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灯火の騎士  作者: 7th.star
4/5

奇跡


静寂に染まりきった、まるで廃墟のような街。

遠く、風の合間にかすかな戦闘音と悲鳴が混じる。


瓦礫の山を抜け、アーシェはひたすらに走り続けていた。

この一帯の市民はすでに避難を終えているらしく、人影はない。

避難が間に合わなかった者たちは――例外なく、物言わぬ屍となっていた。


「エレナ……クラヴィス、ルミナ……! 無事でいてくれ……!」


胸を締めつけるような不安を振り払うように、アーシェは脚を止めなかった。


やがて、クロイツ団長の家が視界に入る。


市街地中心付近は、天井崩落の影響で家々が押し潰され、瓦礫と化していた。

だが、団長の家は奇跡的に形を保っていた。ひび割れや焦げ跡はあったが、全壊は免れている。


アーシェはドアの前に立ち、返事を待たずに蹴破った。


「リヴィア!いるか!」


リヴィア=ロイス。クロイツ団長の一人娘であり、クラヴィスたちの四つ年上、現在九歳の少女だ。


母親譲りの高い魔力適性を持ち、普段は訓練所で生活している。

だが今日は休息日で、家で過ごしているはずだ――団長自身から、そう聞かされていた。


返事はない。

一抹の焦燥が胸を刺すが、その時、玄関横の靴棚の上に一枚の紙切れがあるのに気づいた。


「……書き置きか?」


手に取り、読み上げる。



『ママへ

第三区画に、にげます。

わたしはだいじょうぶです。

リヴィア』


歪んだ文字に、少し笑みがこぼれた。


「……よかった。とりあえずは逃げてくれていたか」


リヴィアは聡明な子だ。

母に生き写しの容姿に、落ち着いた性格――まるで幼い頃のクロイツ団長そのもの。

クラヴィスやルミナとも幼い頃から仲が良く、よく三人で遊んでいた姿を思い出す。


一抹の安堵が胸に灯る。だが、次に探すべき家族の姿は、まだ見えていない――




「……次は、俺の家だ」


重く息を吐き、再び駆け出す。


市街地の中心地から、ほんの数ブロック離れた場所に、自宅がある。

その途中、瓦礫を飛び越え、崩れかけた壁をすり抜け、火の粉の舞う狭路を突き進む。


かすかに聞こえた音――

うめき声とも、泣き声ともつかない微かな音に、アーシェの足が止まった。


「……誰かいる!」


声を張り上げ、周囲を見渡す。

そして、建物の影――変わり果てた自宅の倒壊しかけた柱の間で、見覚えのある後ろ姿が目に入った。


「……エレナ!」


息が喉に詰まる。焦点が一瞬、合わなくなる。

重たい足を引きずるように、必死に駆け寄った。


そこにいたのは、崩れた壁にもたれるように座り込むエレナ。

彼女の腕の中には、クラヴィスが、眠るように抱きかかえられていた。


その小さな身体を、必死に、壊れ物のようにしがみつくように抱き締め、治癒魔術であろう輝きを灯したエレナの手は、血に濡れ、震えていた。

さらに目をやると、彼女の首や腕、頬にまで、灰化の兆し――ひび割れが浮かんでいる。


隣にはルミナが、地面に横たわっている。

息はある――どうやら気を失っているだけのようだった。


「大丈夫か! 魔物にやられたのか!?」


叫びながら、膝をついて駆け寄る。

そして、クラヴィスの顔を見た瞬間――その呼吸が、止まりそうになる。


「アーシェ……私とルミナは大丈夫……だけど、ク、クラヴィスが……」


「……ッ」


耳鳴りがする。

