辺都エルドライ・2
「やーっと見つけた! こんなところにいたら、また怒られるよ!?」
半透明の羽を生やした小さな妖精が、僕のそばにやってきた。
わかりやすく頬を膨らませて、いかにも「あたし怒ってます!」という顔をしている。
「ごめんニクス。困らせたかったわけじゃないんだ」
この小さな妖精は、お姉ちゃんがいつも呼び出している精霊だ。
色々と細かいことを手伝ってもらうためにいるんだけど、今は暇みたいで僕のところに遊びにきていた。
気まぐれな妖精はくるりと宙を舞うと、さっきまでの不満をすっかり忘れて、興味深そうに僕を覗き込んできた。
「それで何してるの?」
「静かなところで演奏の練習をしようと思って」
今は屋敷の裏にある庭園へとやってきていた。
庭園といっても、半分くらいは近くの丘と繋がってて、豊かな自然が広がっている。
ここなら誰にも見つからずに1人の時間を過ごせるから好きなんだ。
「ユーリは相変わらずここが好きよね」
「今は屋敷にお母さんがいるから、戻ってもどうせ怒られるだけだし」
「怒られるのが嫌なら、ちゃんと勉強すればいいのに」
ニクスがいってるのは、精霊使いの修行のことだ。
僕の家庭教師は今もニナお姉ちゃんだけだけど、最近は母さんが雇った精霊使いの教師もいる。
精霊を呼び出し、使役し、戦う訓練をするための授業だ。そんなもの、僕には必要ない。
お姉ちゃんの授業なら喜んで行くんだけど。
僕の心を読んだのか、ニクスがニシシっとイタズラっぽい笑みを浮かべた。
「ユーリはニナ様が好きだもんね」
「そ、そんなんじゃないよっ」
お姉ちゃんの授業はいつも面白くてためになるし無理矢理戦わせようとしないから……
「はいはい、青春だねえ?」
ニクスは僕の言い訳なんて聞いていなかった。
あれから2年が経ち、お姉ちゃんはますます綺麗になった。実は王家の血を継ぐ者だったと言われても信じるくらいには。
だから王都から求婚されることもあったみたいなんだけど、全部断っていた。僕のそばにいてくれるために。
もしかして、僕のために……、なんて妄想してしまう。
昔「いつかは夫婦になるかもね」なんて話していたことを思い出す。
あの時のことを思い出すと、全身がドキドキしてきてしまい、苦手だった。
「ユーリも才能はあるんだから、ちゃんと精霊使いの練習をすれば怒られることもないと思うのに」
「僕には、無理だよ……」
みんな僕に才能があるなんていってくれるけど、僕はそんなもの望んでいなかった。
精霊を呼んで、使役し、戦わせるなんて、想像もできない。
それよりも音楽の才能が欲しかった。あれから2年も経つのに、まったく上達しない。
「ユーリは間違いなく誰よりも才能があるよ。だって、私たち精霊と普通に話してるじゃない。普通はそんな人いないのに」
「そうなの?」
「見えるひとや、声が聞こえる人はいるよ。逆に、精霊に近すぎて精霊と同化してしまう人もいる。水の精霊に同化すれば本人も水になるし、炎の精霊になれば炎になるんだから」
想像したら怖くなって、思わずブルリと体が震えた。
「そのどれでもなく、まるで友人のように接するなんて、聴いたことない。だから一緒にいて楽しいんだけどね」
ニクスが耳元でささやく。
小さな吐息がくすぐったくて、思わず身震いしてしまった。
本当はもっと演奏の練習をしたかったけど、ニクスに見つかってしまったらもう難しいかもしれない。とにかく悪戯好きなんだ。ニナお姉ちゃんの言うことなら素直に聞くのに。
やっぱり僕には才能ないんじゃ。
家に戻ろうと思ったけど、今行くと見つかって怒られるかもしれない。
お母さんは厳格な人で、家を再興するんだといつも息巻いている。
かつて自分達は国を支配していた。祖母は素晴らしい人だった。あの栄光を取り戻すんだ。って。
他国の情勢がどうとか、王家の権力がどうとか、最近ではなんとかって宗教団体が精霊を奪ってあちこち暴れているとか、物騒な話ばかりをしている。
