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病弱令嬢は激重貴公子に囲われる

作者: 海瑠トワ

連載作品の息抜きに書いたものです。


短いですが( .. )



 明るい笑い声が聞こえてくる。


 貴族の子息たちが楽しく話しながら過ごす午後。

 社交の場でもある王立学園。生徒の大半が貴族で構成され、稀に優秀な平民も入学してくるこの学園で、私は医務室のベッドで横になっている。


 貴族の義務として学園に通う必要があり、体の弱い私は、こうして日の大半をベッドに座って過ごしている。平民すらも日常的に当たり前にしている、魔道具を使うという行為も、魔力を使いすぎると倒れてしまう私には難しいことだった。


 そんな私の心の支えは幼馴染のギルベルト・フォルダンだった。


 セリーヌ・メルレイン。病弱令嬢で有名な私の名。

 伯爵家の令嬢として生まれた私は、幼いころから体調を崩しがちだった。

 辛くて泣いていた時、私の母親が仲のいい子爵家の息子を話し相手にと連れてきた。その子は淡い小麦色の髪に、ぱっちりとした濃い赤茶の瞳が可愛らしく、控えめな態度が素朴な少年に合っていた。


「ギルベルト・フォルダンです。」


 たどたどしく名乗った彼は、その日から私の友人となった。

 外の世界を知らない私に、森の空気を教えてくれる。町の情景、人々の暮らし。私が知りえなかった知識を、語って分け与えてくれた。


 私が彼に惹かれるのは当然だった。

 10歳になった時、私にギルは言った。


「セリーヌ。大きくなったら結婚してくれる?」


 私は年に半分の時間もまともに動くことはできない。貴族令嬢として義務である、子を産むことも自分の命と引き換えになってしまうだろう。そんなお荷物であることを理解していた。

