教養授業2限目。アメリカについての考察と質疑応答。
翌週の月曜日の3限目の授業が終わった。短い休憩時間の後、
鈴音先生が教室に入って来た。4限目、今週の教養授業の始まりである。
実は先週の水曜日、くじによる席替えが行われたのだが、
おれは教壇から向かって右の窓際、しかも後ろから3列目という、
非常にグッドなポジションの確保に成功していた。
いや、すぐ後ろに岡本章と、前の席にに山本権兵衛が居ると
言う事態を除いてだが…。
クラスがある程度なじむまでは、男子は男子、女子は女子で
席が分けられるそうだ。いずれ解消されるとは言え、かなり残念だ。
前後右がむさい野郎共では、捗るものも捗らんではないか…。
この学校は男女ともに制服だが、女子の制服が可愛い事では
都内でも有名である。くそ~、今暫くの我慢だな…。
起立!礼!
今日も鈴音先生の透き通った優しい声が響く。
「それでは今週の教養授業を始めます。先週お話した通り、
今週はアメリカについて考察してみたいと思います。
現在世界を支配しているのは、アメリカである事に異論のある人は
少ないでしょう。何故アメリカがあの様な覇権国になれたのかは、
色々議論のある所ですが、私の想うアメリカは、
長所と短所の非常にはっきりしている、
良い意味でも悪い意味でも分かりやすい国だと思います。
人間と同じで、それぞれの国には長所もあれば短所もあります。
長所のそれが短所を上回っていないと、中々強い国にはなれません。
アメリカが覇権国になれたのは、やはり長所が短所を上回っていたから
だと思います。
アメリカの長所…
例えば半導体大手のインテルやOSで有名なマイクロソフトは、
設立当時は本当に小さな会社でした。
世界で初めて半導体による小型演算装置…いわゆるマイクロコンピュータを
作ったインテル、そしてパソコンの基本OS…オペレーションシステムとなる
MS DOSを作ったマイクロソフト、この2社は、その製品が
IBMのパソコンに採用される事によって大きく成長出来た訳です。
この2社の製品は、パソコンの基幹をなす非常に重要なパーツであり、
日本の大手企業だったら、アイデアだけ頂戴して、自社で設計するとか、
あるいはまだ小さいインテルやマイクロソフトに敵対的な
買収を仕掛けるとか、この両社の基幹を担っている技術者を引き抜くとか、
そういう事をしのではないかという気がします。
けれどIBMはそれをしませんでした。
他人の優れたアイデアを尊重し、それによって起業するベンチャー精神に
敬意を払う文化が、当時のIBMにはあったからです。
1990年代初め、IBMが創業以来最悪の巨額な赤字に苦しんでいた頃、
インテルもマイクロソフトも巨額の利益を上げる様になっていました。
日本だったら社内で、【なんでインテルとマイクロソフトを
買収しなかったんだ!】と、担当責任者は叩かれていた事でしょう。
それでもIBMは恩着けがましい事は一言も言わず、
この両社の成功を祝福していたそうです。
こういうベンチャーの起業精神を尊重し、
それに敬意を払う文化は、アメリカの持つ大きな長所です。
日本の大手だと、やれ実績がないとか、信用がないからとか言って、
ベンチャー企業をないがしろにする会社が多いのは、非常に残念な事です。
実績や信用なんかをベンチャーに求める事自体がそもそもナンセンスで、
そのアイデアの良さを生かすという発想の方が大事なはずです。
21世紀に入ってからも大きくなったベンチャーの多くがアメリカ発というのは、
決して偶然ではないと思います。GAFAはどれも起業当時は小さな会社だったし、
あれと同じアイデアを思い付いた個人は、他の国にもきっと居たと私は
思いますが、大きくなれたのは、ベンチャーに適した土壌がアメリカに
あったからだと言えるでしょう。
もうひとつアメリカの大きな長所は、リーダーの選び方ですね。
太平洋戦争時代、日本と戦う為にアメリカ海軍は、
アーネスト・キングという人物を抜擢し、合衆国艦隊の指揮を一任します。
この人物、少し調べるとわかりますが、いわゆるセクハラ魔王で、
海軍士官の奥さんや娘にすぐ手を出す事から、
それまでは閑職に回されていました。女癖の大変悪い人物だったのです。
性格も傲岸不遜で我がままそのもの。
日本だったら絶対出世しないタイプの人ですね。
アメリカ海軍が彼を抜擢した理由はたったのひとつ。
【あいつは戦争には強い!】
要するにアメリカという国は、適所適材という人事配置をする上で、
満点を求めようとはしないという事です。
短所より長所を生かすというか、多少問題があってもそれには眼を
つむり、長所を生かすという事をまず考える。
さらに面白いのは、日本との戦争が終わるとキングはすぐに解任され、
閑職に回されたという事ですね。用が済めばお払い箱にした訳です。
このあたりの割り切りの良さ、合理性というのは、
中々日本人には真似が出来ない部分だと思います。
多種多様な人種や文化の交じり合うアメリカでは、リーダーを選ぶ際、