焦点が合わず、何度も瞬きを繰り返す。

見えているはずの我が子の顔が、ぼやけてにじむ。

――見たくない。だが、目を逸らすわけにもいかない。


「クラヴィス……! エレナ、一体何があった……ッ!?」


声が、掠れていた。喉が張り詰めて痛む。


「ま、魔法をこの子が使ったの……!」


「魔法……を? なぜクラヴィスが……いや、そんなことは今はどうでもいい!」


混乱が理性を焼く。

頭は働いているはずなのに、冷静な判断が追いつかない。

言葉が詰まり、叫びたくなる衝動を必死に噛み殺す。


「だとしたら、これは……魂の燃焼による、灰化徴候……!」


崩れかけていく息子の身体を見る。

ひび割れ、光が漏れ出す全身。末端からサラサラと灰が零れ落ちている。


灰化現象、第三段階の証だった。


こうなれば、もはやどうすることもできない。

ある一定以上の魂の損耗は不可逆であり、治癒魔術でも癒せない。


「エレナ…とにかく治癒魔術をやめるんだ。これ以上は君の身体も持たない…」


「……そんなの、わかってる……!」

エレナの目から涙が零れる。顔を歪ませ、必死に声を抑えながらも、その言葉は叫びにも似ていた。


「でも……でも……このまま、何もしないなんてできない……!私には、例え効かないと分かってても…治癒魔術を掛ける事しかできないのよ…!」


――崩れそうになる感情を抑えるために、アーシェは強く拳を握った。

震えが止まらない。奥歯を噛みしめても、感情が漏れ出しそうになる。


助けたい。自分の命を投げうってでも。

だが――


「……ッ、何か……何か手は……」


声が震える。涙ではなく、悔しさと恐怖が視界を曇らせる。


家族が――この手で育ててきた、自分の息子が、目の前で“終わろうとしている”


ただの戦士では、こんな現実に耐えきれない。

だが、父として――俺は、崩れるわけにはいかなかった。


「くそッ…!考えるんだ…何かある筈だ…!」


震える拳を膝に叩きつけるようにして、アーシェは必死に立ち上がる。


必死に頭を回転させる。魂の損耗……これを止めるには…いや、そんなの無理だ。

無理に決まってる。


そんな事ができるのは神だけだ。人間にできるなら、俺たちはとっくに、こんな鋼鉄でできた籠から解き放たれている。

……それでも、俺は――諦めたくない。


その時だった。

脳内に、雷撃のような衝撃と共に、ひとつの記憶が閃く。


それは、俺が魔法戦士団に入団してすぐの頃――

今は亡き父から聞かされた、あの言葉だった。



---


『雷属性の魔法にはな、不思議な性質があるかもしれん』


書棚の影で煙草を燻らせながら、終火機関しゅうかきかんの制服を纏った父は、いつも無表情だった。

堅物で、感情を顔に出すことなど一度もなかった。冗談を言った記憶すら、ない。


そんな父が、珍しく“語った”あの夜の言葉は、今でも胸に残っている。


『雷というのは……ある意味、他の何かを“震わせる”力だ。空気、地面、そして――“魂”すらも、な』


『魂すらも?』


『……あくまで理論上の話だ。記録には残っていない。だがな――

かつて、強い想いを込めた雷属性の魔法が、他の魔法の効果を“増幅”させたという話がある。治癒魔術の効果を高めて、本来なら回復不能だった重傷者を救った……そんな逸話だ』


『じゃあ、雷の魔法って……他人の力と“共鳴”するってことか?』


『さあな、わからん。実際に再現出来た者はおらん。ただ……お前は雷属性の魔法が得意なんだろ?

