熱き火山の恵み
ついに私は憧れていた未知の世界に足を踏み入れた。
もうもうと湯気の立ち込める空間、岩で囲われた池のような湯船、なるほどこれが温泉か。
えっと、まずはかけ湯をするのだったかな?
私は近くにあった桶に湯を汲み、ざばっと体を洗い流した。
おおう、あったかい。そしてお湯がヌルっと絡みつくようだ。
家の風呂とはまた違ったこの感じ、ちょっと癖になりそう。
ついでに体も洗っておこうかな……と思ったが、この体には汗や皮脂など内側から出る汚れが存在しなかった。
髪も改めて思えば何だこりゃ、髪っぽい塊が頭の上にあるだけだ。
ペンキや油でもかぶらない限りはかけ湯だけで十分きれいになる、便利だけれど味気ない体だこと。
ひととおりお湯をかけ終わったところで、すでにシュイラとフィオナ王女の浸かる湯船へと向かった。
広いお風呂っていいよね。なんか憧れる。
「お、来たな。なんだ、オマエけっこう貧相な体してるな」
入るなりシュイラが私を見て軽口をたたく。
むぅ、それあなたには言われたくないんですけど。
「これは言わば仮の体ですし、やろうと思えば変形できますし」
口には出さないけど、そう言うシュイラは年上だろうにゴブリン独特の体型のせいで子供みたいだ。いわゆる合法ってやつ?
隣のフィオナ王女も年相応に子供っぽい、子供がふたり並んでいるようでちょっと微笑ましい。
「なんだよ」
「いえ、何でも」
おっといけない、あまり見ていると思考を悟られそうだ。
せっかくの温泉なんだ、ゆっくり楽しんでいよう。
「アリカも来たか」
シュイラの言葉で、私は入口のほうへと振り返った。
そこには……女神が立っていた。恥ずかしそうにタオルを持って。
「なんだよ、キレイな体しやがって」
シュイラの言う通り、美しい。それ以外に言葉が出ない。
以前見た水着の時とはまた違う、美術品のような美しさが私の意識を捕らえて離さない。
しかもそれが動いて目の前までやってくるなんて……もう言葉も無い。
「かけ湯」
「……ふえっ?」
「かけ湯、するの?」
「あ、うん、そう、かけ湯。温泉を汚さないように。それからタオルは温泉に浸けないように、ね」
ああびっくりした。驚いて喋り方がちょっとおかしくなってた。
たかが風呂に入るくらいで何をこんなに緊張してるんだ……アリカの事言えないだろ。
そのうちにアリカもお湯に入ってきて、私たちは横並びに温泉を楽しんでいた。
「はあ……あったかい……」
「移動ハウスだとシャワーだけだったからね、こういうの癒される……」
お湯の温かさにぼんやりとしていると、アリカがこちらをじっと見ているのに気が付いた。
どうした女神様、温泉は楽しめていますか?
「どう、恥ずかしいの治まった?」
「うん、もう平気。むしろ裸になるのが楽しくなりそう」
「変な趣味に目覚めないでよ」
赤い顔でクスクスと笑うアリカ。
……本当に目覚めないでよ?
「リプリン、ちょっと変わったよね」
「変わった? そうかな」
「ちょっと女の子みたいになった」
「私は最初から女の子なんですけど」
「そうじゃなくて、体つき。最初に会ったときは本当に粘土みたいだったけど、今は違う種族の女の子って感じ」
そう……なのかな。
言われてみれば胸も多少出てきたような気もする。
今までいろんな意味で裸になるのに抵抗が少なかったけど、そんな事言われると恥ずかしさブーストされちゃうぞ。
旅の事を考えると、変形に制限がかかるのはちょっと困る、かも。
「それから、凛々しくなった」
「まさか」
「ほんとだってば」
凛々しく、ね。
凛々しくなったかどうかは知らないけれど、私の中で決意のようなものが固まっているのは事実だった。
私の目の前に現れたアリア、実の妹に目もくれないあいつが本物なのかどうか、ルゾン帝国に行って確かめてやる。
本物でも偽物でも、一発くらいはひっぱたいてやらないと気が済まない。そんな怒りの感情が私の心の中から消えずにいるのだ。
もし本当に凛々しくなってたとしたら、きっとそれはアリカのせいだよ。
そっと、手に何かが触れた。それは他ならないアリカの手。
手だけでなく、いつの間にか私たちは肩をくっつけて寄り添うような形になっている。
ここでまた、シュイラのあの軽口が頭をよぎった。
はっ……まさか、もしかして、アリカのやつ、『私がいる』から恥ずかしかったのか!?
