冷凍蝕品
魔術師たちに追いかけられて、飛び込み隠れたのは何かの監視部屋。
入るのは簡単だったのに、なぜだか扉が開かなくなった。
この状況になってしばらく経つ、されど相変わらず状況に変化はなし。
この部屋も私が監禁されていた部屋と同じ構造をしている。
頑丈な扉とガラス窓で区切られた二つの部屋、つまり監視する者とされる者の部屋。
アバラントやプリズマスギアなど、異界の影響をたっぷり受けたモノが収容されているという場所。
空き部屋という可能性もあるにはあるが、ここにも何かが収容されていると考えるのが自然だろう。
あまり見たくはないけれど、しばらくこの部屋にいる事になりそうなんだ。何があるのか確認くらいはしておいたほうがいいかもしれない。
「……」
そっと、窓から覗いてみた。
監禁部屋の真ん中あたりに何かある。見た感じは……魚。
大きめの魚が一匹、部屋の真ん中に置いてある。凍っているのか表面が白く、全体が硬直していて固そうだ。
「あれなんだろうね、凍ったお魚にしか見えないけど」
見た目に関してはアリカも同意見だった。
でもあくまで見た目だけ、あれが魚だという保証すらないのが異界の怖い所だ。
「あまり見ない方がいいよ、見た目は魚でも何が起きるかわかんないんだから。アリカだってわかってるでしょ」
「うん、確かに不自然な気配がする。なるべく離れてたほうがいいかも」
とはいえ私たちがいる監視部屋もまた広くはない。
開かない出口の前でふたり並んで座るのがせいぜいだった。
「はあ……扉も開かないし、しばらく休憩だとでも思うしかないか」
「うふふ、そうだね」
「……なんで楽しそうなの」
「あれ、そうかな?」
そう言うアリカの表情は、明らかにどこか楽しそうだ。
楽天的というか何というか、アリカらしくて羨ましいよ。
「待合室で別れてずいぶん経つけど、シュイラさんたちどう思ってるんだろ。不審に思って探しに来てくれたりしないかな」
「どうだろうね。シュイラってけっこう素直なところあるから、検査が長引いてるって言われたら納得して帰っちゃうかも」
「これで帰ったらあの人なにしに来たかわかんないじゃん」
しかし現実は厳しく、あまり期待はできそうにない。あ、もちろんシュイラを信用してないわけじゃないんですよ?
耳を澄ませても私たちを探す声は聞こえない。さっきまで追いかけて来ていた魔術師たちの物音さえも。
どこまでも続くような静寂だけが、ただひたすら私たちを包んでいるように思えた。
「静かだね……」
アリカがポツリとつぶやいた。
「静かすぎるよ」
「これだけ静かだと、まるで世界にわたしたちふたりしかいなくなったみたいだね」
「……まあ、そうだね」
「ふふっ」
小さく笑ったアリカの体がそっと近づいた。
「ねえ、リプリン。手、つないでもいい?」
「どうぞ」
私の了承の言葉を聞き、アリカの表情はへらっとよりゆるくなった。
柔らかな手が私の粘土細工のような手に絡み、ぎゅっと力がこもるのを感じた。
ついでに、肩の上にゆるい顔した頭がもたれかかる重さも。
「近くない?」
「いいって言ったじゃない」
「言った……かなあ? 手をつなぐ話じゃなかった?」
「オマケのサービスだよ、気にしないの」
「それそっちが決める事じゃないだろ」
どうやら私に拒否権は無いらしく、オマケのサービスは打ち切られなかった。
手と肩からアリカの温もりが伝わってくる。
時々、アリカの事を子犬みたいだと思う事はあった、でもこんなに擦り寄ってくる子だったかな。
やっぱアレか、この間のアリアの話。
あの時に秘密を共有するようになって、確実に私とアリカの距離が縮まった気がする。
悪い気は……しないけど。
そういえばナチュラルに「どうぞ」って言っちゃったな。私も私か。
ふと、アリカの体が少し震えた。
「ちょっと寒くなってきたね」
「え、そう?」
私はあまり感じないかな。むしろアリカの温もりが伝わって温かいくらいだけど。
もしかして私のせい?
