プロローグ
本日から新たな物語の投稿を始めます。
前作は『ティレリエン・メア 〜学館の陽は暮れて〜』です。こちらを先に読んでいただいた方が予備知識が増えると思いますが、こちらを先にしてもらっても問題ありません。
よろしくお付き合いのほどを。
かがり火一つ無い地下牢だった。
じめじめとした空気が全体を覆い、それでなくとも暗い空間をさらに陰鬱なものにしていた。
そこに人は居ないように思われた。もし居たとしても、この暗闇の中で正気を保っているかどうか、定かではない。
しかし、そこには居た。闇の中に溶け込む、いや、闇そのもののような存在が。静寂の中で聞こえる微かな吐息が無ければ、だれも気づきはしなかっただろう。その人物は鉄格子の向こう側で何をするでもなく、ただ、じっと石の床に座っていた。
その人物からは、これから処刑される者の悲壮感や絶望感は感じられなかった。しかし逆に、救い出される事を期待する様子もなかった。誰に見られることも無い暗闇の中で、表情も無く、かと言って心が死んでいる訳ではない。
本当のところ、何を考えてここに居るのかは誰にも判らなかった。
ただ、何事もないかのように、そこに存在していた。
それは少女だった。年齢はまだ12、3才と言ったところ。
突如、扉を開ける重々しい音が響き、続いて複数の足音が地下牢の静寂を乱した。少女の方へ明かりが近づいてくる。
現れたのは松明を持つ茶色いローブ姿の青年と、彼に護衛されている老人の2人だった。老人もローブ姿だったが、その色は若い男とは違い、松明の明かりでは判然としないが、赤味を帯びた色合いをしている。その色は、高位の者のみが着用を許されるものだった。
「レーイ、出てきなさい」
しわがれた声が呼んだ。するとレーイと呼ばれた少女は無言で立ち上がり、鉄格子のところまで歩いてきて、松明の明かりの下に姿を現した。
黒い服を着て、漆黒の髪を肩まで伸ばし、覗き込む物を深遠に誘い込むかのような、闇色の瞳。しかし、その肌はまるで陽の光を知らないかのように白かった。
言ってみれば、彼女は黒と白で出来上がった彫刻のようだった。まだあどけなさを残しながらも、彼女にはそう言うに相応しいだけの美しさがあった。
レーイと初めて向かい合った青年はごくりと喉を鳴らして唾を飲み込み、魅入られたように彼女を見つめ続け、「マルコよ、鍵を開けなさい」と老人に呼ばれるまで微動だにしなかった。
マルコは、びくりと肩をふるわせた後、「承知しました」と言って腰の鍵束から1本の鍵を取り出し錠を開ける。ぎいと錆びた金属の音がして、鉄格子の一部が開いた。
「さあ、行こう。カヴァリエリが待っておるぞ」
老人が促すとレーイは、「判った」と答えて2人に従った。
老人と青年と少女の一行が地表に出ると、そこには夜が広がっていた。月の光だけが明かりとなる中、虫の鳴く音がそこかしこからする以外に音と呼べる物は、3人の土と草を踏む足音のみ。
「カヴァリエリは、もう長くないのか? タルシオン」
レーイは相手が年上の老人であることを全く意に介さずに、幼さの残るソプラノの声で、ぶっきらぼうな言葉遣いで訊いた。
「おい、無礼だぞ!」
嗜めるマルコを「良いのだ」と言って制したのはタルシオンと呼ばれた老人だった。それからタルシオンはレーイに向けて、
「そうだな。今夜が山だろう。だからお前を連れ出したのだ」
と告げた。
「今さら、何を話せというのか」とレーイはうつむく。
「話したいのはカヴァリエリの方だ。みなを集めて、最後の授業と言ったところだろうて」
「そうか」