アルヴェスト王国戦記
第三章
たかが言葉で
「私は神だ」……となぜいえないんだ
汚ねぇ奴らがそろっていて
はじめの言葉を隠蔽する
歌 吉増剛造
――二人称、ラトの回想――
お前はやっぱり愚か者だよ。
と、私は思う。いくら世間では優秀であり、英雄と崇め祀られたとしても、お前が人殺しであるという事実は消えない。
戦争は、殺人鬼を英雄とさせる。それは分かり切っている。時代がお前の嗜好にマッチした。ただそれだけなんだ。お前は、竜に乗ることが上手い。これを世俗では『ヴィンターヴル』と呼ぶらしい。それは分かってるよな。
これから語るのは、今から十五年前の出来事、ラーゼフォンの戦いについてだ。しっかり思い出せよ。それがお前にできる罪滅ぼしの一つなんだから。
十五年。
文字にすれば、僅か二文字であるけれど、時の流れは刻一刻と流れる。どんな人間にも平等に時は流れる。それに、時は金では買えない。だから、尊いし貴重なのだ。十五年前、お前はラーゼフォンの戦いに参加し、そこである程度の戦果を挙げた。ラーゼフォンの戦いは、スーヴァリーガル帝国の敗北であったから、お前一人が戦果を挙げたとしても、それはただの悪あがきなのかもしれないけれど。
「この子のために戦うの?」
と、お前の目の前に立つ女性は言った。
場所は、自宅。古い石造りのアパートの一室だ。狭く古いが、中々住み心地は良い。だからこそ、お前はこの場所を気に入っていたね。それは私も知っている。
「戦うさ」
と、お前は言う。言葉はしっかりとしているし、この時のお前はやる気に満ちていた。生まれたばかりの自分の子供ために、戦争を終結させたいと思っていたし、何よりも、戦争の先にあるであろう、平和を目指して戦っていたのである。
だが、戦争はたった一人の英雄が、どうこうしようと、その戦局は変わらない。お前は竜騎士としては優秀だ。なぜなら、『ヴィンターヴル』という、特殊な力を持っているから。それは誇っても良いことだと思う。
お前が所属する部隊では、黒い竜に乗るのは、お前だけだし、何よりも、『レベル4』のランクを持つものは、数が少ないし、貴重だ。
全竜騎士の一%にも満たない、絶滅危惧種のような、幻のランクだ。そのランクにお前はたどり着いている。
「ここもやがて激戦になる」
と、お前は言った。
お前の目の前には、赤子を抱えた、ミルトンの姿がある。
ミルトンは赤子をギュッと抱きしめ、そして、白い顔を、より一層青白くさせながら、次のように言った。
「ここも戦場になるのですか?」
「恐らくな」と、お前は答える。「敵の戦艦、ラクソがここを狙っているという情報があるんだ。疎開しよう」
「疎開と言っても、どこへ行けばいいのか」
「俺の実家に行けばいい。あそこなら安全だ」
「ですが、あなたは大丈夫なのですか?」
「俺は軍人だ。戦わなければならない。この子のためにも……」
この子。
それはミルトンの腕の中で、すやすやと眠る我が子のことである。名前は、『パルラ』古いスーヴァリーガル帝国の言葉で『希望』を意味する。この戦争で塗れた世の中にも希望はある。そんな希望を目指して生きてほしいという、願いが込められていた。
「俺はこれから軍、本部へ向かう。作戦が遂行されば、しばらくはここに戻ってくることはできないし、お前に会うこともできない。すまないな」
と、心底申し訳なさそうに、お前は言った。
本当にそれが正しい選択だと言えるのか? お前がギリギリまで悩んでいたことを、私は知っている。お前は軍を去り、ミルトンとパルラの二人を連れて、この世の果てまで逃げたいと考えていたんだから。
でも、お前はその選択肢を取らなかった。あくまでも、お前は戦いの選択をした。それはこの世界を守るという強大な目的ではなくて、ただ、ミルトンとパルラが平和に暮らしていけるようにと、心の底から思った、小さな願いだった。
「必ず生きて戻ってくださいね……」
と、ミルトンは言う。
それに対し、お前はゆっくりと頷き、そして両手でミルトンを抱きしめる。暖かい人間の体温を感じる。
時間にすれば、ほんの数秒という短い抱擁だったけど、確かにお前は人の優しさや勇気に触れた。体の中からポッと火がつくように、暖かくなる。絶対に、守ろう。そうお前は誓ったはずだ。
その時だった。突如、空襲警報が界隈を鳴り響いた。
『敵、竜騎士団が接近中。直ちにシェルターに避難すること。繰り返す、敵竜騎士団が接近中……』
「俺は行く。ミルトン、お前はシェルターに向かうんだ」
と、お前は言った。もちろん、ミルトンは深く頷き、そしてパルラをギュッと抱きしめながら、避難の準備を始めている。
お前は軍本部へ向かう。
これが、ミルトンとの今生の別れになるとは知らずに……。
軍本部へ向かうと、既に竜騎士団が戦闘配備され、いつでも襲撃可能の状態になっていた。スーヴァリーガル帝国が誇る竜騎士団がズラっと並んでいる。色とりどりの竜。しかし、そこに黒い竜はいなかった。
黒い竜に乗りこなせるのは、今のところ、お前しかいない。お前は自分の竜騎士団へ無かう。第一種戦闘態勢。作戦コードは『AF〇九八』
敵の襲撃に合わせ、こちらも迎撃態勢に入る。
「遅いぞ。ラリウス」
そう言ったのは、団長である『レギオニス』。同期であり、戦友でもある。戦果の数ではお前に分があるが、お前は人をまとめるような人間ではない、どこかローンウルフなところがあるし、何よりも黒い竜は単独で戦った方が、その効力を絶大に発揮する。だから、お前は団長という役職に就くことがなかった。
「すまない」と、お前は言う。そして、直ぐに愛竜であるイスカリオに乗る。
準備は万端だ。後は戦うだけだ。
「敵の戦艦はラクソだ。恐らくこの町は地獄と化するだろう。激戦が予想される」
と、レギオニスは言った。
すると、お前は、
「大丈夫だ。俺とイスカリオがいる限り、スーヴァリーガル帝国が敗退するはずがない」
「甘く見るな。敵はお前に対して、万全の対策を練っているはずだ。いくら黒い竜を扱うのが上手くても、敵、竜騎士団に取り囲まれれば、防戦一方になるはずだ。今回は、団の隊列に入ってもらおうと思うが、それで構わないな」
「待ってくれ。俺は単独で戦う。イスカリオの特性を知っているだろう。とてもではないが、騎士団の中に混じって戦うようなタマじゃない。単独で行く」
「死んでも良いのか?」
「死なないよ」
と、お前は高らかに言う。
自分が死ぬなんて、まったく考えたことがなかった。自分が黒い竜を扱うことのできる、数少ない竜騎士だ。それはまさに傲慢なのか? それとも、単に自信過剰なのか。この時のお前には分からなかったはずだよね。少なくとも、単独で戦うことのデメリットを感じることが出来なかったはずだ。
お前はレギオニスの忠告を守らず、単独で戦うことに決めた。
通常、上官の命令に背くことは、重大な規律違反になる。軍本部では、上官の命令は絶対であり、それに服従することが、一つの美徳として認知されていた。でも、お前は違う。お前はあくまでも自分の我を貫いた。それが悲劇の引き金になることも知らずに……。
「勝手にしろ」
と、レギオニスは吐き捨てるように言った。
お前は去っていくレギオニスの背中に向かって、「ありがとう」と、小さく呟き、そして、イスカリオの背中に乗った。
「ラリウス。出撃する!」
威勢の良い声を上げて、お前は出撃する。
敵の戦艦や竜騎士団はついそこまで迫っている。故に、あまり悠長なことは言っていられない。とにかく今は、ラクソを迎撃し、敵竜騎士団を殲滅させなければならない。それが、間接的にパルラやミルトンを守ることにつながるのだから。きっとお前はそんな風に考えていたに違いない。
お前はイスカリオに乗り、直ぐに敵の戦艦を発見する。既に激しい戦闘が繰り広げられており、敵の戦艦、ラクソからは無数の蠅のように竜騎士たちが飛び出してくる。お前はすぐに臨戦態勢に入る。そして、高速で呪文を唱え、ラクソに向かって黒い炎を吐いた。
邪炎。それがイスカリオが持つ得意技だ。
黒い炎は敵を一瞬にして殲滅させる高い攻撃力がある。しかし、そのことを相手は重々承知しているようである、竜騎士たちが、団結し、お前に迫ってくる。大分、この状況をシミュレートしてきたようだ。動きに統一性があり、淀みのない動きを見せる。
(敵がどんな作戦を立てようと、俺は敵を迎撃するだけだ)
と、お前は一人ごちる。そして、邪炎の呪文を唱え、ラクソ戦艦に向かって攻撃を放つ……。
しかし、ラクソには邪炎が当たることがなかった。
これはどこまでも不可解なことである。アルヴェスト王国は、この作戦のために、一人の『レベル4』を配備していた。それこそ、堅守の神『プリオル=リュシルフル』。まさにお前とは正反対の力を持つ、竜騎士だ。
(プリオル)
と、お前は考える。
アルヴェスト王国の切り札として、プリオルという優秀な竜騎士がいることを、お前は知っている。それが、今こうして戦場に出ていることも、間違いのない事実なのであろう。さて、どうするべきなのだろうか?
