二枚目の切符
朝を迎え、私は目を覚ます。
目の前にはアリカがいる、いつもと変わらない様子で穏やかな寝息を立てて。
私はまだアリカの右手を握ったままだった。
うん、夢じゃない。ちゃんと右手があるし、ちゃんと生きている。
思わず顔がにやけるほどの喜びが込み上げてくるのを感じる。
これからもアリカと一緒にいられるのだ、その思いだけでどれほどの幸せを噛みしめている事か。
……それと同時に、状況が落ち着いたせいか恥ずかしさも追いかけてきた。
昨夜何を口走ったのかちょっとはっきり覚えていない。
ほら、ものすごーくテンション上がっていたというか何というか、とにかく普通の状態じゃなかったんだよ。
「おはよう、リプリン」
私が起き上がって動いたためアリカも目を覚まし、ベッドに横たわったまま、そして手を繋いだまま挨拶してきた。
「お、おはよう」
うう、なんだこの気持ちは。すっごい恥ずかしい。
返事がぎこちない、しっかりしろ私。
「ふふ、変なの」
「何が変なの、よ。心配ばっかりかけて――」
……あ。
あああ!
お、思い出した……! こいつ、どさくさ紛れに私のく、唇を……それもファーストぉ!
いひゃあ! 今までにない恥ずかしさが津波の如く押し寄せる!
あばばば、勢いとはいえ私は何を……!?
「ふひひ」
両手で顔を押さえるなどして私の態度がおかしいのを見てか、アリカが唇を擦り合わせたり舐めたりしている。
おいなんだそりゃ、やめろ、反芻するんじゃない!
「やめなさい」
「……はい」
真剣な眼差しと頭を掴むビッグハンドでようやく聞き入れてくれた。
まったくもう、遊んでる場合じゃないでしょ。
「アリカ、本当に大丈夫なんだよね?」
「うん、どこも痛くないよ。むしろ前より元気になってるかも」
「それならいいけど。ねえ、言っておくけどもう私をかばうのはナシにしてよね」
「えっ、どうして!?」
「どうもこうもない。私は(たぶん)不死身、アリカは不死身じゃない、他に何があるっての」
そうだよ、根本的に間違ってる。
これで死なれた日には、私はどんな顔で生きて行けばいいんだ。あやうくそうなる所だったんだぞ。
「だって……」
「だっては無し。私だってアリカの気持ちはわかってるよ、だからそう、これは役割分担」
「役割?」
「そう、役割。アリカの感覚と私の不死身ボディ、合わせれば何だってできるような気がしない?」
「……わかった。役割、だね」
ちょっと強引だったけど、一応の納得をしてくれたみたいだ。
でもこれってけっこういい案かもしれない。
せっかく助け合って生きているんだ、もっと寄り添って、それぞれできる事を追及してみてもいいんじゃないかな。
「……ふう、ヒナァタさんたちにも心配かけちゃったから、ちゃんとお礼言っておかないとね」
「そうだね、ちゃんと言っておかなきゃ」
さて、いつまでも部屋に籠ってはいられない。
簡単に身なりを整え部屋を出ると、ヒナァタたちはすでにリビングにいた。
もちろんその驚きようは相当なものだった。
なにせもう助からないと思っていたアリカが私と一緒に出てきたのだから。それもいつもと変わらぬ元気さで。
ついでに失った腕まで生えているし、むしろ驚かないほうがどうかしてるよね。
私が起きた事をざっと説明してもなお、ふたりの驚きはまだ続いている。
「……まさか腕まで生やせるなんてな」
「本当に凄いわ。ああ、助かって良かった」
ミツキが私たちふたりの体をぎゅっと抱き寄せた。
あはは、まるで母親みたい。実の母親に優しくされた記憶なんて私には無いけど、きっとこんな感じなんだろうね。
「あの、昨夜そっちでは何があったんですか?」
アリカが尋ねると、ヒナァタは頭を掻いた。
その口調と態度はちょっと悔しさを含んでいるように見えた。
「……あんた達と別れてから、ミツキと馴染みの店で飲んでた。そしたらいつの間にか人がぬいぐるみに変わって、でっかい針の怪物に襲われた」
ヒナァタの言う『でっかい針の怪物』は私も見た。偽アリアが〈ニードルワーク〉と呼んだやつ、おそらくアバラントで間違いないだろう。
そうなると異界についての説明が必要かな?
私の知っている事なんてたかが知れているけど、何も情報が無いよりはマシなはず。
というわけで異界とかそういう事について説明することにした。
「……にわかには信じられないが、あんたのその体と能力を見たら信じざるを得ないか」
ヒナァタとミツキにとって、今日は驚きばかりの連続で大変な日だろうね。
でも現実に起こっている事なんだよ。
「それで、どうすればいいのかしら。街をあのまま放ってはおけないし……」
「……界魔だっけ? あのでかいのをブッ倒せば何とかなるのか?」
「影響の少ない今であるなら、可能性はある」
……えっ?
