先日のダイエット以降、夜になると衣玖さんが月に向かってしきりに豊姫の名を叫んでいるって慧音が言ってた
主な登場人物
姫海棠はたて:おそらくは幻想郷でもっとも口下手な人物。当たり前のように会話をこなす他人を羨みつつも誌面上では別人のように饒舌。新聞記者の鑑である。
新聞作成の作業が一段落したところで、大きく背を伸ばし、背伸びを終えた後は、だらりと椅子にもたれ掛かる。
長時間に渡って働かせ続けた脳を癒す為に無心になって天を仰ぐ。
しばらくの間、ぼ〜としながら感覚の長いまばたきを続けていると、腹部に空腹感が湧き上がってきた。
時間を確認すると丁度お昼時だ。
はたてが昼食を取ろうと椅子から立ち上がり、冷蔵庫の扉を開く。
はたて「…………はぁ……」
冷蔵庫の扉を開けて数秒後に、はたては落胆の溜息をついた。
一週間前に買い溜めしておいた食料が底を尽いている。
はたての顔色が明らかに悪くなっていく。
食料の蓄えが尽きたという事実。それ自体も問題には違いないが、はたてにとって何よりの問題は、食料を買う為には人前に出なければいけないと言う事だ。
はたてのコミニュケーション能力は皆無に等しい。他人との会話は彼女にとって凄まじい難易度の危険なミッションに他ならない。
声のトーンとボリューム。相槌のタイミング。目線の置き場所。不自然で無い立ち振る舞い。掛ける言葉と返す言葉をもっとも最良に近い形で瞬時に選択する瞬発力とボキャブラリの豊富さ。会話の始まるタイミングと会話の終わるタイミング、それらの流れを乗りこなす器用さ。相手の滑舌が悪かろうと、相手の声が小さかろうと、出来うる限り正確に言葉を聞き取る集中力。それら全てを意識しつつ、素早くその場の状況に対応する能力が必要とされる会話という行為。
なんだこれは?もはや拷問ではないか!?たかだか買い物ひとつにもこれほど多くの問題が立ち塞がる可能性があるのだ。
よほど気心の知れた仲か、相当無口な人物が相手なら問題は無いのだが、世の中にはそれ以外の存在の方が遥かに多いのだ。
コミニュケーション能力の低いはたてが外に出たがらないのも無理はないだろう。
外に出ずとも新聞のネタを探せるような便利な念写能力があるというのなら尚更だ。
しかし、このまま家に篭っていてはいずれは餓死するだろう。
唯一の友人である射命丸文に外出に付いて来て欲しいとメールで頼み込むが、帰ってきた返事は「新聞の作成作業が忙しいから無理」という文面だった。
はたて「………………………」
途方に暮れたはたては、一度は中に何も入ってない事を確認しつつも、もしかしたら冷蔵庫が空だったのは自分の見間違いで、パンの一欠片ぐらいは隅っこの方に入っているかも知れないと、縋るだけ無駄な希望に縋りつつ、もういちど冷蔵庫の扉を開ける。
はたて「………………………」
当然の如く冷蔵庫は空のままだ。
はたて「仕方ない……覚悟を決めるか……」
このままでは時間が経過するだけで外出する気力もじわじわと薄れていってしまう。
文の方もいつ作業が終わるのかは分からない。
本当に動けなくなる前に、意を決してはたては家を出た。
妖怪の山を下るまではまだ良かった。
妖怪の山を出歩く者は少ない。白狼天狗が巡回してたりもするが、それでも妖怪の山の人口密度は低い。
もっとも大きな問題は目的地でもある人里だ。
人里は幻想郷でもっとも多くの人妖が行き交う場所だ。当然、人口密度も高い。
人里についてからのはたてはと言うと、できるだけ人目に付かないよう積極的に道の隅っこに張り付いたり、吸い寄せられるように裏路地を多用したり、中途半端な仲の顔見知りに出会わないよう行き交う人々の顔をひとりひとり確認したりと、挙動不審の変質者と捉えられかねない動きを連発していた。
会話を避ける為の涙ぐましい努力を続けるはたて。
傍目から見れば必要以上に悪目立ちしているパラドックスに本人は気付かない。
間違った努力に意識を割き続ける。
そんな彼女の鼻腔に、ふいに食欲をくすぐる香りが流れ込む。