いつかこの話が役に立つ日が来るかもしれん』


父はそう言って――わずかに目を細め、窓の外を見つめた。


その表情は、今でもはっきりと覚えている。


あの父が、わずかに“微笑んだ”ように見えたのを。



---


アーシェは目を見開いた。


……もし、本当に――

あの言葉が真実だったなら。

それでクラヴィスが助かるなら。


俺の命なんて、安いもんだ。


「エレナ。説明している時間はない。何も言わず、俺に協力してくれ。――命を懸けられるか?」


零れ落ちる涙を拭いながら、エレナが顔を上げる。


「……ええ。何でもする。この子が助かるなら」


そこに、先ほどまでの焦燥や狼狽はなかった。

あるのは、母としての――静かに燃えるような、決意の瞳だった。


「…よし。できうる限りの高灯階治癒魔術を使ってくれ」


その言葉に、エレナは深く息を吸い、第七灯階魔法――

聖祈再命せいきさいめいを行使する。


淡く、そして眩い光が辺りを包み、エレナとクラヴィスの身体がその中心に沈んでいく。

だが――クラヴィスの崩れゆく肉体には、一片の変化も見られなかった。


……わかっていた。

それだけでは、届かないということは。


問題は、ここからだ。


「第八灯階――雷鎧環体らいがいかんたい!」


アーシェの全身に環状の雷紋が奔り、空気が震えた。

圧縮された雷の鎧が身を包む。


魂の火が急速に削られ、すぐさま皮膚は灰色へと変わりはじめ、端からひび割れていく。先程の門での戦闘でひび割れた手の甲は光が漏れ始めていた――



第八灯階魔法を使えるのは、現時点で団内に三人。

俺、レオン、そしてクロイツ団長だけだ。


これは――命を懸ける魔法。


覚悟を決め、エレナの肩にそっと触れた。


雷を纏ったその指先は、確かに放電の光を放っていたが――


「……あっ」


エレナは小さく息を呑むも、その表情に痛みは浮かべなかった。


電撃に打たれるような衝撃も、熱も、灼けるような刺激も――何も、ないようだ。


ただ、温かかった。


それは、雷とは思えない、どこか人肌のようなぬくもりだった。普通の魔法効果ではない。


もう、共鳴が始まっているのか…?



