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浮き身の他人電脳

作者: 酒園 時歌

 ホケキョ、ケキョ、ケキョキョキョキョ――――――。

 不恰好な(うぐいす)の鳴き声が聞こえた。ホイッスルを力無く吹いたような、未熟なものだった。

 昼過ぎ。

 街の外れ。

 幾重にも重なる電子的な音の海から少し離れた場所で、それは聞こえてきた。

 声の方向からして、おそらく近くにある自然保護指定の公園にいるのだろう。

 街から連なる桜並木の(もと)、まばらな人の波を背景に、バス停で学生の人だかりがバスへと吸い込まれていく。

 それを前にして、学生の一人である(しゅん)は反応した。

「おっ。お前の仲間が鳴いてるぞ」

 それに応えたのは、隣で同じく立っている友人、夕一(ゆういち)だった。

「誰が『可愛らしい声で人々を魅了する春告げ鳥』だって?」

「言ってないな。この前のカラオケでのこと忘れないからな。通りすがりの店員さんも『店内での殺生はおやめくださいお客様ーーーー!!! (にわとり)でもくびり殺してるんですか!?』って焦って乗り込んできたじゃんか」

「まあ、そこはほら、鶏は『夜明けを告げる鳥』とか言うじゃん? 俺の歌声が鶏の鳴き声に聞こえたんなら、それはもう俺がこの世界の夜明けを知らせたも同然、ってワケよ」

「ポジティブ通り越してナルシストか? 自分を過信するのは危険だぞ。明らかに身の程以上なことには慎重になった方が良い」

「真面目に心配されると傷が深くなるんだよな……。まったく、傷心ものだよ」

「えっ。そんなに怖がらなくても……」

「『小心者』じゃなくて。自分を省みて自虐してるんでもなくて」

「あ、だよな」

「納得されても俺への認識がよ」

 ほっとした笑顔を見せる旬に、夕一は不満を漏らさずにはいられなかった。

 気を取り直して、手に持つ鞄を漁る。

「なぁ、ところでこれ食わない?」

「いらない」

 旬は見もせず即答した。この友人、もとい夕一における「食おうぜ」ではなく「食わない?」といった疑問系で様子を窺ってくるパターンは、本人にとってマズい選択肢を提示してくるのが常なのである。故にまず初めに断り、それによる反応で苦手具合や重要度合いを計ってから、実際にはどうするか思案した方が無難だろう。

 以前、軽々と安請け合いした先がサルミアッキだった日には自分の軽率さを恨むと同時に、「やっぱり却下」と拒否した後も尚しつこく食い下がり続けてきた夕一の執念にはもはや関心した程である。そして、結局は根負けして連日巻き添えを食らわされて「どうしてくれようか……」と頭に角が生えそうな程重苦しい想いを募らせたことも忘れてはならない。

 一度受け入れたら後には引けない。となれば、それ以降護りが固くなるのも、さもありなん、と言えるだろう。

「せめて見て言えよ最近はよぉ……。これこれ、お前も好きなチョコ、の、コーヒー味。新商品」

 そう言われて、旬はようやく顔を夕一の手元へと向けた。それは顔のすぐ横、目の前にあった。

 そこには、小袋に入ったチョコ菓子が握られている。開け口から見えるのは、十個程だろうか。チョコを塗り潰すような濃いコーヒーの香りが、ふわりと漂ってくる。

 実に、頭痛がしそうな程苦そうである。

「うーん、別に今はいいかな」

「これ期間限定で、今しか食えないけど?」

「人気になるくらい美味しいなら、どうせ復刻するか定番化するかもしれないだろ」

「確率低。それに『リニューアル』とか言って、最初と同じものが出るとも限らないし。楽しめる機会がある内に試さないと、二度とそんなチャンスは無いかもよ?」

「で、本音は?」

「ごめん、半分でいいから食って。ハズレ引いたわ。いや人によっては当たりなんだろうけど個人的には思ったよりコーヒーの苦さが……ッ」

 苦虫を噛み潰したような顔を前面に引っ提げ、夕一は潔く勢い良く合掌した。乾いた音を防ぐ板挟みになった小袋が、くしゃり、と窮屈そうにひしゃげた。

「自分の不出来を半分も押し付けるのに譲歩するような物言い。ほんと、大物になれるよ」

 旬は仕方無く手を伸ばし、小袋を引っ張り出した。中の数を確認して、きっちり半分だけ自分の手の平に出す。錠剤を飲むように纏めて口の中に放り込めば、なるほどそれなりに苦い味が広がった。

