ナイトメアサーカスへようこそ
何がどうなってるのか、自分の置かれている状況が全く分からない。
えーと、街にバニーガールがいるのを見つけて、アリカが興味本位で話しかけて、いつの間にかサーカスのテントがあって意味不明な演説を聞かされて、バニーに逃げられたと思ったら屋外にいた。
……我ながら何言ってるんだか。
しかし、実際に私たちは紛れもなく草原に立っている。
周囲には何も無い、見渡す限り草ばっかり。
ここがどこかと聞かれたら、まず九割の人が草原だって言うほどには紛れもなく草原だ。
「ねえ、あれ見て」
アリカが上を向いて空を指さしている。
気持ちのいい青空だ、多少の雲がいかにも空ですって感じの。
でも指をさすほど気になるものはないよ?
「あれ……って、何? よくわかんないんだけど」
「だからあれだよ、ずっとずっと上の方、よく見て!」
ずっと上……雲の上かな? 帽子で見えづらい、私はそこまで目は良くないんだ。
そういえば晴れているのに太陽が見えないぞ。
と、アリカと一緒になって上を見上げていた私はようやく彼女が言いたい事に気が付いた。
「ん? 雲の上に何か見える……」
うっすらと、しかし確実にそれはそこにあった。
ぼんやりと見える程度だけど間違いない。
見間違いようのないカラフルな縞模様、あれはさっきまで私たちがいたテントの天幕だ。
「どういう事だろうね? ここってまだテントの中って事なのかな」
「いや、そんなわけないでしょ。いくらなんでも広すぎるって」
いったい何だっていうんだこのサーカスは、そもそも本当にサーカスなのか?
私たちを草原に閉じ込めて、……言い方はおかしいけど現にそうなんだもの。
草原に閉じ込めて何がしたいのか、閉じ込められた方には見当もつかないよ。
「ねえ、どうする?」
「どうするも何も……。とりあえず出口を探すしかないんじゃない? ここがテントの中だっていうのなら、どこかに出口があるはずでしょ」
買い物に行く途中だったし、二つの意味で頭のおかしいおじさんに付き合っていつまでもこんな草原に突っ立ってはいられない。
私とアリカはテントの出口を探すべく歩き始めた。
背の低い青々とした草が広がる大地、これがピクニックだったら気持ちがいいんだろうけど、そんな事を言っている場合ではない。
草以外に目印になるものが何も無く、行けども行けども同じ風景がひたすら続くのみ。
これ明らかに魔法か何かで閉じ込められてるぞ。
「はあ、歩いても風景が変わらないと頭がおかしくなりそう」
「だね、乗り物で移動できたらまだいいんだけど」
都合よく野生馬でもいれば捕まえるんだけど、残念ながら虫一匹見当たらない。
体よりも心が音を上げそう、ちょっと休憩しようかな。
パラリラ~
音がした? 何だろう今の。
ラッパのようなそうでないような、あまり聞かないヘンテコな音だった。
私たちの歩いてきた方向から音がする、つまり後ろ。
何も無い草原だから音の発生源を見つけるのは難しい事ではなかった。
振り返ってみるとそこには玉乗りをしながらラッパを吹くピエロの姿。
ようやくサーカスらしくなってきたじゃない、できれば草原になる前に出て来るべきだったね。
「わあ、玉乗りだよ。ねえねえ、あれも乗り物っていえるかな?」
「言えなくはないと思うけど、かえって疲れると思うよ」
試してみたい? ならアリカひとりでどうぞ。私はゴメンだね。
それより誰かいるのならこの際ピエロでもいい、出口はどこか聞いてみよう。
「あのー、ちょっといいです――」
ピエロに呼びかけようとして言葉に詰まった。
だってそのピエロ、よく見たらピエロじゃないんだもの。
衣装は紛れもなくピエロだ、ピエロでもなければこんな服は着ない。
でも、本来なら頭がある部分がはっきりと認識できない。あえて言うなら赤黒い風船のようなものがくっついている。
見てるとぐねぐね動いてるのがわかるし、質感が生っぽくて気持ち悪い。
気分が悪くなりそうだったので思わず目を逸らした。
「ね、ねえ、これピエロじゃないよね?」
「わたしもそう思う、……あまり見ない方がいい気がする」
アリカにも同じように見えているようだ、私の頭がおかしくなったわけじゃないようでホッとした。
それにしても、私はこんなものをピエロだと思ったの? 口も無いのにそれでどうやってラッパ吹いてんのよ。
おかしな事はさらに続く。
ピエロの乗っている玉がいつの間にかトゲトゲのついた凶悪なデザインに、持っているラッパは肩に担ぐほど大きなものになっていた。
楽器の種類変わってんじゃないのそれ。
何か、嫌な予感がする。
ピエロの足がどんどん加速していき、漫画のようにコミカルなグルグル走りになった。
それに合わせてトゲ玉も加速し、猛烈な勢いで地面を削っている。
でも、ものすごく早い足の動きや玉の回転数に対して移動速度は遅い、まるでコメディだ。
あ、ピエロだからそれでいいのか。
とはいえその威力と殺意は紛れもなく本物。
こ、このままでは殺られる!
