第20話 見分けはつきません
マリナレッタさんに助けを求めさせてから、またしばらく経ちました。
スラットリー男爵領とは距離がありますから、現代日本人にとっては信じられないくらいのタイムラグはあるのですけど、とにかく調査は順調に進んでいるという旨の報告が定期的に入っているそうです。
いつものようにカフェでエメリナ・ガーデンを眺めながら刺繍をします。もう少しで終わるのだけど、何か足りない気がして手が進みません。
情報通の友人のひとりが私の視線の先を追って「そういえば」と口を開きます。
「ガーデンは利用者が多くて拡張したんだそうですよ」
「そうなの?」
「大事な出会いの場ですものねぇーホホ」
そう笑う彼女を、他の友人たちが「貴女は婚約者がいるからって!」と窘めました。動機はどうあれ、お花を大切にしてくれるなら私は嬉しい。きっとマリナレッタさんも同じ気持ちだろうと思います。
花育ってそういうものですよね。前世で児童に花壇の手入れをさせたのも授業の一環ですから、ほぼ強制でした。でも自分の手で植えた種が芽を出し、いつか花を咲かせる頃にはみんな綺麗だと言って笑顔になる。咲いたよって教室に飛び込んでくるときの顔、大好きでした。
テラスを通り抜ける風が気持ちよくて空を見上げます。
「だいぶ暑くなってきたわね」
「ええ。夏ってイヤだわ。でも皆さん、夏休みの帰省の準備にパーティーのお相手探しにと大忙しですわね」
婚約者のいる友人がそう言って、また他の子に叱られていました。
青い空に広がる白い雲。木々の緑のどこかからは「ジー」と蝉が鳴いています。この国では蝉の数が多くないみたい。個体数という意味でも、種類という意味でも。聞こえてくる鳴き声はいつも一緒なんだもの。
ああ、そう言えば熱中症予防につばの広い帽子を用意してあげた方がいいかしら、ガーデンで作業をするなら必要ですよね。
そんな風にぼんやりと考え事をしていると、ふいに目の前でパタパタと手が振られました。驚いて顔を向けた先にはアーサー様が。スミレ色の瞳は心配そうにこちらを見つめています。
「あ、ごめんなさい。ぼーっとしてました」
「珍しいね、考え事かな?」
「大したことではないです……けど……あら?」
立ち上がって振り返ると、アーサー様の背後には三人の男女がいました。マリナレッタさんと伯爵令息ズです。双子が並んで立つのを初めて見ましたが、よく似ています。マリナレッタさん、本当に見分けがついてるのかしら。
伯爵令息ズはふたり全く同じ呼吸で紳士の礼を、マリナレッタさんはたどたどしい様子で淑女の礼をとりました。うん、淑女教育はそれなりの成果を見せているようですね!
アーサー様は当然のことのように私に手を差し出します。私は私でパブロフの犬のごとくその手に左手を載せましたが、思考としては疑問符がずっと並んでいる状態。一体何が始まるんです?
「夏休みの予定を立てようと思う。いいかな」
「ええ、はい」
友人たちは全員が立ち上がって、どうぞどうぞと私たちが出るスペースを確保しました。みんなの間を抜けてカフェを出て、向かった先は図書館でした。チラっとこちらに視線をやるだけの司書の先生に会釈をして、奥の会議スペースへ。
えと、長方形のテーブルで向かい合う長辺に三人とふたりで座っています。それは自然と言えば自然な流れだと思います。ただ、私とアーサー様が並ぶ逆側では伯爵令息ズがマリナレッタさんを挟んで並んでるんですけど。この光景ちょっと面白いけどハラハラしますね。どちらが医務室の彼なのかしら。
内心でわくわくする私に構わず、アーサー様がよく通る声で宣言なさいました。
「この夏はダンス合宿を行う!」
「はい?」
びっくりした! 王族っぽくどこかの避暑地の名でも挙げるかと思ったのに。それよりダンス合宿ってなんですか、え、ほんとによくわからない。
首を傾げた私にアーサー様が片目をつぶって見せました。
「スラットリー男爵令嬢はダンスが苦手だそうだよ」
「やりましょう」
夏休みを終えたらそう間をおかず聖トムスンデーが来ます。
先ほどの淑女の礼を見る限り、確かにダンスは重点的に練習したほうが良さそう。伯爵令息ズが彼女を壁の花にはしておかないでしょうしね。原作なら、ヒーローパワーで「俺に任せれば大丈夫さ! キラーン」みたいな感じでうまくいくのですけど。
マリナレッタさんは嬉しそうな、でも少し困ったような表情を浮かべました。
「休暇中も寮に残って勉強するようにとお義母様から言われたので、領地には戻れないという話をしていたら、カッザルさまが提案してくださって」
カッザル、誰。と思ったら向かって右側の伯爵令息が誇らしげに頷きました。なるほど貴方がカッザルね。
「だけど女性パートを教えることができないから、エメリナさまをお誘いしたらどうかとレッフリードさまが」
レッフリードは貴様かと向かって左手側を見ると、やはり誇らしげに頷く伯爵令息の姿が。うーん、私にはやっぱり見分けがつきませんので、覚えなくていいことにしました。
双子に混乱させられていることなど微塵も感じさせない公爵令嬢スマイルを浮かべて首肯します。
「私も領地へ戻る予定はなかったから構わないわ」
「で、エメリナの相手を務められるのは俺だけだと言って、無理を言って参加させてもらうことにしたよ」
アーサー様の言葉に向かい側の三人が慌てて否定します。ふふ、どれだけ否定しようと、王族が「俺も」と言ってしまえば命令の香りが付きまといますからね。無理を言って、と言いたくなるのもわかります。
「でも私のほかにちゃんとした先生や伴奏者も必要ですわ。そちらはアーサー様が手配してくださいますか? それともこちらで――」
「うん、俺が探しておくよ」
はい。無理を言った人に仕事を押し付けたのでこれで丸くおさまったことにしましょう!




