六十年の想い
ぽかぽかと暖かな陽気が心地よい。
不意にそよ風が鼻をくすぐり、私は目を覚ました。
……?
ここは……どこかの草原?
傍らには水を張った桶がある。
ええと、何やってたんだっけ……?
ああ、そうだ思い出した。水汲みに行って、あんまりいい天気だから木陰で休んでたんだっけ。
立ち上がろうとすると、一冊の本がバサッと膝の上から落ちた。
おっといけない、借り物の本なんだから汚したら大変だ。これを読んでてうっかり寝ちゃったわけか。
それにしても、なんか凄い夢を見ていたような気がする。いい夢だったのか悪い夢だったのかよくわからない。思い出したくないような、思い出さなきゃいけないような……。
「お姉ちゃーん」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえた。あの声はスフレだ、ああ私のかわいい妹よ。
……ってマズイ、水汲みの最中だったんだ! ええと、どれくらい寝てたんだ?
「あ、いた! もう、こんなところで寝てちゃダメでしょお姉ちゃん」
「あはは、ごめんごめん」
どうも結構な時間をウトウトと過ごしてしまったらしい、スフレが探しに来たくらいだものね。
いやしかし、こうやって怒られてるとどっちが姉かわからないなあ。そうやって小さいのにしっかりしてるところもかわいいんだ。
「さ、帰ろっ!」
スフレの小さな手が私の右手とそっと繋がれる。本当にかわいい。
おっと待ってね、水桶を持って帰らないと。私は置いてある桶に手をのばした。
「……? お姉ちゃん、なにやってるの?」
「へ?」
桶に向かって手をかざし、掴む動作で空を切る私を不思議そうにスフレが見ている。
「魔法の練習? でもお姉ちゃん魔法使えないでしょ、ちゃんと手で持たないと持って帰れないよ?」
「え……うん、そうだね」
はて、私はどうしてこの距離から桶を拾えると思ったのだろう?
おっと、そんな事を言っている場合ではない、早く水を持って帰らないと!
今度はしっかりと桶を持って、スフレと手を繋いで家路を急ぐ。
急いではいるけどせっかくの陽気、ちょっとピクニック気分で歩いたりして。
「あのね、お母さんがおいしいパンケーキを焼いてくれたんだよ」
そう言うスフレはとても楽しそうだ。
「へえ、美味しかった?」
「ううん、まだ食べてない。お姉ちゃんもいっしょじゃないと! お母さんも待ってるよ」
そうなんだ? 私の分もあるからお母さんが待っててくれてるんだ。
それって……まあ普通の事、だよね? なんでこんなに違和感があるんだろう。
「私も一緒?」
「うん! お姉ちゃんも、ずっといっしょ!」
……私も、ずっと一緒。
うん、そりゃそうだ。評判の仲良し姉妹なんですよ私たち。
でもこのフレーズ、それから手を繋いで歩く感覚、違う誰かとも共有していたような……。
そのうちに家に辿り着いた。楽しいピクニックは今日はここまで。
いつの間にかもう日が暮れている、あっという間に夕食の時間だ。
「いただきまーす」
家族四人で囲む温かい食事、決して裕福ではないが幸せを感じる。
(なぜじゃ……)
ふう、お腹いっぱい。さてと、スフレの髪でも洗ってあげようかな。
(どうして貴様が……)
お風呂の準備を――
というかさっきから何か聞こえるな。誰? お父さん?
「どうして貴様がこの夢を見ておるのじゃ!?」
*****
ガシャーン!
「うわっ!?」
突然世界がガラスのように壊れ、私はその場で跳ねるほどの驚きで目を覚ました。
――目を覚ました? てことは、私は夢を見ていたのか。
私は変わらず篝火の焚かれた祭壇の前にいる。
横ではアリカとパルバニが気持ちよさそうな寝息を立てていた。
「アリカ、起きて」
「むにゃむにゃ」
「むにゃむにゃじゃない、起きろねぼすけ!」
「ふわっ!?」
無理やり揺すってアリカを叩き起こした。アリカはまだぼんやりしている様子だ。
「あれっ? おじいちゃん? アリア?」
「何言ってんの、ほらしっかり立って」
アリカを起こしたら今度はパルバニを起こさなきゃ。
まったくこいつら面倒かけるな。
「ほらパルバニ、あんたも起きて」
「う、うぇっ……み、見知らぬ大人の人……?」
こっちもまだぼんやりしてるな。
というかどんな状況? どういう夢見てたんだよ。
「ふたりともしっかり。どうやら私たちは眠らされてたみたい」
「……みたい、だね。それにしてもよく起きられたね?」
そうなんだよね、私だって自力で起きたんじゃない事はわかっている。
眠らせたのは間違いなくヴェルダナだ、だけど起こしたのもヴェルダナらしい。
わざわざ眠らせておいて起こす意味が分からない、良い夢まで見せておいてどういう事なのだろう。
私たち三人が目覚めたところで、再び篝火が大きく燃え上がった。
今度は私たちではなく、祭壇が炎に包まれ瞬く間に焼き尽くされた。
そして……炎のカーテンの中からいよいよ大魔女ヴェルダナのお出ました。
「お前は……一体何者なのじゃ!? なぜあの夢を見る!?」
出てくるなり機嫌が悪いご様子で。そんな事言われても夢を見せたのはそっちでしょうよ。
姿を現したヴェルダナは思ったとおりかなりの小柄、というか子供だった。口調はともかく声のままだ。
年は十歳くらい? 実年齢は知らないけど見た目はそれくらい。魔女の人たちって魔法で年取らなかったりするからわかんないね。
それにしてもこのヴェルダナ、どこかで見た事あるような顔してる。
どこだっけ……かなり最近見たような気がするんだけど。
そう、忘れもしない……いや忘れてるけど、大切な――
「……スフレ?」
無意識に声が出て、その自分の声にハッとした。
そうだ、この顔、間違いなく妹のスフレだ!