 けれど、ギルはそれで構わないと言った。子は養子でもいいだろうと。


 その言葉がうれしかった。


「約束ね!」


 口約束だけだったが、それで十分だった。

 彼が私を好いてくれているのを肌で感じていたから。





 学園生活2年目。17歳となった私は、今日も医務室にいた。

 しかし、今日はいつもより気分がいい。外を歩けそうだと思った私は、運動のために少し外に出ると教員に伝えて、学園のカフェに向かった。


 きっと、ギルはカフェでお茶をしながら友人たちと話しているだろう。


 爽やかな夏の風に吹かれて、明るいカフェに足を踏み入れた時。

 聞こえてきた声に息を呑んだ。


「マリーナ。」


 甘さを含むギルの声。今までに聞いたことのない、彼の愛しい者を呼ぶかのようなテノールボイスが、私の鼓動を大きく揺らした。


「あっ。ギル!」


 可愛らしかった少年ではなく、精悍な顔つきへ成長を遂げた青年、ギルのもとへ駆ける少女が声を上げた。マリーナと呼ばれた少女は、今年編入した平民の女の子だ。


 彼女を軽々と受け止めたギルは、「危ないぞ」と声を掛けながらも、どこか嬉しそうにしている。


 その様子に私の足元がグラッと揺れた。

 彼らから身を隠すように壁にもたれると、その場から動けず楽し気な会話が耳に入る。


「ギル、今日はあの人はいいの?」

「ああ。彼女は今日も医務室にいる。大丈夫だ。」


 その言葉に急速に手足が冷えていくのが分かる。

 “医務室”。その単語だけで私のこと言っているのだと理解した。


「ふぅん、そうなのね。ねぇ、あんな子供も産めない女じゃなくて私にしない?」

「何を言っているんだ。」


 失礼なことを言うマリーナを嗜めるギル。

 しかし、彼は私への失言を咎めたわけではなかった。


「彼女は伯爵家の令嬢だ。俺の実家を繫栄させるためには必要なんだよ。彼女は俺を好いているだろうから、心配ない。」

「でも、私との子が欲しいと言ったじゃない。その子供はどうするの?」


 そう言って甘えるような声を出したマリーナに、ギルは優しく言う。


「マリーナの子は養子にすると言って引き取る。世話はセリーヌにさせたらいい。彼女は子を産めないだろうから拒否はしないだろうし、可愛がってくれるだろう。」


 彼らの会話の内容があまり頭に入ってこない。

 胃のあたりがグルグルとして握りしめた手のひらが赤くなる。


「えぇ、私は子供を産むだけなの?」


 彼らの会話に、私の心臓にナイフを突き立てられたような痛みが走る。悔しくなり、俯いて唇をかみしめるが、零れ落ちる涙は止まってはくれない。


「そんなわけないだろう。俺はマリーナを愛してるよ。」

「あの人より?」

「もちろん。彼女を愛したことなんてないよ。」


 そう言って近づく彼らの距離を感じて、震える手を押さえ、私は必死にその場を離れた。


 ズキズキと頭が痛み、バクバクと心臓が揺れている。

 この息苦しさは、走ったことによる動悸だけではないだろう。


 私も彼を恋人と思っていた訳ではない。

 けれども、確かに家族のような絆があると勝手に思っていた。辛い時に支えてくれると、彼が辛い時は私が支えると。


 私の淡い恋心はサラサラと砂城のように崩れ去った。残ったのは、ポッカリと穴が空いたような虚しさと、身体中を駆け巡る嫌悪感だけだった。


 ボタボタと私の足元に落ちていく雫を眺め、荒くなる呼吸を落ち着けるために校舎裏の壁に寄りかかり、呼吸に集中する。

 しかし、肺がうまく膨らまずに、空気を吸い込もうとしても吸うことができない。肩が上下に激しく揺れ、全身が震えだす。込み上げてくる吐き気を必死に抑えるが、目の前がチカチカとして、自分が何をしているか分からない。


「……っ!おいっ!大丈夫か!?」


 通りかかった誰かが呼ぶ声が聞こえるが、私の体は限界を迎えた。

 薄れゆく意識の中で、支えてくれる人物が焦ったように私の名を呼んだ気がした。





 鉛のように重い身体を引きずるようにして、意識が現実に戻ってきた。頭の奥で鈍い痛みが響いている。先程の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、再び瞼を閉じてしまいたくなる衝動に駆られる。