単純な攻撃では、ラクソを落とすことは不可能だ。お前が聞いた話では、プリオルは防御力に長けているらしい。乗っている竜も、戦闘には珍しい黄竜である。黄竜は基本的には、戦闘に適さない。使える魔法も攻撃ではなく、回復系であるし、力も弱い。つまり、肉弾戦では役に立たないのだ。
だけど、プリオルはあえて、この黄竜に乗っている。そこに、どんな理由があるのか? お前は必死に考える。思いつくのは、やはり、噂通りの防御の神ということだろう。アルヴェストの戦艦の多くは、窮地を迎えても、このプリオルの防御力のおかげで、我がスーヴァリーガル帝国の攻撃を避けてきたのだ。
それだけ、プリオルは優秀な竜騎士ということになる。決して、『レベル4』の名に恥じない竜騎士。同時に強敵。それだけはしっかりとお前の心にこびりつく。
お前は立て続けに、邪炎を放つ。
漆黒の炎が、ラクソ戦艦に放たれる。しかし、邪炎がラクソを貫くことはなかった。ラクソの前、ほんの数m先に、見えない壁が発生しているようで、邪炎が封殺されるのである。
(防御シールドか……。それもかなり優秀だな)
と、お前は思考を巡らす。
防御シールドとは、数ある防御系の呪文の中でも上位に位置する魔法である。
自分の周囲に、透明な壁を作り、いかなる攻撃も浸透させない。扱える竜は、黄竜であり、徹底した防御に長けている。もちろん、ここまで優秀な防御シールドを展開できるのは、プリオルの力のおかげなのであるが。
これを貫くには、どうするべきなのか。
お前は作戦を立てる。
考えつくのは、こちらも防御系の呪文で応戦するということだ。防御と防御。この呪文が交錯すると、防御の呪文は中和される。そのことをお前は知っている。だけど、イスカリオは防御系の呪文を使うことができない。
だが、お前は『レベル4』だ。竜を扱うことに徹底して、長けている。
このギリギリの戦闘の中、お前とイスカリオは高く、シンクロして、新しい魔法を生み出した。「防御シールド2.0」と、形容してもいいだろう。つまり、話は簡単である。今まで攻撃系の呪文しか唱えることが出来なかったお前だけど、プリオルの絶対的な防御を前にして、自身も防御系の呪文を扱うことができるように、イスカリオに強制的に防御の呪文を覚えさせたのである。
こんなことが……、こんな荒業ができるのは、お前が『レベル4』だからだ。レベル4は絶対的な窮地に対して、その真価を問われる。レベル4のお前は、圧倒的に不利の中、新しい呪文を考えつくことで、この戦闘を優位に進めようと考えていたのである。
(イスカリオ、行くぞ!)
と、お前はイスカリオの手綱を強く握りしめる。そして、防御シールドを展開する。
お前の防御シールドと、プリオルの防御シールドが交錯する。すると、どうだろう。アイスを熱したナイフで切り取るみたいに、防御の壁がみるみると崩れていく。これはお前の展開した防御シールドが高い能力を持っている証だ。
たとえ、防御シールドを使えるとしても、相手の防御シールドの方が優秀であれば、決して相手の防御シールドを打ち破ることはできない。事に相手はプリオルという竜騎士なのである。通常の力を持つ、竜騎士では、歯が立たないだろう。
お前だからできる、技なのだ。
お前はすぐさま、攻撃に転じる。流れるような攻撃。イスカリオを巧みに操り、防御シールドを唱えた、僅か数秒後には、『邪炎』の攻撃を放った。今度は、プリオルに直撃する。
邪炎の攻撃をこれだけ至近距離で受ければ、どんな竜騎士だって瞬殺である。……少なくとも、そう考えていた。だけど、そんなお前の目論見は外れる。なんとプリオルは、お前の邪炎を寸でのところで避けていた。避けると言っても、攻撃を交わしたわけではない。放たれた邪炎を、消し去ったと形容できるだろう。
一瞬のことで、お前は何が起きたかのか分からなかった。
確かに、攻撃はプリオルに直撃したはずである。しかし、目の前を飛ぶ、プリオルとその愛竜である黄竜は掠り傷一つ受けていない。あくまで粛々淡々と、お前のことを見つめている。
(手ごわいな)
お前は素直にそう考える。この素直さがお前の良いところでもある。傲慢な態度は、時に命を削る圧倒的な原因になりかねない。だが、お前にはそんな傲慢さがないのだ。あくまで純粋に、次の攻撃に備えている。果たして、どうするべきなのか?
「イスカリオ、連続攻撃だ」
邪炎がダメなら、肉弾戦に持ち込むのが一番である。少なくとも、お前はそう考えたし、肉弾戦もイスカリオが得意とする攻撃の一つだ。瞬時に、お前は呪文を放つ。『邪炎』だ。
何故、ここで再び邪炎なのか? 読者は、不思議に思うことだろう。だけど、そこには決死の、そして緻密な作戦があるのだ。イスカリオはくるっと身を反転させ、邪炎をプリオルとは逆方向に放った。すると、その反動で、イスカリオはありえない速度で、プリオルに向かっていく。
つまりはこういうことだ、ロケットエンジンの如く、邪炎を噴射することによって、スピードを限界まで高める。それが目的なのだ。これを、竜の呪文では『シンソク』というが、邪炎を組み合わせたことにより、通常のシンソクの倍以上の速度が出る。
この流れるような攻撃手段により、お前はプリオルと黄竜の懐に入る。チャンス到来。お前はこの絶好の機会を逃すような人間ではない。イスカリオを操り、そして、その大きな拳で、プリオルの竜の腹部を攻撃する。
「ズドン!」
と、お前の攻撃は見事に直撃する。
けれど、
(なんだ。この感触は?)
そう、まるで竜を殴ったという感触がないのだ。柔らかい風船を殴ったような感覚が、イスカリオを通して、お前に伝わる。何か特別な呪文があるのだろうか?
ふと、プリオルの方を見る。しかし、今、まさにプリオルがいた場所には、何もいなくなっていた。プリオルはどこに行ったのか? 考えられるのは、元々、この場所には誰もいなかったということである。
(ダブルか)
ダブルというのは、簡単に言えば、自分の分身を創るということである、ドッペルゲンガーと言えば、分かりやすいかもしれない。自身の分身を創ることで、それを遠隔で操作することが出来るのだ。遠隔操作には高い技術や、魔法の力が必要になる。プリオルの高い戦闘技術があるからこそ、展開できる業なのである。
果たして、本物のプリオルはどこにいるのか?
本物を迎撃できなければ、プリオルを倒すことはできない。
プリオルは次の攻撃を展開してくる。何と、自分の分身を複数、顕現させたのである。その数は五体。自分のダブルをこれだけの数操ることができる竜騎士は中々いない。少なくとも、お前は会ったことがなかった。無論、プリオルがレベル4として優秀だからこそ、成せる業なのであろう。
敵は遥か強大。一筋縄ではいかない。ラクソからは無数の攻撃の矢が放たれ、我がスーヴァリーガル帝国の竜騎士を襲い、本土の街を破壊していく。圧倒的に状況は不利であった。ここで逃げれば、すべてが水の泡になる。敵の攻撃を的確に止めるためには、やはり、プリオルを倒さなければならない。
しかし、誰がその役目を担う?
決まっている。お前だ。
お前じゃなければプリオルは倒せない。レベル4には、レベル4を。目には目を、歯に歯をの精神である。お前は五体のプリオルのダブルに囲まれながらも、懸命に攻撃を繰り出す。邪炎を巧みに放ち、一体、一体を着実に消していく。それでもプリオルは攻撃を緩めようとはしない。
やられてもやられても、次々にダブルを繰り出してくるのである。これでは埒が明かない。まず、ここで見極めなければならないのは、このダブルの源泉はどこであるか? ということを、明確にしなければならないということだろう。
本元を探し当てることで、プリオルの呪文を避け、そして、攻撃することが可能になるのだ。しかし、お前には索敵の呪文を唱えることができない。お前とイスカリオはあくまで攻撃に特化した、竜騎士と竜だ。
けれど、戦闘をして、大体のことは分かる。
つまり、推理するのだ。
これだけのダブルを同時に展開し、そして攻撃に転じることができるのは、プリオルが高い戦闘技術と、魔法力を持っているからに違いない。そんなプリオルだが、あまりに遠くにいたのでは、魔法の力は半減せざるを得ない。
遠隔操作はある程度、距離が離れると、途端にその力を喪う傾向がある。とどのつまり、プリオルは近くにいるのだ。
近く。それはどこか。
決まっている。ラクソ戦艦の中だ。その指令室に、恐らく本物のプリオルは存在しているだろう。ならば、やることは決まっている。そう、ラクソ戦艦の破壊。それが今の不利な状況を変えるすべてであると感じられる。
プリオルの巧みな攻撃、ダブルでの進撃を避けつつ、お前はラクソ戦艦への攻撃を考えていた。ここで出来るのは、『ビースト・モード』それしかない。ビーストによって、イスカリオを野生化させるのである。
野生化したイスカリオを操ることは難しい。暴走した列車に乗っているような気分になる。イスカリオは「ぐおぉ」と雄たけびを上げて、一気に野生化する。鋭い目線がより一層、鋭さを見せ、全体的に殺伐とした印象になる。
お前は必死にイスカリオを支配しようとする。普段、ビースト・モードを展開することはほとんどない。そんなことをする必要がないからだ。まさに奥の手。それがビースト・モードなのだ。
イスカリオの攻撃力が一気に上がり、邪炎もそのレベルが段違いになる。黒炎が辺りを取り巻き、モクモクとした煙で覆われる。しつこいくらいの暑さがお前を襲う。
(イスカリオ! ラクソを襲撃するんだ)
その声を聴いているのか? あるいはまったく無視しているのか? それは分からないが、イスカリオは「ぐおおおぉ」と、叫びながら、くるっと身を反転させ、敵戦艦であるラクソに身を向ける。
どうやら、ラクソを敵と認めたようである。
野生化したイスカリオを操るのは難しい。しかし、なんとか残った理性で、イスカリオはお前の命令を理解したようである。黒炎を吐きながら、その体をラクソ戦艦へと向ける。ラクソからは依然として多くの竜騎士が放たれてくる。
そして、お前の周りには、プリオルが放った、ダブルの分身が縦横無尽に、お前を取り囲んでいる。お前はそれらのダブルを一蹴する。暴走し、野生化したイスカリオであれば、破壊は容易である。一人、二人とプリオルを倒し、そして、それを栄養とするかのように、どんどんとイスカリオは凶暴化していく。
ラクソから放たれる竜騎士たち。それらを蟻を摘まむかのように、打倒していく。圧倒的な戦力。それが今のイスカリオとお前にはある。
お前の勘は当たる。
つまり、プリオルの本体はラクソ戦艦の中にいるということである。ラクソの中から、禍々しいオーラが感じ取れる。自分のオーラを広げることで、プリオルは戦闘状況を把握しているようである。
(いるな)
と、お前は感じる。
そして、イスカリオを懸命に操り、邪炎をラクソ戦艦に向かって放つ。
邪悪な黒炎が上がり、そしてラクソに直撃をする。
否、確かにクリーンヒットしたはずである。しかし、ラクソ戦艦は傷一つ、見せることがなかった。それはつまり、誰かがラクソ戦艦全体を防御シールドを展開し、守ったということになる。
一体、誰が??
