偽物の恨み
さてと、問題は山積みだぞ。
まずは目の前の偽アリア。
どうもこいつはアリカを人として、いや、生き物として認識していないような気がする。
せっかくのルゾン帝国行きの話だけど、アリカと一緒に行けないのならお断りだね。
そればかりか廃棄するだって? やれるもんならやってみろ、絶対に無理だけどな!
シュッ!
「うわっと」
そんな事を考えている間にも一撃。
地面に広がる水たまり、そこから再び槍状の攻撃が繰り出された。
かわせたけど今度は私の事も狙っているらしい、邪魔をするなら大人しくさせるってか。
「アリアに挑まれるのは勝手ですがアリアは万物の影、できない事はしない方がよろしいかと。それでもと仰るならばリプリン様には少し大人しくしていただきます」
ほらやっぱりね。
その偽アリアは少し離れた所に姿を現して、こちらを――
「……!?」
何だあれ。
偽アリアが姿を現したのはいいのだけど、その異様な姿に息をのんだ。
真っ黒い水面から上半身だけを出し、両手で顔の側面を押さえている。
そしてその顔。さっきまでのアリカそっくりの美しい顔はどこへやら、口がぽっかりと空いた黒い穴のように変わり、そこからドボドボとどす黒い何かが流れ出している。
ぼんやり見ている場合じゃないかも。
偽アリアの口から流れ出る何かは地面に広がる水たまりと溶け合い、黒いドロドロを地面に壁にとどんどん広げている。
……そんな中で気付いた事がある。
今は夜、でもここはさっきまで賑やかだった商店の立ち並ぶ通り。店の明かりのおかげでそこまでは暗くない。
偽アリアのドロドロは粘性のある水のように広がっているが、強い光のある所には広がっていない。むしろ避けているようにも見える。
もしかしたら、このドロドロは影なのかもしれない。
こちらの世界の常識ではあり得ない、『物質化した影』といったところか。
なるほど、偽アリアはその影の中を移動したり、武器にして攻撃する事ができるってわけね。
「アリカ、そのドロドロはたぶんあいつが出した影、触らない方がいい。それからあいつはその中を移動してるんだと思う」
「わかった、任せて!」
へっ? 「任せて」だって?
いや、今のは注意喚起であって何かを頼んだわけではないんだけど……何するつもり?
などと、私が聞く間もなくアリカは魔導銃をやや上に向けて構えた。
「行くよ! 魔導銃、フレアー!」
カッ!
引き金が引き絞られるのと同時に強烈な閃光が辺りを包む。
ギャー! め、目が……!
視界が白い、これも再生できるのか?
……うう、なんとか視界が戻ってきた。目玉を交換した気分だ、危ないところだった。
「リプリン、これ眩しいから直視しちゃダメだよ」
「……先に言ってくれる?」
どこに持っていたのか、アリカはサングラスでしっかりと防御している。そこまで準備できてなぜ警告できない。
それにしてもアリカは何をやったのだろう。
少しずつ光が落ち着いてきたので見てみると、アリカが魔導銃を向けていた方向の屋根の上あたりに光の球が浮いている。
魔法で作られた小型の太陽みたいなもんか?
メロンくらいの大きさのその球によって周囲が明るく照らされている。昼間とまではいかないけれど、夜だとは思えない明るさになった。
ああ、なるほど。周囲にあるドロドロが影だって聞いて光の球を出したのね。
その甲斐あってか、ミニ太陽によって照らされた部分のドロドロが消えている。
いいね、これで一面に広がる影から縦横無尽に攻撃を受ける事はないんじゃない?
「アリカ、ナイス!」
「えへへ」
私はアリカとハイタッチし、ついでに顔を近付けて警告した。
「こういうのは先に言う事、いい?」
「……はい」
まったく、サングラスを渡せとまでは言わないけど、せめて事前に教えておいてよね。私は魔導銃でこんな事ができるなんて知らなかったんだから。
そのサングラスのせいで目線が隠れていても、アリカの申し訳なさそうな表情が伝わってくる。
ああもういいから、目の前の敵に集中、集中!
「それじゃあ気を取り直して、ファンタスマゴリア!」
元気のいい掛け声と共にアリカの自在剣が偽アリアに向けて放たれた。
二本の刃が大きく弧を描き、挟み込むように偽アリアを切り裂く!
