森での出会いにご用心 (挿絵あり)
さわさわと揺れる草が頬をくすぐる。
木漏れ日に誘われ目を開ければ、そこは鬱蒼と茂る森の中、誰も立ち入る事の無い迷いの森。
その中にある大木の根元に私は横たわっていた。
どこをどうやって来たのかはわからない、どれくらいの時間が経ったのかもわからない。
ただ確実に言えるのは、私は生きている。
そして、晴れて自由の身になったという事だ。
ここで、私の体の更なる大きな変化に気が付いた。
時間が経って新たな体に馴染んできたのかもしれない。多少の違和感はあるけれど、ちゃんと指のある手が二本生えている。
目も耳も不完全ながらふたつずつ、ちゃんと周囲の様子が見えるし聞こえる。
「お……あ……ああ、あー!」
口もあった。そこから漏れる空気の流れが、少しずつ声になっていくのを感じた。
口って言ってもただ顔に穴が開いているだけかもしれないけど、それでもちゃんと声が出る穴なら申し分ない。
足だって二本ある、油断するとへちゃっと溶けてしまいそうになるけど、それでもちゃんと歩ける足がある。
おおお……、感動的だ。涙は出ないけど泣きそうなくらい元の姿に近付いているんじゃないかしら。
鏡が無いから今の姿を確認する事はできない。
でもそれでもいい、確認したくもあるけど、正直言って今の姿を見るのが怖いし。
だってどう考えても人里に下りたら退治される容姿してると思うもの。ぜったい魔物と思われるんじゃないかな!?
ま、どうせこんな森の中に来る人はいないだろう。
それよりこれからどうやって生きていこうか考えないと。
最善なのはこのまま元の姿に完璧に戻って、村に帰ってスフレの無事を確認するというパターンだ。
よし決定、それには元に戻れるまでなんとか生き抜いていかねばならない。
生きるためには……まずは何か食べないとな。
しかし、辺りを見回してもでっかい木や草ばかりで食べられそうな実は見当たらない。
視線を下げるとキノコは見つかったけど……、これ食べられるのかな。
考えてもわからないので試しにひと口かじってみた。
……味が無い。
そもそも口はあるけど歯が無いから、口の中でキノコを転がしているだけになっている。ついでに、あるのは口までなので飲み込めない。
マズイ、ふたつの意味でマズイ。人間どれくらい食べないと死ぬんだっけ?
というか……、最後に食事したのいつだっけ?
冷静に考えてみると、事故があってから今まで何も食べていないような気がする。
治療の際の薬に栄養が含まれていたのかもしれないけど、治療が実験に変わってからは投薬の間隔も大きく、そもそも栄養が入っていたのかどうかすら怪しい。
あれ、そういえば水も飲んでないぞ。
――〈不死細胞〉、研究員の言っていた言葉が脳裏をよぎった。
もしかして、私って死ななくなってんの?
いや、まさかね。生があれば死もある、生きているという事は終わりがあるという事だ。
そんな世界の理から外れるような事態にはなっていない、……と思う。
と、とにかく、すぐに食事をとる必要が無いのなら他の事をしよう。
たとえば……、そう、住居。こんな森の中で寝るのはいろいろと辛い、せめて雨風をしのげる場所くらいは欲しいところだね。
簡単なものでいい、ほら、そこにある洞窟みたいな。
……おあつらえ向きにいい洞窟があるなあ。
洞窟、洞窟かあ……。贅沢は言っていられない、とりあえず今日のところはここでいいか。
洞窟の内部は思っていたよりは広くなかった。
だいたい個人用の部屋ひとつ分くらいかな? 入口が狭くなっているから寝るにはちょうどいいかもしれない。
ちょっとだけ横になってみた。
うん、いいね。まるで寝るために用意された巣穴みたいだよ。
ガサッ!
その時、強い力で草をかき分けるような音がした。
音は近くの茂みから聞こえる。
そして、だんだんとこちらへ近付いてきているような気がする。
い、嫌な予感がビンビンするぞぉ。
覚悟を決め、洞窟の入口からゆっくりと覗く私。というか出入り口はここしかないし。
……そして、嫌な予感は見事に的中した。
「グルル……」
そこに立っていたのはむくむく大きい毛むくじゃらとツノ、とってもパワフルな森のくまさんことホーンドベアーさんでした。
マジでか。いくら深い森だからって、ここって王都からそんなに離れてたの!?
