木漏れ日の星
巫女──特別な感情・約束事が発覚してから死んだ後、神に選ばれた少数がなる事のできる特殊な人型である。死後鳥居の前に立たされ、名乗ってからそれをくぐる事で依代と結界(巫女が動ける範囲)が決定される。この決定事項を“御心の契約”と呼称する。
巫女といえど、神の選択肢に性別は考慮されない。だが、年齢は制限されている。十代から二十代前半まで。
契約を交わしたものは結界内でのみ活動ができる。外に出るには依代を壊さなければならないが、必ずしも結界の中心部にあるわけではない。依代はそれぞれの宝物であったり魂石だったりと様々である。尚、依代を破壊し巫女を人へ戻せるのは約束・感情の行き先である相手のみである。
【開幕】
山と木に囲まれた緑豊かな街、そこに位置する一軒の二階建ての家。家に住むのは、スラム街を擬人化したような性格の夫と、二人の兄弟だった。
暴力を振るわれる日常を他所に、街の人々は耳へ耳へと言葉を連ね、軋轢を産んでいった。
だがいつしか、兄が一人でどこかへ去った。街にも居ない兄を、弟は絶望に打ちひしがれながら待った。来ることの無い彼を、あの約束を、果たしたいという思いで────。
ぱち、と目が覚める。冷たい空気を蹴って布団から出る。周りを見渡しても、そこは見覚えと恐怖しかない家の床と壁だ。
少年は這うようにして、息を殺し窓から外へ。二階から逃げられるように、兄とこっそり作った道はまだバレていなかった。腐った草の地面に裸足を付け、そろそろと歩く。離れていく家に背を向け、夜暗い街を少年は歩いていた。
「ねぇ、君」
「……ッ!」
突然の掛け声に、少年が肩を震わせて踵を返した。見の前にはボロボロな見た目の少女が立っていて、下から少年を見上げている。息が詰まる。人に見つかった、と、少年は焦った。が、少女は首に着けた黒い輪を撫ぜ、首を傾げて少年に笑いかけた。その瞳は、まるで鈴のようにころりとしている。
「名前、なぁに?」
「……っあ、僕…………は」
言葉が喉の奥でつっかえている。少年は顔をしかめ、頭に手を添えた。少年は、もう随分と名を呼ばれたり名乗ったりしていない。努力して、覚えていようとも思えない程に、少年は毒に侵されたのだろうから。
「……名前、ないの? 私もないよ! 同じだねぇ」
言葉をあまり習ってないのか、少女は拙く発している。
少女は微小を浮かべたまま少年の傷だらけの腕を掴み、周囲を見渡して木々の向こうへ走っていく。少年は未だ状況を上手く飲み込めないまま、少女に着いて行った。
一層暗く、静寂を守る森の中。崖が随分向こうに見えるが、地面に引かれた獣道はそっちの方には伸びていない。しかし、少女は前を向いている為、目的地はあの崖なのだろう。少年は風を受けて染みる傷を空いた手のほうで擦りながら、速度を落とした少女を見る。
「君は……一体、どこの子…………なんだ? 今まで、見たことは……なかった、けど」
「私、家も家族も、あの村に無いの。だからね、私────」
と、そこまで言って少女は動きごと静止する。少年は困惑を隠しきれない顔で、周りを見渡した。すると、少年は少女の視線の先────黒い影を見つける。
「ひひっ、お前……なんで村に立ち入った? お仕置きしなきゃなあ……」
その影は不気味に、ケタケタと笑って少女に近付く。少女の顔は強ばり、手も震えている。影は少年に向けて持っていた錆ついたナイフの切っ先を見せ、口を大きく開けて、哄笑する。
少年は息を飲み、少女の手を強く握った。
「殺してやる、お前もお前も……ひひひっ」
瞬間、突発的な行動を起こす。足を動かし、崖目掛けて走り出した少年。少女は驚き目を丸くしたが、少年の怯えつつも置いては行かなかった事に安心しているようにも見える。
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暫く走り続け、肩で息をする二人。
「はぁ、っ…………ふー……大丈夫?」
「…………大、丈夫」
少年は木に手をつき、少女に視線を向けた。
「君は……村に入れないのか?」
「私、何でかは良く分からない。でも、“忌子は人に害を及ぼす、だから来るな”って。来たら……殺す、って」
忌子。少年は自分と彼女の境遇が似通っているように感じ、優しく背中を擦った。
「君も、ボロボロだよね。村の人達に、やられてるの?」
「……僕の場合は、そうだな。…………父さんが」
「そっ、か。──そうだ! 今日は私の部屋においでよ!」
きょとんとする少年を他所に、少女は目を輝かせる。
「傷の手当もしてあげられるし、ぬるいタオルなら用意できる! 布もあるし、寝られる。……どう、かな」
少女は少年を見る。少年は、少し瞑目して考えてから、それも良いかもしれない、と思った。
少女の部屋は、崖の少し上、木の板が崖に打ち付けられ、階段のようになっていて、それをつたった先にある。扉というよりは石の板がスライドするようになっていて、潜った先にあるのは感銘を受けて息が詰まるほど綺麗な場所だった。少女が捨てられた家具を集めていたのだろうか、椅子や机がある。石でできた焚き火を起こす方法の簡易的キッチン、鍋や皿の代わりに作られた受け箱型の木。どうやってここまで整備された部屋を作れたのか不思議な位、少女は普通の少女に見える。
少年は目を右往左往して、ほぅ、とやっとのことで息を吐いた。
「これ、どうやって作ったの?」
「私が来たときには、すでにこんなだったよ」
まるで、昔からここにこんな部屋が存在していたかのように、少女は言った。その言葉の意味が良く分からず、少年は首を傾げたが。