「あ、アリカ、逃げるよ!」
「逃げるって、どこに!?」
「そんなのどこだっていいから! あいつらから逃げるんだよ!」
背を向けて走り出した私たちに、ピエロは肩に担いだ楽器を向ける。
ちょっとそれ、もしかして大砲だなんて言うんじゃないでしょうね!?
しかし、嫌な予感ほど当たるのが世の中、不幸体質の少女ともあればなおさらだ。
カラフルなおもちゃのような楽器からは気の抜けるような音と共に、これまた気の抜けるヒョロヒョロとした軌道でカラフルな玉が飛び出した。
見た目はこんなだけど威力は抜群。
私たちのすぐ後ろに着弾した玉が地面をえぐり、色鮮やかな爆炎がドッカーン!
「うあっ!」
爆発の衝撃で倒れる私とアリカ。
しかしアリカはすぐに体勢を立て直すと、私の手を取り助け起こしてくれた。
さすがはトレジャーハンター、タフだね。
「リプリン、走って!」
アリカが叫ぶ。
そう言う自分は何やってんの、どうしてピエロの方を向いて立ってるわけ!?
「アリカ、やばいって!」
「大丈夫! もう、こんな事して許さないんだから!」
アリカの手が一瞬の動きで腰のバッグから何かを取り出す。
あ、それって前に見た自在剣ってやつ?
ナックル状の指輪に繋がったロープ、その先にある鋭い短剣。
まさしくアリカの自慢の武器〈ファンタスマゴリア〉だった。
「今日はちゃんと六本持って来てるからね、手加減しないよ!」
アリカが手を振ると、ロープはまるで意思を持った生き物のように縦横無尽に中を舞う。
この間見た一本だけの時も凄い動きだと思ったけど、それが六本ともなると見てる方の目が回りそう。これを操ってるなんて凄いな。
「そこっ!」
自在剣の一本が鋭く伸びて、ピエロの頭……といっても肉風船だけど。
とにかく、ピエロの頭を見事に捕らえた。
「!?」
捕らえた……までは良かったけど、その先はちょっと予想外だった。
自在剣の切っ先は確実に頭を斬りつけたんだけど、まるで水を斬りつけたようにスルリとすり抜けてそれで終わり。
当然、ピエロにはダメージなどないみたい。
相変わらず頭をプルプル震わせながら、今度はナイフに棍棒にと次々に武器を増やしてお手玉を始めた。
「なんで……!?」
それからまた数回斬りつけるも結果は同じ、胴体の方もダメージなし。
何度も試す間にも状況はどんどん悪くなっていく。
たとえば草原だと思っていたところがいつの間にか足場の悪い岩場になっていたりとかね。
「アリカ、もういいから逃げるよ! 自在剣戻して!」
「くぅ……」
まだ一週間ほどの付き合いだけど、アリカのこんなに悔しそうな顔を初めて見た。よほど自在剣の腕には自信があったんだろう。
こいつこんな顔するんだ……。
こんな時だけど、ちょっと珍しいものを見て得した気分になった。
ああ、でも状況はいっこうに解決してないぞ。
逃げると言っても今度は岩場、足元が悪すぎる。
対してピエロはトゲの付いた玉をポヨンポヨンと弾ませてジャンプしながら追いかけて来る。
おまえ何でもアリかよコノヤロウ!
