バルタン星人の手
晃一は晩酌を傾けながら、ぼんやりとテレビを見ていた。画面の中では芸人たちが、やたらにいちいち騒ぎ立てながら、くだらないゲームかなにかを興じている。晃一の頭に番組の内容は入らずに、明日すべき仕事のことをなんとなく考えていた。部下にあの仕事を回そうとか、明日の会議の部屋はそういえばちゃんと取れているだろうかとか、そんなことを。
「ネクタイ外したら?」と夫婦の会話にありきたりな台詞を言いながら、妻の梨恵が柿の種の小袋をひとつ持ってきた。言われてみればとネクタイを解く。
晃一は仕事から帰ってくると、いつもすぐに、来月で五歳になる一人息子・碧の寝顔を見にいく。小さい布団の横にあぐらをかいて、じっと息子の顔をのぞく。なんともかわいらしい寝顔である。まつ毛は弧を描いて静かに閉じられている。スースーと鼻息をもらす小さな鼻は、浜辺にうち上げられた綺麗な巻貝を思わせる。まだやわらかい髪の毛は奔放に乱れて、枕の上に散らばっている。寝相が悪く毛布を蹴り上げて、パジャマに蓄光塗料で描かれたキャラクターのイラストがほのかに光っている。
眠る我が子を見つめながらいつも、これが生きがいってやつかと晃一は思う。
いのちを削ってゆくような辛い労働からクタクタになって帰ってくると、待ちかまえている宝物。生の実感がふつふつと湧く。ああ、俺はこいつのために生きて、働いているのだなとしみじみ思う。
柿の種をつまみにボリボリやる。わさび味。晃一は好物だが、梨恵は食べない。飲んでいるのは発泡酒。やはりビールを飲みたいと日々思いながら、しかしこうして毎日酒を飲ませてもらえるだけでありがたいと思わなければならないと自戒する。
床の上に転がっていた、子供のおもちゃを拾い上げる。ウルトラマンのバルタン星人のソフビ人形。なんとなく弄ってみる。俺も小さい頃、このバルタン星人を持ってたなと思い出す。近年の物価高で晃一が遊んでいたものより、人形のサイズは小さくなり塗装も少なくなっているが。
バルタン星人の腕を上げたり下げたりして、ふと思う。この特徴的なハサミの手。開いて閉じることしかできないような手。彼らはこんな手でどのように宇宙船をつくったのか、どうして高度な文明を築くことができたのか、そんなどうでもいいことが気になった。
「なあ、こいつ、こんな手で不便じゃないのかな?」と妻にきいてみる。
テーブルの向かいに座っていた梨恵は、スマートフォンから顔を上げて、晃一の手の中の人形を見つめて答えた。
「ハサミの先っぽの方で案外、器用にやるんじゃない」
「そうかな」
「それか、ハサミの中によく動く触手みたいなのがあるのかも」
「宇宙人ぽいな、すこしグロいけど」
缶を傾けて酒を飲み干す。炭酸が喉を勢いよく流れて爽快だ。疲れもいっしょに飲み干してしまえればいいのに。
まぁでもそんなことはどうでもいいかと思う。結局、こいつはやられ役なのだから。バルタン星人がウルトラマンに勝つことはないし、地球を制服することもない。手がハサミだろうがなんだろうが、最後はウルトラマンのナントカ光線によって爆発させられたり八つ裂きにされたりするわけだ。このバルタン星人の手は、お飾りの、意味のない手だ。
人形をにぎる自分の手の方に意識が向く。きれいな手、とたまに人に言われるが、晃一はそれを素直に受け取られないでいた。男にとってきれいな手とは、"苦労していない手"ではあるまいか。もっと男らしい手になりたい。指の一本一本がたくましく、包む手の皮は分厚く、動かすたびに筋や血管が躍動する。人生の厚みがそのまま掌に現れているような、そんな男らしい手を彼は求めていた。
手を顔の前までかかげて、まじまじと見る。自分の無駄にすべすべとした幼い手に、不釣り合いのような結婚指輪がきらりと光る。
「さっきから、なにやってんの?先、寝るからね」と梨恵が寝室に入っていった。
「おやすみ」と晃一はモニョモニョと答えた。酔いがいい感じにまわってきた。
テーブルに頬杖をついて、思い出す。父の男らしい手を。
小さい頃、父と近所の川にザリガニ釣りに出かけた。木の棒切れに糸をつけてスルメを垂らす。ザリガニはバルタン星人と同じハサミの手ですぐに餌をつかんできて、おもしろいほどよくと釣れた。晃一は思わず熱中してしまって、足をすべらして川に落ちてしまった。浅く流れがゆるい川だったから、すぐに父に拾い上げられた。そのとき、晃一の肩をしっかりとつかんでいた父の手は、大きかった。
外壁職人だった父の男らしい手。工具を掴むがっしりとした手。たくましく、優しい手。思い出して、自分はまだまだだなと晃一は思う。自分も父親というものになれたはいいものの、おのれの不甲斐なさに日々痛感させられる。家事も子育ても妻に頼りっきりだ。父が今の自分の年齢のころには、妹の彩香がすでに生まれていたはずだし、家も購入していたはずだ。
頬杖をついてウトウトしながら、どうすれば"苦労している手"になれるだろうかと考える。仕事の内容が悪いのか。環境が違うのか。苦労とはなんだ。人生経験とはなんだ。思考は酔いと眠気と共にぐるぐる回る。
自分の無駄にきれいで、苦労してない手。日々キーボードを忙しなく叩いている手。父の分厚いが器用に工具をあやつる手。川から助けてくれた手。今の、老いて細くなった父の手。バルタン星人のハサミの手。ウルトラマンの光線を放つ巨大な手。ヒーローの手。
そして、碧の小さくも、大きな可能性を秘めた手———
晃一は、「手、手、手」とつぶやきながら、眠りの底に引きづり込まれていった。口は"て"の発音の形のままひらいて、よだれがひとすじ垂れた。