それは決まっている。敵のレベル4であるプリオルに違いない。そして同時に、その行為はプリオルがラクソの中にいるという明らかな証明であると思えた。
対する、お前は、防がれた攻撃を目にしながら、第二撃を発射させる。とにかく攻撃の手を緩めない。攻撃は最大の防御とも呼べるし、この時のお前には、誰も近づいてこなかった。それだけ、強大な力を放っているのだ。
とは言っても、敵の防御力もかなり大きな力がある。邪炎という圧倒的な魔法を前にしても、その攻撃をギリギリのところで避けているのだ。
(強敵だな。プリオルってやつは)
プリオルの噂は知っている。
アルヴェスト王国の切り札。と、噂される人物である。故に、高い戦闘力が宿っていることは容易に感じ取ることができる。しかし、まさか、ここまでの力を持っているとは思わなかった。
相手は、邪炎に対して、特別な防御シールドを展開しているに違いない。そうでなければ、ここまで華麗に邪炎の攻撃を避けることはできないはずだ。つまり、この特殊な防御シールドは邪炎に対しては無敵の防御を誇るということ。きっと、かなり綿密な作戦の下、防御シールドを展開しているに違いない。
となれば、これ以上邪炎を吐くことは、無駄ということになる。
(肉弾戦でいくか)
と、お前は考える。
邪炎がダメなら、物理的な攻撃に頼るしかない。野生化したイスカリオを操るのは容易なことではないが、お前にならできるはずである。少なくとも、お前はそう考えていた。そして、お前はとある呪文を唱える。
「邪炎!」
また、邪炎?
馬鹿の一つ覚えみたいに。しかし、心配はいらない。
邪炎の真の力はこの先にある。邪炎を高らかに放ち、それが生き物のように宙を舞う。否、この時の邪炎は意思を持った悪魔の姿といっても、おかしくはないだろう。そして、あろうことか、邪炎はラクソ戦艦や、プリオルのダブルを襲うことはせずに、なんと、イスカリオ自身を襲ったのである。
邪炎の黒炎にイスカリオは覆いつくされる。
敵の竜騎士たちは、この自殺めいた状況に、固唾をのんで、見つめている。敵の竜騎士だけではない。味方の竜騎士たちも、どこまでも不安を感じているようである。邪炎は扱いが難しい。地獄の業火のような炎なのだ。よって、扱いを間違えれば、自分が身を焼かれることになる。
だから邪炎の呪文を扱う竜騎士は少ない。この時、周りにいたほとんどの竜騎士は、イスカリオと、お前の死を確かに感じ取ったに違いない。
けれど、プリオルとお前は違った。
プリオルは、すぐにこの異常な状況の真の意味を把握したようである。
展開していたダブルをすべて自分の許へ戻す。
ダブルがすべて消え、戦艦の周りにはアルヴェスト王国と、スーヴァリーガル帝国の竜騎士たちだけになる。何故、プリオルはダブルを収めたのか? その理由は簡単だし、お前も察している。プリオルは、お前の真の狙いを感じ取ったのだ。
邪炎の本当の使い方。
それは、邪炎自身をエナジーとして活用することで、竜の攻撃力を最大まで上げるのである。つまりはこういうことだ。邪炎をエネルギーとして利用するのだ。そうすると、野生化と邪炎化の相乗効果で、イスカリオは通常の倍以上の力を宿すことになる。
これはまさに、お前の奥の手であった。
邪炎を身にまとった黒竜が、ラクソの前に顕現される。この呪文を扱うのは、よほど、窮地に立った時しかない。この前に使用したのは、一体、いつだったかのか? それは覚えてはいなかった。いずれにしても、お前は圧倒的な力を手に入れたということになる。
敵の竜騎士だけでなく、味方の竜騎士も、お前には近寄ってこなかった。それはそうだろう。なにしろ、禍々しいオーラを放っているのだ。近づくだけで、その邪炎の餌食になってしまうように感じられる。
すると、どうだろう。敵、ラクソ戦艦に動きがあった。ラクソのカタパルトから、一騎の竜と竜騎士が現れたのである。
色は黄竜。
つまり、防御や後方支援に長けている竜。
同時に、その竜に乗っている竜騎士が誰であるか、お前は簡単に察することが出来る。
(これが真のプリオル……)
プリオルの噂は、もちろん聞いたことがある。だが、尾ひれがついて、半ば伝説化している。だからこそ、本当はどのくらいの力を宿しているのか、それは見当がつかない。もちろん、性別だって分からない。しかし、どうやらプリオルは女性のようである。
「女性だったのか?」
と、誰に言うでもなく、お前は呟く。
プリオルをごついゴリラのような男性軍人だと思っていたお前。事実、プリオルはダブルを展開するとき、本来の自分の姿ではなく、男性軍人の姿を顕現させ、攻撃や防御を行っていたのである。すべては自分の本当の姿を晦ませるために。
けれど、いよいよ、本当の姿を晒すしかなくなった。ダブルを使っている余裕はなくなる。すべての力を、本体に戻し、防御に徹するしかないのだ。
「あんたが、ラリウス?」
と、プリオルは言った。無線から聞こえてくる。どうやら無線を傍受したようである。
「そうだ」と、お前は答える。
「サシで戦いたい。場所を移そうと、提案するのだがどうだ?」
「場所を移すだと」
「そうだ。ラクソをまざまざと落とすわけにはいかないからな」
ラクソの殲滅が、最大の任務である。
「お前を倒した後、俺は、ラクソを落とすぞ」
「そう。それは構わない。お前が私を倒せるのならな」
プリオルは自信に満ちた声を上げる。この自信はどこから来るのか? 邪炎を身にまとったお前は、この時確かに傲慢だった。いくら敵がレベル4で防御の神と呼ばれている人間であっても、容易に打ち破ることができると感じていたのである。
「分かった。場所を移そう」
「なら、ついてこい」
と、プリオルは言い。黄竜を巧みに操りながら、ラクソを離れ、なんと無人島付近にまで竜を飛ばした。
無人島には当然であるが、誰もいない。
お前はプリオルの背中を見つめながら、どう攻略するかを考えていた。
場所を移す。それはつまり、敵のテリトリーの中に入るということである。防御の神、プリオルが何の変哲もない、ただの無人島に、お前を誘うとは思えない。つまり、何かあるのだ。結界を張り、自分に有意なフィールドを展開しているかもしれないし、策略があることは感じ取れる。
圧倒的にアウエーの中、お前は戦わなければならない。
しかし、この時のお前は邪炎を身にまとったことで、容易なことでは負ける気がしなかった。事実、邪炎を身にまとったイスカリオは無敵であるし、負けたことがなかったのだから。
無人島は周囲五㎞のほどの小さな島であった。
「ラリウス」無人島の砂浜に、竜を着地させ、プリオルは言った。「空中戦と、地上戦どっちがいい? 選ばせてあげる」
「気前がいいな」と、お前もイスカリオを砂浜に着地させる。邪炎の炎により、チリチリと砂浜の砂が焼かれていく。「空中戦と行こうか」
「良いだろう」
ゴングは鳴った。
お前はイスカリオを飛翔させ、そして最大の攻撃である『邪王炎』を放つ。
この攻撃は、通常の邪炎の倍以上の攻撃力を誇り、それと同時に、イスカリオが持つ、最大の魔法である。
しかし、異変はすぐに起きる。
邪王炎がチロチロとしか起こらないのである。この異変に、当然であるが、お前は気が付く。そして、この無人島全体に、プリオル優位の結界が張られていることを察したのだ。
(まずいな)
と、お前は感じる。
だけど、何もできない。この圧倒的にアウエーの中、お前は戦わなければならない。唯一、お前に対して有効的な事実は、プリオルの竜が黄竜であるということだろう。黄竜は前述の通り、後方支援に長けた竜である。全五色いる竜の中で、最も攻撃力が低いし、扱える攻撃魔法も少ししかない。もちろん、ブレスは使えない。得意としているのは、防御や回復に長けた呪文のみ。
「随分と、悪辣なことをするんだな」
と、お前は言う。
対するプリオルは蠱惑的な表情を浮かべながら、次のように答える。
「悪辣? 戦争に汚いもくそもない」
「この島にはお前に有意な結界が張られている」
「自分の得意なフィールドに相手を誘う。戦闘手段としては当然であると思えるが、第一、邪炎をエナジーとしたお前の竜に、生身で戦うことは正気の沙汰ではない。まさに狂気だ。故に、この場所をお前の墓場に選んだ。覚悟しな。ラリウス」
そう言うと、プリオルは黄竜を巧みに操りながら、お前に対して攻撃を仕掛けてくる。黄竜の周りに、人魂のような炎の弾が、無数に浮かび上がる。そして、その弾がプリオルの指示の下、一気に、お前に向かって飛んでくる。
炎の弾、一つはそれほど大きな攻撃力を持っていない。しかし、十数個もあると、話は変わってくる。いくら一つが小さくても、数が多くなれば、それなりの攻撃力になるのだ。特に、今のお前とイスカリオの防御力は、プリオルが敷いた結界により、限界まで低下している。
つまり、一撃の油断が命取りになるのだ。それはしっかりと自覚しなければならない。そう思うお前だけど、この場を打開する、都合の良い策略は思いつかなかった。ただ、相手を倒すしかない。しかし、それが出来るのか? 戦闘方法は不透明である。同時に、ここまで相手に追い詰められたことは、今まで一度もなかった。
完全な劣勢状態。
初めて経験する境遇に、お前は今まで打倒してきた竜騎士のことを考えた。
皆、家族があり、友人があったはずだ。もちろん、恋人だっていただろう。その未来を暗黒に染めたのは、他でもない、お前なのだ。
人は死ぬから尊い。
そして、死ねば二度と蘇ることはない。これは誰でも知っている事実であるし、変えることのできない真実である。
お前はそんな当たり前のことを知りながら、今までたくさんの竜騎士の命を奪い、吸い取ってきた。今度はお前が吸い取られる番なのかもしれない。だが、お前はおめおめと死ぬわけにはいかない。なぜなら、お前にも家族があるからだ。
ミルトン、そして生まれたばかりのパルラがいる。この二人を何としても守らなければならない。お前がここでうろうろと戦闘をしている最中、恐らく敵ラクソ戦艦とその周りにいる竜騎士たちは、スーヴァリーガル帝国の本土を奇襲するだろう。つまり、ここであまり時間を取られるわけにはいかないのだ。
だが、戦闘はきっと長時間に渡るだろう。
まず、お前がしなければならないことは、この島に張られた結界を何としてでも解き放つことである。そうしなければ、お前とイスカリオは普段の力を発揮することが出来ない。今の状態では、都合、一〇分の一程度の力しか出せないであろう。
それはまさに、死を意味する。
否、お前の死だけではない。スーヴァリーガル帝国にいる、ミルトンやパルラを危険に晒すことになるのだ。それだけは何としても避けたい。しかし、この状況をどうやって打破することが出来るのだろうか?