「とにかく走って!」
なんて言ってはみたものの、アリカのほうが足は速いのは明白。
ただでさえ歩きにくい岩場なんだ、場合によっては普通の道でも苦労している私には荷が重い。
「ほら、手!」
「……うぅ」
いつしかアリカのほうが前に出て、私の手を取り先導してくれている。
ちょっと気恥ずかしいけどそんな事は言っていられない。
殺意満点のピエロから逃げるため、私たちは岩場を疾走する。なんて危険行為だろう。
一心不乱に逃げ続け、上り坂になった鋭い岩を乗り越え滑り降りた。
あたた、尻が痛い。
「ここ、こっち……です……」
「!?」
その時、声が聞こえたような気がして、私たちはとっさに近くの岩陰に滑り込んだ。
あのピエロ、顔が無いだけによく見えていないのか、息を殺して潜んでいた私たちの上をそのまま飛び越えていってしまった。
ふう……、とりあえずは助かったかな?
「ああ、あの、ごごご、ご無事です……か……?」
「……あっ!?」
声が聞こえたと思ったのは正解だったわけだ。
岩陰から私たちを呼んだ人物、そこにいたのはあの根暗そうなバニーガール、パルバニだった。
その顔、その服、その看板、見間違えるわけもない。
というかその看板ずっと持ってるのかよ。
「ちょっと、やっぱり罠だったんじゃないか! このインチキウサギ!」
「あわわ、お、落ち着いて、くだ、くださいぃ……」
私はパルバニに掴みかかった。これが落ち着いていられるか!
サーカスだって言うから見に行ったのに、おかしな空間に閉じ込められて、おまけに命まで狙われるなんてどういうつもりだ!
「ちょっと待ってリプリン、話くらい聞いてみようよ」
パルバニに掴みかかる私をアリカが引き留めた。
むむう、仕方がない。話というか釈明するチャンスくらいは与えようじゃないの。
「はひぃ……、ほ、本当に、申し訳ありません……。う、うちの団長、ゲッペルハイド団長は、ちょっと、その、おかしくなってしまってて……」
おかしいのはよくわかってる、なんせ頭があんな感じだったからね。
中身もそうだけど外身の話だよ、念のため。
それで、パルバニが言うには、団長であり育ての親でもあるゲッペルハイドは高名な魔術師だったけど、ある時を境に何かに呪われおかしくなってしまったという。
「だ、だから私、団長の、の、呪いを解ける人をずっと探してて……」
「それでわたしたちを呼びこんだの? そう言われても呪術に心得なんかないんだけどなあ」
アリカの疑問ももっともだ。
呪いを解きたいなら魔女なりなんなり詳しそうな人に相談してみればいい、あんた自身のバニースーツの件も合わせてね。
こんな通りすがりの女の子、それも片方は魔法が無理って言われたばっかりの粘土製美少女だ。捕まえたって仕方がないでしょうに。
「あ、えと、その、あなたがたを、よ、呼んだのは、だだ、団長の指示で……」
団長の指示だって? はて、どういう事だろう?
その団長さんはおかしくなってしまったって言ったばかりじゃないの。
おかしくなった団長から私たちを誘い込むように指示があった、という事になるんだけど。
「あんた、言ってる事が矛盾してない?」
「いいい、いえ、おかしくは、あ、ありま、せん。わ、私も、こんな事になるとは、お、思っても、みなくて……」
思ってようが思っていまいが、私たちが危険な目にあっている事には変わりない。
むしろ思ってなかったのならどうにかして欲しいもんだ。
「あの、ピエロの人は、う、うちの団員ではなくて……、団長の出した魔法生物なので、や、殺っちゃっても、だだ、だいじょうぶ、です」
いや、殺っちゃっていいとか言われても攻撃がすり抜けて効かなかったし。
見た目もすっごい気持ち悪いし、相手にしたくはないよ。
どう考えても逃げちゃった方が早い。
「もういいから、出口は? どこかにないの?」
「でで、出口は、団ちょ――」
グシャッ!
言葉を遮るように、トゲの付いた棍棒が猛烈な勢いでパルバニめがけて飛んできた。
凶悪な棍棒の一撃がパルバニの頭に直撃、私の目の前で激しく砕け飛び散った。
ぎゃあ、グロい!
「ひっ……! ……あれ?」
思わず息をのんで目を覆った。
しかし、そっと手をどけて確認してみると、そこに頭を砕かれたはずの彼女の死体が無い。
それどころか目の前には人間くらいの大きさの岩があるだけ。
棍棒もそれにめり込んで止まっている。
どうなってんの? 私たちは岩とお話ししてたって事?
うう、このままじゃあ団長どころか私もおかしくなるぞ。
もっとも、目の前には迫りくるピエロ。おかしくなる前に殺されなきゃいいけど。