錬金術
そして十年の時が流れた。
探偵になった下葛恭介は燐銅悠馬の研究室に招かれて信じられないものを見せられたのだ。
燐銅が透明な試験管の中に銀色の液体を一滴注ぎ、それを巨大な装置に入れてガラスの蓋をする。スイッチを入れると放電現象がはじまり、なんと、試験管の中の銀色の液体は光り輝く金色の個体へと変化してしまったのだ。
「僕は金に代わるものを目指していたのにな」
そうつぶやく燐銅はほこらしげであった。
金の模造品を目指していた燐銅悠馬は錬金術に成功してしまったのだ。
むろん、慎重な男である下葛はすぐには信じなかった。
下葛は装置を事細やかに調査し、許可を得て一部分解して戻したあと、もう一度同じ実験をやらせて注意深く観察した。
「なるほど。トリックではないな。たまげたよ」下葛はただ驚いていた。
「やっと信じてくれたか」
「どういう原理なんだ?」
「原理は簡単だ。原子番号八十の水銀(Hg)から陽電子放出を行い、原子番号七十九の金(Au)にベータ崩壊させている」
「陽電子放出? ベータ崩壊? 日本語で……まあ、いいか。俺は電子レンジの原理もベータがVHSに負けた理由も知らないがそれで困ったことはない」
「下葛、無理して話についてこようとしなくていいぞ」
「……。で、金一グラムを作るのにいくらかかる?」
「この装置の電気代でおよそ二二〇〇円だ。だから金一グラム……」
燐銅の言葉を下葛が遮った。
「最近の金一グラムがおよそ四五〇〇円、水銀が三十四・五キロ入りのビンで一八〇〇ドルぐらいだったから、一グラムが四~五円。陽電子なんちゃらで水銀の質量がどうなるか知らないが、約半分の金額で、金が生成できるというわけか。すごいな、金の価格が大暴落だ」
「……おい。どうして君は水銀の値段を知っているんだ。やばいことに使っているんじゃないだろうな」
「たまたまだよ。で、どうやって金柱に復讐する?」
燐銅はきょとんとした顔をした。
「どう復讐するかって、この錬金術装置をマスコミに公表すれば金の価値は暴落だろう」
下葛はげらげらと笑った。
「お前、馬鹿だろ。そんなことしてみろ。殺されるぞ」
燐銅はうろたえた。「な、なにを言ってるんだ」
「あのな。マスコミってのはスポンサー様の味方なんだよ。パレスチナ人を殺すユダヤの批判はしねえし、中国漁船が日本の巡視船にぶつけてきた映像を送られてきても公表しない。この発明はタブーだ、日本どころか世界中の金の所持者を敵に回すお前の発明は決して発表されず、お前は静かに消される」
燐銅は一瞬言葉を失ったが、落ちついて語った。
「……ふ、僕としたことが迂闊だったよ。長い間研究ばかりしていて外の常識を忘れていた。たしかに世界中の人から恨まれるのは勘弁だな。だから、この装置で金を大量に生み出してそのお金でゴールデンポール社を買収し、金柱を追い出してやろう」
「買収するのにいくらのお金が必要かわかっているのか? そんなに大量の金を市場に流せば警察まで動き出し、結果お前は殺される」
燐銅は怒りに肩を震わせて言った。
「ふざけるな!」
「ふざけてなどいない! 俺が昔、暴走族のリーダーに半殺しにされて学校にしばらく来なくなった事件は覚えているだろう。俺はあれからも懲りずに色んなやつを不幸にして危険なこともたくさんした。だから、どうすれば殺されるかぐらいわきまえている。この装置は諸刃の剣だ。金の価値を暴落させるってことは世界中の金持ちを敵に回すんだぞ。マフィアと殺し屋がどれだけ動くと思っている。平気で人を殺すやつの相手なんて俺は御免だ」
「じゃあ僕だけで復讐をやってやる! もともとそのつもりだったんだ。
お金ならたくさん造れるのだからボディーガードを雇う。そして、警備がしっかりした家に住む。もし、マスコミがこの発明を黙殺するならネットに動画を上げる。中国漁船のときもそれで注目を浴びただろ」
「それで生き延びることはできるかもしれない。でも、お前は一生、他人からの恨み、死の恐怖に怯えながら生きることになるぞ」
燐銅はわなわなと震え、こぶしを振り上げて壁を強くたたいた。
「どうしろっていうんだ! 鉄道が発明されたときだって多くの馬車業者が廃業に追い込まれただろ。金が暴落するのだって時代の流れなんだ! 親父は金によって死に追い込まれた! だから、僕は金柱に暴力を用いず、金で復讐しなくてはいけない! 僕はそのためだけに十年間もこの研究に身を注いできた――」
「俺なら世界中の人から恨まれず、金柱だけを破産させることができる」
燐銅は信じられないようなものを見る目で下葛を見た。
「ほ、本当か?」
「本当だ」
「暴力じゃないだろうな」
「そんなものは用いない。そして、お前のお望みどおり、金を用いた復讐だ」
「何が必要だ?」
「前金と、金塊五〇キロ。あまり重いと持ち運びが面倒だから五〇キロだ」
「金塊五〇キロって二億、造るのに一億かかるぞ」
「一億以上お前が持っているのはお見通しだぜ。ちなみに金塊は返さねえから」
燐銅は悩んだ。
だが、効率的な復讐の方法が思いつかないのも事実であった。
そして、下葛の忠告がなければ自分は殺されていたかもしれないのだ。
「……わかった。君を信じるよ」