ふと、気を抜いた瞬間、プリオルの攻撃が飛んでくる。炎の弾を利用した、連携攻撃、かなり巧みだ。恐らく、得意技なのだろう、動きに淀みがないし、うっとりとするほど、華麗な技術だ。
プリオルはきっと、黄竜以外にも別の竜に乗ることがあるのだろう。そうでなければ、ここまで流麗に竜を扱うことが出来ないはずだ。第一、黄竜は戦闘に向かない。そんな黄竜を操り、レベル4であるお前に戦闘を繰り出してくること自体、不可解な事実であるのだから。
炎の弾
別名、ファイヤースプリット
その攻撃がお前を襲う。
お前は懸命にその攻撃を避けるが、動きは鈍重である。鉛を付けられたかのように重い。まったく動きに精彩がなく、ただされがままに攻撃を受ける。
ファイヤースプリットの攻撃が、イスカリオの左肩に直撃する。普段なら、さほど気にするダメージではないが、今は状況が違う。この何の変哲もない一撃が、致命傷になりかねないのだ。
「食らったな!」
と、プリオルは言った。
お前には、プリオルが語った真意が分からなかった。高が一撃、それも撫でられるような攻撃なのだ。けれど、今のお前とイスカリオには十分すぎる一撃であった。イスカリオがダメージを負ったことにより、大きな雄たけびを上げる。そして、鮮血がイスカリオの黒い肌を流れる。
「ぐおおおおお」
イスカリオが叫ぶ。
どうやら、かなりのダメージを受けたようだ。同時に、ここまで痛みに身をくねらせるイスカリオを、お前は見たことがなかった。
その瞬間だった。
プリオルは新たに呪文を唱える。
今度は攻撃ではない。ファイヤースプリットは、すべてお前の周りを取り囲み、なんと、線を結び始めた。
「ウォールロック」
と、プリオルは言った。
これは防御系の呪文だ。
ファイヤースプリットの弾を、魔法の線で結ぶことにより、大きな監獄を創るのである。一度その監獄に閉じ込められると、容易なことでは開けることができない。無論、そのことを、お前は知っている。
知っていながら、おめおめとウォールロックの餌食になったことに、ほとほと嫌気がさしていくことになる。
「しばらくこのままでいてもらう」
と、プリオル。「今までお前が葬ってきた竜騎士の怨念が、このウォールロックを支えている。それだけのことをしたんだ。おとなしくしているんだな」
「何故、俺を殺さない?」お前は言う。素朴な疑問だ。
「死ぬよ。言っただろ。このウォールロックは怨念の塊だ。やがてはお前と黒竜を捻りつぶすだろう。時間の問題だよ」
「卑怯だな。わざわざサシで戦うと言いながら、俺を罠にはめた」
「罠にはまる方が悪いさ。これは戦闘だ。遊びや訓練じゃない。残り三分くらいか、それがお前に残された時間だよ。精々、足掻いて死ぬんだな」
プリオルはそう言うと、黄竜に命令し、その場を後にした。きっと、スーヴァリーガル帝国を襲撃しに行くのだろう。レベル4を喪ったスーヴァリーガル帝国がどこまでアルヴェスト王国の攻撃に耐えられるか分からない。
この状況を、かなり緻密にアルヴェストは組み立てている。最早、勝負は会ったのかもしれない。
残り三分と、プリオルは言っていた。
確かにそれに偽りはないようである。ファイヤースプリットがつなぐ、魔法的な監獄、ウォールの幅は確実に小さくなっている。そして、どうやらこのウォールロックには相手の魔力を吸い取り、攻撃力を鈍化させるようでもある。
いつの間にか、イスカリオのビースト・モードは解けているし、邪炎も吹き飛んでしまっている。完全な劣勢状態。こうしている間にも、祖国が襲撃されているのだ。そして、その事実は、お前は深い陥穽に落ち込ませた。
チリチリと火の熱さを感じる。
同時に、お前はこれまで葬り去ってきた人間の怨念をヒシヒシと感じる。
(ここで、死ぬのか……)
と、お前は若干諦めのムードを放った。
お前が死ねば、恐らく、このラクソ戦艦を主体とした戦闘は、アルヴェスト王国が勝利を収めるだろう。そして、本土は制圧され、戦争はより激化し、もしかすると、敗戦するかもしれない。それは、絶望の未来を暗示していた。どうにかして、その状況を打破しなければならないが、お前に残された力はわずかだった。
(ラリウス。聞こえるか?)
不意に、言葉が聞こえた。
それは、耳から聞こえるのではなく、脳内に直接訴えかけてくるような声。つまり、テレパシーである。
(イスカリオか)
(あぁ。本土が窮地を迎えている。同時に、声が聞こえる)
(声?)
(そうだ。お前の息子、パルラの声だ)
(何故、パルラの声が聞こえるんだ)
(彼はお前と同じ、ヴィンターヴルだ。故に、俺とテレパシーで会話することが出来る)
(何と言っているんだ?)
(本土が襲撃されているらしい。お前の助けを望んでいる)
その言葉を聞き、お前の中で風化し始めていた、怒りの炎が再び、地獄の業火のように雄叫びを上げながら、最大までふかしあがる。
絶対に、パルラを喪うわけにはいかない。
(イスカリオ。どうすればこの状況を打破できる?)
お前の問いに、イスカリオは答える。
(もう一度、ビースト・モードを使え、後一度くらいは使えるはずだ)
(しかし、この結界を前に、ビースト・モードは役に立たないぞ)
(否、方法はある)
(どんな方法だ?)
(この結界は力に比例して、監獄として作用している。それがウォールロックの特質だ。となれば、自分の戦闘力をギリギリまで低下させればいい。つまり、俺にビースト・モードで邪炎を浴びせ、ダメージを与え、瀕死の状態にする。そうすれば、このウォールロックは作用しなくなる)
(だが、そ、そんなことをすれば)
(この窮地を打ち破るにはそれしかない。迷っている時間はない。ラリウス。やれ。邪炎で俺を焼くんだ)
確かに迷っている時間はないのだ。刻一刻と死の時間は迫っている。お前にとっては苦肉の策だった。愛竜を痛めつけなければ、この状況を変えることが出来ないのだから……。
お前がプリオルの結界を解き放ち、脱出をした時、戦局は既に、スーヴァリーガル帝国は敗戦に傾いていた。そう、つまり、お前は敗れたのである。瀕死の竜の背中に乗り、自分の基地へ戻ると、直ぐに衛生兵が近寄ってくる。
傷ついた竜を見て、驚きに目を見開く。
「すぐに処置室へ運びましょう」
衛生兵は言う。
お前はギリギリの作戦をとった。それは竜を犠牲にする作戦。しかし、イスカリオは、一命を取り止めたようである。戦闘力を極限まで落とすことにより、プリオルの敷いた決壊を、強制的に打ち破る。まさに、決死の作戦が成功したのである。
しかし、その代償は大きい。
イスカリオは一命を取り止めたものの、すぐには動くことができない。恐らく月単位の療養が必要になるだろう。
レベル4を失ったスーヴァリーガル帝国は、ラクソ戦艦をめぐる戦闘に敗北することになる。それは致し方のない、犠牲であった。そして、ラリウスには対して、それ以上に悲しい事態が待っていることになる。
それは、ミルトンと、パルラを喪ったということになる。
ラクソ戦艦を落とせなかった関係上、スーヴァリーガル帝国の街は激しい、竜騎士たちの襲撃を受けることになる。もちろん、その中に、ミルトンとパルラの姿もあった。お前が自宅へ戻った時、そこは、地獄と化していた。まるで、地震が起きた後のように、壊滅的なダメージが、街を襲っていた。
(嘘……だろ)
と、お前は一人呟いた。
自分が住んでいる家は、その原型を留めてはいない。徹底的に破壊され、そして廃墟のようになっている。
群の救助隊が、至る所で救出活動を行っているが、ミルトンやパルラはどうなってしまったのだろうか……。
「もう、この国もお終いだ」
不意に声が聞こえた。
それはお前の横に、いつの間にか立っていた老人から発せられたものであった。
老人は浮浪者のようで、汚らしい襤褸を身にまとい、カサカサに荒れ切った肌と、うるんだ瞳を浮かべ、まじまじと戦場の跡地を眺めていた。
「お終い?」
と、お前は言う。
「そうじゃ。お終いだ」
「じいさん。お終いなんかじゃないぞ」
「何故じゃ? ここまで徹底的にやられたんだ。どうすることもできんて」
その言葉は、まるで自分に向かって言われているような気がした。
お前は、レベル4だ。
レベル4の称号を持つ、竜騎士なのだ。なのに、お前はこの国の自分の街を守ることができなかった。それは悲しい事実であるし、変えようのない現実であった。浮浪者の言葉が痛い。心に突き刺さるように感じられる。
お前は瓦礫の山となった自宅を前に、ただただ、茫然自失と立ち尽くしていた。
結局、お前はミルトンと、パルラを失ってしまうことになる。
ミルトンの遺体は翌日、病院に収容されるが、おかしなことに、パルラの遺体はどれだけ探しても、見つかることがなかった。ミルトンが、どこか安全な場所に隠したのだろうか? その可能性はあるだろうが、見つからないというのは、いささかおかしいことである。
(パルラどこにいる?)
