36.なんて物騒な聖職者
「誰かに言われたわけでもなく、植物が自力で種を増やす戦略を身に付けた。生命の神秘だ。生者もなかなかおもしろい」
「木を生者扱いしないで! それより、大変なこと言ってない?」
「下手をすれば、労働者数百人全員がセレムの依存症になる。この仕事を運良く生き残れても、そこで食べたパンの味は忘れられない。危険で辛い仕事の中でも、パンの味は格別だったと記憶に刷り込まれる」
「ええ。そのパンが全部悪いってことは知らないままね」
「すると彼らはパンを求めるけど、欲しいものは手に入らない」
「公爵令嬢が振る舞ってくれた、珍しい何かとしか思わないでしょうね」
「パンへの欲求をなんとか抑えて、そういうこともあったと思い出を胸に一生過ごすなら、まあいいんだけどな」
「そうならない人が出るって言いたいみたいね」
「公爵領に乗り込んで、令嬢から聞き出そうとする奴が大勢出るだろうな」
「大変ね……」
私の実家に屈強な労働者たちが大挙して押し寄せた結果、彼らが困惑することに同情はない。
けどそんなとをすれば、労働者たちは間違いなく罪に問われる。彼らや彼らの人生が壊れることには同意できない。
「ど、どうしましょう。誰かに告発をして止めてもらうとか」
「誰にだよ。この村に、公爵令嬢以上に偉い人間はいない。そもそも、公爵令嬢が悪事を働いてる証拠もない」
たしかに。
いたとすればネドルだけど、どう考えても姉と共謀しているし、告発は無意味だろうな。
村人や労働者に本当のことを話して、作業放棄かいっそのこと暴動を起こしてもらう手はあるけど、現実的ではないな。
私は正体不明の村娘。レオンは教会の信頼は得ているけど、公爵令嬢とどっちが偉いかを考えると負ける。
そして騒ぎが起これば先導した私たちに注目が行くし、公爵家に見つかるだろうし最悪の場合罪に問われる。そこまでしても、正直なところ姉を再起不能なまで痛めつけられるとは思わない。
暴徒に殺されても困るし。
あと、そんなことになったらレオンの性質も世間に知られてしまう。だからレオンは、この手段を取らない。
「じゃあ、どうすれば」
「まずは敵の悪巧みの詳細を知ろう」
そんな話をしながら、一軒の建物の前で立ち止まった。
個人の邸宅ではない。それよりも少し立派で、中に広い空間を作れるようになっているそれは。
「集会場ね」
「そう。村の意思決定の場」
なにかあれば村人が集まって話し合う場所。
今は、姉さんたちはじめとした開発の責任者が合議を行う場所なんだろう。昨夜、姉さんが怒りながら帰ってきたのは、ここからだったのだろうな。
そして今は、中から女性の声が聞こえてきた。それも複数人の。
窓から中を覗くと、村の奥様たちと思われる女性が並んだ机の前に立ち、パン生地をこねていた。
明るく談笑しながらの作業で、楽しそうだ。多くの来訪者のおかげで村が潤い、こうやって手伝いの労働をするのにも金が出ているのだろうな。
「姉さんの姿はある?」
「見当たらないな」
すると、肩を触られた。
「ん? ユーファちゃんどうしたの?」
肩を突いたユーファは、ある一点を指差した。普通に話しかけてほしいのだけど。
とにかくユーファの指の先に、姉さんがいた。
集会できる広い部屋ではなく、そこから行き来できる簡易的なキッチンの中にちらりと姿が見えた。
ここからでは観察しにくいから、少し移動する。
姉は開いた勝手口から、何者かから袋を受け取っていた。中身はわからない。さらに、姉は後ろ姿しか見えない。
どんな表情をしているのかな。振り返った彼女は、村の女性たちと接する用の笑みを顔に貼り付けていた。正直似合わない。無理に笑っているようだ。
袋の中身は白い粉末。小麦粉よりはサラサラとしているそれを、大きな袋に入った小麦粉に流し込んで混ぜ合わせる。
謎の粉末と混ざった小麦粉は、これからパン生地になってこねられて、焼かれて労働者たちの昼食か明日の朝食になるのだろう。
あの粉末は。
「ユーファ、どう思う?」
「……」
無言で、首を横に振った。
「セレムの実の粉末の実物は見たことがない? それに、遠目で白い粉を見せられても判断はできない?」
頷き。
「わかった。追いかけよう」
「誰を?」
「ルチアーナに粉を渡したあいつ」
「ええそうね。追いかけてどうするの?」
「殴り倒す」
「物騒ね」
暴力の有効性を遠慮なく説く、なんて恐ろしい聖職者だ。
けど、重要なことだよな。
あの粉がセレム粉末なのは間違いない。食べた労働者が元気になってるのも、扱っている女性たちが明るげに談笑しているのも、そういうことだ。
摂取しなくても、混ぜられた生地に触れているだけで多少の効果はあるのかも。匂いとかもするだろうし。
それを確認し悪人が悪人と判明すれば、暴力によって闇に葬る。
なんて単純で野蛮で、頼れる方法だろう。
集会場を出た人物の後を追う。村の、建物が疎らな場所だから隠れながら追うのは少し苦労した。
若い男性で、村人にしては上等すぎる服を着ていた。