「起きたか?」


 穏やかな空気を含む低音が耳に届いた。

 パッと声の方に顔を向けると、心配そうな色をした目がじっと私を見つめていた。


「……。」


 話したことのない、誰もが憧れる人物に見られていることで驚きすぎて声が出ない。


「どうした?具合が悪いのか?」


 少し眉間にしわを寄せた端正な顔が近づく。そのまま、ふわりと、額にひんやりとした硬い手が触れる。彼が近づいたことで、ユリの花のような香りが漂う。


「熱はないようだな。」


 そっと離れていく手を目線で追うが、彼の視線がまだ私に向いていることでハッとした。


「……クラレンス公爵令息。」


 アルベルト・クラレンス。

 王族の血を色濃く引き継いだ公爵家の嫡男。

 高貴とされる紫の瞳は宝石のように輝き、隣国の姫である母親から受け継いだ黒髪が、まるで夜空を映したかのように幻想的だ。


 3学年と私より一つ年上の彼は、学園で完璧な貴公子として有名だった。


「どうした?」


 冷静で冷徹、誰に対しても興味がないと答える彼の優しげな声にピクリと肩が震えた。


「……え、っと。クラレンス様はどうして、ここに?」

「メルレイン嬢が倒れたところに居合わせてね。ここまで運んだんだ。教員が用があって席を外すからと僕がついていたんだ。」

「そうだったのですね。ご迷惑をおかけしました。」

「いや、迷惑では無いよ。」


 優しく笑いかけるクラレンス様は冷徹とは程遠い。綺麗な顔で微笑まれ、気分が落ちていたこともあり、つい顔が熱くなる。


 しかし、先程のことが頭をよぎり、俯いてしまった。


「……何かあった?」


 体をゆっくり起こして首を振る。

 これ以上彼に迷惑をかけるわけにいかない。これは私の気持ちの問題だ。


「……僕じゃ力になれない?」


 私が体を起こしやすいように、そっとクッションを添えながら問いかけてくる。


「……え?な……ど、どういう……?」


 突然の申し出に、頭がこんがらがってまともな会話ができない。


「セリーヌ嬢。僕は君の力になりたい。」

「……な、なぜ?なのでしょうか……。」


 彼は私の疑問に、目を逸らして少しだけ困った顔をしている。そんなに言い難いことなのだろうか。なにか、目的があるということか……。


 そう思っていると、クラレンス様は私の冷たい手をそっととって、何かを諦めたように口を開いた。


「……僕が、君を好いていると言ったら、どう思う?」

「??……え?」


 …………彼ほどの人が私を?

 いやいや、と首を振る。頭の中が謎だらけで、私が意図を理解出来ていないだけかもしれない。


 勘違いしないようにと思って、チラッと顔を上げると美しい紫に熱く見つめられる。その真剣な表情にじわじわと頬に熱が集まる。


「……え、えっと。」


 言葉に詰まった私の指先がキュッと握られる。その熱さが移るように震える手が赤くなる。


「僕は本気だよ。君を愛している。……君の心は僕に向かないと分かっていたから言わなかったが、ずっと君に近づきたかった。」


 ギルからは貰うことのなかった言葉。

 ジンジンと軋む心臓が警鐘を鳴らす。何となく彼から逃げられない、そんな予感がした。


「……何があったかは何となく予想がついている。僕は君を裏切ることは無い。少しでも僕のことを意識してくれるなら、共に生きる相手として僕を選んでくれないか?」


 クラレンス様の言葉が、慰めだとしても嬉しかった。

 けれどもそんなことを言って貰えるほど、私には価値は無い。貴族としての当たり前の務めさえ、自分には難しいことなのだ。


 ゆるゆると首を振る私に、クラレンス様は苦しそうな顔をした。申し訳なさに、ぎゅっと胸が締め付けられる。


「何がダメだった?嫌なところはできる限り直すよ。僕じゃダメ?」

「……違います。そんなことは無いんです。ただ、私は貴族として出来損ないで、何も出来ません。自分の足で走ることすらままならない。そんな私はきっと、クラレンス様の隣は認められることはありません。」


 ギルに言われた『子を産めない』という言葉が、深く深く突き刺さる。


「私は“欠陥品”なんです。」


 困らせたくはないのに、涙腺が緩んで溢れ出てくる。


 それまで黙って聞いていたクラレンス様は、そっと私の頬へ手を伸ばした。骨ばった関節が優しく頬を撫で、雫を拭っていく。


「……そんな事言わないで。僕は懸命に生きる君を美しいと思う。君は素敵な人だ。セリーヌ。誰にも文句は言わせない。僕を信じてくれるなら、頷いて。僕を選んで?」


 懇願するような彼に戸惑ってしまう。

 けれど、このままギルに愛されず、ただのお飾りとして生きるくらいなら、騙されても愛の言葉をくれる彼といたいと思ってしまった。例え、周りから反対され認められずとも、その思い出があれば一人でも生きていけるかもしれない。


 クラレンス様を見上げ小さく頷くと、花が綻ぶように微笑んだ。彼はそのまま私のそばにくると、優しく抱き寄せサラサラと髪を梳く。

 そんな笑顔がいつまで続くか分からないが、今はただ彼に甘えていたくて、彼の胸元に頭を預けた。





 腕に囲ったセリーヌの安堵する顔を眺めた。

 こんな形で彼女を手にするとは思ってもみなかった。いずれあの男から奪う予定ではあったが、彼女の方から来てくれるなんて……。


 歓喜で興奮する気持ちを堪えて、優しく彼女の髪を撫で梳いた。


 しばらくしたら落ち着いたのか、赤く顔を染めて僕から離れる彼女。少し寂しさを覚えるが、まだ気持ちを整理する時間も必要だろう。今日はこのくらいにしておこうと、彼女を家まで送り届ける。


