2.盲目隻腕の女
駅から歩いて数分の、かなり立地のいい住宅地。土地が高いからか立ち並ぶ家々は小さめの物が多いけれど、それでも小綺麗な物件ばかりで住む者の裕福さを感じさせた。
僕が見ている家は、周りに立ち並ぶ家と比べても変わったような印象は受けない。似たような三角屋根の家々のひとつ。白い外壁と黒い屋根。二階建てで、窓が確認できる。
表札には、山下と書かれていた。なんて平凡な名字。
魔力の中心部の上に偶然建った家でしかないのだと思う。
「なんでもない。行こうか……」
「チッチ。どうしたの? ずっと家の前に立って。それに、随分早いわね。忘れ物かしら?」
「?」
声が聞こえた。知らない、奇妙な名前を持つ誰かに話しかけているようだった。
若くも年老いてもいない女の声だった。
僕もつむぎもそちらの方を見た。リビングに面した窓を開けて、女がひとり立ってる。
三十代半ばくらいの歳の頃の、落ち着いた雰囲気の婦人。部屋着ながら人前に出るのに恥ずかしくない、年相応の服装。
顔は人目を惹く種類の美人のように見える。見えるだなんて自信がない表現になったのは、彼女が大きなサングラスをかけていて顔の半分が隠れていたからだ。
さほど日射しが強い日ではないし、そもそも彼女は室内にいたはず。サングラスなんて必要なのかな。
つける理由があるとすれば、もうひとつ思い浮かぶものがあった。
彼女が盲人の可能性だ。
僕がそれに思い至った理由がひとつある。
彼女の右腕が、肘の先から途中が失われていた。つまり彼女は身体障害者だ。手の障害があって、そこから目の障害を連想した。
とはいえ、彼女の顔はまっすぐ僕の方を向いていた。僕が見えているらしかった。
だけど僕はチッチではない。
幸いなことに、体に欠損がある知り合いが僕とつむぎにはいる。だから彼女の身体的特徴に大げさに驚いたりすることはなく、無礼な態度を取ってしまうことも避けられた。
「チッチ。どうしたの? 早く入ってきなさい」
僕が見えているらしい婦人は、僕が見えていない様子で、僕の知らない名前で声をかけた。
「あの。僕は……チッチという人ではありません」
人の家の前でうろつく無礼を謝るよりも先に、僕は相手の言葉を否定した。
彼女が何を見ているのか気になったから。
「あら、ごめんなさい。チッチと同じ空気を持っていたから。だとするとあなたは……チッチと同じ世界から来たのかしら。そうじゃなかったら、噂の魔法少女さんの知り合い? 妖精、と呼んでよかったかしら?」
婦人は、さして驚いた様子を見せなかった。
僕の隣にいる女の子が魔法少女の正体であることは知られてないとはいえ、魔法少女の存在はみんな知っている。この街で怪物と戦う魔法少女は、頻繁にニュースになっているからだ。
だから、魔法少女って言葉が出てくるのは普通のこと。
僕を魔法少女の妖精と言い当てたのは、もちろん普通じゃない。
返事ができず固まる僕が、婦人は見えていないらしい。ただし声が消えたことで、返事に困ったことは察したらしい。
婦人はふふふと、左手を口に当てて上品に笑った。
「私もね、昔は魔法を使って戦っていたのよ。別の世界から来た、チッチにお願いされてね。魔法少女ではなく、聖装戦姫。そう名乗っていたわ」
「そ、そう……ですか……」
冗談で言うとしたら、この年の上品な婦人には不似合いだ。
そんなことを聞かされて、ではさようならで立ち去るわけにはいかない。
婦人が手探りで玄関に向かってドアを開けてくれたから、僕たちはお招きされることになった。
「はじめまして。御共つむぎです。小学五年生です。魔法少女シャイニーハンターやってます」
「ご丁寧にありがとう。わたしは山下美里。聖装戦姫ミサトでした」
ふたりでリビングのテーブルに、婦人、山下美里さんに向き合うようにすわった。
自己紹介をなぜかつむぎの方からやる。いいんだけどね。
婦人は当初、つむぎの存在を感知していなかったらしい。玄関で僕たちを出迎えて、足音がふたり分あったことで初めて、同行者に気づいた。
足音の大きさから、僕が子供の姿なのは察していたようだけど。このことから、目が見えなくなってからの期間はそれなりにある様子だ。
腕についても同様。無くなった右手の傷は完全に塞がっていて、婦人は片手での暮らし慣れている動きを見せていた。
それでも、自由に歩き回れるのは家だけ。障害のおかげで外を出歩くことはあまりない様子だ。
「それで、こっちがラフィオです! わたしたちを魔法少女にした妖精で、わたしの彼氏です!」
「後半は違うからな!」
自己紹介を続けたつむぎがとんでもないことを言って、僕は慌てて止めた。そんな事実はない。
「申し訳ない。この子はちょっと変わってるんです。付き合ってはいないですから」
「ふふっ。魔法少女さんたちは、愉快な人たちがやってるのね」
「愉快……」
まあ、成り行きでそんな人員ばかりが集まったのは確かだけど。
山下美里は微笑みを浮かべながら、僕の方に顔を向けた。
つむぎの位置はよくわからないからだ。
「ラフィオさん。あなたはどこから来たの?」
「エデルードという、まだ本格的には作られていない世界です」
「そう。ではチッチとは違う世界から来たのね」
「だと思います。僕の世界の住民は少ない。そして、そんな名前の者はいなかった」
「けど、あなたからはチッチと同じ気配を感じるのよ。私の目は見えない。けどぼんやりした世界の中で、チッチの気配だけは見えるのよ。長いこと一緒にいたからだと思ってたけど、違うのかもしれないわね。あなたにも同じ気配を感じたから」
この地球とは違った世界から来た、妖精と呼ぶべき存在に共通する何かがあるのかな。
それを、視力を失った彼女は気配という形で見ることができる。
「あの。教えてもらえますか? あなたと、チッチという妖精のことを」
まだ肝心なことを聴けてなかったから、僕はそう切り出した。