お前は懸命に考える。
ミルトンを喪い、お前の精神はギリギリまで削られる。お前があの時、プリオルの策略に乗らず、ぐっと耐えて、作戦を遂行していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。お前は自分を責め続け、鋭利なナイフでキリキリと精神を刺激していく。
後悔は濁流のようにお前を襲う。
何故、あの時……。そのことばかりが頭の中を濁流のように駆け巡るのである。決して変わることのない現実。そして、ミルトンは二度と蘇らない。さらに言えば、行方不明になった、息子パルラ。それらの痛々しい現実が、着実にお前を狂わせ、そして蝕んでいった。
ラクソ戦艦を巡る戦闘は、アルヴェスト王国の絶対的な勝利で幕を閉じた。スーヴァリーガル帝国はこの戦局を落としたことにより、かなり激しいダメージを受けることになった。しかし、この時、お前は、絶対的な復讐を胸に浮かべる。
なんとしても、次はアルヴェストを撃つ。
それだけが、お前の生きる道しるべになっていた。否、生きるすべてであると言っても過言ではないだろう。お前の精神はくるくると轆轤のように回り、そして着実に狂っていった。
「竜が会いたがっています」
と、ある日、お前は竜の飼育員にそう言われ、集中的に治療を受けているイスカリオの処置室に足を運ぶことになる。
「イスカリオはどのくらいで動けるようになる?」
と、お前は尋ねる。
すると、飼育員の男は、
「大分ダメージが大きいですが、流石は黒竜といったところでしょう、回復力が普通の竜とは段違いです。うまくいけば、今月中には動けるようになると思います」
と、神妙に答える。
「そうか、それで、イスカリオが会いたがっているというのは?」
「テレパシーのようなものを送っているみたいなんです」
「テレパシーか……」
確かに腕の良い竜騎士は、竜とテレパシーで交信することができる。もちろん、人語を操る白竜の場合は別であるが。当然、お前と、イスカリオも心の深いところでつながっているのだ。
お前はイスカリオの前まで足を進める。
広さは二〇帖ほどだろうか。
竜専用の処置室で、イスカリオは横になっていた。体の至る所に管がまかれ、戦闘の激しさを物語っているように感じられた。イスカリオはお前が来たことにすぐに気が付いた。そして、ゆっくりと息を吐くと、お前に向かってテレパシーを飛ばす。
(ラリウス。パルラはどうしてる?)
唐突にパルラのことを尋ねられ、お前はやや、面を食らう。
(行方不明だ。ミルトンは空襲で亡くなったが、パルラはどこへいったのか分からない)
(場所を知りたいか?)
(し、知っているのか?)
(あぁ、パルラの声が聞こえる。僅かだが、聞こえたんだよ)
(どこにいるんだ?)
そこでイスカリオは鈍重な体を揺り動かし、巨大な体を動かした。
(アルヴェスト王国にいる)
と、イスカリオは言った。
一瞬、言っている意味が分からなかった。
何故、パルラがアルヴェスト王国にいるのだ? 彼は兵隊ではないし、まだ赤子なのだ。にも関わらず、パルラがアルヴェスト王国にいることが不思議でならなかった。
いずれにしても、生きているのなら、それに越したことはない。生きていれば救出に向かうことができる。だが、
(敵国は、パルラの特殊な力に気付いている)
と、イスカリオは告げる。
特殊な力。それは、
(ヴィンターヴルの力か?)と、お前。
(そう。パルラはお前と同じ、ヴィンターヴルの力を宿している。それをアルヴェスト王国の連中は気づいたんだ)
(誰が気づいた?)
愚問だった。それはあえて尋ねなくても分かり切っていることである。そう、その人物は……、
(プリオル=リュシルフルか)
と、お前は言葉を捻り出すように言った。そして、その答えは確かに正しかった。愛竜であるイスカリオは、満足気に頷くと、
(そうだ)
と、言葉を吐いた。
もしかすると、プリオルの真の目的は、パルラを奪い取ることだったのかもしれない。だからこそ、お前を罠にかけ、そしてパルラを奪い去った。否、これは埒のあかぬ想像ではあるのだが。いずれにしても、お前はパルラを救わなければならない。しかし、それは可能なのだろうか?
(パルラを救うには、どうしたらいい)
と、お前は懇願するように、イスカリオに向かって言った。
対するイスカリオは、すぐにお前のやる気を肯定したりはせずに、
(苦しい話だが、パルラはお前を恨んでいるかもしれない)
と、イスカリオは言う。
(俺を……)と、お前。(恨む?)
(そうだ。ミルトンを喪い、そして祖国に対し、壊滅的なダメージを与えたお前に対し、恨みを感じているのかもしれない。その感情をプリオルは利用しようとしている。つまり、恨みの力をエネルギーにして、アルヴェスト王国の兵隊にしようとしているんだ)
(そ、そんな馬鹿なことが……)
(洗脳される。その危険性がある。無理に助け出すことは、精神崩壊を助長することになりかねない。しばらくは様子を見た方がいいだろう)
しかし、お前は納得ができなかった。自分の妻を喪い、子供を敵国の戦闘員として利用される。こんな屈辱的なことはない。なんとしても、お前は、アルヴェスト王国を撃たなければならない。そんな確固たる野望が芽生えたのは、確かにこの時だったのかもしれない。同時に、仮面をかぶり始めたのも、この時からであった――。
この辺りで私のことを紹介しておこう。私はラト。私は野生時代が長かった。だかこそ、戦闘に挑むお前のことを知っているんだ。そしてイスカリオと交わり、ナーガを産んだ。ここで言おう。パルラはもう一度竜に乗る。
私はその姿を、死後の世界から見るとしよう。
第四章
罪に生きた過去の自分が死に、
新しい生命を与えられたことに感謝する。
月乃光司 新しい生命に感謝
幼い時の記憶――。
それは誰にだってあることなのかもしれない。無論、僕にもある。いくつかあるのだけど、その中で特出して、記憶に残っていることが一つある。
それは赤子の時、
赤子の時、僕は竜の背中に乗ったことのあるような記憶があるのだ。ざらざらした、象の肌のような質感、そして、宙を舞うことにより、風が頬を切っていく、あの感触。さらに、竜を扱う竜騎士の後ろ姿。そのすべてが色づいたかのように、僕の記憶の中にある。
ラリウスの左手には紋章が刻まれていた。
『暗黒の紋章』
竜騎士なら知っている人間が多いと思うが、ラリウスには暗黒の紋章が刻まれているのである。これは特定の相手に対し、紋章を彫ることで、一時的に戦闘力を上げるという、呪いのことだ。つまり、ラリウスは特定の人物に対して、無敵に近い力を誇る可能性があるということである。
しかし、その代償もあるのだ。それは、紋章によって、特定の相手のみに対し、戦闘力を上げる誓約を作った場合、普段の戦闘力が半減してしまうのである。つまり、今のラリウスの戦闘力は、暗黒の紋章を使う前の半分の戦闘力ということになる。
それでも尚、あれだけの力を誇示しているのだから、その戦闘力の高さにはほとほと嫌気が差すし、頭が上がらない。
とは言っても、もう、僕には関係のないことだ。
何故なら、僕はもう、竜に乗るつもりはない。それに、軍人として戦うつもりもないのだ。その理由は決まっている。ラトを喪ったからだ。ラトがいない今、僕は戦闘をする気力も、体力もないのだ。
僕はそのことを告げに、プリオルの許へ向かっていた。傷は既に癒えている。今後、どうするか? それはまったく考えていない。
プリオルは自室の机の前で、ぷかぷかとタバコを吸っていた。紫煙がくねくねと宙を舞い、部屋全体がタバコ臭い。そんなことは一切気にせずに、プリオルはタバコを吸いながら、まるで、僕が来ることを悟っていたみたいに、立ち上がった。
「来たか」
と、プリオルは言った。
声はか細く、消え入りそうなくらい小さい。
「はい。予想していたんですか?」
「竜騎士を辞めるのか?」
改めて問われると、ぐっと詰まる。僕はこの二年間、竜騎士として軍の作戦に従軍してきたのだ。それが、今まさに消えようとしている。後悔はないのだろうか? まったくないと言えば、嘘になる。けれど、ラトを喪ったという衝撃は図りかねない。大きな隕石が直撃したかのような気分。もう、ラトは戻らない。
「辞めます」と、僕は言った。
「そうか。これからどうするんだ?」
「分かりません」
「分かっていると思うが、軍を辞めたからと言って、直ぐに普通の人間になれるわけじゃないぞ。かなりの制約が付くことになる」
「はい。それは知っています」
「ラトを喪ったことが原因か?」
「それもあります」
「お前のラトを奪った人間。そいつに対し、未練はないのか?」
ラトの命を奪った竜騎士。
それはラリウスだ。同時に、僕の父親であるらしい。父親に我が愛竜を殺されることになるとは、誰が予想したであろうか。僕は何度か目を瞬きながら、プリオルに向かって言った。
「未練はありません。団長、あなたはラリウスのことを知っているんですか?」
その問いに、一瞬プリオルは固まった。僕はその変化を見逃さず、ただ漠然とプリオルの表情に視線を注いだ。
「知っている」と、プリオル。
「ラリウスは僕の父親だと言っていました」
「そう。その通りだ」
「知ってるんですね? それに、彼の左手には『暗黒の紋章』が刻まれていました」
「うむ。それは私に対する恨みの力が、そうさせるのだろう」
「あなたとラリウスの関係は何なんですか? 何故、ラリウスは仮面を被り、そして暗黒の紋章を刻んでいるんです? 何か得体の知れない過去があるんですか?」
プリオルは新しいタバコに火をつけた。
本当にこの人は、何も言わなければどんどんとタバコを灰にしていく。健康を考えたことはないのだろうか?