はたて「ん?」
独特な香りの出所を探ろうとはたてが周囲の建物に目をやると【インドカレーの店】と銘打たれた、なにやら見慣れぬ看板が目に入った。
はたて「インドカレー?なんの店かしら………カレーの一種?」
気になったはたてが、自分の立っていた通路の向かいにある店へと歩いて行く。
表のショーウィンドウには小洒落た食器に大きな平べったいパンのようなものと、カレーと思しき液体の入った円形の小皿が並べられていた。
こんな店は初めて見た。
新しく外の世界から流れ着いた者が開いた店だろうか。いや、それ以外に考えられない。
はたて『これは……もしかしたら良いネタになるかも』
新聞記者としての本分と、食欲を掻き立てる香りが、一時的に彼女のネガティブな思考を忘れさせた。
一直線に八百屋へ向かい買い物を済ませて速攻で帰宅するという予定を変更し、はたてが店内へと足を運ぶ。
店員「イラッシャイマセー!」
店の中に入ると、ふくよかな男が笑顔で出迎えてくれた。
はたて『やった!この店はたぶん当たりだわ!』
この時点で、はたては心中でガッツポーズをとった。
太った店員のいる個人経営っぽい店は大抵美味しい。店のまかないがよほど美味なのか、味見どころかつまみ食いと言える量を毎日のように食べているのかは知れないが、太った店員は食へのこだわりが強い者が多いのだ。こだわりが強ければ完成度の高さも比例する。
無論、あくまでそういう傾向に有ると言うだけで一概に決め付ける事は出来ないが、それでもはたての個人的な着眼点からすれば、現時点でこの店はそれなり以上の期待ができる店なのだ。
不必要に凝り固まった状態でない、自然な店員の笑顔も見ていて気持ちの良いものだ。
店員「コチラの席にドウゾー」
落ち着いた美的センスの光る店内を見渡しつつ、案内された席にはたてが座る。
それにしても、先程から気にはなっていたが、店員の言葉のイントネーションが独特だ。
やはり外の世界から幻想郷に流れてきた者なのだろう。
席に案内されたはたてがメニューを開く。
幻想郷の住人であるはたてには見慣れない名前の書かれたメニューばかりだった。
どれを注文しようかと迷っていると、水を運んできた店員が注文は何かとはたてに質問する。
はたて「うぇ!?」
はたては大きく動揺した。
まだどれを注文するべきか決まっていない。しかし、店員は既にメモを用意して注文を聞き取る体勢に入っている。
無駄に待たせては申し訳ないと言う思いと、どうせ見慣れない知らないメニューばかりだしどれを注文するのが一番良いかなんて分からないという思い、そして、自分の好みに当てはめたオススメを聞こうとするコミニュケーション能力など持ち合わせていない悲しい事実。自分自身に急かされたはたてが、訳も分からないままメニューを指差す。
「これでお願いします」と言おうとしたが、彼女の口から漏れ出た言葉は、「あ……こ……これ……で……」という呻き声にも似た不完全な相槌だった。
店員「プレーンナンとマトンカレーセットですね」
聞き慣れない単語にもとりあえず肯定の意を示してはたてが首を縦に振ると、注文を受けた店員が調理場に向かって行く。
注文してから5分ほどすると、注文したセットの前菜であるスープとサラダが運ばれて来た。
はたてがスープを手にとり、ゆっくりと口に運ぶ。
はたて『うん?ウマッ!』
スープの熱と、充分に出汁の染みた味が口内に広がる。
味の薄くなりがちな汁物だが、確かな味を感じさせつつ、それでいて無駄な濃さの見当たらない繊細な味。性質上、料理の主役に抜擢する事は難しいが、前菜としては充分すぎるほどの完成度だ。
赤色の謎ソースが掛けられたサラダも充分な旨味と後味の良さを両立させている。
良く出来た前菜だ。これならメインの料理にも期待が持てる。
前菜を食べ終え少ししたところで、メインの料理であるプレーンナンとマトンカレーなるものが運ばれて来た。