あ、あれ、おかしいな。この温泉、ちょっと温度高くないですかね?
熱い、熱いぞ、下から誰かに煮込まれているような感覚だ。
しばらくはその状態で耐えていたけど、そろそろ限界が近付いてきているのがわかる。
「あっつ……」
「……! リプリン、体がとっても熱くなってる……!」
「おいオマエら、ふたりとも真っ赤になってるぞ。のぼせる前にお湯から出て冷やしとけ」
シュイラに促され、私たちはお湯から出た。
ああ……外気が気持ちいい……。ゆで上がる寸前だったよ。
「わあ、まるで湯たんぽみたい」
「こりゃいい、寒くなる季節には最高だな」
「本当に変わった方ですのね、面白いですわ」
三人とも好き勝手言ってくれちゃって、人の事なんだと思ってるんだ。
まあいいや、温泉は充分に堪能できた。
ほどよく体を冷ましたところで、私たちは温泉を後にした。
*****
温泉に入った後はどうするのか、それはもちろん宴会と相場が決まっている……らしい。
シュイラの帰還とその友人である私たちの歓迎のため、あと来てしまった王女様のおもてなしのため、キング主催の宴会が開かれることになったのだ。
屋外に設けられた会場には色とりどりの料理が並ぶ。
火山の熱による温暖な気候は作物としても恵みをもたらしているようだ。
「さあ皆の者、今宵はキングの名のもとに存分に楽しむと良いぞ!」
村長の……いや、キングの掛け声で宴会が始まった。
とっても賑やかで楽しそうなのはいいんだけど、こんな事してていいのかなあ。
ルゾン帝国に行く方法は明日になったら教えてもらえるそうだけど、聞くだけなら今でもいいよね。
というわけで、先を急ぎたい私はキングに直接聞いてみる事にした。
「あの、キングさん。ルゾン帝国に行く方法なんですけど」
「リプリンさんじゃったかな? どうしてそこまで焦っておるのかね?」
キングはイスに腰かけたまま、飲み物片手にのほほんとした表情で訪ねてきた。
質問を質問で返すのはマナー違反だぞ。答えなきゃ教えてくれなそうだから答えるけど。
「……ちょっと、会わなきゃいけない人がいて。それから頼まれ事も」
「ふむ」
私をチラリと見たキングが飲み物を一口、そして今度は目線を遠くにやりながら言葉を続ける。
「このム……いや、王国から少し離れた場所に閉鎖された鉱山がある。その坑道の途中に西側諸国、現ルゾン帝国領内へと繋がる抜け道があるのだ」
今ちょっと村って言いかけたような気がしたけど、大事な事を聞いている最中に話の腰を折るわけにはいかない。
きっと気のせいだね、ツッコミは入れないでおこう。
「抜け道ですか」
「かつて今よりもずっとグリムとの抗争が激しかった頃の遺産じゃ、それゆえ複雑で罠も多い。もはや誰も使わぬ無用のものじゃて」
「そんな道、通れるんでしょうか……」
「まあ頑張ってみればできるんじゃないかの? ホントもう何十年も使われとらんし、知る者もワシくらいじゃし、何かあったような気もするがレッツチャレンジじゃのう」
おいどうした、急に軽いな。私にとっては人生かかってる案件なのに。
でも他にアテもないしなあ……このおっさんを信じるしかないのか。
不安だ、めちゃくちゃ不安だ。
「お嬢さん、焦りは禁物じゃよ。運命は切り開くものじゃが、時にはなるようにしかならぬ場合もあるでの」
「はあ」
人生の先輩からアドバイスをもらった。
でもキングの凄く良い事言った感のある顔が少々不快だったので、私は軽く頭を下げてその場を離れた。
とりあえず、この事をアリカたちに言っておかないと。私は用意された宴会の席に戻る事にした。
私がキングに話を聞きに行っている間にも、みんな楽しく飲み食いしていたらしい。
この薄情者め。そりゃ勝手に出ていったのは私だけど、ちょっとくらい待っててくれてもよかったじゃん。
「どこ行ってたんだ、もうとっくに始めてるぞ」
「ちょっとヤボ用で……ていうかキングに話を聞きに行ってたんですよ。まあその話は後で」
どうせ出発は明日になる、せっかくの宴会なんだからこの話は後にして楽しもう。