「その昔……」
プリオルは、ラリウスとの過去を話した。
それは、半ば僕の予想した通りのことだった。しかし、僕の母をプリオルをはじめとする、アルヴェスト王国の軍隊が襲撃したことに関しては、やはり真実のようである。
「お前は……」と、プリオル。「私を恨むか?」
「恨む? でも、僕のことを救ったのもあなたです」
「お前には、ヴィンターヴルとしての力がある。流石はラリウスの血を引いていると言っても過言ではない」
「だからと言って、僕はもう、竜に乗ることはないですよ」
結局、話は堂々巡りであった。
僕はプリオルの許を離れ、そして自宅へ向かおうとしていた。その時、一人の人物と鉢合わせることになる。その人物とは、僕の戦友、ケントゥリオンだった。彼もまた竜を喪い心を痛めているが、それにも負けず、新しい竜を得ることで、再びその活力を取り戻しつつある。
僕にはそんなことはできない。少なくともそう思っている。
「パルラ。どこへ行く?」
と、ケントゥリオンは言う。服は軍服を着ているし、つい先ほどまで訓練をしていたのであろう。ヘルメットを両手に抱えている。
「僕はもう、軍人であることを辞めたんだ」
「辞めた? 何故だ」
「竜を喪ったんだ。ラトは死んだ。もう、戻らない」
「俺の愛竜も死んだよ。でも、その仇を討たなければならない。それは分かるな」
「分かるよ。だけど、僕にはもう、戦う気力が残っていなんだ。もう、心はバラバラに打ち砕かれたし、今後はもう、戦いたくない」
「お前の竜を葬った人間に、未練はないのか?」
未練。
そう、未練はあるのだ。
父親が僕の竜を葬った。それは変えようのない事実なのだから。
ラリウスは、僕にとって、恩人でもあると同時に、深い因縁のある相手でもある。
その時だった。僕の脳裏に、とある声が聞こえてきたのだ。その声は、つい最近聞いた声。そう、あの、黒竜の声であった。脳裏に直接、テレパシーを送ってくる。
(パルラ。聞こえるか?)
と、黒竜は言う。
(聞こえるよ)と、僕は念じる。
僕の急な変身に、ケントゥリオンも気づいたようである。
(今すぐ、ギルドに来るんだ)
(何故?)
(僕に乗れ。そして、もう一度戦うんだ)
(僕はもう、戦いたくはない)
(お前は絶対にやらなければならないことがあるんだ)
(それは、何?)
(ラリウスを倒すということだ。それにラリウスをはじめとする、スーヴァリーガル帝国の軍団が、アルヴェストを襲撃しに来るぞ)
(そ、そんな馬鹿な……)
僕は固唾を飲んで、黒竜の言葉に耳を傾ける。
スーヴァリーガル帝国の襲撃。どこからその情報を、この黒竜は得たのだろうか?
「総員、第一種戦闘配置。繰り返す、総員、第一種戦闘配置」
突如、割れんばかりの軍令が下る。
「スーヴァリーガル帝国の攻撃が始まったようだな。俺も今日は出撃する。パルラ、お前も戦うんだ」
そう言うケントゥリオンの左手には『暗黒の紋章』が刻まれていた。彼もまた、深い悩みの中にいるのだろう。スーヴァリーガル帝国に対し、恨みを抱いている。ケントゥリオンは慌ただしく僕の前から消えて行った。
戦いの火ぶたは切って落とされた。
さて、僕はどうするべきなのだろうか?
依然として、脳内には黒竜の声が聞こえている。だけど、関係ない。僕はもう、竜を喪う経験をするのは、真っ平御免なんだ。絶対にもう、こんな思いはしたくない。
(パルラ)と、相変わらず、黒竜は言う。(ラリウスが迫っている)
ラリウスは恐らく、このままいくと、プリオルと激突するだろう。『暗黒の紋章』の力によって、彼の戦闘力は極限まで高まるはずだ。その時、プリオルはどうするのだろうか?
僕は逃げるように、シェルターに向かった。
アルヴェスト王国の地下シェルターの中には、非難してきた人間たちでごった返していた。バスケットボールの試合が出来るほどの広さのシェルターの中は、異様な雰囲気に満ちている。
皆、この戦争が早く終われば良いと思っているのだろう。身を寄せ合い、小動物のように小刻みに震えている姿がある。僕はそんな人の群れから離れるように、壁際の隅っこに座ることに決めた。
誰も、僕のことの竜騎士だとは思っていないだろう。そう、僕はもう、竜騎士ではないのだから。
ふと、記憶が再生される。ラトとの思い出である。僕が竜騎士になって、ずっと一緒に戦ってきた、仲間なのだ。親友、否、家族以上の絆があったといっても過言ではない。そう、僕とラトは一心同体なのだ。なのに、僕はラトを守ることが出来なかった。竜騎士が竜を守るというのは、些かおかしな表現なのだけれど。
シェルターの中に、振動が起きる。小さな地震が起きたかのように思える。恐らく、外で激戦が始まったのだろう。スーヴァリーガル帝国との戦闘は、日を追うごとに激化している。ほとんど、拮抗した戦力同士だから、中々、勝敗が付かないのである。一体、いつまでこの戦争は続くのだろうか?
もう、十五年も続いている戦争。始まりから終わりまで、どれだけの竜騎士達が戦い、そして、命を落としてきたのだろうか? 多くの命の中には、それぞれの思いや、生活があり、人生があったはずだ。
けれど、戦争がそれを根こそぎ奪ってしまった。若い兵隊たちは死に、町から男性の若者が消える。軍司令部からは、兵隊への招集令状が届き、嫌とは言えない。皆、十五歳になれば、戦争に行かなければならないのだ。僕の場合、少年兵として、戦争に参加することになったから、十三歳から戦争に身を委ねている。
「いっそのこと死にたいねぇ……」
ふと、声が聞こえた。
僕の隣に陣取っている、初老の男性から放たれた言葉だった。
髪の毛は薄く、ほとんど残っておらず、無造作に伸びた顎鬚が、汚らしい印象を与える。一目見るだけで、浮浪者であるということが垣間見える。
死にたいのなら、何もこんなシェルターに来ることはない。地上で星を見るかのように、戦線を見ていれば、やがて死ぬチャンスがあるだろう。なのに、この浮浪者はシェルターに来ている。その理由がいまいち理解できずに、僕は男性に視線を注いだ。
老人は、僕の視線に気づいたようである。中々、鋭敏な感覚を持っているようだ。僕と老人の視線が交錯し、居心地の悪い時間を造る。老人は僕のことを見るなり、ニッと不気味な笑みを浮かべ、乾いた声で言った。
「あんた、竜騎士だね?」
何故、分かったのだろうか?
僕は驚きで目を見開いた。
「どうしてそう思うんですか?」
と、僕は尋ね返す。すると、老人は禿げ上がった頭皮をぽりぽりとかきむしりながら、次のように言った。
「わしも昔は竜騎士だったからだよ」
「竜騎士?」
「そう。もう、五〇年以上も前の話だがね」
老人の年齢は、正確のところ分からない。
見た目の印象では、七〇歳前後であろう。となると、一〇代後半から、二〇代前半にかけて、老人は竜に乗り、戦争を行っていたことになる。五〇年前の戦争となると、この世界中、至るところで戦争が繰り広げられていた。有名なところになると、第一次世界大戦となるが、その戦争に従軍していたのだろうか?
「どうして竜騎士を辞めたんですか?」
と、僕は尋ねた。
戦争から離れた理由を知りたかった。そこに、僕の求める答えがあるような気がしていたのだ。
「竜を喪ったんだよ」
と、老人は遠い目をしながら言った。その声には覇気がなく、どこまでも悲しみの旋律を帯びている。まさか、僕と同じ理由で、老人が竜に乗ることを辞めたとは思わなかった。世間は狭いと言うけれど、この時もまた、世間の狭さを、まじまじと感じ取ることになった。
「僕も」僕は続けて答える。「竜を喪いました。白い竜です。僕が戦争に参加することになって、ずっと一緒に戦ってきたんです。それなのに、僕は竜を守ることが出来なかった。無残にも、死に至らしめてしまったんです」
「うむ。だが、君の所為ではないだろう」
「いや、僕の所為です。僕がもっと巧みにラトを扱っていれば、こんなことにはならなかった」
ラト――。
僕は無意識に自分の愛竜の名前を叫んでいた。その名前を聞くと、ギュッと胸を鷲掴みにされる感覚になる。二度と戻らない、永遠に戻らない。そんな僕の竜。
(ラト、いっそのこと、僕を殺してくれないか)
そんな風に思えてくる。
しかし、意外なことが起きた。
「ラト、人語を操る白竜か。懐かしい名前だ。だが、今もまだ戦争で戦っていたとは驚きだがね。竜としてはかなり高齢のはずだ」
と、老人は言った。
その言葉から察するに、ラトと面識があるようである。何故なのだろうか?