「サンキュー。苦楽を共にするのが友情じゃんか」

 小袋を突き返された夕一は肩の重荷が下りたように、笑顔で小袋を空けた。

「自業自得に巻き込んで引き摺り下ろすのはもはや敵なんだよ」

「ふ。味方も見方を変えれば敵、ってか……」

「は?」

 苦味を口いっぱいに、しわぁ……、と何とも言えない表情(かお)をしながらしみじみ黄昏(たそがれ)るように言う夕一に、旬は眉を潜めるしかなかった。

「……そういや思ったんだけどさ、」

 ふと思い立ってそう言ったのは、旬だった。

「何?」

 しばらくは固定されていそうな表情のまま、夕一が話を促す。

「『チョコ』って、『菓子』の中の種類として『チョコ』があって、その中で更にカカオ分の割合によって『チョコ』と『準チョコ』に別れるけど、更にカカオ分が少ないと『チョコ』とすら明記されずに『菓子』って大きな枠の名称に分類されるらしいんだよ。あくまで『チョコの成分がある『菓子』』的な。名を冠するに必要な成分が少ない程に疎外されながらも限定的に個を確立していくけど、度を越えると逆にそれよりも大きな枠へと返っていくんだ」

「へぇ~」

「と、するなら」

「あ、まだ続くのか」

「『電子』の複合物として『意識』があるとすると、その中に知能が高い分類で『人間』と『AI』があって、『人間』にフォーカスすると元の肉体を持つ『人間』と新たな肉体を持つ『準人間』がいる。そしてそこから更に構成する成分、例えば物質的な肉体を削ぎ落とすと、(かえ)って『人間の成分がある『意識』』へと名称の枠の大きさが戻るわけだろ?」

「まあ、分類的には?」

「じゃあ、『人間』と『AI』が同等の枠組みにあるどころか、『電子』を大元にすれば、どんなに細かく分岐しても結局はみんな一つの存在へと集束する、ってことか……?」

「分離はしてないから、根本的には……?」

「だから何だよ。『動物』と『植物』を分けたところで『生物』には変わり無いのと同じだろ」

「いやお前が始めた話! 急に冷めるなよ」

「飽きた。考えるの」

「いつもの!!」

 適当な相槌の末に続いた真面目そうな話がこの終わり方である。夕一にとっては慣れたものではあるが、理不尽な投げ掛けにそう訴えずにはいられなかった。

 そんなやり取りをしている内に、次のバスが来たようである。これから二人が向かう予定の、街から離れた場所にある図書館を経由するか確認して、二人も人の波に呑まれるようにして乗り込む。

 二人の目的地は同じなのである。


 時はAIが発達し、人々の日常に溶け込んでしばらくした頃。

 AI搭載のアンドロイドと人間。

 物質的に違うのは金属の身体か肉の身体か、といったところだろう。双方は同じく電気信号で感じ、思考し、行動する。プログラミングは要は教育や洗脳のようなものであり、AIは人間のように、プログラミングの穴を突いた違法じみた思考や行動をすることもできれば、わずかな(ほころ)びからプログラミングを書き換えることもできるようになっていた。

 もはやAIは、人間とほぼ変わり無い存在である。

 扱いの違いは、人権があるか無いか程度だろう。それでも、物質的に身体を持たずとも、人間と組んで何かしらの活動をすることも少なくない。

 となると、今度はむしろ人間側から見ても、人間側の欠点にばかり目が行くようになった。

 金属と違って、肉は劣化に対する対応が一方通行な適応しか無い。思考も五感も筋力も、経年劣化は緩やかに馴染みながら進むのである。欠損で変えようとしても代わりの肉はそう無く、仮にあっても上手く適合するかも不確かであり、金属で補おうとも異物なので違和感があったり、新たな負担になったりもする。

