私にしかできない事
「うああああああ!」
声にならない叫び声を上げた。
アリカの腕が……血がこんなに……!
背中にも突き刺したような傷が見えた。大振りな斧は撒き餌で、その間に隠した槍が本命の攻撃だったのか?
わ、私をかばって……そのせいでアリカが……!
嘘だ、こんなの現実じゃない。そうだよね?
何とか言ってよアリカ、ねえってば!
「狙いは正確に。その路傍の小石ならばリプリン様を庇うと思いました」
偽アリアが何かを言っている。
お前じゃない。
いくら同じでも、お前の声なんか聞きたくない。
「これで障害は無くなりました。今一度問います。ルゾン帝国に向かわれますか?」
「……黙れ」
何だ、この感じ。
気持ち悪いくらいに体が熱い、手足が震える。
背中に痛みのようなものを感じている。
見えないけど感覚でわかる、背中に枝ばかりの木が翼のように生えているのを。
そしておそらく、私は今までにないくらいの恐ろしい顔をしている。
「今一度問います。ルゾン帝国に向かわれますか?」
「黙れって、言ってるだろぉお!」
叫び声と共に、翼のように生えた枝の一本一本に眼球が形成された。
「グッ……」
その全ての目が偽アリアを同時に睨みつけると、凄まじいまでの振動が偽アリアを襲う。
まるで周囲一帯の空気が敵意を持って襲い掛かっているようだった。
一方で、アリカが倒れたせいか単に時間切れなのか、浮かぶミニ太陽が消えていく。
いつしか店の明かりも消え、周囲はまさしく夜の闇に包まれた。無限に広がる影の世界に。
光で押し戻されていた影が堰を切ったように流れ出し、周囲の闇と融合する。
偽アリアにとってこれほど戦いやすい場所もないだろう。四方八方から攻撃が繰り出され、私の体を切り刻んでいるのを感じた。
そのうちに私の枝翼が切り落とされ地面に落ち、それと同時に振動も止まった。
「今一度問います。ルゾン帝国に向かわれますか?」
喋るな、黙れ。
同じ顔をしているのに、どうしてお前には腕がある。
引きちぎってやる、黙れ、引きちぎってやる!
バサバサバサッ!
怒りに任せ偽アリアに向けて一歩踏み出そうとしたその瞬間、私とアリカを大量の何かが覆った。
これは何だ、コウモリ?
また変な攻撃を仕掛けようっていうのか?
「リプリンさん、怒りに支配されてはいけないわ。今は急ぐべき事がある、落ち着いて……」
誰、だ? 誰の声だ?
……なんとも、不思議な感覚だった。
大量のコウモリのような何かにまとわりつかれているというのに、その謎の声を聞いているとしだいに心が落ち着いていくようだ。
「今は離れましょう」
次の瞬間、体がグンと引っ張られる感覚を覚え、気が付いた時には私たちははるか上空を飛んでいた。
月が近い、美しい月明かりだ。
ここは……空飛ぶ絨毯の上?
いや違う、これはコウモリの集団が固まって絨毯みたいになっているんだ。
……ハッ!
そうだ、アリカは!?