ショーウィンドウにも展示されていた平べったい大きなパンのようなものを、小さく手でちぎってから食べると、豊潤なバターの風味が溢れ出る。
はたて『美味しい。外側のパリパリとした小気味良い食感と内側のモチモチした適度な弾力、まろやかなバターの風味と全体の味を引き締める塩の味。オカズが無くとも、これ単品だけで食が進む』
シンプルだが飽きの来ない味だ。このナンと言う名のパンは相当丁寧に作られているのであろう。
はたてが続けて、マトンカレーとやらを口に含む。
はたて『んん?これは……変わった味ね。いつも食べるようなカレーとは随分と勝手が違う。珍味というほど幻想郷に普及している味付けから逸れているわけじゃないけど、それでも少し変わり種のカレーだわ。王道と珍味の間ってところかしら。おそらくコレも完成度は高いのだろうけど、私の好みではないかな?』
普段から口にしているカレーとは随分と勝手の違う味だ。珍しいスパイスが使用されているのか、どことなく香草の味と香りがする。
とはいえ決して不味いって訳では無い。
はたてがカレーとナンをしばらく食べ続けていると、店員が白い液体の入ったコップを持ってきた。
店員「オマタセしました。ラッシーです」
これまた初めて見聞きする液体だ。
店員が見ている前で露骨に警戒するのは失礼なので、店員が奥に消えたのを確認してから、恐る恐るといった具合に、コップに入った液体を口にする。
はたて「ッ!?」
なんだこの味は!?こんなのを飲んだのは初めてだ!
ゴクゴクと喉を鳴らしながら、コップに入ったラッシーとやらを半分以上飲み込む。
はたて『美味ッ!?てか甘っ!?なにこれ!?ビックリするほど美味しい!』
読んで字の如く甘露そのものだ。
抗えないほど濃厚な甘みだと言うのに、どうしてこれで諄さを感じられないのだろうか。
今までに味わった甘味の中でも間違いなく最上位に飛び込みランクインするほどの味だった。
単に物珍しいってのもあるが味も本物だ。
これは花果子念報の記事に掲載して然るべきだろう。
それなりに期待はしていたが、ここまでとは思わなかった。全体的に高水準に纏まった料理。この店に入って正解だった。
舌鼓を打ちつつ料理を堪能するはたてだったが、終盤に差し掛かったところで、思わぬ伏兵が現れた。
はたて『うぐ……ちょっとキツイかも……』
そう、ナンがやたらとデカいのだ。
人並みどころか、人並み以下の食欲しか持たないはたてにとって、このナンのデカさはあまり嬉しいものでは無かった。空腹に勝る調味料が無いように、満腹に勝る箸の後退も無いのだ。
残せるものなら残してしまいたいところだが、この店にはまた足を運びたくなるような魅力がある。
料理人が一生懸命に作ってくれた料理を残すことは即ち禍根を残すこと同義である。
おそらく入店拒否されるとまでは行かないだろうが、それでも出した料理を残す客と、残さず食べてくれる客とでは、作る側のモチベーションも違って当然だろう。
はたてが苦しみつつも強引に残った料理を口に運んでいると、異変を感じたのだろうか、心配そうな様子で店員が声を掛ける。
店員「ドウカシマシタカ?」
はたて「え!?あ……あの………」
突如として発生した会話にはたてがモゴモゴと口を吃らせる。
店員「カレー辛かったですか?」
店員が自分に非があったのかと質問する現状に、はたてはとてつもない気まずさを感じた。
店員には落ち度は一切ない。あるとすれば訳もわからぬままに食べきれないような量を注文した自分の方だろう。
半ばパニックになりかけたはたては、裏返り掛けたブレブレの声で、必死に「だ、だいじょうぶです!」との言葉を絞りだす。
店員「ソウデスカ?なら良かったです」
自分の取り越し苦労だったと理解した店員が顔をほころばせ「ゆっくり食べてください」との言葉をかける。
はたて「…は…い……あ…ありがと………」
優しく気遣ってくれる店員にお礼の言葉を返そうとするはたてだったが、その声が虫の囁くように小さかった為、はたての言葉に気づかぬまま店員は調理場の奥へと消えていった。