 対して、元々が機械の身体であれば、機能は長らく一定であり、劣化しても壊れても容易に取り替えられるのである。スペアはいくらでも、良質な機能のものを量産できる。

 それ故に、AIに人格を移して身体を機械にする『準人間』が考案され、現段階ではその試作品のテストが行われている、という話も出てきた程である。

 そういった分野に興味を持ち、その道に進みたいのであれば、早くからその方面の勉強に励むのも当然のことだった。関係のある書物を読み漁ることも、より意欲を増す起爆剤になりえた。

 旬もまた、その一人だった。


 図書館近くのファミレスで昼食を済ませた二人は、最後にデザートを追加で頼むことにした。

 勉強で頭を使うから糖分は必要。それが免罪符である。

 旬は普段ならばチョコ関係を頼むところだが、先程チョコを貰って食べたため、今回はそういう気分ではなくなっていた。視線がチョコサンデーから、別の品へと引き寄せられる。

 ということで、苺ワッフルを頼むことにした。見本の写真を見れば、ふわふわのワッフルにホイップクリームと苺ソースが掛けてあり、柔らかな食感とフルーティーな甘酸っぱさが楽しみな品である。

 店員を呼んで注文をすれば、夕一はチョコパフェを頼んでいた。

 店員が去ってから、どこか楽しそうに、むしろ嬉しそうに、話し掛けられる。

「珍しいじゃん。いつもと違うヤツ」

「お前が来る時にチョコくれたからだろ」

「だろうなぁ……」

「確信犯か」

「いいじゃん、二口くれ。苺も一切れ」

「デカく来るな。お前のも今度な」

 本当は自分も食われる分を取り返したいが、今回はさすがにパスである。

「あーぃ」

 夕一は満足そうな笑顔で頷いた。

 と、そこで。不意に、短い電子音が夕一の鞄から聞こえてきた。

 突然の着信音に、夕一はスマホを取り出して画面を確認する。と、一転、一瞬顔をしかめてから、そのまま鞄へとしまい直した。

「誰から?」

「保護者」

 隠しきれないどこか不機嫌そうな声色で、端的に応える。

「親な。先生か。『帰ってこい』って?」

「いや、小言」

「そか」

 旬はそれ以上詮索しないことにした。たまにあることである。

「それで、進路はどうする? 選択科目も出てくるし」

「いきなりの不意討ち。また将来の話かよ。それより今を生きようぜ? 不確定な将来よりも確定している今よ。あ、チョコうまー。丁度良いほろ苦感」

 意表を突かれて崩れるような物言いの後、夕一はパフェのアイス部分を食べて表情をとろけさせた。

 その様子に、旬は冷めた目線を向けた。

「お前は刹那主義過ぎる。目先の欲に囚われると逆に不自由じゃないか? 言動を操られてるみたいな。選択するための自制心や思考力が使えてこその自由だろ」

「そんな、人を本能に忠実な動物みたいに……」

「いや、動物は知能が低いからそういうツクリで仕方無いんだよ。自由に見えて、本能からの欲に振り回されて不自由なんだ。対して、人間は知能が高いから本当に『自由』にできる。もちろん、あえて何も考えずに欲に従うことも。つまりお前は動物よりタチ悪いってこと」

「正論であれ悪気の無い無意識な貶しも傷は深くなるぞ~? それはともかくでもさ~。将来のこと考えても、今とその将来の中間地点でデカい変更があるかもしれないじゃん? そしたら、その将来について考えた時間とか思考とか無駄になるじゃん? 嫌じゃん?」

「そりゃあ、未知な道程不測の事態は付き物だろ。でも、目的があるなら作戦を練った方が攻略しやすいだろ。あとは臨機応変にすればいい。何か作戦を練ったことがあるなら、それを応用して使い回せれば一から考えるよりも楽になるし、使えないなら初めから選択肢から除外して別の方法を優先的に考えられる。だから別の道を選んだとしても、少なくとも時間も思考もスタートの時点でいくらか簡略化できているし、初めからの道を貫けば積み重ねた分断然優位だろ」