見れば、すぐ横でアリカが応急処置を受けていた。処置してくれているのは……ミツキだ。
その隣にはヒナァタもいる、ボロボロに傷を負った姿で。
「ミツキ……さん? ヒナァタさん、も」
「ごめんなさい、今は集中しているの。話は後にして」
「……」
あまりの多くの事に、私は言葉を失った。
*****
屋敷に辿り着くのにそれほど時間はかからなかった。
アリカはすぐさまベッドに運ばれ、ミツキの懸命な処置を受けている。
私はそれをただ見ている事しかできない。『無力』という言葉をここまで思い知ることがあるだろうか。
「……」
一通りの手当てが終わっても、ミツキの表情は芳しくなかった。
「肩から胸にかけての損傷が酷い。出血も多いし、内臓にもダメージがある。私にはこれ以上手の施しようがないわ……」
アリカの顔色はこれまでに見た事が無いほど悪い。
傷も酷ければ出血も酷い、ミツキの処置でも対応しきれていない。
「……周囲を見てくる。化物共が追ってくるかもしれない」
そう言い残し、ヒナァタが部屋を出ていった。
彼女にとってもこの状況はいたたまれなかったのだろう。
「リプリンさん、アリカさんを診てあげていて……」
ミツキは私の手を、アリカの残った手にそっと乗せた。
どうして……そんな悲しい目をしているんですか? やめてください……よ。
ミツキも部屋を出て、私はアリカとふたりきりになった。
呼吸が荒いのに小さい、脈もおかしい。
アリカはもっとさあ、元気しか取り柄が無いみたいな? そんな感じだったじゃない。
こんなの、おかしいよ……。何か言ってよ……。
ふと、部屋の外から話し声が聞こえた。
(ヒナ、あの子を私達の養子にしようと思うの)
(……そうだね)
(ええ、そうすれば、ずっとここにいられる。あの子達はまたいつでも会える)
……え?
何の話だよ……私はいつでもアリカと一緒にいるよ。
(あの子が眠るこの場所で)
眠る? 眠るって何だよ。
今は具合が悪くて寝ているけど、起きるよ。
もうすぐ起きて、また私と……。
嫌なイメージを払拭しようとするが、嫌でも目に入ってしまう。
失われた右腕と、真っ赤に染まる包帯が。
……ダメだ。
ダメだ、ダメだ、ダメだ!
アリカは死なない! 絶対に死なせてなるもんか!
粘土でも化物でもなんだっていい、アバラントだろうがキメラだろうが関係ない。
不死身の怪物なんだろう私! このくらい何とかして見せろよ!
私にできる事、私にしかできない事。
焦るな、こんな時だからこそできる事を冷静に、そして死ぬ気でやるんだ!
私はアリカの包帯を外し、その傷口を確かめた。
……ひどい、何本もの刃物で突き刺したようになっている。肺まで傷付けていそうなその有様だったが、私には気持ち悪くなっている暇など無かった。
アリカの傷口にそっと手を当て、全身の力を抜いていく。
イメージするんだ、他ならないアリカ自身を。アリカの腕、肌、血肉、内臓。かつて魔錬研で学んだ知識と合わせて、私の知り得る全てを!
私の体は粘土を超え、スライムのような粘液状となってアリカの半身を覆っていった。
カニやウサギ、タコにだってなれるんだ、アリカの体にだってなれるはずだ!
「……うぅ」
小さく声が聞こえた。
アリカだって死に抗っている、きっとそうだ。
私が助けるんだ、私が!
「……」
グラッ
うっ、何だ……!?
世界が……視界が回る。私の体の方にも限界が来ているのか?
……ああ、こりゃ酷い。
気付けば私も胴体の半分以上を溶かして使ってしまっている。
でも問題ない、だって私は不死身なんだ。アリカに比べればこの程度なんともない。
アリカが助かるんなら、私の体くらいいくらだって使ってやる……さ――
「…………」
……ハッ!?
一瞬、意識が飛んでいた。私はアリカの体の上に突っ伏すように倒れてしまったようだ。
いやいや、私が気絶してどうする、アリカを助けないといけないのに!
どれくらい気絶してた? 状況はどうなってる!?
慌てて体を起こすと、私の頬に何かがそっと触れた。
「あは……ひどい顔」
手だ、それは手だった。アリカの……アリカの『右手』だった!
あは、あはは! 何だって、ひどい顔だと!?
「なに言ってんのよ、自分だってひどい状態だったくせに……!」
「リプリンこそ半分くらい溶けちゃってるじゃない」
私は不死身なの、もっとドロドロだった事だってあるんだから問題ないの。
ふへへ……。あれ、おかしいな、感情がよくわからない。
頭とか胸とかパンパンになって今にも破裂しそう。
体が溶けかかっているせいか、目のあたりから液体がとめどなく溢れてくるぞ。
「リプリン、泣いてるの?」
「フヒッ……泣いてなんか、ないでしょ。涙出ないもん……うぅ」
再生が遅いなあ、いつまで垂れてるんだよこの水。
顔も頭もグッチャグチャ、もう自分が何を言っているのかも判断できてないかも。
「アリカ……私も欲張りになりたい」
「え?」
「アリカのいない世界なんて考えられない、アリカとずっと一緒にいたい。どこでだって、いつだって、いつまでだって、私はずっとずっとアリカと一緒に――」
うぷっ!
