朝食そして来訪者
この家に来て二日目、私の朝は早い。
なぜって、ぜんぜん眠くならないから。
眠ろうと思えば眠ることはできる、でもぐっすり安眠というわけにはいかず、しばらくすると目が覚めてしまうのだ。
どうせ死なないのだから睡眠も必要ないと体が判断しているのだろうか。
だから、朝が早いというよりはほぼ徹夜してるような感じかな。
「ふわぁ、おはよう。はやいねー」
そういうわけで、こうしてアリカが起きてくるころには、私は何かしら家の仕事をやっておく事にした。
主にそこらじゅうにあるガラクタの整理整頓、掃除、洗濯、あと料理。
住まわせてもらうからには何もしないというわけにはいかない。
体を動かす訓練にもなるし、もともとこういうのは得意だ、久々にやれて嬉しいくらいだよ。
それに、私がやらねばならないという使命感すら湧いてくる有様だったのが大きいだろう。
初日となる昨日の夕食、あれはいろんな意味で凄かった。
散らかったままの床に強引にスペースを開け、汚れた格好のまま床に置かれた缶詰をお出しされた時には、それが夕食であると理解するのに少し時間がかかったものだ。
「え……、これ、何?」
「何って、ごはんだよ」
「……あ、ああ、今日は忙しかったもんね」
「普段からこんな感じだけどね」
そんなやり取りをして少し気が遠くなりかけた。
その上、缶詰を素早く平らげたアリカは着替える事すらなく、ガラクタの山をかき分けて自分のベッド……らしき場所にもぐってしまった。
ダメだこいつ、早く何とかしないと。
というわけで、現在私の目の前にはきちんとテーブルに乗った朝食が用意されている。もちろん、この私が用意したものだ。
いや大変だったよ。なにせキッチンを見つけるのにも苦労したし、埋もれていたテーブルを引っ張り出してくるのもかなりの重労働だった。
結局これだけ揃えるのに一晩中かかってしまった。間に合ったからいいけどね。
「わあ、これなに?」
「何って、朝ごはんだよ」
昨日とは真逆のやりとり、サプライズ成功感があってちょっと気持ちいい。
しかし、テーブルに置かれた朝食を見るなり、アリカの表情が不満そうなものになった。
「……これはダメだよ」
「えっ」
予想外の反応だ、ドヤ顔をしていた私は急激に恥ずかしくなった。
な、何がマズかったの?
メニューはシンプルな野菜スープとパンだけだけど、材料が他に見つからなかったから仕方ないでしょ。痛んでないかいちおう確認はしたけど……、あ、もしかして野菜ダメな人?
それともテーブルがマズかった? いわくつきの使っちゃダメなやつとか?
私がひとりで考えていても答えは出ない、ここは素直に聞いてみよう。
「な、何がダメ……だった?」
「だって、これひとり分しかないよ」
……はい? どういう事? ふたり分は食べる人なの?
「ひとり分って……、十分でしょ?」
「やだなあ、自分の分を忘れてるよ」
「いやいや、私は食べなくていいというか食べられないというか……」
「ダメだよ!」
唐突に強い口調で怒られた。
今までユルい態度しか見せていなかったアリカの怒った様子に、私はしばし言葉を失う。
「リプリンたら、森でキノコをモムモムしてたでしょ」
モムモム……。
ああ、口に含んで転がしてたって事ね。
歯が無いからそうやってたんだっけ、ついでに喉もないから結局吐き出しちゃったやつだ。
ていうかアレも見られてたのか……、恥ずかしい。
「あのキノコ、とっても美味しいやつなんだよ。あれの味がわからないなんて、味覚の鍛錬が足りてない証拠だ!」
ビシッと指を突き付けられた。人を指差しちゃいけません。
いやだから味覚も何も無いんだって。
昨夜の間にとりあえずの事情は説明したから知ってるでしょうよ。
「昨日も言ったけど、私には味覚とか無いし、食べる必要もなさそうなのに食べるのはもったいないというか……」
「事情は聞いてます。でも目や耳や口は戻ったんでしょ? じゃあ他のところも戻せるって事じゃない?」
「ま、まあ、それは確かに」
「それに、ご飯は誰かと一緒に食べるのがいちばん美味しいの。さ、自分の分も用意して一緒に食べよ? トレーニング、トレーニング!」
……驚いた、得体の知れない生物をいきなり拉致るようなやつがそんな事まで考えていたなんて。
言われてみればそうだよね……、生卵の状態からサンショウウオ人間にまでは戻れたんだ、このまま頑張っていけば元の姿に、それに近い姿くらいには戻れるかもしれない。