「セリーヌ。」


 僕に呼ばれた彼女はきょとんと首を傾げ、その表情にまた僕の胸がキュンと鳴る。


「婚約の打診をすぐに送る。それまで誰のものにもならないで。」

「はい……。」


 恥ずかしそうに目を伏せた彼女は愛らしい。

 彼女を手放してくれた愚かな男には感謝しかない。


 まだ、僕への思いは自分と同じものだと思っていない。

 けれど、それでもいい。僕は二度と彼女を手放す気は無いから。一生を共に過ごすうちに、少しでも情が湧いてくれるなら、それでいい。


 するり、とセリーヌの頬を撫で、「またね」と馬車で彼女の屋敷を後にした。


 帰宅してすぐに父上と母上、弟のレオナルドに話があると集まってもらった。


「婚約したい令嬢がいます。」


 驚いた両親と反対に、何となく予想していたかのようにレオナルドは苦笑した。流石は賢い弟だ。僕をよく分かっているのだ。


「……どこの娘だ?」

「メルレイン家のセリーヌ嬢です。」

「……伯爵家か。」

「……ねぇ、その子って──」

「母上。それ以上は、貴方が相手でも許しません。」


 母上の言葉を遮り、先手を打つ。


「母上。兄さんに説得は無駄だよ。きっと兄さんはそのご令嬢しか受け入れない。」


 困ったように笑っているレオナルドの言葉に、母上も口を噤んだ。


「……でも、どうするんだ。お前は嫡男であり、公爵家を継ぐ役目がある。」


 父上は彼女が体弱いことを知っていて、子を望めないだろうと言いたいのだろう。そんなこと僕には関係ない。


「この家には僕だけではないでしょう。レオナルドがいるではありませんか。」

「そのご令嬢の為に全てを捨てるというのか?」


 鋭い目つきで僕を見る父上に迷いなく頷く。


「家や地位のために彼女を捨てろというのなら、僕は彼女を連れ出し二人で生きる覚悟です。他に何を捨てろと言われても構わない。けれど、彼女だけは諦めることは出来ない。」


