第15話 大事なことを忘れていました
またどれだけの日数が経過したでしょうか。エメリナ・ガーデンは連日の盛況を見せ、貴族やブルジョアジーの令息令嬢の間ではお花を育てるのがブームになっています。
カフェのテラス席からも遠くにエメリナ・ガーデンの様子が見えました。私は刺繍をしながらそれを眺めます。アーサー様が自分のハンカチに刺繍しろって言ってましたからね。
「エメリナ様のおかげで、わたくしたちにも新しい趣味ができましたわ」
一緒に刺繍をしていた友人たちのひとりがそう言いました。私のおかげではないんですけども、何度違うと言っても変わらないので最近では諦めて言わせておくようにしました。
「スラットリーさんのおかげで、育て方を間違えることもないし」
「共同作業って言うのでしょうか、お花を介して婚約の決まった方もいるのだとか」
それは知りませんでした。まさか出会いの場になっていたとは。街コンならぬ花畑コン……?
でも、マリナレッタさんにもお友達ができたようで何よりです。もうひとりで寂しくお花と戯れることもありませんね。
え、それでいいんでしたっけ? 駄目では?
学院におけるマリナレッタさんはひとりぼっちで、アーサー様と出会い、彼を通して幾人かの友人を得るという流れだったのでは?
密かに焦る私に気づくことなく、友人たちは好きなようにお喋りを続けます。誰と誰が婚約したとか、誰それが三角関係らしいとか。あーそんなお話も気になりますけど!
「それで聖トムスンデーのパーティーまでにお相手を見つけたいって、ガーデンに皆さん駆け込んでいて」
「エメリナ様はもちろん殿下と参加されるのでしょう?」
「そ、そうね。ええ、たぶん」
聖トムスンデーとは秋の真ん中の一大イベント、聖人トムスンの生まれた日です。当学院は彼の名を冠していますから、全生徒、全教師がそれを祝って毎年パーティーを執り行います。
いわゆる社交の練習ですね。普通、入学直前にデビューを迎え、以降はそれぞれの家の都合で社交の場に顔を出すようになります。と言っても学院に在籍するうちは寮住まいですから、滅多にそんな機会はありません。ですから毎年のパーティーで経験を積むというわけです。
原作通りであれば、私はそのパーティーでアーサー様のエスコートを受けられず、別々に入場します。そして彼はマリナレッタさんに想いを伝え、婚約破棄へと繋がるはずなのです。原作通りなら。
最近の流れは原作とかけ離れていて、ちょっと自信がないのですけど。でも以前マリナレッタさんはアーサー様に憧れてるって言ってましたし、彼もそれを喜んでいたようですから大丈夫だと信じたいです。
歯がゆいような寂しいような嬉しいような、自分でも扱いに困るよくわからない感情を針にのせてチクチクと刺していきます。
「でも、夏休みを挟みますでしょう? 両親は秋からしばらくは休学させると言っていて、パーティーには出られないかも」
「あら! わたくしもですわ。王都周辺は特に、デモ集会の頻度も上がってますものね」
友人たちがそれぞれに頷き合いました。
日ごとに治安が悪化しているのは確かです。反王妃派の勢いが少しずつ拡大しているみたい。
遠方に領地を持つ家なら確かに、娘や息子を王都へ戻したくはないでしょうね。
原作通りであれば、アーサー様がマリナレッタさんの話を基にスラットリー男爵家の問題を探らせ、それがこう、イイ感じにいろいろあってヘリン公国との軋轢が解消します。そうすると反王妃派の連中も抑えられて……。
ロマンス小説ですからね、ダイナミックなストーリーも必須です。
「あら?」
ふと心に湧いた小さな疑問に、声がこぼれ落ちてしまいました。
刺繍を刺す手も止まって、友人たちが不思議そうにこちらを見ます。
アーサー様とマリナレッタさん、そこまで踏み込んだ内容の会話してるでしょうか。花祭りと言い、お月見と言い、ふたりが仲良くなるイベントシーンをことごとく邪魔してしまいましたけど。
さーっと血の気が引いていきます。
やばいのでは? やばいのでは? アーサー様がスラットリー男爵家について調べなかったら、戦争が始まってしまうのではっ?
なんてこと、なんてこと!
お二人の仲が相思相愛になると信じて疑わなかったというか、今も信じてるんですけど、時間的な制限があることを失念してました!
「ちょ、ちょっと用事を思い出したわ。ごめんなさい、失礼するわね!」
勢いよく席を立って、カフェを出ました。まずはアーサー様にお会いしなくちゃ。
校舎内を歩き回っていると、いつだったかアーサー様と一緒にいた伯爵令息の姿がありました。
アーサー様の行方についてお尋ねして、言われた通り庭へと向かいます。
薔薇はまだ多くの種類が今を盛りと咲いていて、甘い香りが辺りに漂っていました。水音に誘われるように噴水の方へ向かうと、途切れ途切れに男女の声が。
「……王太子殿下のおかげです」
「はは、俺は何も……」
アーサー様とマリナレッタさんの声でした。
彼を探しに来たのだから別に隠れる必要なんてないのに、つい足音を忍ばせてしまいます。胸が、いえ、胃が痛い。
ちゃんと仲を深めているのだから、私が心配する必要はないのかもしれません。この場からすぐにも逃げ出したいし、部屋に戻ってしまおうかなって、そう思いました。
だけどもし戦争なんてことになったら、私は今この瞬間の判断を悔やんでも悔やみきれなくなります。
拳を握って、唇を噛んで。一歩を踏み出さないと!
決心して顔を上げたら、アーサー様がいました。
「こんなところで、どうしたの?」
「あ、の、ごめんなさい。えっと、用事があって。その、聞き耳立てたりはしていませんので」
おろおろする私に、アーサー様が小さく溜め息をつきました。