ホーンドベアーは見た目通りの強さを持つ魔物、街の近くで目撃されたら討伐隊が出るくらいだよ!
「あ、はは……、どうも。こ、ここって、き、きき、きみのおうちだったのかな……?」
拙い喋りで応対してみるも、ホーンドベアーの目は明らかに殺気立っている。
せっかく喋れるようになったというのに、その相手がこれとは……。
もはや上手く発声できていないのか、怖くて震えてるだけなのかわからなくなってきた。
当然ながらお話して穏便に済ませられる相手ではない、逃げ……、逃げないと!
だがしかし、足のおぼつかない今の私に、魔物から逃げるほどの動きなどできるはずもなかった。
現実は非情だ。
ホーンドベアーの剛腕と鋭い爪から繰り出される斧のような一撃が、私の肩から食い込み胸のあたりまでを深々と引き裂いた。
あ……、死んだ、これ完全に死んだね……。
せっかく自由になれたっていうのに、今度は魔物に襲われるなんてツイてないにも程がある。
神様に会えたら文句言ってやるぞ。そりゃあもう小一時間くらい。
「グロロ……」
あー、はいはい、確かにグロいね。ただでさえ半溶けの娘がバッサリいかれてるんだからそりゃグロいさ。
……いや違う、このホーンドベアーの鳴き方、何かを警戒してる鳴き方だ。
いったい何を警戒してる? この辺りにはこいつと私くらいしか……。
ふと気が付いた。あれ? なんか痛くない、あれこれ考える余裕がある。
見れば、ホーンドベアーにバッサリやられたはずの部分からは、奇妙な事に血の一滴も流れてはいなかった。
傷口も妙だ。例えて言うなら、工作途中の粘土という感じ。優しくこするように触ると元に戻るのも粘土っぽい。
――そうか、私の体は今、生きている粘土みたいになってるのか。
粘土だから形が変わる事はあってもダメージにはならないってわけね。
この魔物も、確かな手応えがあったのにダメージを負っている様子の無い私を不審に思って警戒しているんだろう。
好都合だ、今のうちに逃げてやる。動け私の足! お願いだから!
ピィーーー!
這いずり逃げる私をけたたましい音が襲う。
うわっ、うるさい! 何だこの音!?
突如鳴り響いた高音に、ホーンドベアーも戸惑っている。
しばらくブンブンと頭を振っていたかと思えば、何かを目指すように一目散に走り去っていった。
た……、助かっ……た?
何の音か知らないけど、新たなる危機の前兆でない事を祈るよ。
「ねーえ、きみ大丈夫ー!?」
「うひゃお!」
不安と緊張でハラハラしていたところにいきなり話しかけられて変な声が出た。
だ、誰だ? 私はおいしくないぞ? そして今の変な声は空耳だぞ!
「あはは、なにその「うひゃおー」って」
うぐぐ、しっかり聞かれていた。密かに悔しがる私の目の前に、木の上にいたらしき人影が軽快な動きで飛び降りてくる。
瞬間、私はその人物に目を奪われた。
肩の上でさらりと揺れるきれいな金髪、整った顔立ち、柔らかそうな白い肌。
降りてきた人物はいわゆる金髪碧眼の美人さんだった。
着ている服が薄汚れた探検小僧みたいなものでなければ、もうちょっと長い間見とれていた事だろう。
「あのクマさんなら心配いらないよ、あっちにはわたしのお友達がいるからね。ところであなたは誰? わたしはアリカ! トレジャーハンターだよ!」
そしてかなりのん気な性格らしい。
ホーンドベアーを追い払ったばかりで、目の前に得体の知れないものが立ってるのに言う事それなの? 私が言うのもなんだけどさ。
「きみって人間? スライム? 新種の魔物? うわー、ぷにぷにだねえ」
「……ま、魔物、じゃない。私は、人間」
つんつん突かれだしたので、返事をするべくなんとか言葉をひねり出した。よし、一応は会話できるくらい喋れる。
ていうかつつくな、たとえ魔物だったとしても失礼だろ。
「名前は……、リプリン。ルゾン王国の、コミス村出身、よ」
「ルゾン王国?」
名乗りも成功した。きっと流暢に喋れるようになるのも時間の問題だね。
それはそうとして、私が名乗ったら今度はアリカとかいう金髪女が不思議そうな表情を浮かべている。何かおかしな事言ったかな……?
