眠れぬ夜
現在、私たちは魔術師会本部のある位置から南下するルートを通っている。東の王都側ではなく西側寄りの国境方面に向けて。
このあたりは山岳地帯、険しい山々によって旅のルートが制限されているから、大きくて便利な多脚型移動ハウスがなければ時間がいくらあっても足りなかっただろう。
それでもさすがに目的地まですぐとはいかない、適当なところで休みながら進んでいくのが旅のセオリーだ。
思えばかなりの強行軍、移動ハウスだって休ませてやらないと。もちろん、それを操るアリカもね。
暗くなってきたので今日の旅はここまで。
見晴らしのいい丘……どちらかといえば崖に移動ハウスを停め、私たちは夜を迎えた。
いつもなら食事の用意は私の仕事、でも今日は違う。
もちろんアリカではない。最近ちょっとずつ教えてるけど、アリカにはまだそこまでまともなものは作れない。
「ほら出来たぞ、魚のゴブリン風ソテーだ」
薄緑の小さな手がお皿を持ってやって来る。
そう、今日はシュイラが故郷の料理を振舞ってくれるというのだ。
荒くれ男みたいな人だからこういうの苦手かと思ってたけど意外。
皿の上には香ばしく焼けた魚に未知のソースがかかった料理が乗っている。
ミソって言うんだって、ゴブリンにはメジャーな調味料らしい。持ち歩いているとは思わなかったけど。
それで、料理はとっても美味しそうなんですけど、ちょっと事情があって私とアリカは食が進んでいなかった。
「なんだ、ミソ苦手か?」
「いや、そうじゃなくて。ねえアリカ」
「う、うん、ちょっとね」
無理もない、だって魔術師会で魚の怪物に食われかけたばっかりだもの。どうしても思い出してしまうよ。
しかしシュイラはそれを許さない。
事情を話したら話したで、「バカヤロー! そんなの逆に食っちまうくらいの気概じゃなくてどうする!」と怒鳴られた。
怪物も怖いがシュイラも怖い、これはある意味ショック療法なのか?
――そんな感じで、現在この移動ハウスには私とアリカとシュイラの三人が乗っている。
クラリッサは王都に報告に行くとか言ってさっさと出ていってしまった。魔術師会にあった通信装置で迎えを呼んだらしい。
下手をすれば王都まで連行されるかと思ったけど置いて行かれた形になった。私の監視任務はいいのかよ。
ホウリの話では魔術師会は常に中立ではあるものの、王国としては可能な限り協力関係にありたいと思っているらしく、私に対する魔術師会の決定その他いろいろを伝えるために戻ったのではないかという事だった。
そのホウリも魔術師会や王都でやる事があるとの事。
あの人、魔術師会の副代表なんだって。それがどうしてアルマンディのギルマスもやっているのかよくわからない。
どっちにしても死ぬほど忙しいのは確かだ、できれば同行してほしかったけど仕方ないか。
そういった事情でこの三人、並ぶお皿も三つ。
移動モード時の家の積載人数が三人ほどなのはクラリッサの時によくわかったから、まあこれくらいで良かったんじゃないかな。さすがに五人は難しかっただろう。
「ほらリプリン、あーんして」
ミソの絡んだ香ばしい切り身が私の鼻先に突きつけられる。
もちろんアリカの仕業だ。
「いいよ、自分で食べられるから」
「そう言わずに。わたし、リプリンが食べてるところ見たいんだもん」
「何よそれ」
「いいからいいから」
切り身はそのまま強引に口の中に突っ込まれた。
「どう?」
「……おいしい」
モムモムと魚を咀嚼する。
このミソとかいうソース、初めて食べたけど悪くない。
悪くないが……。
「アリカ、まさか私に味見させたんじゃ……」
「ふへへ」
アリカは肯定も否定もせず笑うだけだった。
と、その時。
「……オマエら、ずいぶん仲良くなったな。付き合いだしたのか?」
「ぶふっ!」
シュイラが急に変な事を言うもんだから、魚を半分吹き出してしまった。
ああもったいない。
「な、なんですか急に」
「見たまんまを言っただけだ。仲がいいのは結構だがあまりオレに見せつけないでくれよ」
「そんなんじゃありませんって! ねえアリカ?」
「ふへへ」
アリカは肯定も否定もせず笑うだけ。いや今は否定しろぉ!
「ふーん、まあいいけどな。人の心は自由であるべきだ」
「よく意味がわかりません……」
うう、変な事を言われたもんだから食事の味が分からなくなったじゃないの。
そりゃあアリカの事は何があっても守るって誓ったけど……それは別に、そういう事ではない、と思う、よ?
この件はさらに後まで影響を及ぼした。
就寝時間を迎えたベッドルーム、相変わらず狭いのでベッドはふたつ。
シュイラは気心が知れているし、大人なのでクラリッサのように理不尽なワガママは言わない。
だからベッドはそれぞれひとつずつ使うつもりだったのだ。
ひとつはシュイラが、もうひとつは私とアリカで。
ここで先程のシュイラの言葉が影響してくる。
ベッドに入ったはいいけれど……き、緊張する。
「なんだか、楽しいね」
アリカのささやきが耳元すぐそばで聞こえる。というか吐息の音まで聞こえるほどだ。
さらには腕に圧力を感じた。
私の腕を抱きまくらにしようというのですか? ああそんな、しっかりと抱きつかないで……。
無い心臓が破裂寸前、げ、限界です!