はたて『ま…またやってしまった……』
円滑な会話が出来ず軽い自己嫌悪に陥りつつも、とにかく目の前の料理を完食してしまおうとはたてが口を動かし続ける。
およそ30分掛けて完食したはたてが食後の休憩を済ませ、そろそろ席を立とうするが、席を立つ前に調理場の奥から歩いてきた店員が小さな円形の食器を手にしつつはたての座る席へとやって来て、それを机の上に置く。
店員「デザートのバニラアイスです」
はたて「ファッ!?」
はたての表情が驚きの色に染まる。
必死の思いで完食したかと思いきや、間髪いれず現れた追加のデザート。
小食のはたてには最早、別腹などと言う余裕は残されていない。
その上はたてはアイスクリームが苦手なのだ。
食べれないほど嫌いな訳では無い。好きでは無いが口に入れる事自体は可能だ。しかし、ただでさえ満腹だと言うのに、その状態で更に苦手なアイスクリームを追加で食べるのはかなりの苦行に違いない。
はたて『まずい、まずいわ!これ以上は流石に無理!ましてや私はアイスクリームが嫌いなのよ!こ…断らないと…デザートはいりませんってハッキリ断らないと』
焦ったはたてが心中で断る決意を固める。
はたて『しかし……どうしたものか……』
チラリと、はたてが店員に視線を移す。
はたて『この人はたぶん、あんまり日本語が得意じゃない。私みたいに口下手な奴が、アイスクリームは苦手だし、そもそもお腹いっぱいだから、悪いけどデザートは要らないわ…なんて長文を伝える事ができるのだろうか』
否。
嘘だ。
言い訳に過ぎない。
実を言うとはたて自身もとっくに分かっている。
この男は、異国の者故に言葉のイントネーションが独特だが、それ以外はなんの問題もなく会話が成り立っている。
一瞬とはいえ、己の弱さ故に男に問題があるかのような考えに至ってしまった自分を恥じつつ、はたては差し出されたデザートに作り笑いを浮かべながら「ど…ども……」と、か細い声で囁きつつ小さく頭を下げる。
はたて『ううぅごめんなさい〜。私は決して貴方を軽んじている訳じゃないんです〜。ただちょっと会話が苦手だから最初の一歩を踏み出せないだけなんです〜。人には向き不向きがあるんです〜』
始まる前から早々に会話を諦めてしまった事実に心中で謝罪しつつ、追加でやってきたデザートをスプーンで掬い口へと運ぶ。
はたて『あんまり美味しくないよ〜お腹いっぱいで苦しいよ〜家に帰りたいよ〜』
コミニュケーション能力に乏しい我が身のなんて恨めしいことか。
過食による苦しみを味わいながら自分で撒いた種の処理を開始する。
のっぺりとした甘ったるさを打ち消そうと、店員の目を盗んでは机の端に置かれていた七味をアイスに掛けた側から後悔しつつ、飲み物で流し込もうにも生来の口下手な性分により熱いお茶等を頼むこともできず、しかたなく冷たい水で冷たいアイスを流し込もうとしては底冷えに苛まれ、露骨に嫌な顔をしては失礼だとの考えからなるべく美味しく食べてますよ的な無駄な気配りで疲労を溜め込んでいく。
はたて『ウプッ!もう無理!早く会計を済ませてしまおう!』
己を限界ギリギリまで追い込みつつもなんとか完食したはたてが手早く会計を済ませて逃げ出すように店を出る。
慌てて店を出たはたては人目のつかない場所で倒れるように座り込んで休憩を取る。
暫くして膨れきった満腹感が少しだけ和らいだところで、ゆっくりと立ち上がる。
はたて『うぅ……まさかこんなことになるとは……けど…料理自体は本当に良くできていたわ。店員さんも良い人だったし』
自身が小食である事とアイスクリームが苦手な事以外は文句無しの完成度の高さだった。まだいくらかある新聞の余白に食レポとして掲載するには充分な価値の有る店だった。
はたて『うん…これなら良い記事が書けそうだわ。お腹も満たされた事だし、帰って作業を再開するか!』
はたては八百屋で数日分の食料を買い込むと言う目的などとうに忘れ、意気揚々と帰路に就いた。