 僕と同じ紫の瞳を真っ直ぐに見る。

 僕の本気が伝わったのだろう。

 出ていかれるのだけはと焦った父上は、レオナルドの補佐をするならと許可をくれた。


「ありがとうございます。父上も母上も。もちろん、レオナルドも。」

「兄さんは昔から一途だね。いつかやらかす気がしていたけど、無理やりではないよね?」

「当たり前だ。今回は運が良かった。汚い手を使うのもやぶさかでは無いが、できるなら彼女が納得する形が良かったからな。」


 僕の言葉に3人とも微妙な顔をする。


「……そうね。アルベルトが幸せなら、いいわ。貴方が選んだ子なら、きっといい子なのでしょう。」

「そう、だな。少々相手が不憫ではあるが、不自由なことを除けば、アルベルトの隣は安全だろう。」

「俺が次期公爵か……。あまり実感は無いなぁ。仕事は手伝ってよね。」


 意外とすんなり受け入れられたことに驚くと共に感謝する。僕をよく分かっている家族は、セリーヌが心配らしいが、彼女が嫌がることはするわけが無い。


 そうして父上に用意して貰った書類と僕の想いを共に、メルレイン家へ送るように指示をする。


 全て整ったことで上機嫌な僕は、彼女へのプレゼントを選ぶために、公爵家御用達のデザイナーへ手紙書いた。





 アルベルト様の言っていた通り、翌日の朝に公爵家より婚約の申し出が届いた。


 私の相手はギルだと思っていた家族は驚いたが、朝食の席で私が昨日の出来事を説明すると、そんな家と縁を結ぶ必要は無いと言ってくれた。


「……それにしても公爵家なんて。大丈夫なの?」


 お母様の疑問は最もだ。

 私だって未だに信じられない。


「大丈夫じゃないか?ほら、この手紙。ものすごく甘ったるいぞ?」


 そう言って私の手からアルベルト様直筆の手紙を、ひょいと取り上げる。


「あっ。ちょ、ちょっと!お兄様!」


 兄であるグレイは私の抗議を聞かずに、そのままお母様に渡してしまう。


 あまりにも過剰な褒め言葉の並んだ手紙に、お母様までも「あらあら」と嬉しそうにするので何も言えない。


「……情熱的ね。」


 微笑ましそうに手紙を私の手元に戻したお母様は、揶揄うようにそう言った。その言葉に顔が熱くなる。照れくさくてそっと目を逸らすと、その様子を見ていたお父様はため息をついた。


