第10話 デモ行進だそうです
王家のものにしては控えめな、いえ、王家所有のものであることを隠した外装の馬車が学院の門を出ました。
向かいに座るアーサー様はふんわりと微笑んでいらして、何を考えているのかよくわかりません。なんだか気まずいというか居心地が悪くて、窓の外を見つめて彼の視線から逃げています。
「それ」
「ひゃいっ」
突然声を掛けられて、スプリングの入った座り心地抜群の座席からリンゴ一個分くらい飛び上がりました。アーサー様の視線は、脇に置いた私の手荷物に向けられています。
布で包まれた荷物の中身は、先日お借りした図書館の本です。「借り物の書籍」を馬車の荷物置きに置くのがなんとなく忍びなくて、こうして持ち込んでいるわけです。
「それ、何の本?」
「えっ? あー、その、他国の文化について触れたものです」
「あとは?」
「他国の……女性にひらかれた職業について論じた本を」
「ふふ、本当に嘘を吐かないんだね君は。ちなみに、どこの国?」
アーサー様は意地悪な笑みを浮かべています。なんでしょう、なんだか尋問されているような気分!
布を開いて中の本をアーサー様に見えるよう並べました。
そこには我がヴァルミレー王国やヘリン公国より南に広がる共和国の名が。
「こちらです」
「そこが予言書による追放先だったというわけだね。うん、確かに情勢を鑑みても妥当な差配か」
わぁ凄い、お見通し!
原作で婚約破棄された悪役令嬢のその後についてはほとんど触れられていません。ただ南へ追放されたとだけ記載されていて、南なら恐らくここだろうと。
とはいえどういったものが特産品となっているのか、どのような宗教を信仰しているのか、輸出入の状況は……など外交に必要な知識なら多少はあるのですけど、いざ住むとなるとわからないことばかり。
もし追放に至った場合には、この書籍の内容だけが頼りになります。うう、頼むぞ……。
「しかし俺がエメリナを……そんなはずは……」
アーサー様はぶつぶつ言っていますが、マリナレッタさんとの仲がもっと深まればノリノリで婚約破棄なさるんです。私は知っています。こうビシっとエメリナを指差して「エメリナ・ヤ・ワイゼンバウム! 貴様は公爵令嬢でありながら――」って長々と講釈を垂れるんですよ。
それがかっこよく思えたのも前世のこと。もし今、実際にアーサー様からそのようなことを言われたらと思うと悲しくて胸が張り裂けそう! どうせなら張り裂けそうなくらいのおっぱいが欲しかった!
私が本を包みなおしていると、馬車が大きく前方へと傾きました。急に停車しようとしたようです。慣性の法則に従って私の体が投げ出されようとしたとき、アーサー様がそれを支えてくださいました。優しくも力強い腕が私を抱え、そっともとの席へと戻してくれます。
窓の外では、並走するフットマンたちが前方へと駆けていくのが見えました。従者は少ないですが精鋭ぞろい。彼らの慌てる様子に少々不安が生じます。
アーサー様は御者席との間の小窓を開け、御者へ問いかけました。
「どうした」
「複数人が飛び出し、走行を妨害し始めました。どうも、デモが横切るつもりみたいですね」
「わかった。怪我人を出さないよう言っておいてくれ」
民を無理に排除しないように、という意味でしょう。
外のざわめきを聞くともなしに聞いていると、そのうちデモ行進と思しき声が聞こえてきました。内容は酷いもので、売国王妃とその息子アーサー様への憎悪に、何も手を講じない国王への憤怒。
考えの異なる者同士で喧嘩に発展したり、この騒ぎに乗じて悪さを企む者もいるようです。聞こえてくる罵声や悲鳴は酷くなるばかり。
原作では、日に日に王妃様へのヘイトが増してこういったデモが行われるようになったということも、もちろん記載されています。けれど、ヒロインのマリナレッタはそれを見ておらず詳細までは描写されなかった。ここまで凄惨なものだなんて、私は知らなかった。
この馬車にアーサー様が乗っていると知れたらどうなってしまうのでしょう。
そう思ったら怖くて怖くて、カーテンをひいて両腕で自分の身をかき抱きました。そうでもしないと、震えてしまいそうで。アーサー様の身に何かあったらって、考えたら私……!
私の体が左側に傾いて、アーサー様が隣にお座りになったことに気づきました。
「怖い? 君のことは俺が守るから、安心して」
肩にまわされた手がすごく温かい。抱き寄せてもらっているのに、私はアーサー様がどこにも行かないようにと彼の手に自分の手を重ねました。
「いえ、私は自分の身を案じているのではなくて……」
「と言うと?」
「貴方に何かあったらどうしようって」
アーサー様はさらに左腕も使って私を抱き締めました。耳元で「大丈夫だから」と囁いてくれます。私の耳、溶けてしまわないかしら。そっちの意味で大丈夫ではない気がしますけど。
「私こそ、アーサー様のことお守りしたいと――」
「駄目だ」
私が言い終える前に発された彼の言葉は、大きくて鋭くて、思わず顔を上げてしまうくらい。間近に見えた彼の瞳は少しだけ、怒っているようでした。
「アーサー様……?」
「ん、ごめん。でも君は守られるべき人だから。俺を守ろうなんて想像することも、冗談で言うのも、やめてほしい」
切実なその声に、私は引っ掛かりを覚えました。何か忘れている気がするのです。