「ねえ、自分だとよくわからないんだけど、私の体温ってある?」
「リプリンはいつだってぷにぷにすべすべひんやりしてるよ」
あ、マズイ。これ私の体表温度が低いからアリカの体温吸っちゃってるやつじゃない?
寒く感じたなら離れた方がいいかも。
「ちょっとアリカ、離れた方がいいって」
「えー、どうして?」
「私の体温が低いから寒く感じてるんだよきっと」
「でもほら、触ってたところはほんのりあったかくなってるよ。リプリンのせいじゃないって」
ええ……私の体って外からの影響で温度変わるの?
変温動物というか、むしろ保冷剤に近い。せめて生き物であってほしかった。
「せっかくだから、もっとたくさん温めてあげるね!」
「うわっ、ちょっと!」
人が心配しているというのに、アリカときたらがばっと思いきり抱きついてきた。
おいやめろ、こんなの誰かに見られたらあらぬ誤解を――
……冷たい。
アリカの体が小刻みに震えている、吐く息まで白くなっている。
いや違う、部屋全体の温度がかなり低くなっているんだ。
いったいどういう事だ? この部屋に低温にする設備なんか見当たらないぞ。
低温……? も、もしかして!?
監視窓から隣の監禁部屋を覗いた。そこには相変わらず凍った魚が置かれている。
しかし先程とは確実に違っているところがあった。
凍った魚を中心に、白い冷気のようなものが周囲へと広がっているのだ。
あの魚もやっぱりプリズマスギア、もしくは……アバラントなのか。
よく見たらこの監禁部屋、通気口が塞がれている。
対象に換気の必要がないだけならいい。でも、もし細かな通気口すら開いているのが危険な存在なのだとしたら……?
う、私も震えてきた。怖いのと寒いのと両方で。
「アリカ、これってすごくマズイよ。扉を壊してでも逃げた方がいい」
「う、うん……そのほうがいいかも。……これ使おう」
寒さに震える手で、アリカが魔導銃を取り出した。
「これにわたしの魔力を込めて撃つの、最高出力で撃てばドアを壊せるかもしれない」
「わかった、やってみよう」
アリカが魔導銃を構え、私が後ろから体を支える。
部屋自体が狭いからあまり扉とは距離が取れないのが心配だけど他に手はない。
「じゃあ撃つよ、準備はいい?」
私はアリカの問いかけに小さく頷いた。
震える体に力がこもる。私は震えを抑えるがごとく、ぎゅっとアリカの体を抱きかかえた。
「3、2、1、……発射!」
その瞬間、小さな部屋の中に台風が来たかのような衝撃が走った。
収束されたアリカの魔力がまるで爆弾のように炸裂し、その反動で私たちの体は反対側の壁に勢いよく叩きつけられる。
……ここで良いニュースと悪いニュースが発生した。
良いニュース、それはアリカがケガをしなかった事。
私の体がアリカと壁の間で潰れた事により衝撃が吸収され、アリカにはさほどダメージが無かった。
私はただいま再生中、寒いから速度が遅い。こういう弊害もあるのか、勉強になるよ。
それから悪いニュース。
なんと今の衝撃でも部屋の扉は壊れなかった。
いや、正確には壊れていると言えなくもない。ただし、金属製の壁が大きく歪んだだけに留まっている。
壊れはしたけど最悪の壊れ方だこれ、もう正規の方法だと絶対に開かない。
隙間すら開かなかったし、どんだけ頑丈に作ってあるんだよ。
「開かなかった……?」
小さな声でアリカがつぶやく。
様子がおかしい、かなり弱っているように見える。
「アリカ、しっかり! どこかケガしたの!?」
「ううん、だいじょうぶ……」
見た目にはケガをしていないけどあれだけの衝撃だ、見えない所にダメージがあったのかもしれない。
それに気温もどんどん下がり続けている、まつ毛についたわずかな水分が凍り付くほどに。これでは意識レベルが低下して当然だ。
ガタガタガタ……
何か、奇妙な音がする。その音は嫌な事に監禁室の方からだ。
ああ……悪いニュースがもうひとつ増えた。
今まで微動だにしなかった凍った魚がガタガタと激しく揺れている。
そしてその身の先端からバラバラと形が崩れ、無数の小魚となって周囲に飛び出していった。
イワシの群れが巨大なうねりとなって泳ぐように、小魚の大群はひと塊になって空中を泳ぐ。
明らかに元になった冷凍魚よりも量が多い。空を飛んでいる時点で常識なんか通じないんだろうけど。
そのうちに小魚の群れはこちらに向けて突進してきた。
ビタビタビタッ!