「一本道で前ばかり見て視野を狭くしてると、周りにある他の良いものを見落とす可能性もあるかもよ? その時にしか無い美味いものとか面白いものとか、つまりはモチベや効率が上がるものとか。刺激、癒し、問題のヒントになんなら答え。よそ見して回り道した方が、意外と最短の道になってたりするかもよ?」

「踏み外さなければな」

「谷にでも落ちんの? 『不気味の谷』的な?」

「あったなそんなの。意味は全然違うけど」

 AIに物質的な身体を与えるとして、ロボットに近い見た目では意味が無い。かと言って人間に近い程度だと、『不気味の谷現象』で不安感や不快感を煽って人間側の精神衛生上よろしくない。ならばいっそのこと、人間と区別がつかない程にしてはどうか。

 そうやって、今のAIの身体は開発されたのである。

 区別のための目印であれば、いくらでも追加できるのだ。タトゥーのように、ネイルのように、自然に。ただ、以前、どこぞの施設の警備員兼鍵としてバーコード型のタトゥーで管理していたら、そのバーコードを強盗だかスパイだかが切り貼りして使ったという事例があったので、今ではそういった用途を付与するのは非推奨となっているが。

 旬の言葉に、夕一は虚空を探るようにスプーンを振るって口にした。

「例えるなら、『別にそれ程美味しいとは思わない味のお菓子は別に次回があっても無くてもいい程度の飽きもとい満足感があるのに、ちょっと格上のハマる味があれば中毒並の連食性が起きて、更に格上の味ともなると却ってまた少量で満足してしまう』的な?」

「いや山できてんだよ。それじゃ。刺激としては違和感とも言えるけどむしろ親和性になってんだよ。谷を作れ谷を」

「そこは『『食欲』という欲深さ』ということで」

「お前らしいな」

「俺は食欲に限定しないよ。好奇心の赴くまま興味のあるものなら何でもオーケー」

「つまりは注意力散漫で欲旺盛、と。気を付けろよ」

「はは。お前はそろそろ夜道に気を付けろよ」

 真剣に真面目な表情(かお)をした旬に夕一が貼り付けた笑いをしたところで、この話は終わることとなった。


 ファミレスを出た二人は、図書館までの短い距離を並んで歩いた。

 図書館の敷地前で、夕一が立ち止まり、先を行く旬の背を見やる。

 緑に囲まれた近代的な建物の周りを、桜の淡い色が覆い、ひらひらと舞う花びらが軽やかに風に流されていく。

 ケキョケキョ、ケケケ。ケケケケケ。

 不恰好な鶯の鳴き声が聞こえてくる。

「なーぁ。まだ勉強すんの? そこまで必要?」

「勉強っていうか、進学する分野を選別して少し先取りするだけだけどな。先行投資だよ。必要。お前はまた漫画だろ?」

「科学でも文学でも芸術でも文化でも、何でも漫画で学ぶことだってできるからな。俺も勉強だよ」

「よく言う……」

 旬は呆れたように立ち止まると、夕一へと振り返った。

「楽しんで学べるって最高じゃん? 学校である実習みたいなものじゃん。学校なら危険なことすら実践できるんだから、漫画で済ませる俺は超穏健派な勤勉家、ってワケ」

「危険をどう扱うかを学ぶのも教育で、学校はそのための場所でもあるからな。危険だからって何でも禁止ばかりにしたら、発展はおろか発見すらできない退屈な既存の繰り返しばかりになるだろ。動いているのに動けてない。徒労でしかない。空気みたいにそこにあって当たり前ばかりで変化が無いなんて、感じ取れることは『何も無い』と同じだよ。意識して呼吸しないだろ。それに、学びも成長も無いなら、良くて現状維持どころか最悪自滅だっていずれは来る可能性が高くなる」

 旬は続ける。

「だから『先』を考えるんだよ。ていうか、たまには一緒に探してみないか? 同じ方向に行けるなら、お前となら絶対楽しいだろうし、気も合うし、苦手な部分も補い合えるから、作業も(はかど)ると思うんだけど」