喋っていたのはミツキとヒナァタと……男の声だったぞ、誰だ!?
振り返ると、屋敷の中に怪しい人影が立っていた。
ガキン!
まさに刹那。
怪しい人影を確認したとほぼ同時、ヒナァタの鋭い蹴りが人影を捉える。
しかしその蹴りは人影には届かず、いつの間にか現れたもうひとつの人影が持つ斧によってしっかりと受け止められていた。
すべてが速すぎてちょっと頭の処理が追い付かなかったけど、ようやく状況を飲み込めてきたぞ。
「あっ、ヒナァタさん待って! その人は一応知ってる人……うん、たぶん、そうです」
「……なんで自信ないの?」
そう言われましても、素顔というものを見た事が無いので。
そこに立っていた人物、首から上が箱状の何かになっている男はゲッペルハイドだった。
当然、斧で攻撃を受け止めたのはパルバニだ。
うわ、出たな変態紳士。陰キャバニーも引き連れて。
ヒナァタには一応知ってるなんて言ったけど、知ってるだけで敵か味方かまではわからないんだった。止めなくても良かったかも。
「剣を収めよ。吾輩はゲッペルハイド、敵に非ず」
「……」
とりあえず攻撃するのはやめたものの、ヒナァタは明らかに警戒し、構えを解いていない。
ミツキも真剣な眼差しで箱男とバニーの動向を伺っている。
まあ当然か、私だって警戒してるし。
「この島は異界のエネルギーに満たされようとしている。オードルと言ったか、かのマフィアが島を我が物とするためにな」
ゲッペルハイドの箱に映し出される口が動き、この島で起きている事を語る。
オードルの名前が出たところで、少しだけヒナァタの警戒が緩んだように感じた。
「……そんな気はしてた。で、オードルを倒せば街は元に戻るわけ?」
「先程も言ったが可能性だ。戻るかもしれないし戻らないかもしれない」
「……それだけ分かれば十分だ」
するとヒナァタは屋敷から出ようと扉の方へ向かった。
え、まさかもう行くつもり?
「ヒナァタさん、今から行くんですか!?」
「……聞く限りでは早い方がいいんだろ」
「そうかもしれませんけど、あれだけ苦戦してたのにムチャですよ」
「……問題ない、もう酒は抜けた」
酒? そういう問題なの?
「ごめんねヒナ、お酒弱いのに付き合わせちゃって」
外に出ようとするヒナァタの側に、スッとミツキが寄り添う。
「……別に。こんな事になるなんて想定してなかったからな」
「ヒナ、本当にごめんね」
「……こっちこそ昨夜は助かった、ミツキが居なかったらちょっとヤバかった」
ふたりして話している様子が、傍目にはイチャイチャしているように見えるのは気のせいかな?
ここでの生活といい、この人たちはこういう関係をずっと続けているのだろうか。
ある意味、私の未来の一つの形でもあるのかもしれない。
……て、そんな事考えてる場合ではない。さすがにふたりを放ってはおけない。
「行くなら私たちも一緒に……!」
付いて行こうとしたその時、ヒナァタがこちらに手を向け私を制止した。
「……あんた達には他にやる事があるんでしょ」
そう言って、ヒナァタがアゴで示す先には、口だけの笑みを浮かべたゲッペルハイドが立っている。
「で、でも」
「大丈夫よ、酔ってないヒナは強いし、私も一緒に行くから」
ミツキまでもが私を制止し、ふたりはそのまま屋敷を出て行ってしまった。
心配するなと言われても無理な話だよ、気になるなあ。
「己の役目を果たすがいい、リプリン=パフェットだった者よ」
再びゲッペルハイドが言葉を発する。誰が『だった』だ、私はいつでもリプリンだよ。
屋敷には私とアリカ、ゲッペルハイドとパルバニの四人だけ。
置いて行かれたものは仕方がない、せめてこの箱頭から聞きたい事を聞き出してやる。
「また直接会えるなんて嬉しいわ。で、あんたはどうして私のルゾン行きを邪魔するわけ? この島に連れて来た理由は何?」
すると、その見せかけの口から驚くべき答えが返ってきた。
「特に理由は無い」
無いのかよ、ふざけんな!
ヒナァタじゃなくても蹴りを入れそうになるぞ。
「無いと言ったのはこの島を選んだ理由だ。行くべきではないと判断したため、遠ざけるならどこでも良かった。……だが」
「だが?」
「時は満ちた。今ならば行く資格が十分にある、すぐにでも連れて行ってやろう」
驚くべき答えその二。
どこかで聞いたようなセリフだな、状況が状況だけにちょっと信じられないぞ。