「おじいさんは」と、僕は言う。興味に我が心が躍り立つ感じだ。「ラトのことを知っているんですか?」
「知っておる。わしはね、竜騎士を辞めた後、竜の飼育兵となり、戦争に従軍していたんだよ。その時、ラトという竜を担当していた」
竜騎士から、竜の飼育兵となるケースは、決して珍しいケースではなく、ありふれた流れである。戦闘で腕を喪ったり、または、僕と同じように竜を喪ったりしたことで、戦闘から離れ、竜を育てるという立場に成り下がるケースが多々あるのだ。そのことを僕は知っている。
だが、問題は、自分の育て、担当した竜を一々覚えているか? ということである。竜の飼育兵は、決して一体を担当するわけではない。優秀な飼育兵となれば、それこそ、一〇体以上の竜の飼育を担当することになる。それが何年も続けば、自分の育て、担当した竜は三桁を超えることになるだろう。
その竜すべてを、正確に把握しているとは思えない。人間は忘却の生物だ。新しい記憶が脳内に入れば、古い記憶は整理され、やがて忘れてしまう。昔読んだ、小説の内容を、思い出せないことは、よくあることなのだから。
にも拘わらず、老人はラトのことを知っている。これは恐らく、ラトに何らかの愛情を注いでいたか、稀有な経験を、ラトを通して感じたのではないか? と、推測することが出来る。一体、老人は何を経験したのだろうか?
「何故、ラトのことを覚えているんですか?」
と、僕がゆっくりと尋ねると、老人は手で顔を覆い、顔を洗うような仕草をした後、言葉を継いだ。
「簡単だよ。ラトは黒い竜を産んだんだ。真実だよ。ラトは黒い竜と交わり、そして黒い竜を産んだ。これは間違いない」
「それはいつの話ですか?」
「かれこれ、二〇年くらい前の話かねぇ」
二〇年。時の重さを感じる。ラトが竜を産んでいるとしても、それはまったくおかしなことではない。竜の繁殖は人工的に行われる場合もあるし、自然と竜に任せることもあるのだから。
「黒い竜を産んだということは……」
僕は、恐る恐る言った。考えられる可能性は一つしかない。「黒い竜と交わったということになりますよね」
「その通りじゃよ」
「でも、どこで?」
「それは分からん。元々、ラトは野生の竜の時代が長かった。それがどういうわけか、戦争に参加したいと、自ら志願し、戦闘竜になることに決めたんだ。それがラトの抱える背景だよ。ラトは幼いころからお前さんのことを見つめていたんだろう。だから年をとってもお前さんを乗せようとしたんだ」
シェルターの外は激しい戦闘が行われているようで、地震や落雷のような衝撃が、シェルター内を襲っている。小さな子供たちの叫び声が、木霊している。本当にこのシェルターは大丈夫なのか? そんな不安に襲われる。
「ここは危険だ! 別のシェルターに移れ!」
と、言う、叫び声が聞こえる。シェルターの重い鉄のトビラが開き、そこに人が殺到する。皆、我先に逃げようと躍起になっているのだ。
「ここもおしまいのようだね」
老人の言葉は諦めの口調で満ちていた。
確かに、お終いかもしれない。だけど……。
その瞬間、シェルターに向かって、スーヴァリーガル帝国の空襲が炸裂した、界隈は地獄絵図と化し、人々の身体がごみのように砕け散っていく。シェルターのトビラ付近にいた人間たちは、空襲に襲われ、ほとんどが命を落とすことになった。瞬間、吐き気を催す。人が、紙屑のように消えて行くことを見るのは、どんな人間だって慣れることがないだろう。それくらい、衝撃的な出来事だからだ。
「ギルドが陥落したらしい、早く逃げろ!」
「ここはもうダメだ。生き残った奴は別のシェルターへ」
「死にたくなければ早く逃げろ!」
阿鼻叫喚の中、そんな兵隊たちの声が聞こえる。生き残った人民たちは我先に、別のシェルターへ向かって走っていく。
空を見上げると、無数の竜たちが、攻撃を仕掛けている。我が、アルヴェスト王国と竜騎士団と、スーヴァリーガル帝国の竜騎士団が、激しい交戦を繰り広げている。僕はもう、あそこには戻れない? 否、戻りたくないのだろうか??
分からない。だけど、今この人民たちを救えるのは、僕しかいないように感じられた。あの老人は、いつの間にか消えていて、僕は空襲が炸裂している中、半ば無防備な状態で立ち尽くしていた。
(パルラ!)
徐に、声が聞こえた。
その声は、あの黒竜の声である。
(なんだ?)
と、僕は答える。
(ギルドが陥落した)
(知っている。だけど僕は)
(僕に乗るんだ)
黒竜は言う。もう、迷っている時間はないのかもしれない。僕がもう一度、竜に乗るか乗らないか、思案に思案を重ねていると、頭上からありえないものが降ってきた。
ありえないもの。
それは、竜と、竜騎士であった。軍服を見る限り、アルヴェスト王国の竜騎士であることが、容易に見て取れた。僕にとって驚きだったのが、その竜騎士本人である。何と、追撃された竜騎士はケントゥリオンであったのだ。
ケントゥリオンと新しい竜、赤竜が落下してきたのである。
「ケントゥリオン!」
と、僕は溜まらず叫ぶ。
どれだけの高度から落下してきたか分からないが、赤竜は落下の衝撃により、爆発したのかのように、衝撃を受けている。それは素人が見ても、生きているとは思えないくらいの有様であった。そして、それに乗っているケントゥリオンは……。
「パ、パルラか」
辛うじて、声を出すケントゥリオン。しかし、その声はか細く、消え入りそうなくらいであった。もう、命の灯は長くないであろう。
「今すぐに医者に……」
と、僕は提案する。しかし、これだけの激戦である。医師が近くにいるとは思えない。そうこうと迷っている間にも、ケントゥリオンの命は着実に削られていく。
「いや、もう無理だ」
そう言った後、ケントゥリオンは大量に吐血をする。口元が鮮血で汚れ、激しくせき込んでいる。
「誰にやられたんだ?」
「黒い竜だ。恐らくレベル4だろう。まったく歯が立たなかった」
「黒い、竜。レベル4。プリオル団長はどうしている?」
「今、戦っている。パルラ、プリオル団長を救ってくれ」
「どうして?」
「敵のレベル4は『暗黒の紋章』を刻んでいる。そして、その対象者はプリオル団長であるに違いない。つまり、敵はプリオル団長に対して、無敵に近い戦闘力を持っているということになる」
暗黒の紋章。
その事実だけで、僕にはプリオルが戦っている相手が誰なのかすぐに分かった。
僕の父さんだ。
ラリウスと、その愛竜、イスカリオが戦っているのだ。ラリウスはプリオルに対して、誓約を行っている。それが暗黒の紋章の力だ。早くプリオルを救わなければ、プリオルは簡単にやられてしまうかもしれない。
(で、でも)
「パルラ……。お前にしかできないんだ」
と、ケントゥリオンは声を絞り出し、僕に向かって言った。
確かに、僕はヴィンターヴルの力を宿しているかもしれない。そして、黒い竜に乗れる資質を持っているのかもしれないけれど、もう、竜を喪いたくないし、何よりも、戦いから己を遠ざけたかったのである。
「ぼ、僕にしかできない」
そう。僕にしかできない。
プリオルは僕にとって命の恩人だ。幼い僕を拾い、ここまで育ててくれたのは、プリオルの功績に近い。誰が好き好んで、得体の知れない赤子を育てようとするだろうか? 僕は竜騎士となり、こうして戦闘に参加するようになった。
僕が考えていると、ケントゥリオンは動かなくなった。それは永遠の別れである。それと同時に、ケントゥリオンに愛竜、赤竜も命を落としたようである。竜岩が始まり、その身は固まりつつある。
(また、僕は守れなかった)
と、僕は考える。
ケントゥリオンは僕の大切な戦友である。そんな戦友の死が、僕の体に大きくのしかかってくる。避けようのない現実。僕はこれからどうするべきなのだろうか? また、戦うのか? ケントゥリオンの仇を取るために、そして、プリオルを救うために。
(パルラ、乗るんだ)
依然として、黒竜の声は聞こえている。
どうやら、もう運命の歯車は動き出しているらしい。僕は意を決し、ギルドへ向かって走り始めた。ナーガの許へ。瓦礫の山と化したギルド、そこで待っているのは、たった一頭の黒い竜であった。
第4.5章
どんなに精密に企んだ犯罪でも、
萬全なものというものは決してない
ジョン・ソーンダイク博士 疑問の溺死より
――ラリウスとプリオルの戦闘――
お前はいよいよ、プリオルを追い詰めた。
左手に刻まれた暗黒の紋章が、邪悪に輝きを増している。その姿をまじまじと見つめるプリオル。大勢はほとんど決まった。お前が勝利を収めたのだ。それは同時に、二〇年越しの、積年の恨みを晴らした瞬間であると言えるだろう。
プリオルの愛竜、黄竜はほとんど死んでいる。飛んでいるのがやっとという状況だ。もう、数分後には勝負は完全に決まるであろう。
「暗黒の紋章か」
と、プリオルが言った。
「そうだ」と、お前は答える。「お前を倒すために、俺はこの二〇年特訓に特訓を重ねてきた」
「そうか。随分と寂しい人生だな」
「寂しい人生だと」
「そうだ。お前は自分の息子と相対したか?」
お前はぐっと口ごもる。
そう、お前はプリオルの恨みを晴らすために、我が子を捨てたといっても過言ではないのだ。そして、自分の代わりに、パルラを竜騎士として育てたのが、今目の前にいる、憎き仇であるプリオルなのである。
つまり、お前にとってプリオルは仇であると同時に、救世主でもあるのだ。それは分かっているな? お前は一人頷く。分かっていながら、それでも恨みの力は大きい。だからこそ、暗黒の紋章という誓約を、左手に刻んだ。
暗黒の紋章は、早い話が、恨みのある人間に対して、無敵に近い力を発揮する代わりに、その効力が切れたとき、ある程度の衝撃を受けることになる。この衝撃が大きいほど、暗黒の紋章の力は大きく作用する。
お前はプリオルに対し、命という対価を支払うことにより、完全無欠の力を手に入れた。だからこそ、こうしてほとんど無傷に近い状態で、お前はプリオルを追い詰めることが出来たのだ。
「パルラは関係ない」
と、お前は言う。「なぜ、パルラを戦闘員にしたんだ?」
「分かっているだろう」と、プリオル。「パルラには竜に乗る高い適性がある」
「ヴィンターヴルの力か?」
「そうだ。お前と同じ、ヴィンターヴルの力が宿っている。軍司令部としては、この才能を見逃すことはできない。故に、お前から奪還したんだ」
「それだけの才能が、パルラにはあるということか?」
「そう」
プリオルはそこで不気味な笑みを浮かべる。
最早勝負はついたはずなのに、……、なぜここで不敵な笑みを浮かべられるのだろうか? お前にはその行為がどこか悪魔じみていて、恐怖を煽り立てられた。まだ、何かある。油断はできない。
左手の紋章が輝きを増す。
早く、とどめを刺せと!!