「わああっ!」
思わずベッドから飛び起きた。
もうひとつのベッドからは横たわったままのシュイラが涼しい顔をしてこちらを見ている。
「なんだようるさいな」
「だだ、誰のせいだと思ってるんですか! 変な事言うからもう!」
「はん、ヘタレがぁ」
鼻で笑われた。
くそう、変な事言うから妙に意識しちゃってとても眠れる状態ではないぞ。
「とにかく、私はキッチンで寝ますから。あそこのほうが慣れてますし!」
それだけ言うと、私は寝室を飛び出した。
アリカはといえば、なんとあれだけ騒いだにも関わらずそのまま眠っている。
人の気も知らないでいい気なもんだよ……。
結局その夜は全然眠れずに朝を迎えた。
いいんです、どうせ私はほとんど眠らないんだから。
「おはよう。いつの間にいなくなってたの? 全然気づかなかったよ」
「……おはよう」
アリカはやっぱりのん気なものだった。
抱きつかれてた腕を引っこ抜いても気付かないとかどんだけだよ。
考えてみれば、私とアリカは何なのだろう。
アリカは私をどう思っているのだろう。
友達……友達であるのは間違いない。親友と言っても差し支えない、はず。
以前、アリアの代わりだと思った事は無いと言ってくれた。だから姉妹ではない。
家族……は近いようでちょっと違うか。同居してはいるけれど。
ここでまたしてもシュイラの軽口が頭をよぎった。
ぐおお、あのちんちくりんゴブリンめ、とんでもない事言ってくれちゃってからに。
それから平静を取り戻すのに半日はかかった。
落ち着け私、今は何も考えるな。
*****
移動ハウスでも通れる道を選びつつ、山の間を抜けていく。
それにしてもこの辺りは気温が高い、季節的には寒い時期に差し掛かろうというのに。
「この辺りは火山があるからな、冬場は過ごしやすいんだ」
外の様子を伺いながら、シュイラが私にこの辺りの説明をしてくれた。
「へえ、それいいですね」
「その分、夏場は相当キツいぞ。おかげでオレ達の村のゴブリンはみんな暑さに強い」
「……今が夏場じゃなくて良かった」
シュイラがこの辺りの地理に詳しい理由、それはただいま向かっている目的地にある。
「ほら、見えてきたぞ。あそこがオレの故郷の村だ」
ブリア王国と旧西側諸国の国境近くにあるゴブリンの村、そこが今回の目的地だ。
すぐにでもルゾン帝国に行きたいところだけどそういう訳にはいかない。
いつ戦争になるかもわからないピリピリした状態、国境の警備も当然厳しくなっている。
そんなわけで正面からは行けないのだけれど、あのマリウスとかいう奴、行く方法まではサポートしてくれなかったのだ。
いったん王都まで戻ってホウリかクラリッサのツテを頼って何とかしようかと思っていたら、シュイラにアテがあるというのでやって来た次第。
思わぬ助け舟に感謝ですシュイラさん。
万が一クラリッサに借りを作るような事があったら何をされるかわかったものじゃない。
そもそも聞いてくれない可能性の方が高そうだし。
「シュイラ、この辺りにとめた方がいい?」
操縦席からアリカが顔を覗かせる。
この移動ハウスは便利だけど、行く先々の人を驚かせないように気を遣うのが難点だね。
「いや、すぐそばまで行って大丈夫だ」
「いいの?」
「ああ、村の連中は面白いものが大好きだからな」
でも今回はすぐ近くまで行っていいとのお達しだ。
面白いと言えば面白い、歩く家など他では見られないだろう。
シュイラのお言葉に甘え村の近くに停止させる。
こうしていると村の一部になったみたいだ。
それで、ここがゴブリンの村か。
国境に近いというのにのどかなものだ、国際情勢が不安定だなんてこの光景からは想像もできない。
「のどかな村だね、とっても平和そう」
「前の西側諸国とは交流があったからな、よく人の行き来もあった。今はルゾン帝国に変わったがこのあたりの情勢はたいして変わってない。人が来なくなったくらいだな」
ブリア王国の西側にあった小国群が統一されルゾン帝国になった。
しかし現状、帝国に動きは無いという。
いろんな意味で戦争になっていないのはありがたい。今のうちにルゾン帝国内に入ってしまいたいところだ。
「おお、シュイラが帰ってきたぞ!」
大きな乗り物で乗り付けたので、さっそく村の人たちが寄ってきた。
もちろんみんなゴブリン、グリムなんかとは違って温和そうな人たちが多い。
ほんと、体色が緑っぽいくらいしか共通点ないじゃないか、誰だ同一視してた奴は。
「ああ、ただいまみんな。だがちょっと急ぎの用があるんだ、まずはキングに会ってからだよ」
シュイラは寄ってきた村人たちを制止し、手で私たちに合図した。付いて来いって事だろう。
村人たちの好奇心いっぱいの目に晒されながらとりあえず手くらいは振ったりして、熱烈な歓迎の中をなんとか置いて行かれないようにシュイラに付いて行った。
「シュイラさん、キングって?」
「キングはキングだ、会えばわかる」
そう言うシュイラの顔は少しだけ嫌そうだった。
なんだろう、ゴブリンにはシュイラも会うのがためらわれるくらいの怖い王様がいるのだろうか。
怖いシュイラが恐れる王様……。ちょっと緊張してきた。