……予定だったのだけど直前でかわされてしまった。
偽アリアの体の下にはまだ影がある、その中に潜ったようだ。
「光があれば影がある、光が強まれば影も濃くなる」
アリカそっくりの偽アリアの声が聞こえる。
ただし、その声は地の底から響くような恐ろしいものに変わっていたけど。
アリカが化けて出たらこんな声になるのかもとちょっと思った。
「影を産むのは他ならぬ光、小賢しい光で影を祓えると思ったか?」
声質の変調と同時に口調も変わってきているぞ、さっきまでの丁寧な口調はどうした。
「ああ憎らしい。ああ憎らしい。アリアはこんなにもアリア様を慕っているのに。アリア様にはなれないのに。路傍の小石如きが何故こんなにもアリア様に生き写しなのだ」
言いたい事はよくわからないが、セリフからして偽物確定でいいかな。
偽アリアは自身の影から上半身だけを出し、再びドボドボと影を吐き出してその領域を広げようとしている。不気味な恨み言と共に。
今度は口だけでなく目まで暗い空洞のようになり、よりいっそう恐ろしい姿で影を垂れ流している。たぶんアリカにはこう見えていたのかな、ちょっとわかった。
だがここでもアリカのミニ太陽が役に立った。
偉そうな事を言ってもしょせん影は影、それ単独では強い光の下には出られず、影の沼はそれほどの広がりを見せなかった。
ふぅん、どうやらあいつは影を物質化して操れるけど、その力には制限があるみたいだね。
ミニ太陽の光で影が押し戻されている現在、ドロドロと泥沼のように蠢いている影はあいつ自身の周囲だけ。
つまり、少なくとも自分の影に繋がっている影しか動かせないという解釈でどうかな?
なんにせよ絶好のチャンス!
助けてもらった恩はあるけど、アリカの命を狙った罪で帳消しね。
今度は私がブッ飛ばしてやる!
慣れてきたのか、今では両手両足の変形くらいなら精神を引っ張られる事は無い。
てなわけで両手両足を獣に変えて、瞬発力重視のスピードファイター。
具体的には猫、だけど私の大きさならば虎と言っても過言ではないだろう。
「行くぞ! 猫じゃらし!」
猛獣の跳躍力で一瞬にして間合いを詰めた私は、両手の爪で偽アリアを思いっきり引っ掻いた。こうクロスするようにバッサリと。
新必殺技が見事に命中!
……命中はした、けっこうバッサリめに。でも違和感が拭えない。
こいつ、避ける気が無かったのか?
私としては力いっぱいやったんだけど、偽アリアにはそれほど効いていない、というか全然効いていない様子。
むむむ、そんなバカな。自信無くすぞ。
「良い位置ですね」
目の前の偽アリアの顔がニタリと歪んだ。
もう完全に化物顔なんだから偽アリアでもないけれど、他に呼び方が無いのでそう呼ぶ。
それで、何する気だこいつ。
「手を貸せ、ニードルワーク!」
偽アリアがそう叫ぶと、はるか後方の闇の中から何かが高速で飛来する。
針だ、巨大な針。これってさっき見たミイラみたいな化物の針か!?
とっさに回避……しようと思ったけど、意外にもその必要は無かった。
なぜなら針は当たるどころか、私たちの頭の上を通り過ぎていったのだから。
針はやや斜め上に角度を付けて飛んでいた。
そのため偽アリアに近い私はもちろん、少し後方にいたアリカにも当たる事は無く、ただ頭上を通り過ぎて適当な壁に刺さったのみ。
二本目の針も飛んでくる様子はない。なんだよ、驚いて損した。
「お仲間は忙しいみたいね。的外れな支援が一発だけだなんて」
こういう時に皮肉を言うのは気が引ける、でもちょっとテンション上がってたからつい言ってしまった。
だが偽アリアは悔しがるでもなく、それどころかまた元のアリカそっくりの顔に戻るほどの余裕を見せた。
「いいえ、狙い通りです」
顔も余裕なら言葉も余裕。どういう意味だ?
あれだけ大外れの援護射撃が何の役に立つって言うんだ。
……いやいや、向こうが余裕こいてるからってこちらも油断していいわけじゃない。
むしろ嫌な予感がしてきた。何だろう、この引っ掛かる感じ。
どうしても気になって壁に刺さる針を見た。
よく見ると、針の端に何かが付いている。
あれは……糸? 飛んできた針は縫い針のような形をしていて、その端から糸が長く延びているのが見えた。
ハッとして地面に目をやる。
ごくわずかではあったが、糸はミニ太陽の光に照らされ影を作り出している。
その影は一直線に、偽アリアと私、そしてアリカの影を繋いでいた。
しまった! 援護ってこういう事か!
咄嗟に自分の影に向けて防御態勢を取り、そこで再び気が付いた。
いや違う、こいつの狙いはアリカだ!
「アリカ! 気を――」
「リプリン、危ない!」
私はアリカを助けに行こうと振り返り走り出した。
しかし視界に飛び込むアリカの姿、なんと逆にアリカが私の方へと走ってきた。
「ぎゃっ!」
相当な勢いで抱きつかれたもんだから、またしてもふたりして地面に転がった。
ちょっと、わざとやってるんじゃないでしょうね。
そんな事しなくたって言ってくれれば――
ヌルッ
えっ、何この感触。……血!?
誰の血だ……って、私に血は無い。じゃあ、これはまさか……!
「アリカ!?」
とんでもなく嫌な予感がする、背筋から血の気が引いて凍りそうなくらいの寒気を感じた。
目の前には、私の影があった場所に何本もの影でできた大きな斧が振り下ろされている。
そうか……偽アリアはアリカではなく私を狙ったのだ。アリカなら私をかばうだろうと見越して、これ見よがしに大振りに!
抱きつく体勢のアリカを助け起こそうとして私は目を疑った。
アリカの体が血に染まっている。
そして、その肩から先に本来あるべき右腕が無かった。