生温く見守るばかりですが。ちっ。
「この三ヶ月、討伐があっても荒事になっても全く動じず、むしろ率先して手伝っていたお前になら、この領主館の女主人を任せられると思うんだ。どうだ、カオル」
あ、ご令嬢たちでいう所のお試し期間だったわけですか?
全く動じてない訳でもないんですが。う~ん。
「でも私、いつかは自分の世界に帰りたいんですけど。一応」
そりゃ一応ね。無理っぽいけど帰りたいわけですよ。電化製品に会いたい、むしろ電気が欲しい…。
「あれ、帰る気あったのですか、嬉々として隣国の機密文書を訳していたのに。
『これ、天職かもしんないっ』て言っていませんでした?」
おいこら課長!あんまりだよ。
異世界人の特権(?)として、最初から言葉と文字を読む事には困らなかったんだよね。
いや~、良かった、良かった。
「いや、普通に帰りたいですよ私だって。仕事は仕事、それはそれ」
「…正直、中央から躾のなっていない貴族の令嬢を押し付けられるのは、もうこりごりだ。」
はああ…。と吐いたグンナル様のため息はかなり深い。いちばん深い海溝って、マリアナ海溝だっけ?違う?うろ覚えだけど。それ思い出すくらい深いわ~。
「既に結婚は三度、お試しに至っては数え切れないほど失敗していますからね」
課長は首を振っている。
「まじですかっ!!バツ三!?…それやっぱりグンナル様がしつこ…」
「ち・が・うと何度言わせる気だ、カオル。むしろ逆だ。緊急時には相手をしなくて良いと、家の者たちに触れを出したのが気に食わなかったらしい。帰還早々、誰それが無視しただの、誰それは命令に口答えしただの姦しかった」
「ああ~。面倒くさいですね、それ」
グンナル様ってば、女運悪すぎ。
「だろう!?分かるだろう!そんな訳で、お前を補佐官秘書兼奥方として任命する!」
契約内容は大体以下の通り。
1、領主館の奥方としての采配を振るい、纏め上げる。
2、閨は含まれない。
3、一年ごとに見直しを行い随時契約とする。
4、私が帰る方法を見つけた場合はその場で契約打ち切りとなる。
※グンナル様に意中の方が見つかった場合は、元の職に復帰が可能。
ざっと見る限り私にデメリットはない!!
という訳で、私は契約奥方になったのでした。
やる仕事量は増えるけどその分お給料も上がるし、何より女主人が居ないせいで館の決定すべてグンナル様に偏ってて、正直こっちもやり辛かったし。
職場環境の改善って大事だよね!うん。
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そんなこんなで二年が経過。今年三年目の契約更新を終えたばっかりなんですよ、私とうちの旦那様は。
いい人見つけるどころか、重圧から解放されて仕事に専念できると、生き生きしてる旦那様…お一人様街道まっしぐらですよ。
おかげで私も、こっちで30歳の大台突入だってのに、お一人様街道まっしぐら…。夫婦なのにお一人様ってこれナンダ?