「……痛く、ない……のに、熱い……心が、震えてるみたい……」


そう呟いたエレナの手元で、治癒魔術の光が揺らぎはじめた。


柔らかな黄金の光に、淡く青白い閃光が滲む。

波紋のように混ざり合い、脈動しながら――やがて、ひとつの“鼓動”を刻みはじめる。


それはあたかも、魔法の核が“心臓”を得たかのような動きだった。


「……魔力が、増幅してる……?」


エレナ自身が驚いたように呟く。


2人の体を包む雷は、彼女の治癒魔術と共鳴し、鼓動を刻むように光のリズムを生み出していた。


光が、温かく脈打つたびに――クラヴィスの崩れていく体の灰化現象が停滞し、わずかに後退し、再生していく。


ほんのわずか。 されど、確かな変化だった。


「……いける…!エレナ、魂の損耗が戻り始めている……!」



エレナがさらに魔力を込める。 その両手はすでにひび割れ、光が漏れ始めていたが――彼女は一切の恐れを見せなかった。


ふたりの魔力が完全に重なり、共鳴が極限へと達した瞬間。


眩い閃光が、周囲を包み込む。


雷の咆哮と、癒しの祈りが――確かに、ひとつになった。



共鳴する魔力の鼓動が、次第に重く、苦しくなっていく。


全身を巡る雷が焼けつくような痛みに変わり、呼吸が荒くなる。


「ッ……くそ……っ!」


肌はすでに灰に侵食され、右腕は肩までひび割れていた。

視界の端がちらつき、心臓の鼓動が異様に速い。


エレナの身体も同様だった。


顔色は蒼白になり、口元から血が一筋垂れている。内臓にまで灰化現象が至っているのかもしれない。


両腕は力なく垂れ、それでもなお、クラヴィスの胸に手を当て続けていた。


「エレナ…このまま俺たちは灰になるだろう…」


「私は、いい……この子が、生きてくれるなら…」


「……俺もだ」


アーシェが静かに呟く。


心残りは、ある。


子供たちの成長をもっと見ていきたかった。

クラヴィスやルミナに、別れの言葉くらい交わしたかった。


ルミナをそっと見る。


少しずつ意識が回復してきているようだ。

指先や眉根が僅かに動いている。


愛しい子を見つめ、呟く。

「ルミナ…この無鉄砲なお兄ちゃんを頼むぞ…」


そう言った瞬間、俺の足もとに――

さらさらと、腕からの灰が落ち始めた。


魂が、限界まで燃え尽きようとしている。 もう、この共鳴魔法をあと十数秒も維持できないのは明白だった。


――だが。


その時、クラヴィスの胸元で、微かに光が脈打った。


「……っ!? 今……!」


最初は気のせいかと思った。 だが次の瞬間、確かに、クラヴィスの胸がわずかに上下した。


「……息を……!」


エレナの目が見開かれる。


崩れかけていたクラヴィスの胸部が、ひび割れの内側から修復されていく。

灰色だった肌に、かすかに血色が戻り――


「……っぅ……」


その唇が、震えた。


「――クラヴィス……!」


エレナの叫びとともに、クラヴィスの身体から、ふっと微細な光が立ち昇った。


それは、魂の“再生”――

通常ありえない現象が、今、目の前で起きていた。


「……ッ、…もう少し…踏ん張るんだ…!」


呟いた瞬間、俺の右腕が崩れ、灰となり風に散った。


「……ッッ!」


激痛に崩れ落ちそうになる体を、エレナが支えてくれる。


「あと…少し、頑張ろう。アーシェ」


「あぁ…最後の力を振り絞ろう…」


そう言い、俺たちは一層魔力の輝きを強めた。これが、最後の灯火だ。


クラヴィスの体がみるみる再生していく。


エレナが幼いルミナを見て言う。


「ルミナ、ごめんね。もっとあなたたちと生きていたかった…」


「でも、これが私たちの、親としての役目。お兄ちゃんを頼むわね。兄妹喧嘩も程々に…」


僅かにルミナの目が開く。


強い光に包まれながら、俺たちはニッコリと、笑みをルミナに返す。



そして、俺たちの視界は――

やさしい白に、満ちていった。






―――


二人の命は、静かに灰へと還った。

だがその灰は、ただ風に散ることはなかった。


――まるで、幼き息子を包み込むように。

温かな光の粒となって、舞い、流れ、静かにクラヴィスの胸元へと吸い込まれていく。


 


やがて、魔物の鎮圧を終えた戦士たちが現場へと駆けつけた。

崩れかけた家屋の奥――そこには、気を失い倒れているクラヴィスとルミナの姿。

そして、その周囲には灰が優しく降り積もり、まだ微かに熱を帯びていた。


 


「……子供たちは、生きているぞ!」

「灰が……まさか、これは……!」

 


状況から見て、判断は早かった。


強力な魔物と交戦し、守り抜いた末に親が力尽きた――

あまりにも痛ましく、そしてあまりにも美しい、英雄譚のような結末。


「……最後まで魂を燃やし、子供たちを守ったのか」

「高灯階魔法を限界まで行使した形跡がある……」

「クソッ!ここは確かクラヴィスさんやエレナさんの家だ!……もう少し、早く来れれば…!」


誰もが理解し得たのは、そこまでだった。


――その場に、魂の共鳴現象を知る者はいない。

――あの奇跡が、本当に起きていたことを知る者は、誰も。


 


灰は慎重に回収され、終火機関によって封印壺に納められた。

“勇敢な親の犠牲が、子供たちを生かした”――それが、誰もが納得した結末だった。


 


そして数日後、二人の名は静かに、街の追悼碑に刻まれた。


その下に添えられた一文には、こう記されている。


 


――『魂を燃やし、未来を護りし者たち』


 


彼らが遺したものは、語られることのない奇跡だった。

だがそれは確かに、灰の中に宿り、これからを生きる者たちの中で燃え続ける。


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