他人の精霊を奪い、自分の精霊にする。そうやって力を取り戻し、家を復興させるんだと。
お父さんもそのために戦い、そして死んじゃった。だからますます後には引けないみたいだった。家の再興を諦めたら、死んだあの人に申し訳ないって。
僕にも同じことを求めるんだけど、やりたがらないので気弱な性格だと叱りつける。怒鳴ったり、時には殴ったりした。
お母さんの拳は、その体格に似合わないくらい重くて痛い。
鉄の精霊がその体に宿っているからだ。
岩も砕くような拳で叩かれたら僕だって砕けてしまう。だからやめてとお願いすると、鉄の精霊は言うことを聞いてくれるけど、お母さんは聞いてくれないからいつも頬を殴られる。
もっとも、それは普通のパンチだからちょっと痛いくらいですむ。
そうしてから、お母さんはいつも僕を悔しそうに睨みつけるんだ。
「それだけの力があるのに、どうして……!」と。
後でお姉ちゃんに聞いたけど、他人の精霊を操るなんて普通はできないそうなんだ。
僕は操るつもりなんてなくて、痛いからやめてほしいとお願いしただけなんだけど。
きっとお母さんのような人にはわからないんだ。
精霊にだって感情はある。ちゃんとお願いすれば聞いてくれるってことを。
これも後で聞いたことだけど。お母さんには──ううん、普通の人には、精霊の声は聞こえるけど姿までは見えないそうなんだ。
お姉ちゃんも見えるけど、それでもうっすらと半透明なんだって。
僕のようにはっきりと見えて、会話までできるなんて聞いたことないって。
それだけユーリ君はすごいんだよ言われたけど、全然嬉しくない。
精霊を使役して戦うことは、友達に死ねと命令することだ。そんなことできるわけない。
それを聞いたニクスは、笑っていた。
「そんなことを言えるのは、ユーリだけだよ。本来のあたしたちは人々を襲うもの──悪霊なんだから」
「精霊が人を襲うって、冗談だよね……?」
尋ねたけど、どうかしらねー、などとうそぶきながら僕の周囲をくるくると飛び回る。やっぱり冗談だったみたいだ。
「でも、あたしたちは優しくなんかない。それは本当だよ。あたしたちは人間の思いが形になるだけだから」
「どういうこと?」
「ここの人たちが優しいから優しい姿をしているだけ。100年前に精霊使いが現れ、精霊を従える術を磨いてきた。だから人間は忘れてしまっただけ。あたしたちが本来どんな姿をしていたのかを──」
その時、突然地面が揺れた。
地震じゃない。まるで巨大なハンマーで殴られたかのようにドカンと地面が動いた。
気がつくと僕は地面ごと真横に吹っ飛び、地面の一部がめくれ上がって宙を飛んでいく。
驚いて目を向けた先にある光景を見て呆然としてしまう。
「なに、あれ……」
街のど真ん中に、山よりも巨大な氷の巨人が立ちはだかっていた。
禍々しい力で固められた氷の巨人。それはニクスや、お姉ちゃんが扱う精霊なんかとはまったく違っていた。
呼び出した人によって精霊の姿が変わると言うのなら、あれを呼び出した人はいったいどんな心を持っているんだろう。
驚き固まる僕の横で、ニクスが驚いた声を上げる。
「<神話に住む霜の巨人>!? 神の九文字を使役するなんて……!」
氷の巨人が棍棒を振り上げ、街に振り下ろす。
さっきの地震のような揺れが再び襲ってきた。
今度は飛ばされないようになんとか踏ん張ることができた。
だけど、その光景を見てまたしても動けなくなってしまった。
棍棒が振り下ろされた地面には大きな穴が開いていた。
そこにあったはずの家々は跡形もなくなっている。この時間は多くの人が集まっているはずで……
精霊……? あんなものが……?
その姿を見たら、嫌でも理解できてしまった。
相手を殺し、相手の精霊を奪う。そんな恐ろしいことが本当に起きていたんだと。
驚き固まる僕に向けて、真横から氷の槍が飛んできた。
<氷槍>。召喚した氷の精霊をそのまま相手に投げつける魔法。
気がついた時には、それが僕を直撃した。