「受けていいんだな?セリーヌ。」

「……はい。」


 小さく「そうか」とだけ零したお父様は、そのまま食事を続けた。


「セリーヌお嬢様。お客様です。」


 食事を終えた時に執事長であるロジェに声をかけられる。


「お客様?」


 こんな時間に?と首を傾げる。


「私が相手をしておくから、ゆっくり準備をしておいで。」


 急げない私に代わり、お父様が玄関ホールへ向かった。私も自分なりに急いで、制服へ着替えて玄関ホールへ向かう。


 お父様と話す黒髪の人物は、私を見ると麗しい顔を緩めた。


「おはよう。セリーヌ。」

「お、おはようございます、アルベルト様。」

「セリーヌ。昨日も言っただろう?君には僕の愛称を、アルと呼んで欲しい。」


 自然に私をエスコートする彼の距離は、近すぎて落ち着かない。

 暴れ回る心臓が、いつもとは違う息苦しさを訴える。


「あ、アル様……。どうか私もセリーと、お呼びください。」

「……あぁ、嬉しいよ。ありがとう。本当は呼び捨てでもいいのだが、それは婚姻後でもいいか。」


 アル様の猛攻に、茹だっているような気分がしてくる。優しく私の頭に触れる彼の手に、ドギマギしてギュッと目を瞑ると、お父様が咳払いをする。


「……セリーヌをよろしくお願い致します。」

「えぇ、お任せ下さい。何があっても彼女だけは守りましょう。」


 なんとも言えないようなお父様の顔に、今更ながら見られていた事実に恥ずかしくなる。熱くなった頬を冷ましていると、ニッコリ笑ったアル様が私の手を取る。

 ゴツゴツとした手にキュッと掴まれ、公爵家の馬車に乗せられる。


「出してくれ。」


 御者に指示をする低く響く声に、彼をチラリと見上げると目が合った。冷ましていた頬に熱が戻ってくる。


 そんな様子を眺めていたアル様は、「可愛い」と呟く。彼の顔を見れなくなった私は、学園に着くまで、穴が開きそうなほどの視線を感じながら俯いていた。





 学園に着き、アル様のエスコートを受けて馬車をおりる。途端にザワザワと周囲が騒がしくなるが、周りの目から隠すように大きな体で視線を遮ってくれる。


 優しい彼に心がポカポカと温かくなる。


「……アルベルト。お前、とうとうっ……!」


 後ろから驚いたような声が聞こえ、振り返る。


「レイル、人聞きが悪い。僕は正式に申し込んだんだ。」

「……へぇ〜。よく彼女に認めて貰えたな。そんなに腹黒いのに。」

「黙れ。……セリー、こいつの言葉は気にしないでいいからね。」


 ポンポンと交わされる会話についていけない。

 目の前の赤毛を揺らした、レイル・リシュール侯爵子息へ向けた鋭い視線を和らげ、眉尻を下げ私を伺うアル様。


「……ほんと、お前別人だな。」

「別人?」


 私の呟きにリシュール様はニカッと笑う。その人好きするような笑顔は、無邪気な少年のようだ。


「こいつがこんなに優しいのも、笑いかけるのも君だけだからね。俺にすら笑わねぇの!……おいおい、少し話しただけで怒んなよ!」


「チッ」と短く舌打ちの音が聞こえ、顔を上げる。

 アル様を見上げると、私の視線に気づいた彼は「ん?」と優しく微笑む。


 思っていたよりも彼は、私に見せない顔が多いかもしれない。それでも、それは不快になるものではなく、ただ私が特別だからあまり見せたくないという空気を感じた。


「セリーヌ!」


 私を呼ぶ聞き覚えのある声に、ビクリと飛び上がる。サッと私の肩を引いて前に出たアル様は、リシュール様に「守れ」とだけ言うと、ギルベルトと向き合う。

 こちらからアル様の表情は見えないが、ピリピリとした空気だけは伝わってきて、オロオロとしてしまう。


「大丈夫、大丈夫。そんな気にすんなって。アルベルトがどうにか出来ないわけが無いんだから。」


 リシュール様は呑気にケラケラと笑う。それでも心配をする私に、思いついたかのように小声で言う。


「だったらさ、そんなに心配なら──」


 リシュール様に最終手段を教えて貰っている間に、アル様とギルベルトの会話は進んでいく。


「軽々しく僕の婚約者の名を呼ばないで欲しい。」

「……セリーヌは俺と将来を誓いました。」

「フッ、何言ってるの?婚約もしてないのに?口約束でそれが罷り通ると思ってるなんて、滑稽で笑えるね。」


 ギルベルトを嘲笑うアル様。

 その通り過ぎて何も言えないギルベルトは、ただ怒りに顔を染めるだけ。


「……改めてプロポーズをと考えていたのです。他人の恋人を奪うなんてどうかしてます。」