「ルゾン……、ルゾン……、あ~、そんな名前の国があったような」
「あ、あった、ようなって。あるでしょ、そりゃ」
「二十年くらい前まではね。あれ、三十年だったかな?」
そう言うと彼女、アリカは分厚い手帳を取り出しパラパラとめくり始める。
いやそれよりどういう事よ、ルゾン王国が何十年も前に無くなったって言ったの?
そんな、そんなに時間が経ってるわけないでしょ!?
「えーっと、あったよ。やっぱり四十年くらい前に無くなった国だね。六十年前の大規模な爆発事故、そこから戦争とかでだんだんと衰退していったんだって、ショギョームジョーだねえ」
意味わかって言ってるのかそれ。なんて、突っ込んでいる場合ではない。
ろくじゅうねん? ウソでしょ? 聴覚がまたダメになったのかな?
あはは……笑えない。
「……ん? どうしたのリプニプニちゃん」
名前が違うよ……。
どうしたもこうしたもないよ……、人の形を失って、いろいろ実験されて、やっと自由になったと思ったら六十年経ってて、おまけに故郷が無くなってるなんて想定してないよ。
そりゃ膝を抱えてうずくまりもするよ……。
…………。
おいやめろ、つつくな。
「なんか大変そうだね」
「実際大変なんだよ……! ほっといてくれる? あとつつくな!」
なんだよこの女、人が絶望の淵に立たされているって時に。
ああ、私はどうすればいい? これからどうなってしまうの? いっそ新種の魔物として森でひっそりと生きていくか……、いやそれはないな。
「ねえプニプニちゃん、行くとこないんだったらウチに来る?」
ついに「プ」しか合っているところが無くなった。いつまでいるんだこの女。
……って、今なんて言った?
「あなた、今いっしょに来るかって言ったの?」
「うん、言ったよ」
「初対面かつ魔物だかなんだかわからないプニプニした奴に向かってそう言ってるの?」
「言ったってば」
言ったのか、何考えてるんだこいつ。
ハッ、そういえばトレジャーハンターとか名乗ってた気がする。さては私を新種の魔物とか言って高く売ろうって魂胆だな!?
「……そうはさせるか、私はおタカラじゃないぞ!」
身の危険を感じた私はその場から逃れようとするが、足のドロドロ感が増していてうまく動けない。
くっ、さっきまでもうちょいマシに動けたのに。
私は文字通り足が絡まってその場に倒れ込んでしまった。
「大丈夫―? おタカラって何?」
倒れた私の頭側に素早く回り込む金髪女。
碧色の瞳で私を見下ろしたかと思えば、おもむろにしゃがんでつんつんつつく。
身のこなしは素晴らしいが、いちいちつつくのは本当にやめて欲しい。
「私を……、どこかに高く売る気なんでしょ。トレジャーハンターだって言ってたし」
「……」
急に真顔で黙り込まれた、もしかして図星だった? うわ危なっ!
「あはははは!」
かと思えば今度は急に大笑い。なんだ、脳の処理に時間がかかってただけか。
「ちがうよー、きみがかわいいって思ったからそう言っただけ」
マジでか。
しかし金髪女の顔は緩んではいるが真剣そのもの、くもりなきまなこで真っ直ぐ私を見ている。
「わたしはトレジャーハンターだからね、おかしなものには慣れてるっていうか、むしろ好きすぎるくらいかな」
「おい、今おかしなものって言った?」
「気のせいだよ。さ、入って入って!」
「!?」
どこから取り出したのか、急に人が入れそうな大きさのカバンが出てきた。おまけに私をその中に押し込もうとしている。
いやちょっと待って……、うおお、なんて力だ!
「目立つときみも嫌なんでしょ? だからうちまでちょっと我慢しててね」
「ちょっと、私の意思は――」
何かを言おうとする前にバッグの蓋を閉められた。いやこれ普通に誘拐だろ、めっちゃ怖いんですけど!
だが抵抗むなしく、すさまじい勢いでどこかへと運ばれていく私。
この運ばれていく感覚二回目だな……。
私は自分の無力さを痛感している、もう好きにしてください。