38.私の名前はまだ有効
「騒ぐなよ。面倒だから!」
即座にレオンが男に肉薄して、股間を蹴り上げた。また悲鳴が上がって、彼は地面を転げまわった。
弓で射られた時より痛がってるように見える。
「ルイ、こいつの口を塞げ。唾液はちゃんと拭くんだぞ。口に入れるな。実の成分が含まれてるかもしれない」
「言われなくてもわかってるわよ! てか、知らない男の唾なんか飲まないから!」
レオンが男の顔面を殴って黙らせながら男を森の中に引きずり込む。私もこいつの足を掴んで手伝った。ユーファは、抵抗しようと振り回される男の腕にナイフを当てて切り傷を作っていた。
「あだっ!?」
「動かないで。動いたら、殺しちゃうかもしれない」
「あまり傷をつけるなよ。服を汚したくない」
「じゃあ……」
レオンの指摘に、ユーファは方針を変えたようだ。服を纏っていない彼の額にナイフを振って、切り傷を刻んだ。
「ユーファちゃん。怯えてるから、そこまでにしましょうか」
「うん」
「お兄さん。たしかドープアド家の次男でしょ。ごめんなさいね。私、あなたを黙らせるために口を塞がないといけないのだけど、本当はしたくないのよ。あなたが静かにしてたらお互いに楽なんだけど、どうする?」
「な、なんで俺の名を……」
「おい。静かにするかどうか聞いてるんだ。返事は?」
「す、する! するから!」
レオンがナイフを手に尋ねると、ドープアドの次男は快く頷いてくれた。
「お前、領地の人間の顔みんな覚えてるのか? 名字持ちとはいえ下級役人の息子だぞ?」
「なんか見覚えがあったから、今まで頑張って思い出そうとしてたのよ。役人を全員覚えてるわけじゃないけど、たまたま知ってたの」
「お前、何者だ……」
ドープアドは、ナイフを持ったレオンに怯えた視線を送りつつ、私を気にしているようだった。なんで名前を知っているのか気にしてるのだろう。
正体をバラすのはリスクだけど、相手を揺さぶるのはひとつの手かな。
というか、眼帯って意外に効果あるんだな。
私は髪を解いて眼帯を外し、未だ地面に倒れた状態のドープアドを見下ろした。
私にとっては数ある下級役人のひとりの息子でも、彼にとっては公爵令嬢のひとり。顔は知られている。
「ルチアーナ様!? いつの間に髪をお切りになられたのですか!?」
「なんでよ! そんなに似てるかしら!? 妹の方! ルイーザよ!」
「ルイーザ様!? ……確かに、胸元が」
「レオン。こいつの舌を切り落として」
「後でな」
「お、お許しくださいルイーザ様!」
私の胸を見て無礼なことを言ったドープアドは、我に返って顔を青ざめた。手足の傷など意識から吹き飛ぶくらいの恐怖を感じているようだ。
生きた心地がしないとか、そんな感覚だな。手足に意識を向ける余裕などない。
貴人に無礼を働くとは、そういうことだ。世が世なら、即刻打首なんかもありえる。
まあ、私はそんな無礼を衆人環視の状況で王子にやってのけたのだけど。
あとこのクソガキも、私が公爵令嬢と知った後も生意気なクソガキでい続けたのだけど。
「ルイーザ、おもしろい」
「ええ。ありがとうユーファちゃん。女性が真剣に喋ってる時に、おもしろいって言うのはマナー的に良くないのよ」
「うん。でも、わたしも女」
「そうだけど!」
こいつも大概無礼だよな。村の少女はこんなものかもしれないけど。そうよね。私は今、そういう奴らに囲まれ、そういう奴らに合わせた振る舞いをする人間なのよね。
けど今だけは、この役人の息子の手前、令嬢っぽく振る舞わないといけない。
「ドープアドの次男。あなたの非礼を許してあげるわ。その代わり、おとなしくしなさい。ひとつだけ教えて。あなたと一緒にセレムの実を乾かしているのは、何人?」
「それは……」
「教えなさい。じゃないとあなたは、本当に舌を引き抜かれる」
「さ、三人です! あそこの方向に、あと三人いる!」
つまり、さっき見たのが全員か。
「ありがとう。じゃあ……」
本来はレオンの作戦なわけで。必要っぽいことは聞けたけど、そこからどうするかはレオン任せにするしかなかった。
「服を寄越せ。自分では脱げなさそうだから、切り裂くぞ。騒ぐなよ。それから、お前のやってることは立派な犯罪だ。世間に知られたら、お前は間違いなく死ぬ」
死を警告しながら、レオンはナイフを持ってドープアドの首に沿わせた。世間ではなく、謎のクソガキに殺される恐怖を彼は感じたことだろう。
いずれにせよ、彼は協力的になった。
レオンはドープアドの衣服を素早く切り裂き、上着を脱がせた。それの裾をさらに切り裂いて細長くして、彼を木に縛り付けた上に口を塞いで叫べなくした。
そして、私たちの口元を塞ぐマスクを作った。そうだった。これが本来の目的だった。
もちろん、敵の数を事前に減らす意味もあったけど。
私たちは、すぐさま生成施設に戻った。
仲間のひとりが痛い目に遭ってることなど知らずに、彼らはセレムの匂いでハイになりながら作業を続けていた。
素行のあまり良くない集団だと思うのだけど、意外にも仕事はちゃんとこなしている。
半分以上は、セレムの実の作用もあるのだろうな。つまり彼らは、死んだ労働者と似たような目に遭わされていると言える。
悪に加担しているのだから、同情するわけにはいかないけど。
「ユーファ、足じゃなくて、手を狙え。逃亡しそうなら足も射抜け。たぶん、そうはならないけど」
「うん」
木の陰に隠れながら指示を出されたユーファは、なんの躊躇いもなく人間に弓を引いた。