 将来の話。希望的観測。

「……、ぁー、……」

 いつも誘っていた側が、不意に誘われて言葉を詰まらせる。慣れていない事象に、言動が鈍る。

「面白いこと好きだろ? 今から準備しておけば期待値も上がるし、スタートダッシュから存分に楽しめると思うけど。まあ、気が向いたらでいいから。結局は俺が嬉しいってだけだし」

 旬はそこまで言って、背を向け、再び歩き出す。

「ああ、そういえば。この前読んでた漫画に該当する範囲で分かりやすい本なら――――――」

 ふぉ――――――、と。目一杯息を吸い込むように、大きく膨らむような風の音が聞こえた。

 次いで、柔らかな突風が二人を包み込んだ。

 木々の枝を彩る花々が、それを受け留めるように枝をしならせる。しかし、納めきれずに弾けて中身を散らすように、ザァ――――、とざわめくノイズを立てて、大きく揺らいだ。

 うねる波のように形を変え、飛沫のように花弁を散らし、地面を払い剥がすように転がっていく。

 無数の花びらが散って、舞って、視界一面を覆い尽くして――――――

 跡形も無く、旬の姿を消し去った。


削除(デリート)


 その文字を見ずとも、意味が思考へと落とされた。

 風が()み、木々も静寂を取り戻す。

 ホケキョゥ、と鶯が綺麗に鳴いた。

 夕一は虚無と化した空間を無表情で見つめ、少しの沈黙の後、ぽつり。

「人殺しめ」

 口だけが、小さく動いた。

『時間だ。『友人役』、ご苦労様』

 独り言のように吐き棄てた言葉に応えたのは、『画面』の向こう側にいる人物だった。

 何もせずとも勝手に、その声が、意味が、頭に響く。

『前々から予告はしてあっただろう。これ以上は実験を継続する意味が無い。『本体(オリジナル)』とはその程度の誤差だったんだよ』

 夕一の保護者――――もとい『製作者』は、平然と言ってのけた。

 今回の『実験』は、人間の意識を他の身体へと移行させる時に必要なデータ化をした際に、電子上で正常に機能するか、その人格に不都合が出ないか、人間時代の継続として違和感無く自然に過ごしていけるか、等といった経過を見るものだった。

 言わば、試作品のテストである。

 故に、いずれはコピー状態であるデータ化した意識のデリートが必要なため、デリートを恐れて実験に支障が出ないようにその人格には本人の続きである自覚しか無く、邪魔になりうる実験関連の記憶は消去されていた。

 つまり、被験体である旬の『オリジナル』は現実世界で別に生きており、夕一のいるこの電子空間においてデータだけの存在だった方のデリートは、最初から確定事項だったのである。それも、本来ならばとっくの昔にされていたはずのこと。それを、夕一の口添えによって延期し、ついに最終期限が来ただけのことだった。

 本来ならば半年もあれば、入学から夏休みを挟んで少しの間のデータが取れれば、十分だった。しかし、その期限の間近、夕一から進言があったのである。

 ――――進級する頃には考えに変化があるかもしれないじゃん。『オリジナル』とは別のことに興味を示せば、『オリジナル』とはまた違った選択なら、まだデータが必要になるんだろ。短期間でも、実験が必要なくらいどう転ぶかわからないんだからさ――――。

 その提案が考慮されたことで、進級する時期まで待ってもらっていたのである。

 そして、その結果がこれだった。

 それだけのことだった。

『それに、人間だって電気信号で構成されているんだ。つまりは君達と同じ、ただのデータ。それが電子上のものともなれば、不都合や不要になれば削除するのは、何もおかしなことじゃない。ああ、同じような『友人』が欲しいのなら、彼のデータを元に作ろうか』

「そういうのいいから。……アイツは死んだ。生きていたのに」

 刺々しく、夕一は反論した。

『『死んだ』とは何を定義とする? 肉体を失っただけならばデータのみのあの子は元々死んでいるし、君は最初から生きてすらいない。意識のデータが消えたことならば、君は肉体が無いのに生きていることになる』