「村から追い出されて、数日は森を彷徨ってたの。でもね、ここを見つけて、入ってみたらこんなに綺麗だったの」
少女はにっと笑う。
「そうだ、救急箱もってくるね。寝台に座ってて」
少年は頷き、向こうの部屋へと、同じように石をスライドさせて消えていく少女を目で追う。少女が箱を持ってくるまで数分もかからず、少女はガーゼを取り出し少年に貼り付け始めた。
「……ふあぁーぁ」
「眠い? 寝ていいよ。布は用意したから」
布を掛け、少年は天井を見た。ランタンが鎖で吊るされ、ぼうぼうと燃えて、部屋を照らしている。
「…………兄、さん」
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『なあ、トキ。お前はさ、将来、何したい?』
『兄さんがいれば、それでいい』
木漏れ日。少年が兄と秘密で見た、神秘的な世界。それに二人は魅了され、度々夜に家から抜け出して見ていた。兄も少年と同じように、父から虐待を受けて育った。それ故に、二人は兄弟以上の絆で結ばれていた。
『俺さ、お前に頼みたいこと、あんだよ』
『……何?』
兄は葉の間から見える日を目に映し、未来を見通したかのような顔で、優しく弟に語りかける。約束。
『いつか、また……俺とこの木漏れ日を見に行こう』
『……いつでもいいよ。兄さん、これが最後みたいに言わないでよ』
『おっと、ごめんごめん』
このあと、兄は姿を消す。少年は泣きじゃくり、父からもたらされる痛みにも徐々に反応しなくなり、ただ約束を守りたい、兄と会いたいと懇願する子供。
『どうか神様、兄が生きて、僕に会いに来てくれますように』
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涙に濡れた、少年の頬。目を覚ました少年は、少女が居ない事に気付いた。
「…………兄さん」
扉を開き、外に出る。──────少年は、その光景に絶句した。
雪、雪、雪。一面の雪。一瞬、何が起こったのか理解できず、少年は裸足のままで木をつたって降り、雪に足を突っ込む。ずるりと足を取られ、冷えて赤くなる足を、腕を、少年は見た。そしてやっと、雪一面の銀世界を見た。
「……え? え、なんで? まだ、春の筈」
ドダゴダドダ、と、雪が一気に落ちる音がどこからか響く。少年ははっとして、寒さに痙攣する体をどうにか起こして、その元を辿った。
そして、目の前に広がったのは。
「ちょっ、ねえ!」
「………………あぁ、君、か。おはよぉ……どうしたの?」
崖崩れ、雪と岩に押しつぶされた少女は、笑いながら血を流し、少年の前に横たわっている。少年はこの状況を上手く整理できず、真っ白になった頭の中で、ただ涙を流す事しか出来ない。
「……今、引き抜くからっ!」
「………………ん? あぁ、そっか。私……」
虚ろな瞳。少年は必死で、かじかむ手と手を合わせ、強く握り、体重を掛けて重心を後ろへ、引っ張った。スポン、という感じでもないが、少女は抜けた。血まみれで、下半身は潰れて、皮一枚で繋がっている。
「……あぁっ、ああああああぁ…………」
「どおし、て……泣いてる、の?」
凍った肉の断面。血。少女は、笑顔のままで。
「この雪……何で、急に」
「私の、力かな? ……忌子って、こういうことだった…………んだね」
雪の力。
「僕さ。君に見せたい、景色があったんだ」
「……うん、どんな?」
「兄とっ、一緒に、良く見てっ、た。……木漏れ日」
「それは、綺麗だろうなぁ。約束、ね」
「あぁっ、約束。必ず、見に行こう。三人で」
「そうだね。お兄さんも、ね……」
力無く倒れる少女の体。軽くなり、軽くなり。少年は泣き叫んだ。雪に体が蝕まれるのも厭わずに。
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少年は、またあの家に戻って来た。少女を部屋の真下、その雪の中に埋めて。父は相変わらず舌打ちや足踏みをして、少年を探すこともなく苛立ちを隠さずに家に居た。
「……約束」
──絶対に守ろう。なんて、彼女に会うまで、一体何年かかるか分からないけれど。
父は少年のところまでドタドタとやって来て、また殴り蹴り切り打ち付け始める。少年は不思議と、叫びもせずに冷えた体を震わせずに、薄ら笑みを浮かべてそこにいる。父は気味悪がり、顔に大きな斧を振りかぶろうとしたが────
「あらあらぁ、顔は駄目よ。見れなくなってしまうでしょう?」
瞬間、部屋が凍ったように冷たくなる。父は目を白黒とさせ、少年は声の主に目をやった。
その人物は、一言で言えばサンタクロース。赤い服に白いファー、クリームがかった髪を短く切りそろえ、黄色の瞳に薄く赤の線が引かれている。口調こそ柔らかく、優しそうに聞こえるが、この低温の空間と氷塊が浮いている状況を見れば、この女性が相当怒っているのがわかる。とはいえ、この場の誰にも見覚えはないのでなぜかは分からないが。
「ワタクシの娘の約束を、破らせるような事だけは、ワタクシ許せないの」
いっぺん死んでみる? と笑う女性。
父は怯えを顔に貼り付けた表情で、女性を見つめながら部屋から走り去った。
「ごめんねえ、少年。じゃ、娘を頼んだよお」
「っちょっと、待っ────」
そう言おうとするも虚しく、言葉を聞かぬ女性は消えた。霧散するように。
「それで、あいつはまだあの村にいんのか」
「そうねえ、ワタクシに言わせれば、あそこからはあまり動いてほしくないけれど……貴方が動いてくれないかしらあ?」
「…………まあ、俺にもあいつとの約束があるしな。いいぜ、サンタ・ジングル。久しぶりのご対面といくか」