「にへへ」
席に着くなり、隣に座るアリカが擦り寄ってきた。
おいおい、なんだよそのだらしない顔は。
「リプリン、すきぃ」
「どうした急に」
「リプリンはわたしの事すきぃ?」
「はいはい、好きだよ」
「うへへへ」
あまりに近かったので押し返すように頭を撫でてやった。
だらしない顔がよりだらしなくなってるぞ、もう美人が台無し。
……にしても、なんか様子が変だな。
「う、酒臭い。ってアリカ、飲んでるの?」
「ふわぃ、アリカはのんでおりましゅ……」
ニヤニヤしながら机に突っ伏すアリカ。
大丈夫かこれ。
「なんだ酒くらい、ブリアでも十八からだろ?」
「そうですけど……たぶん」
それよりもアリカがこんなに酔っぱらうとは。
私がいない間にどれだけ飲んだのやら。
「酒は大人にだけ許された嗜みだ、オマエもどうだ?」
シュイラがお酒を勧めてくる、なんでもゴブリン特製の美味いやつだとか。
勧められるままにひと口、もうひと口。
……お酒の味ってよくわからない。フルーツで飾り付けてあってトロピカルな味になっているけど、それだったらジュースでいいし。
私がこう思うのも、ひとえに私が酔わないからなのだろう。
そりゃそうだよね、猛毒だって効かない体なんだ、酒が影響を及ぼすわけもない。
この先、酔って気晴らしをしたり、酒の力を借りたりできないのは少し残念だ。
それから気になる事がもうひとつ。
だってシュイラったら、フィオナ王女の膝の上に抱えられて、子供が酒を飲んでるようにしか見えないんだもの。
そんな状態で「大人の嗜み」とか言われてもねえ。おっと、笑うな私。
「おい」
「はい?」
「言いたい事はわかる、でも口に出すな、怒るぞ」
「……はい」
シュイラは人の心を読む能力でも持っていたのか? いや、単によく言われるって事なのだろう。
本人も気にしているようだ、触れないように気を付けよう。
「ふへぇ……シュイラかわいいよ……」
「そうですわ。お姉様が子供のようなかわいらしさと大人の魅力を兼ね備えている事、フィオナはちゃんとわかっておりますわ!」
ああ、言ったそばからこのふたりは!
酔っているアリカはともかくシラフのフィオナ王女は本心なのがタチ悪い。
「オマエら……!」
宣言通りシュイラが暴れ出した。
これも宴会の醍醐味か、そんなこんなで楽し……いや、騒がしい夜は更けていくのであった。
――それからついでにもうひと騒動。
夜も遅くなり宴会がお開きとなった後の事。
「オマエら、今日はどこに泊まる? すぐ近くにある事だしアリカの家まで戻るか?」
「いいえ、シュイラさんの家に行きたいです!」
「オレの家でもそりゃいいが、狭いぞ? ベッドはフィオナに使わせるとして、三人で雑魚寝という事になるが」
「いいですね、雑魚寝最高! お泊りって感じです!」
「……なんでそんなに必死なんだよ」
理由聞きます? 一目瞭然ですよ。
さっきから私の足にしがみついて離さない、アリカという名の酔っ払いがその理由です。
「ふにゃ~、リプリン……」
しがみつくだけならまだしも、たまに妙な事を言いながら頬をスリスリしたりしてくるんですよこの子。
「見てのとおりです。こんな状況でふたりきりにされたらどんな間違いが起こるか」
「間違いってオマエなあ。まあいい、付いて来い」
多少、呆れた顔をしながらもシュイラは家に案内してくれるようだ。
正確にはまたフィオナ王女に抱きかかえられているので、歩いているのはフィオナ王女だったけど。
「ほら、行くよアリカ」
「ふに~」
しがみつくアリカの肩を抱え上げるように立たせ、倒れないように支えながらシュイラの後を追う。
それにしても、こいつこんなにお酒に弱かったんだなあ。
赤い顔してムニャムニャ眠そうにしているのも……ちょっとかわいい。
「……れ……」
歩いているとアリカが何かつぶやいた。
「へたれぇ……」
なんだよそれ、酔っているとはいえシュイラに毒され過ぎだぞ。
酔わないのに私まで悪酔いしそうだ、とりあえず聞かなかったことにしよう。