知り合ったばかりの私のためにそこまで言ってくれるなんて、いい話だなあ。
これで食事を用意するのが私自身でなければもっといい話なんだけど。
という事で、野菜スープを増量してふたり分に。
パンも用意して今度こそ朝の食卓の完成だ。
「いただきまーす」
アリカが見守る中、私はパンを口に運ぶ。
歯は無いけど、口の中の一部が固くなってパンを細かく砕けている。これって歯の代用品に成功しているって事かな。
それから、口の奥に喉のような奥行きを感じる。今なら飲み込めるかもしれない。
私はかつてそうしていたように、首のあたりに力を入れた。
ゴクン
……あ、できた。
「わあ、できたできた! よかったねえ!」
まるで自分の事のように喜ぶアリカ。つられて私も嬉しくなってくる。
味はわずかしか感じなかったし、飲み込んだものがどこでどうなるのかはわからないけれど、これが大きな一歩なのは手ごたえとして感じる。
そうだね……、アリカと出会わず、ずっと森にいたらこうはいかなかっただろう。なんだか胸の奥から感謝の気持ちが溢れてきた。
「アリカ、ありが――」
お礼を言おうとしたその時、私の声は空しくかき消された。
「アリカァーーー!!!」
家全体が震えるほどの大声。私もアリカも思わず耳を塞いで伏せてしまった。
それからすぐにドアが開き、誰かが入ってくる音がする。
う、マズイ。
正直言って今の私の姿は誰にでも見せたいものではない、だってどう見ても魔物だから。
というわけでオタオタとわかりやすく取り乱しながら隠れる場所を探していると、そんな私の頭に何か大きなものが被せられた。
これは……帽子だ、魔女とかが被るつばの大きいとんがってるやつ。
咄嗟にアリカが被せてくれたようだ。
「まだちょっと恥ずかしい? それあげるから被ってなよ」
……アリカ、気遣いありがとう。使わせてもらうよ。
これを深く被っていればあまり顔を見られずに済むかもしれない。
でも、今気になっているのは、すごい剣幕でこっちに近付いてる人の事だけどね。
そしてすぐにでもその時はやってきた。
「アリカ!」
勢いよくドアが開く。もちろん私は怖いからアリカの後ろに避難している。
部屋に入ってきたのは小柄で薄緑色の肌のコブみたいな角のある人……、いや人じゃない、ゴブリンだ。
ご、ゴブリン? 魔物じゃん!?
驚いた私は合図するようにアリカの服を引っ張るが、なぜだかアリカは気にも留めない。
それどころか入ってきたゴブリンと親し気に話し始めたではないか。
「おはよう、シュイラ。今日も元気だね」
「元気だねじゃねーよ! オマエきのうオレにホーンドベア押し付けただろ! おまけにそのまま帰りやがって!」
「あー……、あはは、ごめーん」
むむ、ふたりはどういう関係なんだろう。というかゴブリンとこんなに親し気なのはなぜ?
変わってるとは思ってたけどここまでとは……、恐ろしい子。
アリカの後ろから不思議そうにふたりのやり取りを見ていると、シュイラと呼ばれたゴブリンが私に気付いた。
ちょっと怪訝そうに首を傾げ、こちらを指差しながらアリカと話している。
「おい、コイツ誰だ?」
「この子はリプリン、一緒に住むことになった子だよ」
そう言うとアリカが私の体を引っ張るもんだから、私は否応なしにシュイラの前に出る事になった。ちょっと怖いんだけど。
「ど、どうも」
「へえ……」
シュイラは私の事をちょっと見ただけで、あまり興味はなさそうだった。
というよりはおかしな奴を見るような目だったのかもしれない。
どちらにしても、シュイラは私と特に言葉を交わすこともなく、再びアリカのほうへと向き直った。
「昨日はリプリンを助けてたからちょっと手が回らなくて。シュイラならひとりでも大丈夫だったでしょ?」
「大丈夫じゃねーよ、おかげで依頼品をぶちまけちまったじゃねえか。今日はちゃんと手伝ってもらうぞ」
「もう、しょうがないなあ」
よくはわからないが、何か仕事があるらしい。これからすぐ出発するみたいだ。
と、その様子を眺めていた私にシュイラが近付いてくる。
「そういやオマエを助けるためにとか言ってたな、じゃあオマエにも責任があるってわけだ。人数は多い方がいい、オマエにも手伝ってもらおうか」
え?
えええ!? いやちょっと待って!
などと言う間もなく、私はシュイラとアリカのふたりに外へと連れ出されてしまった。
って、おい、アリカまで引っ張るな! どこへ行くかくらい説明しろ!