無数の小魚が壁に窓にと張り付いていく。
魚の顔って表情が無いから何考えてるかわからない、でも今はこいつらが何をしようとしているのかわかるぞ。
窓越しに鋭いキバをガチガチと噛み合わせ、なんとかしてこちらの部屋に入り込もうとしているんだ、私たちを食べようとしているに違いないだろう。
――恐ろしい光景だった。
殺意を持った無数の小魚が張り付いているというのは、たとえ窓越しでも恐ろしい。
そしてさらに恐ろしい事に、小魚のあまりの質量に壁やガラスが嫌な音を立て始めた。あまり長くはもたないかもしれない。
温度の低下も止まらない、私の体もかなり動きが鈍くなってきている。
「リプリン……」
「なに、アリカ」
「もしここで死んじゃったら――」
「バカな事言わないで!」
やめてよ、そんな事アリカの口から聞きたくない。
でも言葉を遮ろうとする私の手を、アリカはそっと握って離さなかった。
「ちゃんと聞いて。もしここで死んじゃっても、わたしの事忘れないでね?」
「やめて、そんな事……」
「うふふ……なんだかお話のヒロインになった……気分……」
アリカ……アリカ!?
いけない、ほとんど意識を失ってる。このままだと魚の餌になる前に凍死するぞ!
こうなったらイチかバチか、魔導銃でもう一度……。
いやダメだ、もう一度撃っても扉を壊せる保証はないし、反動で監禁部屋の方の壁が壊れたらおしまいだ。
それにアリカが気を失った今、魔力の無い私では魔導銃は使えない。
だったら、せめてアリカだけでも建物の外に強制排出して……。
……あっ! プリズマスギアは魔術師に提出したんだった!
最悪私が喰われてもアリカは助けられると思ったのに!
「くっ……! 誰か、誰かいないの!?」
必死になって歪んだ扉を叩いた。
寒さで私の体も上手く動かない。扉を叩く音も、叫び声も、小魚の群れが出す音にかき消される。
「誰でもいい、助けて! アリカを助けて!」
低温で手が凍っていく。
激しく鉄の扉に打ち付けた部分が砕けて落ちた。
うあっ……くそ、ダメなのか……?
冗談じゃない、アリカを悲劇のヒロインになんかさせてたまるか!
ビシッ!
扉とは反対方向、背後から鋭い音がした。小魚の大群に耐え切れず、ガラスにヒビが入りはじめた音だ。
こうなってしまうと後は早かった。
ガシャーン!
ガラスが砕け、凄まじい量の人食い小魚がこちらの部屋に流れ込む。
「アリ……カ……」
私は半分凍った体で、何とかアリカの盾になろうとその体に覆いかぶさった。
自分の体のあちこちに無数の細かい鋸のような歯が食い込むのを感じる。
やめろ……アリカに触るな……!
不死身でありながらなんと無力な事か。私は身を焦がすほどの怨嗟を抱きながら、ただ小魚の猛攻に耐える事しかできなかった。




