48.リリアとアニエス
アニエスの辛さはよくわかる。実は違ったと言ってあげるか、逆に決定的な証拠を渡せれば、彼女の気は晴れるだろう。けど、リリアにはそれができない。
「わたし、お母さんと話したいです。悪いことしたなら、ちゃんと罪を償ってほしい。それから、ジャンとの結婚を認めてほしいって」
「気持ちはわかります。けど、おすすめしません。私はユレーヌさんという方にお会いしたことはありません。けど話を聞く限りは、人に言われて自分の意見を変える方とは思えません。もちろん、私なんかよりもアニエスさんの方がわかってらっしゃるでしょうけど」
「……はい。リリアさんの言うとおりです。昔から頑固で。特に、わたしの言うことは聞こうとしませんでした。父や兄の言うことは聞くのに」
そう語るアニエスは、とても寂しそうで。
「鍛冶の仕事がしたい。手伝いたいって言った時が、一番怒られたな。女がする仕事じゃないって、すごい剣幕で怒鳴られて」
「ジャンさんは、そんなアニエスさんに鍛冶を教えてくれるのですよね」
「うん。だから好きになった……わけじゃないですけど。ジャンのこと、全部好きなんです。きっと、鍛冶ができなくても、わたしはジャンが好き」
アニエスは、ちらりと工房の方に目をやった。壁があるからジャンの姿は見えない。けど、その視線は温かなもの。
「ジャンなら、この辛さも乗り越えてくれますよね」
「ええ。もちろんです」
「レオンくんは、本当にお母さんに罪を償わせてくれるんですか?」
「……はい!」
それはきっと、暴力によるものだろう。そうしないとジャニドの霊は満足しない。
けど同時に、彼女はアニエスの肉親でもあるわけで。
「ちなみにアニエスさんは、お母様のことは嫌いなのですか?」
「んー。どうなんでしょうね。好きではないです。小さい頃から押さえつけられてばかりで。でも、殺したいほど憎いかと言えば……わからないです。母親なので」
「そうですよね」
アニエスは善良だから。
レオンが帰ってきたら、少しだけ手加減するようお願いするべきだろうか。
その先を考える前に、家の戸を叩く音が聞こえた。
まさかユレーヌが来たとかだろうか。
リリアが警戒すべきは毒をいつの間にか家に入れられることだけではない。彼女が実力行使でアニエスを連れ帰る可能性もあるから、その警戒もある。
特に、アニエスは本格的にジャンの家に住み着くつもりになってるし、家に帰ってないようだから。そういうことを許す母親ではなさそうだ。
こういう時は、リリアが応対に出て追い返すべきなのだけど。
「ごめんください! ヴィオバル家のヘクトルです!」
違ったようだ。良かった。でも、やっぱり自分が応対した方がいいかな。
「待ってください! 男の子同士で話させてあげましょう。ジャンもそのつもりですし」
アニエスに止められた。
「確かに! その通りですね! では私たちはお茶を淹れてあげましょう!」
「はい! リリアさんは、お料理とかお茶とか得意なんですか?」
「はい! 家事全般が得意ですよ! なんでもできます!」
「そうですか! じゃあ、お手並み拝見しちゃおうかな」
「任せてください!」
お茶もちゃんと持ってきている。お湯を沸かして手際よく、しかし丁寧に用意する。
それから、ジャンとヘクトルの会話を盗み聞きさせてもらおう。
「お茶どうぞー」
テーブルまで持っていくのはアニエスの仕事だった。受け取ったヘクトルは、恐縮したように頭を下げる。
彼の姿をリリアは初めて目にする。
なるほど、立派な体格をした逞しそうな男性だ。顔つきもがっしりしている。腕力は強そうだ。
一方で、性格は控え目に見える。アニエスへの態度もそうだ。彼は爵位を持つ家の嫡男。将来的には男爵になる者だ。
そういう人間は、立場にふさわしい威厳を持つもの。
庶民や使用人に大して横柄に接しろというわけではない。そういう人間もいるけれど、それはそれで立場のなせる技。
堂々として、出されたお茶も優雅に受け取る。そういう態度が貴人には求められる。
ヘクトルには、まだ身についていないようだけど。目の前の体格のいい男や、お茶を出してくれた美人にビクビクしているようだった。
ジャンとそう体格は変わらないのに
もっとも、礼儀が身についていて庶民に対しても尊大にならない所は美点だ。
威張り散らす無礼な貴族は、結局は敵を作ってしまうもの。なにかあれば、使用人からも見捨てられてしまう。
ヘクトルにその心配はない。あとは度胸を身に付けていけば、一端の貴族にはなれるか。
「緊張するな。ここには怖い両親はいない」
「いえ……怖いわけではないです」
「そうか?」
「親ですので」
テーブルを挟んでジャンと向かい合って座るヘクトルは、眼の前にいるジャンに身を引いているように見えた。けれど自分が思っているのとは違うことを言うジャンには言い返す。
「親ですので、怖いとかは思いません」
親か。アニエスもさっき、娘のためならば娘を悲しませるような人殺しも厭わない母を、憎いかどうかわからないと言った。肉親だから。
「親というのは大きいですね。けど、言い返すこともあります。残念ながら僕は人生経験が少ないので、両親には理屈で言い返され、返事に窮するばかりです」
それが、ヘクトルが両親に従っている理由。
案外、強かな子なのかもしれなかった。