人格よりもまず能力と優れたリーダーシップを求める。
また多様な価値観のぶつかる文化圏では、意思決定の為に
徹底的な議論を尊ぶ。自らの意見をぶつける場所が会議なのであり、
会議の場で発言しない者は無能だと考える。
お偉いさんが延々自説の講釈をする様な、無駄な会議が多い
日本とは、この点も大きく異なります。
アメリカは色々な人種、民族が集まって、合理的に狩りをする
集団であり、日本は農耕文化を中心とした社会で、年長者を大事にし、
個々の優劣よりも全体の結束を重視する集団なのでしょう。
今の様に科学技術が急速に躍進する時代に、
どちらの文化が合っているのか、これは実績を見るとわかりますよね。
日本にはGAFAは生まれなったし、ホリエモンの様な起業家は、
粗さがしされて潰されてしまう様な土壌が、今でも存在しています。
成功者を称賛するよりも、成り上がり者を妬み、叩く。
実績のないベンチャーのアイデアをすぐ盗む。
大手のトヨタやパナソニックまでそんな事をしている様では、
アメリカを追い越す事は到底出来ないと思います。
パナソニックがマネシタ電器と言われているのは有名ですし、
トヨタが大きくなる過程で、中小企業から様々な有力技術を無断で
盗んだのも良く知られる事実です。
ただ徹底した競争社会であるアメリカは、能力のある人には
素晴らしい環境ですが、普通の人、弱い人には非常に厳しい世界です。
凄まじい競争社会で脱落した人を上手く救済するシステムがないと、
世の中は荒んでしまいます。誰しも強い訳ではないし、
強者もいつまでも強者でいられるはずもない。
世界一の経済大国でありながら、平均的なアメリカ人の年収は、
平均的な日本人よりも少なく、犯罪もかなり多く、寿命は短い。
貯蓄も少なく、借金は多く、医療システムは崩壊しています。
人種差別も根深く存在し、消えてはいません。
これが進むと国としての求心力がなくなってしまいます。
このあたりのバランスは難しいものがありますが、
こうした観点に立ってアメリカを見ると、私達の様な凡人の場合は、
日本の方が良い環境だと言えるのかもしれません。
日本の長所は、アメリカとは真逆な部分にあったするのですね…。
では、これ以降は質疑応答の時間としましょう。
大分皆さんの顔も覚えては来ましたが、まだまだなので、
前回同様、出席番号と名前を言ってから質問して下さい。
あと、授業の内容から逸脱した質問はしない様にお願いします」
「出席番号3番の天出臼 猛津有斗です。
要するに現在のアメリカは、全てにおいて、
著しい不協和音を奏でているという事ですか」
「そうですね。特に医療に関しては酷い状況になっています。
盲腸の手術をするだけで数百万円もかかったりしますから、
少し重い病気なっただけで、破産の危機に陥ってしまうと言えます。
この事に関して日本とアメリカを対比するだけで、
ふたつの国の考え方の違いが良くわかると思います」
「へ~そうなんだ」
教室から声があがった。
「皆さんがどこまで知っているかわかりませんが、日本には古来より、
医術は仁術という考え方があります。医の道これすなわち情けなり。
病で弱っている者は、労わるのが人の道であるという考え方です。
ゆえに日本の医療機関は、法律で医療法人という特殊な形態を取っています。
これにより、医療行為に必要な全ての処置の費用、薬の価格は国が管理し、
勝手に値段を付ける事は出来ません。医療行為では、基本的に必要最低限の
利益しか出ない仕組みになっているのです。
そもそも儲ける事など不可能なのですね…。その上で国民皆保険として
国家補助を行い、国民の医療費の負担を国家としての限界まで下げています。
この様な仕組みになっている国は世界でも非常に稀です。
世界でも最高レベルにある高品質な医療が、極めて安い費用で受けられる事は、
国として誇って良い事です。アメリカでは医療の世界も資本主義的な考えが
徹底しており、利益を出すのが当然という考え方です。
これでは貧しい者は病院にも行けず、我慢するだけ…
本来助かる者も助かりません。
中国なんかは更に徹底していて、病院に行ったときにお金を持っていないと、
一切の処置をして貰えません。日本の病院に救急患者が担ぎこまれてくれば、
病院は患者のお金の所持額などは考慮せず、まず救命を最優先しますが、
これが中国ではあり得ない事なのです…」
ここで授業の終了を知らせるチャイムがなった。
「話が途中になってしまいましたね。今日お話しした内容は非常に
奥が深いので、またその内お話しましょう」
起立!礼!
挨拶が終わると鈴音先生がゆっくりと教室を出て行った。
後ろを振り返ると、岡本が既に弁当箱を開けている。
しかし中身は殆ど減っていない。
「なんだおっさん、早弁してたのか?」
「そうしようと思ったんじゃが、途中から先生の話に夢中になり過ぎて、
食うのを止めてしまったな…」
「岡本氏は早弁なされた…しかしそれは未完に終わった…」
俺はそう言いつつ、奴の弁当の卵焼きを1個失敬するのだった…。




