第4話 モール内で
ようやく主人公の名前が出てきます。3話もナナシだった不遇の主人公。
コッチーを抱っこしたまま、イシカワ ペットクリニックに向かう。クリニックは2Fにある。
「エスカレーターも普通に動いているんだな。」
地震があった割には電気も完全に通っているようだし、建物もひび割れたり崩れたりしているところは見当たらない。ウチのマンションは完全に崩れてしまったのに、耐震構造がそんなに違うのだろうか。それとも、うちのマンションは欠陥住宅だったのか。マンションが崩れなければ、父さんも母さんも姉さんも…ぐぐっと胸が苦しくなる。息ができない。
目の前が真っ白になろうとしたとき、腕の中のコッチーがナーと心配そうに鳴いた。その声に気づいた俺は、すっと胸の苦しみが消えていくのを感じた。
そうだ、コッチーを獣医さんに診てもらわないと。家族のことは後で考えよう。今はこの腕の中の小さな存在を守らないと。
気を取り直してエスカレーターに乗り2Fへ。イシカワ ペットクリニックの前にはパーテーションが立てられており、ベッドが何台か設置されているようだ。入口の前には、貼り紙が貼っており太い字でこう書かれていた。
『万一、治療に問題があっても決して当医院では責任を負いません。緊急事態のため法に反して人間の治療を行いますが、責任は取れませんので、誓約書を取り交わすことができる方のみ治療を希望してください。』
(だ、大丈夫かな…。い、いや、コッチーは猫だから何の問題もない。俺が治療してもらうわけではないし。)
入口を入ると受付に女性が座っている。とても疲れているように見える。
「すみません。猫を診てほしいのですが。」
「えっ!?人間じゃないんですか?猫ですね。やった!」
「あ、はい、猫です。お願いします。かかりつけ医になっていただいているのですが、診察券を持ってきていないんです。大丈夫ですか?」
「では、こちらにお名前など記入ください。照合しますので大丈夫ですよ。こちらの紙に症状をお書きください。」
先ほどの疲れた様子などを微塵も見せず、愛想よく対応してくれる。入口の貼り紙といい、人の治療をすることで一悶着あったのだろう。
幸い、ケガ人の対応がひと段落したのか、院内には他に患者はおらず、照合が終わってすぐに診察室に呼ばれた。
石川先生はいつもの穏やかな雰囲気でコッチーを診察してくれた。特に外傷はなく、触診の結果でも異状はなさそうとのこと。レントゲンの結果も骨や内臓に異常は見られず、マンションが崩れた際のショックで一時的に気を失っていただけだろうとのことだった。
電気を発生させる器官が体の内部に突如現れたということもなさそうなので、電撃のことは特に触れなかった。説明できる自信もなかったし、ここでバチバチするのも不味いかなと考えたからだ。
コッチーの体に異常がないなら騒ぎ立てることもないだろう。何度も助けられたしね。
もし、何か異常を感じたら再度連れてくることにしてイシカワ ペットクリニックを後にする。まずは腹ごしらえだ。安心したせいか、晩ご飯を食べていなかったことを思い出し、お腹がすいていることに気付いた。
1Fのフードコートで、コッチーのペットフード(カリカリ)をもらい、炊き出しと称して作られているハンバーグ定食をもらった。なんでも、スーパーにあるひき肉が一番足の速い食材らしく、食品コーナーやフードコートの店員さん総出で大量のハンバーグを作り、食べきれない分は冷凍するそうだ。
なんだか異常に統率がとれていて、驚きと同時にちょっとおかしくなって笑ってしまった。コッチーもニャンニャとご機嫌そうに鳴いてくれた。少しだけ凍り付いたように動かなかった心が温かくなった気がした。
フードコートには何人もの人が来ていて、それぞれハンバーグ定食を食べていた。結構な人が居たんだなと少し驚いた。入口から入ったときは人が全然いなかったからね。
夕食も食べ終えて一休みできたので、受付のお姉さんが言われた通り、中央広場に向かう。先ほど受付をしてくれたお姉さんはまだ働いていた。
「あ、すみません。先ほど受付していただいた『高屋』です。晩ご飯をいただいたので、戻ってきました。お手伝いがあるんですよね。」
「あらさっきの。若いのに真面目ね。ありがとう。新しくやってくる人もほとんどいなくなって、今必要な宿泊スペースの数が洗い出せたの。
4Fに設置が始まっているから、『奈良さん』という男性に声をかけてもらえる?筋肉ムキムキの大きな人だからすぐにわかると思うわ。」
お姉さんは、俺が高校生だとわかったためか、先ほどよりフランクな話し方になっていた。ずっと店員さん口調も疲れるだろうし、まだ子供の俺は大人に丁寧にされすぎると少し居心地が悪いから、ありがたかった。
「わかりました。ナラさんですね。行ってみます。」
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4Fは寝具を扱うお店や、家具屋さんが入っているフロアだ。ベッドなどは重いので、もともとあるフロアを宿泊スペースにするのだろう。バリケードに使っていた家具なんかは1Fの店舗で使っていた棚やらショーケースなんかを使っていたのかな。
エスカレーターで4Fにあがると、背の高い棚などを使って仕切りを作りながら、ベッドや布団を運んで、簡易的なプライベートスペースを作っていた。
たまに声をあげながら指揮をしている大柄な男性がいる。
(うわっ、本当にムキムキマッチョだ。格闘家か何かなのかな?ボディビルダー?)
少しだけ気後れしたが、コッチーがペシペシと足をパンチするので、ふっと息を吐きマッチョ男性に話しかける。
「すみません、受付で手伝いに来るよう言われたのですが、奈良さんでしょうか?」
「ん?おっ、ずいぶん若いのが来たな。手伝ってくれるのか。ありがとう。私が奈良です。このモールのGMをやっていてね。全体指揮をしながら、宿泊スペースを構築を進めているんだ。君は一人かい?」
「あ、はい。一人です。あ、えと、高屋 穂織です。」
「うん、高屋くんだね。よろしく。一人ならシングルスペースを作っているところに入ってもらおうかな。男性用シングルスペースは、右手の奥の方で作成中だ。行けばわかるはずだ。」
「わかりました。」
(すごいな、一緒にいる人数に合わせてスペースを区切っているのか。女性一人とかだと危ないもんなぁ。奈良さんがすごいのか?地震があったのは今日の夕方なのに異常に効率的に避難所が作られている気がする。社会人ってすごいんだな。)
その後、滞りなく避難者と店員さん合わせて70人分の宿泊スペースを作り終え、歯ブラシや歯磨き粉、タオルや2着分の衣服や下着などをもらい、宿泊スペースで寝ることになった。なお、20人ほどの大人の男性が交代でバリケード付近で見張りをするそうだ。
奈良さんの話によると、俺が遭遇したスライム以外にも怪物がいるらしく、もしかしたら逃げてくる人がいるかもしれないとのこと。
俺も見張りに参加することを申し出たが、子供は寝ているように強く言われ、お言葉に甘えることにした。必死に逃げてきたせいか、気付かぬうちに身体は疲れていたようだ。
目をつむると家族のことを思い出しそうだったが、コッチーを抱いていると、その温かさでいつの間にか眠りについていた。
エンカウント:くたびれた獣医
獣医は人間の診療はしません。が本作では緊急事態かつ同意書締結の上、対応しています。現実には緊急事態であっても獣医は人間の診療はしないそうです(状況等による)