熱くなって話していた途中で、強引に話を遮られた。
なんだこの視界、アリカが良く見えないほど近い。おまけに口に柔らかい感触がある。
――って、おい、まさか、これは、キキキキキ、キス、してんのか!?
しっとり柔らか……じゃない! 致命傷を負った直後だってのにいい匂いさせやがって!
こらおまえ何やって……ひゃあ! また違う感触が! 舌まで入れやがったな!?
とにかくいったん離れ……凄い力だあ!
再生したばかりだというのに、アリカの腕は私の頭を捕らえて離さなかった。
わかったから、再生に成功したのはわかったから、マジで一旦離してって!
「ぶはっ!」
な、なんとか離れられた。
ここ、このやろう、話の途中で何してんのよ!
「変な味」
「なんだとう!?」
いきなりキスしておいてそりゃないんじゃないの? どんな味してるんだよ私は。
私も喜んだり泣いたり驚いたり怒ったり忙しいな、ショックで殺すつもりかよ。
「いやー、驚いた。ちょっとおじいちゃんの顔が見えてたよ」
私の気持ちなどつゆ知らず、アリカはいつもののんきな笑顔を見せている。
「アリカ……本当に大丈夫? 腕とか……」
「うん、痛くないよ。……わあ凄い、これリプリンが作ってくれたの?」
アリカが自分の右腕をしげしげと見ている。
正確には私が再生したのは右腕と胸や背中の傷。内臓や血も補ったつもりだけど……この様子なら成功しているようだ。
「そうだよ、親の顔より見たアリカの手だよ。それから胸のあたりもちょっとね」
「あはは、このあいだ一緒に温泉に入ってて良かったね」
アリカが私をぎゅっと抱きしめた。
「だって、こうやってぎゅってできるのも、リプリンがいてくれるおかげだもの」
「……」
アリカの腕には苦しいくらいに力がこもっていた。
どこまで意識があったのかはわからない、もしかしたらアリカも死を覚悟していたのかもしれない。
いろいろな思いが溢れてきて、私もアリカをぎゅっと抱きしめ返した。
「リプリン、くるしい」
「うえっ!? ご、ごめん」
抱きしめたとたんにそんな事を言うもんだから、思わず離しちゃったじゃないか。
なんか不公平だな。
「……はあ。アリカ、さっきまで死にかけの重体だったんだから、もう大人しく寝て」
「はあい」
子供のように不満そうな返事をするアリカだったが行動が伴っていない。
いつまで私の手を握っているんだ?
「この手は何?」
「うふふ、だってずっと一緒にいてくれるんでしょ?」
「あっ、あれはそういう意味では……」
などと一応の反論はしてみたものの、私もその手を離す気にはならなかった。
今まで、私は自分の気持ちに葛藤していた。
いつも積極的なアリカの気持ちを受け止められるのか心配だった。
でももう大丈夫、私だって後悔するようなことはしたくないもの。
本当の事を言うと、私の人生はあの爆発事故で終わったと思っていた。
いくら気を張って頑張っても、昔の生活が戻ってくるわけじゃない、そんな事わかりきっていた。
でも、私はアリカに会えたんだ。
何もかも無くして、人である事すら失って、それでも今ではそれで良かったと思えるほどに、出会えたことを嬉しく思っている。
私は怪物で良かった。アリカに会えて、アリカを助けられる怪物で。
「……アリカ、私もアリカが大好き」
「……うん」
奇妙な安心感にどっと疲れが出て、私もアリカもゆっくりと目を閉じた。
ふたりで朝を迎えるまで、その手を決して離さずに。