表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯火の騎士  作者: 7th.star
3/5

腐りゆく竜と不定形の屍

レオンと共に最前線から後退し、アーシェはクロイツ団長の元へと戻ってきていた。


数え切れないほどいた魔物の黒い奔流も、駆けつけた戦士たち援軍のおかげで、着実に数を減らしつつあった。


戦士たちも少なくない犠牲を出しながら、それでも戦いは勝利へと近づいている――誰もが、そう信じていた。


 


それは、地獄の淵を思わせるような静寂の中から、ゆっくりと現れた。


魔物たちの群れの中心――その奥底で、なにかが蠢いた。 直後、目に見えぬ毒の波が拡がった。


「――っ!?」


群れの一部が突然、苦悶の呻きを漏らし、地に崩れ落ちた。 黒き外殻がぶくぶくと泡立ち、皮膚が膨れ上がり、そして――破裂した。


血と体液が飛び散り、裂けた肉の間から骨が露出する。 一瞬にして数十体が、次々と“崩壊”していった。


その中心を、悠然と歩く“それ”がいた。


翼は破れ、骨の枠組みだけが残っている。 腹には脈動する臓器がむき出しとなり、胸の裂け目から紫黒い毒霧を垂れ流していた。


異常に肥大化した四肢、棘腫瘍に覆われた背、尾の軌跡に残る焼け爛れ。


その全身が、腐敗と異形を極めた存在だった。


だが、最も異様だったのは、その顔だった。


崩れた顎から覗く黄ばんだ無数の牙、歪んだ骨格、折れた角。


そして、中央に埋め込まれた“光輪の残骸”。


輪になりきれず断片がねじれたそれは、額に沈み込み、まるで神性の象徴を嘲笑うように脈動していた。


それは目ではない。だが、確かに“見られている”と感じさせる。


理を踏み越え、神を呑み、咎を受けてなお生き残った竜のような何か―― それが、そこに立っていた。


 


「毒性領域、確認。総員――第一種対毒戦、用意ッ!」


クロイツ団長の冷静な声が、戦場に鋭く響く。


全隊員が、祝福を受けた『聖印布』を手際よく口と鼻に巻き付ける。


灰搬隊の術士たちが、あらかじめ定められた対毒戦闘用魔術を展開する。


第四灯階の『護体障膜ごたいしょうまく』―― 皮膚への毒液や飛沫の接触を遮断するための術式だ。


この二重の備えによって、気体および物理的な毒の双方に対処できる。 ――とはいえ、完全に防げるわけではない。


 


全身に傷を負いながらも治癒魔術を断り、他の負傷者を優先させていたレオンが、腐りゆく竜を睨みながら口を開く。


「お仲間ごと殺して登場とは……まさしく、人類の敵そのものだな」


俺も治癒を断り、止血帯で固定した肩を回しながら応じた。


「あぁ、強い。今まで戦ったどの魔物よりも。この群れの親玉と見て間違いないだろう」


するとクロイツ団長が激を飛ばす。


「無駄口はそこまでだ!術撃隊、各員全力で魔法を叩き込め!剣撃隊は突撃準備!こいつさえ屠れば、残りは有象無象!行くぞッ!」


戦士たちが迅速に動き、術撃隊が魔法の詠唱に入ろうとした、その時。


背後から、信じがたい警鐘が鳴り響いた。


二つの音色が重なる――高音は市街地への襲撃、低音は任務中を除く非番の兵を含めた、全戦力への非常事態緊急動員令を意味していた。


「なっ、これは……!」


クロイツ団長が目を見開き、思わず叫ぶ。


「バカな……こいつだけじゃないというのかッ!」


 


竜が、その異形の面相をぐにゃりと歪める。


――嗤っていた。


 


レオンが吠える。


「何がおかしい!貴様……死に損なった獣風情が、人の真似事か!?いいだろう……そのツラ、一生嗤えねぇようにしてやる……!」


大剣の柄を壊さんばかりに握り締める。万力で締めつけられたかのような柄と、怒張した全身の筋肉が、ミシリ――と音を立てる。


「待て、馬鹿者ッ!貴様とアーシェは市街地へ援軍に向かえ!ここは我々が引き受ける!」


クロイツ団長が、竜に飛びかからんとしていたレオンを即座に制止する。


俺も団長に食い下がろうとし、声を上げる。


「しかし、クロイツ団長――!」


「黙れッ!これは命令だ!」


声が戦場に響き渡る。


「第二区画の市街地や、第三区画の中枢にも兵は配置してある。だが、今最も優先すべきは市民の安全確保だ!向こうの状況は不明だが、だからこそ――貴様ら特級戦力が加勢せねばならん!」


「それに――私がこんな腐りかけのけだもの一匹と、有象無象の下等生物どもに後れを取ると思うか?」


クロイツ団長は、静かに一歩を踏み出すと、氷の霧を纏う、黒色の杖を胸元で垂直に掲げた。術撃隊員が使う、術杖と言われる戦闘用の杖だ。


天を指し、左右対称に構えた手はまるで祈りの所作のように静謐である。


杖から白い霜がじわりと滲み出し、足元に霧氷の花を咲かせる。彼女の口元には、氷よりも冷たい笑みが浮かんでいた。


 