え、でも待って? 最後に会ったのは六十年も前だし、そもそもコミス村どころかルゾン王国全体が戦火で滅んでるし、これはいったいどういう事なの!?
「スフレ……って、確かリプリンの妹だっけ」
様々な思考が巡ってフリーズしている私にアリカが話しかけてきた。
おっとと、いけない。しっかりしろ私。
「うん、そう。話した事あったよね、スフレは私の妹の名前」
そうなんだ、妹の名前なんだ。それももう死んでいるはずの。
それが昔とほぼ変わらない姿で目の前にいる、もうわけがわからない。
状況を把握できていないのはあちらも同様なのか、私と同じくフリーズしていた様子のヴェルダナがようやく口を開いた。
「その名、やはり貴様は……あ、姉上なのか? だがその姿は……!?」
「あー、やっぱ気になるよね」
私の事を語るのに避けては通れないこの体。あまり人に話したい事ではないけど他ならぬ妹(推定)のためだ、私は目の前の少女に大事な所だけかいつまんで説明した。
「まさか……本当に姉上が生きていたなんて」
「ねえ、やっぱりあんたスフレなの? スフレ=パフェット、私のかわいい妹?」
「その名は捨てた。今の妾は大魔女ヴェルダナ、姉上であってもそう呼ぶのじゃ」
むむむ、六十年ぶりの生き別れた姉妹の再会なんて感動的な場面だが、いろいろと聞きたい事が先行して気持ちの整理がついていない。
とりあえず……。
「その『姉上』ってどうしたの。うちはそんな高貴な口調で話すような家じゃなかったでしょ。それに六十年経ってるのに見た目同じってどういう事よ?」
疑問いっぱい。だって六十年ぶりの妹がロリババアになってるなんてびっくりだもの。
あっちにしてみれば姉が粘土みたいな怪物になってるんだから、これでおあいこなのかもしれないけどさあ。
「……姉上は、魔錬研の事故で死んだと聞かされていた。貴女の帰りを待っていた妾にとっては絶望的な知らせだった」
スフレが語り始めたけど、私の質問はスルーしている。
あ、そんな感じ? でもシリアスな話してるからそんな事は言い出せない雰囲気だ。
「ごめんね、私もすぐに帰りたかったけど、さっきも言ったとおり酷い状態だったんだ」
「……」
こちらを見るスフレの顔は昔と同じかわいらしい顔。
でも、どこか目が鋭く険しい表情になっているようでもあった。
「それから数年が経ち、国内で小さな紛争が頻発するようになった。小さな火種はたちまち大きな戦火へと変わり、村を、国を飲み込んでしまった。妾は焼け焦げた村と両親の死体の前で、全てを失ったのだと子供心に理解した」
「スフレ……」
やっぱり、そんな酷い目にあっていたなんて。一緒にいてあげられなかった自分が恨めしい。
今からでも抱きしめてあげようと一歩前に出たけれど、スフレは手に持った杖を向けて私を制止した。
「そんな妾を助けたのはマギクラフトじゃった。奴は妾の魔法の才能を見出し、魔術師会で鍛えた。おかげで世界最強とも言っても過言ではない大魔女となったわ」
「マギクラフトって……魔錬研所長の!?」
「そうじゃ、当時最強と言われていた魔術師。国王と対立して失脚していたがな。魔術師会に帰る道中にでも妾を拾ったのじゃろう」
マギクラフト所長、そんな事を……!
私を元に戻すという約束は無理だったけど、妹を助けてくれていたんですね。
ああ、やっぱりすごい人だ、感謝します所長!
「それで、姉上は何のためにここまで来たのじゃ?」
む……まだ姉妹の感動の再会とはいかせてくれないのか。
仕方がない、楽しみはとっておくとして、私がここに来た目的を話しておこう。
「えっと、私がここまで来た理由のひとつは『大魔女ヴェルダナを魔術師会に連れ帰る』ことだったの。マリウスとかいう人に頼まれてね」
でもその目的のヴェルダナはなんとスフレだった。
これは状況がかなり変わってくる、どうするか考え直す必要があるかもしれない。
感動の再会ついでにあっさり了承してくれないかな~なんて、甘い考えも頭をよぎった。
「フッ」
スフレが鼻で笑った。
私の甘い考えを見透かした……わけじゃないだろうけど、ちょっと恥ずかしい。
「残念ながら、それは聞けぬ相談じゃな」
やっぱり?