 彼は何を言っているのだろう。

 先に私の信頼を捨て、関係を崩すようなことをしたのは彼だ。私を家の繁栄のための道具とみなし、裏で愛人を囲うつもりであった彼は、アル様を非難する資格は無い。


「……私たちは恋人ではなかったじゃない。」

「はっ!?セリーヌ、お前、性格だけじゃなく頭までおかしくなったのか?」

「頭がおかしいのは貴方だわ。」


 酷い言われようだ。そこまで言われるなんて、私が何をしたというのだろう。

 震えそうになる足を踏ん張ってギルベルトへ答える。おかしいと言われた彼は、カッとなったのか私へ近づこうとしてアル様に止められた。


「離してくださいっ!……この浮気女がっ!」


 自分のことを棚に上げるギルベルトを、アル様は乱暴に放り投げる。


「……っ!なにすん──」


 アル様は、ガッとギルベルトの顔を掴み、そのまま地面へ押し付ける。


「うるさいよ、お前。そんなこと言う資格は無いだろ?お前が先に、あのアバズレに手を出しているんだから。」


 アル様の言葉に、ギルベルトは目を見開いて黙りこくる。


「知らないと思う?あんな周囲を気にせずに、ベタベタと触れまくって。そんな汚い手で、僕の大事なセリーに触れることは許さない。二度と彼女に近づくな。」


 アル様はそう言ってギルベルトから手を離すと、パンパンと汚いものを触ったかのように手を払った。


 すると、その時。

 横から「ギル!」と焦ったような声が飛んできた。ギルベルトに駆け寄るマリーナ。彼女は腕を押えるギルベルトを助け起こすと、私を睨みつける。


 そして何を思ったのか、少し俯いたあと顔を上げ、涙を溜めた瞳でアル様を見上げた。


 少し嫌な予感がして手が震える。


「……あの人は私が気に入らないんですっ!せ、セリーヌ様はギルに近づく私が気に入らなくて、それで……。ギルは私を守ってくれただけなんです!」


 そうしてアル様に縋ろうと彼女の体が傾いた。

 彼女は、ああやってギルベルトに取り入ったのだろう。私がそんなこと出来るわけないと、彼は知っているはずなのに。


 すると滲んだ視界に、「パンッ」という音と共に、彼女の体が横に倒れ込むのが映った。


「えっ?」


 私と同じく状況が理解出来ていないマリーナ。打たれた頬を押えながら呆然と座り込んでいる。


「チッ……。汚ぇな。」


 そう呟いたアル様は、ため息をつきながらハンカチで手を拭っている。


「あ、アルベルト様──」

「誰が名を呼んでいいと言った?この売女が。……ハンカチも汚れてしまった。覚えておけ。これまでのお前の罪は、全てきっちり精算してもらう。」


 アル様はマリーナを睨みつけると、先程まで手を拭っていたハンカチを彼女に投げつけ、くるりと私へ向き直った。


「……見てみて、彼女、いい気味よね。」

「あの平民、最近調子乗っていたものね。」

「ほんと、すごく迷惑だったもの。」


 クスクスと周囲の笑い声がして、マリーナを嘲笑する声が聞こえる。彼女はフルフルと震え、怒りか恥ずかしさか顔を赤く染めた。

 すると、顔を上げた彼女は真っ直ぐ私を見た。


「……なによっ!その女、欠陥品じゃないっ!!子供も産めないのに、許されると思ってるの!?」


 目に溜まっていた雫が頬を伝った。

 その瞬間、アル様はマリーナに振り返り、彼女の髪を掴むと無理やり上を向かせる。


「お前に彼女を侮辱する権利などない。二度とその薄汚い口を開くな。」


 あまりの覇気に周囲の空気も固まる。

 どこから取りだしたか分からないナイフを、彼女に突きつける姿を見て私は地面を蹴った。


「ア、アルっ!」


 彼の腕にしがみつくと、やめて欲しいと力を込める。


「いいの、私の体が弱いのはその通りだからっ!」


 すると、私の体を支えるように腰に腕を回したアル様は寂しそうな顔をした。


「……僕はセリーが侮辱されるのは許せない。それに、僕は子供が欲しいなんて思ったことがないよ。家督は弟が継ぐし、君の一部を分け与えた子なんて、いくら自分の血が入っていようと憎らしくて仕方ない。……きっと僕は君が僕以外に愛を向けたら、その相手を殺してしまうだろう。」


 あまりの過激な言葉に一瞬思考が止まってしまった。


「……幻滅した?……でも、もう僕はセリーを離してあげられない。」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 しゅん、と悲しげな顔をする彼から発された言葉とは思えない。