「それに、向こうにはお前の家族がいるだろう。私の娘や、他の隊員たちの家族も、だ。……貴様らにしか、頼めん」


 


「ッッ……すみません、任せます!」


俺は敬礼と共に叫び、レオンを振り返る。


「レオン、行くぞ!」


 


そうして、全力で駆け出した。


愛する家族の顔を、脳裏に浮かべながら――







レオンと二人、全速力で駆けた末に辿り着いた第二区画、市街地はまさに阿鼻叫喚の地獄だった。

天井から崩れ落ちた瓦礫が道を塞ぎ、火の手があちこちに広がっている。


避難が間に合わなかった市民たちが、魔物に切り裂かれ、穿たれ、潰され、咀嚼されていた。



真っ先に家族の安否を確かめたかったが、一隊員である俺には私情を優先させる事はできない。


それに、エレナは強い女だ。きっと無事に子供たちや近所の者と避難している筈だ。


そう願いながら俺たちは手当たり次第に魔物を掃討し、市街地を進んでいたが――その途中、市民の避難と魔物の殲滅を敢行していた剣撃隊の一人に呼び止められる。


「アーシェさん!レオンさん! 天井を破壊した強力な酸を持つ魔物が分裂し、それぞれ別方向へと進撃中! 確認されている分裂体は計三体です!」


「現在、第一班・第三班が市街地外れへと向かう二体と交戦中! お二人は第二班を指揮し、中心部に居座っている一体の方へ!」


この混乱の最中に分裂か。ますます厄介な魔物だ。


「了解! そっちは頼んだぞ!」


俺とレオンは短く応じ、第二班の部隊を引き連れて市街地中心部へと駆け出す。





足元には砕けた瓦礫と、焼け焦げた壁。煙と腐臭が入り混じり、視界すら歪んでいた。市民の死骸が残っている場所には、異様なほどの腐敗が進んでいる。


「……あれが“大元”だな」


レオンが、低く唸った。俺も同時に、目の前の“それ”を睨みつける。


それは、市街地の噴水広場跡に――存在していた。


ドロドロに溶けたような不定形の肉塊。その全身は濃紫の粘液に覆われており、ところどころに人の顔のような模様が浮き出ては沈み、苦悶の表情で泡のように弾けていく。


酸によって瓦礫すら融け落ちた地面の中央、ぬめる肉塊の背から――異物のように砕けた光輪が突き出ていた。


骨のように癒着したその輪は、砕け、ねじれ、形を保てないまま硬直し、まるで喰われた誰かの魂の残骸がそのまま魔物の背に刺さっているかのようだった。


それが、強者の証なのだと、本能が告げてくる。


「“砕けた光輪”……」

 俺が呟くと、レオンがうなずいた。


「ああ。強力な魔物の共通点だ。さっきの腐敗した竜にもあったな」


魔物がこちらに気づいた。ぐにゃりと形を変え、肉塊の中心部から新たに粘液の腕のようなものを伸ばし、地を這いながら迫ってくる。


「剣撃隊、囲むように展開しろ!術撃隊は低灯階で牽制だ!また分裂するかも知れん、余力を残せ!」


俺の指示で隊員たちが即座に布陣し、前衛が包囲を試みる。



「奴の中心部に核の様な物が見える!そこを狙え!」


レオンが鋭く分析しながらも、すでに大剣を構えて距離を詰めていた。


 ――その時だった。


 ズッ、と魔物の腹部が異様に膨れ上がる。


「酸を飛ばす気だ!各員回避行動!」


俺の叫びと同時に、魔物の腹が破裂するかのように開き、内部から粘液状の酸が放射状に弾けた。


床が焼け爛れ、石畳が泡を吹いて崩れ落ちていく。

盾で防いだ剣撃隊の一人が一歩退き、大腿部の防具から煙を上げた。


酸がかかったのは少量だったが、防具は腐食し、黒ずんでいる。


だが、それよりも致命的だったのは――酸が地面と周囲の建造物を巻き込み、俺と部隊を分断したことだ。


「レオン! そっちは大丈夫か!」


「なんとかな!……チッ、この酸、道を遮るように撒いてやがる!」


俺の正面には瓦礫と酸でできた“壁”ができあがっていた。


向こうにいるレオンたちは姿こそ確認できるが、間に広がる融解の沼と崩れた瓦礫が通路を完全に寸断している。


「アーシェ!こいつは俺たちに任せろ!お前はこの先の住宅地へ行き逃げ遅れた者がいないか確認するんだ!」


この先の住宅地は俺の家や団長の家がある。


「…すまん!死ぬなよ!」


「フッ、俺を誰だと思ってる!魔法戦士団最強の男、“赤獅子”だ!」


叫び返すレオンの表情は、焦りも怯えもなかった。ただ、まっすぐに“今できる最善”を選ぼうとする、あの男らしい眼だった。


 俺は通路の奥を見やる。そこには、市街地中央へと通じる別ルートがあるはずだ。

 腐臭にまみれた広場を後にし、家族の元、そして生存者の確認のために、俺は走り出した――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