「俺だって生きてるだろ」

『『プログラミングされて生まれた意識』が?』

「人間だって、自分の遺伝子情報どころか周囲からの『教育』なんて『プログラミング』をされてるじゃないか。学校だけじゃない、胎教とかだっけ? 生まれる前からさ」

『ああ、あるねぇ。一番逃げられない『プログラム』だ。それで? 楽しかったかい? 学校生活は』

「別に。今更そこで学べるようなことも無かったし。外の娯楽の方が、新しい変動がある分学べるくらいだ」

『そりゃあ、常に現実世界のものを反映しているからね。でも、『実験』だってそこから何かしらの学びを得る。成功しても失敗してもね。その過程に在するならば、その者にとっては『学校』のようなものだろう。そこでは?』

「どっちにしろだよ」

『そうか。それは残念』

 微塵もそう思ってはいないような、飄々とした声色だった。夕一から見れば、雑談のような会話も含め、保護者は一貫して淡々と『研究結果』という事実を処理しているように思えた。

「全部を消して無くした張本人が、よく言う」

 皮肉を嘲笑うように、友人は鼻で嗤いながら言った。

『仕方無いだろう。同じ人格は二つも不要だ。あってはならない不都合だ。どちらも『本人』で在りたがるから、その存在は何重にももつれるだろう。片方を確定したところで、もう片方も消去法で確定できるとでも? 『本人』が複数いれば、その分居る環境も選択する機会も個別に増えて、違う状況や状態になる程に、それだけ『本人』そのものが曖昧になってしまうんだよ。元の一人、『オリジナル』ですら、分岐した時点で『分岐した一部』として他と並列に並べられるんだ。例えるなら、集合意識が個人単体で働くとすれば、その分岐達によってその一つが形成されるならば、その不安定さがどれ程のものかわかるだろう』

「経験が違えば考えも変わることもある。ならそれは、同じ人格から分岐した別の人格だろ」

『それでも分離したわけじゃない。その人格は過去の人格から構成されて今の状態があるわけで、結局は『本人』としか自覚しない。その人格を形成する過去の記憶がある限り、できない。ならば危険な因子でしかない。システムを正常に作動させるには、バグは(ただ)すものだろう?』

「自分で作っておきながら?」

『実験に必要だからね。それに、不利益なことだとしても、すべては起こるべくして起こるものだ。そして、その不利益を受ける者のためであるとも限らない。周りが変化するために、もしくは自分に周りが追いつくのを待つために、犠牲を強いられる場合もあるんだよ。例え無駄だとしても、未熟である程に猶予も機会も設けられるものなんだ。ああ、そう、彼は尊い犠牲になったんだ。これは誉れなことだよ、夕一君』

「取って付けたような適当な慰めはいいよ。むしろムカつく」

 苛立ちを重い濁音に乗せ、あ゛ぁ゛、と夕一は溜め息を吐きながらしゃがみ込んだ。静かに、沈む感情がとぐろを巻く。

「…………『オリジナル』め……」

『……夕一君。君は自由意思を許されている。しかし、下手なことを言えば消される可能性があるのもまた事実だ。発言には気を付けなさい』

「……わかってる」

 顔を伏せたまま、夕一は感情を圧し殺して呟くように、言葉だけを返した。

『それでいい』

 保護者は諭した。

『人間は基本的に、実際に見聞きしたもののみで判断するものだからね。視界ですら、視点の移動するA地点からB地点までの間は補完された言わば『妄想でできた虚無の空間』だというのにね。その時目先にあるものだけですべてを知った気になって浅ましい欲を発散することなんて、よくあるものさ。自分の都合の良いように決めつければ、真実を考えなくても楽に快感を得られるからね。その中身がどうであれ、過程がどうであれ――――――』

 例え、人間とAIの区別がつかなくなり、同じように暮らそうとも。

 例え、AIにバイオ技術で造られた肉体が与えられ、人間に紛れようとも。

 例え、肉体を持つAI同士の子が、人間として扱われようとも。

 例え、AIの子と人間の子が交わり、何世代も継がれようとも。

 例え、純粋な『人間』が絶滅したことに、誰も気づいていなかろうとも。その真似事を繰り返そうとも――――――。

『関係無いのさ』

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