 けれども、そんな真っ直ぐな愛が心地いいと思えた私もきっとおかしい。


「……ふ、ふふっ。」


 くすくすと笑い出す私に、アル様はきょとん、とした。


「セリー?」

「ふふ、ごめんなさい。笑ってしまって。アル様の愛が嬉しいと思ったから、つい。」


 笑っている私を呆然と見ていたアル様は、そのうち頬が緩んでいく。


「セリー。もう一度アルと呼んで。君だけにあげる僕の愛称なんだ。」


 甘く囁かれる言葉に、距離が近いことを思い出した。


「あ、あの、アル様。近くないですか。」

「セリー、違うよ。」


 私の意見など聞こえていないかのような彼は、腰に回した手に力を入れ、更に顔を近づけてくる。


「…………ア、アル。」


 小さく呟いた彼の名に満足したのか、アルは上機嫌に顔をほころばせる。


 すると、視界の端にキラリと光るものが見え、あるの捨てたナイフを手に飛びかかるマリーナに気づいた。慌ててアルを庇おうと手を伸ばすが、その前に私の体が宙に浮いた。


「……何すんだこの女。」


 私が庇うよりも先にアルに抱えられたことに気づく。

 彼女を蹴り飛ばしたアルは、私をそっと地面に下ろすと、不機嫌そうに彼女の手から落ちたナイフを拾う。


 そしてツカツカと、気絶してしまった彼女に歩み寄っていく。


 嫌な予感がした。

 アルが蹴ったことは正当防衛で済む。しかし、これはまずいのではと思った私は、咄嗟にリシュール様からのアドバイスを思い出した。


「……あっ。」


 私の体が傾く。

 転ける衝撃に備えてギュッと目を瞑ると、ふわりと体が軽くなる。


「セリー。大丈夫?」


 心配そうな声にそっと目を開けると、焦ったのか彼の綺麗な黒髪が乱れている。彼の問いかけに小さく頷くと、アルはマリーナへ視線をやり、私を下ろそうとする。

 まだ彼の怒りは治まっていないのだ。


「……っ!や、やだ!離さないで、アル!」


 アルの首に腕を回してギュッとしがみつくと、彼は私を無言で眺めながら固まってしまう。恥ずかしさでアルの肩に顔を埋めると、大きなため息が降ってくる。


『だったらさ、そんなに心配なら──あいつの首に腕を回して、離れないでって駄々を捏ねてごらん。絶対止まってくれるから。』

 そう言った彼の通りにしたのに……。


 呆れられたのかと、ゆっくり見上げると「可愛い」と甘い言葉を囁く。ふわふわとした心地になり、コテンと頭をアルの胸に置いた。

 私を抱えたまま、くるりと方向を変える気配がして、私はほんの少し安堵した。


「……レイル。お前の仕業だな。」


 楽しげに笑っていたリシュール様に、アルは呆れながら言った。咎めるような言葉を気にもせず、彼は「どうだった?」と感想を聞く。


「初めてお前に感謝した。」


 ふはっ、とアルの言葉に吹き出したリシュール様は、「そうかそうか」と大きな声で笑っている。


 そのままアルは私を医務室まで送ってくれた。


「ゆっくり休んで。」


 優しく微笑んだアルに、私は彼を選んで良かったと心から思った。





 あれから穏やかな日々が過ぎた。

 アルの献身からか、私の体調は少し良くなりベッドから起き上がれる日が増えた。


 マリーナは数々の証言と証拠から、婚約が破談になった家から慰謝料を請求されたらしい。彼女が払えないと泣きわめくと、肉体労働をさせられ、いつの間にか学園には来なくなった。


 私に絡みにくるギルベルトは、その度にアルから制裁をくらい、ついには私への接近禁止命令を学園長から言い渡された。

 それでも懲りなかったギルベルトは退学処分となった。


 私の周りは静かになり、アルに勉強を教えて貰いながら何気ない毎日を大切に過ごした。


 アルが卒業してから一年後。私も無事に学園を卒業し、彼の希望で早々に式を挙げ、晴れて夫婦となった。


 天気のいい日は私を外へ連れ出し、一緒にお茶をした。忙しいはずなのに、仕事の合間には必ず私に会いに来てくれた。

 私の下手くそな刺繍も、労いのクッキーも何よりも嬉しそうに受け取って、お礼を言ってくれる。


「今日も綺麗だ。僕のセリー。」


 毎日のように目覚めた時にかけられる言葉は、私が寝たきりになっても続いた。


 今でも、何故これ程までに彼が私を望んだのか分からない。けれども、それでも良かった。

 だって彼と過した日々は、間違いなく私の宝物で大切な思い出だ。


 幸せな日々を思い出しながら、歳をとっても綺麗な顔へ手を伸ばす。


「セリー、愛しているよ。」


 私の弱々しい手を取って微笑む彼の目が潤んでいる。もう長くないと彼も悟っているのだ。


「私も。アルのこと愛してる。幸せな日々をありがとう。」


 するりと力が抜け、精一杯笑ったが見えていただろうか。遠くなっていく意識の中、願わくば、彼とまた出会いたいと最後までそう思っていた。

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