辺都エルドライ・1
全10回、1時間ごとに投稿して、今日中に完結します。
追放された聖女が国に戻り、国王を倒した。
王は呪いの言葉を吐いて死んだ。
「貴様に渡すくらいなら私がこの国を滅ぼしてやる」
怨嗟の声は国を越えて世界中に響き、その日から世界には「悪霊」が現れるようになった。
それから100年。
世界には「精霊使い」があふれていた。
精霊は神の言葉から生まれた「神の使い」であり、多くの精霊を従える者は、多くの神の言葉を識る者とされた。
精霊使い達は言う。
すべての神の言葉を手に入れ、「神霊」を蘇らせた者が次の神になるのだと──
「かつてこの国は悪い王様が支配していたの。それを聖女様が倒したのよ」
ニナお姉ちゃんの語る声を聞きながら、僕はその横顔に見とれていた。
光を浴びる横顔は宝石のように輝き、その声はまるで歌うようで、そしてわずか15歳にして、世界中の誰よりも精霊に愛されている。
10歳になったばかりの僕でもわかる。
聖女様の血を引く人がいるとしたら、それはきっとお姉ちゃんだ。
僕なんかの家庭教師をしてるのが不思議なくらいだった。
「そのあと聖女様はどうしたの?」
「しばらくは国にいたみたいだけど、王の座を別の人に譲ると、次の国を救うために旅立ってしまったと言われてるわ」
「王様を他の人にあげてまで世界を救うなんて、さすが聖女様だ」
僕が感心していると、ニナお姉ちゃんがふんわりと微笑んだ。
「そうね。ユーリ君にはまだ王宮の権力争いは難しいわよね」
「どういうこと?」
「歴史は勝者が作るって意味よ」
やっぱりどういう意味なんだろう?
わからなくて首をひねると、お姉ちゃんはもう一度微笑んだ。
「ほら、勉強する手が止まってるわよ」
言われて僕は慌てて机に向き直る。
今は歴史の勉強中だった。
本当は勉強なんてしたくないんだけど、お母さんが無理矢理やらせるんだ。
お母さんが言うには、僕の家は、本当はこの国を支配する権利があるんだけど、今の王様が勝手に奪ったんだって。
地方都市の領主でしかない僕の家が本当は国を支配するだなんて、いくら僕が子供でも信じられない。
それに、もし仮にそれが本当だったとしても、僕は王様になりたいだなんて思わなかった。
何もないけど、静かで美しいこの街にいられれば、僕は十分なのに。
でもお姉ちゃんと話をするのは好きだ。
だからつい関係ないことを口にしてしまう。
「お姉ちゃん、今日はもう音楽はしないの?」
「ユーリ君は本当に勉強が嫌いなのね」
バレちゃった……
気まずくて俯いていると、クスッと笑う声が聞こえた。
「しょうがないなあ。だけどお母さんには内緒だからね? 今は誰もいないから、きっとサボってもバレないもんね」
「……うん!」
部屋の隅に置かれていた楽器を二つ持ち出す。
僕とお姉ちゃんはそれぞれ手に取った。
やがて静かな旋律が部屋を満たしていく。
それはとある神話を歌った曲。
神様が世界を作り、神様の言葉によって生まれた精霊が、世界を美しく彩っていく。
世界は神の言葉で綴られているという。
それを聞き取るのが「精霊使い」。
神の言葉によって生まれた「精霊」は、人間が神の言葉を知る唯一の方法なんだ。
そしてすべての精霊を従え、すべての神の言葉を知った時、新しい神様になれるんだって。
僕にはよくわからない。
だけど、もし世界の真理を綴る言葉があるのだとしたら、それは音楽だと思う。
お姉ちゃんの指が弦の上を滑らかに動く。
たった5つの弦から奏でられる無数の世界。
激しい川も、雄大な森も、平和の中で唄う人々も、音楽なら奏でられる。そこには世界の全てがある。
……僕はまだそこまでじゃないけど。
僕の拙い演奏を聞きながら、お姉ちゃんが演奏しながら微笑んだ。
「ユーリ君が神様になったら、きっと平和な世界を作るんだろうね」
「お姉ちゃんは違うの?」
ニナお姉ちゃんこそ美しくて平和な世界を作ってくれそうなのに。
お姉ちゃんの奏でる指が少しだけ乱れた。
「私は、ダメよ。もうそんなふうにこの世界を見れないから」
そう語るお姉ちゃんは、どこか悲しそうだった。そんな顔をしてほしくない。その思いだけで、楽器を弾く指を動かした。
「ふふ、ありがとう。やっぱりユーリ君は優しいね。私なんかよりも、ずっと……」
お姉ちゃんはどうして僕なんかの家庭教師をしてくれるんだろう。
そう聞いたら、一度だけ答えてくれたことがある。
君のお母さんはね、いつかは私たちに、夫婦になってほしいって思ってるの。
でもその意味はよくわからなかった。それって、今と何が違うの?
お姉ちゃんは小さく微笑んで僕の頭を撫でるだけだった。
将来のことなんて僕にはわからないけど、お姉ちゃんが微笑んでくれるなら僕にはそれで十分だった。
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