しかし、プリオルは竜岩が始まった黄竜を、自分の魔力で浮遊させた。ふわふわと浮いた黄竜を前に、お前は再び臨戦態勢に入る。何かこう、得体の知れない恐怖が、沸々と湧き上がってくるのである。
(何をするつもりだ?)
と、お前は考えるが答えは出ない。
「ラリウス、私の最後の攻撃を受けてみろ」
と、プリオルは言うと、なんと愛竜である黄竜の体が、風船のように膨らんでいくではないか。既に竜岩が始まっているというのに、この変形は、高い魔力の表れであると推測できる。
やはり、プリオルは歴戦の勇者である。どんなに劣勢であっても、最後の最後まで油断することが出来ない。お前は、ぐっと手綱を握りしめ、攻撃に対抗するための、策略を考え始める。
プリオルがこれからしようとしていることは、容易に推測が出来る。
早い話が、決死の自爆作戦だ。
黄竜とプリオルが一心同体になることにより、自爆の力は数段上昇する。早くこの場を離れなければならないが、そこは、流石のプリオル、円状の結界を張り、そこからお前が抜け出せないように、魔法を組み込んでいた。つまり、お前は結界の中に閉じ込められたことになる。
攻撃するにも、攻撃はできない、風船のように膨らんだ、黄竜を攻撃することは、自爆を早めるだけで、何のメリットもないからだ。
また、負けるのか? 最後の最後、ここまで追い詰めて、相討ちになるとは。
「ラリウス、あの世で会おう……」
と、プリオルは言い、そして自爆を慣行した!
激しい炸裂音と、衝撃がお前を襲う。
竜岩したことにより、自爆した黄竜の体がそのまま、矢のような衝撃波となり、お前とイスカリオを襲う。暗黒の紋章だけが、煌びやかに光っていた――。
第五章――
想い溢れし果て 深き哀しみ呼ぶ 涙は尽きて
何も恐れぬまま 闇に刹那の風 鈴の音 響く
面影抱いても もう二度と帰らぬ日
摂理に抗い 奇跡をいつしか求めた
涙尽鈴音響 作詞:江幡育子
西の方角から、激しい炸裂が鳴り響いた。それは僕の耳に大きく聞こえ、戦闘の悪化を物語っているように感じさせる。今も、どこかで痛烈な戦闘が行われている証拠であると思える。
西の方角には、ギルドがある。故ケントゥリオンの話では、ギルドが陥落したらしい。アルヴェスト王国の中心でもあるギルドが落とされたという事実に、少なからず、僕は驚きを覚えている。あそこにいる竜たちは一体どうなってしまうのであろうか。僕は懸命に考えるが、都合の良い答えは思い浮かばなかった。
もう一度、竜に乗るのだろうか?
僕はケントゥリオンの仇を取らなければならない。戦友がやられたのだ。それも、自分の父親だと名乗る男によって……。
名はラリウス。生かしておくわけにはいかない。だからと言って、僕がラリウスに勝てるという保証はどこにもない。勝機は恐らく一〇%に満たないだろう。まともにやり合えば、敗戦は必死である。だからこそ、自分に有利なフィールドで戦わなければならないのだ。しかし、自分にあったフィールドなどどこにあるのだろうか?
自分自身、暗黒の紋章の誓約をつけるべきか? ラリウスに対し、暗黒の紋章を刻むことで幾分か戦闘力を上げることが出来る。
(否、ダメだ……)
暗黒の紋章は、言わば、諸刃の剣である。対象する人間に対しては大きく力を上げるが、それ以外の人間に対しては、ザルになってしまう。ということはつまり、
(ラリウスは、プリオルに対して、暗黒の紋章を刻んでいる。それは、プリオルに対して、絶対的な力を誇示する代わりに、それ以外の竜騎士に対しては、凡人のような力しか発揮できないということを意味するんだ)
それでも尚、ラリウスの戦闘能力は高い。
プリオル以外の人間であって、闇に葬り去ることができるのだから。
戦闘力が一気に落ちたとしても、今の僕よりは高い能力を宿しているのだろう。だからこそ、ケントゥリオンは戦闘に敗れたのだ。それは致しかたのない現実として、僕の心を激しく刺激している。
僕がギルドへ向かったとき、そこは瓦礫の山と化していて、人間や竜により、逃げ遅れた人や竜の救出活動が続いていた。空を見上げると、スーヴァリーガル帝国の竜騎士達が、アルヴェスト王国の竜騎士と激戦を繰り広げている姿が垣間見える。
(こっちだ)
と、声が聞こえた。
あの黒竜の声だ。黒竜が僕を呼んでいる。
(どこにいるんだよ?)
と、僕は尋ねる。すると、黒竜は次のように言った。
(地下だ)
(地下?)
(そう、瓦礫の山の下にいる)
(どうすれば良い? 僕には君を救えない)
(否、救えるんだ。僕を呼ぶんだ)
(君を呼ぶ?)
(あぁ。僕の名はナーガ。僕を呼べ!)
僕はナーガのことを、心の中で念じた。何度も何度も念じていくと、まるで心がナーガとシンクロしたように錯覚する。否、事実、シンクロしたのかもしれない。竜と人間が一心同体になることにより、その戦闘力は普段の何倍にも膨れ上がる。
これが、ヴィンターヴルの力なのだろうか? 僕自身、自分が特別な竜騎士であるとは、どうしても思えない。だけど、今、この瞬間だけは、どう考えても特別であるとしか言えない状況が作り出されていた。体中が熱く輝き、そして力が漲っていく。
その瞬間であった。
何と、瓦礫の山を突き破るように、一匹の竜が顔を出したのである。
それは、言わずもがな、黒い竜。
黒と言っても、若干の白が入り混じり、ダークグレーと言った方が正確かもしれない。それは、まさに、ラトの生まれかわりであるように思えた。ラトは話によれば、黒い竜を産んだらしいのである。黒と白の絵の具を混ぜると、グレーになるように、ナーガの皮膚の色は濃いグレーをしている。
やはり、ラトの言うことは正しいのであろう。ラトは確実に黒い竜を産んだ。それはもう、避けようのない事実であると感じられる。
(ようやく会えたな)
と、開口一番、ナーガはそう言った。
(そうだね)
僕は念じる。
既に説明した通り、黒い竜は人語を話せない。しかし、このナーガはテレパシーで僕に気持ちを伝えることが出来るようである。
(僕はどうしたら良いんだ?)
と、僕はナーガに尋ねた。
そう、僕自身、どうしたいのか分からないのだ。戦うことが正しいのか? それとも戦わず逃げることが正しいのか? まったく見当がつかない。戦争は人の心を容易に『悪』へと変えてしまう。僕の父、ラリウスが、悪の根源として、アルヴェスト王国の竜騎士達から恐れられているように……。
今は、そんなことを考えている場合ではない。
早く、プリオルを救わなければならない。
いくら、『レベル4』の称号を持ち、絶対的な防御の神として君臨しているプリオルであっても、暗黒の紋章を前にした、ラリウスの前では歯が立たないであろう。救えるのは僕しかない。
遠い昔、僕はプリオルによって、救われた。それは変えようのない真実なのだ。その恩をここで返しておかなければならない。僕は母を守れなかったし、父ラリウスと同じように、竜騎士になった。それはどういう因果なのだろうか?
予め仕組まれていたのだろうか? 僕は仕組まれた子供なのだろうか?
(否、考えるのはよそう)
僕は頭を真っ白にさせ、そして、ナーガの背中に乗った。
温かい熱。そして激しい脈動が感じられる。
僕はすぐにナーガを操り、頭上に向かって飛び込む。
どうしてだろう。初めて乗るはずの竜なのに、初めてではないような気がしてならないのだ。それはまるで、ラトの背中に乗っているような気分。やはり、ナーガはラトの子供であることは間違いないようだ。
ヴィンターヴルの力と、ラトの子供という構造が上手く作用し、僕は初めて乗る、竜、それも黒い竜を巧みに操ることが出来ている。
ギルドの頭上、千メートルでは、ラリウスとプリオルの戦いが、まさに終結しようとしていた。間に合ってくれ。僕は懸命に念じる。そして、僕が今まさに、ラリウスと、プリオルの間に割って入ろうとしたとき、二人の勝負に白黒が付いた瞬間であった。
僕の目の前で、プリオルは自爆をした。
ラリウスはというと、暗黒の紋章によって守られたようである。
だけど、僕は間に合わなかったのだ。
僕はまた、大切な人を守ることが出来なかった。
僕が、竜に乗らないなんて、偏屈なことを言っていなかったら、直ぐに竜に乗り、この場に駆けつけていたのなら
……、きっとプリオルを救えたに違いないのだ。だけど、僕はその選択肢を無視し、一人、竜には乗らないと勝手に決めつけ、みすみすプリオルを喪ってしまった。否、プリオルだけじゃない、我が戦友、ケントゥリオンも失っているのだ。僕の周りから、どんどんと大切な人が失われていく。
その根源には、僕の父親がいる。
僕は自分の肉親、それも、たった一人残っている肉親を手にかけなければならない。それが出来るかは分からないのだけれど。
「パルラか?」
黒い竜にのったラリウスが僕に向かって声をかけてきた。
「そうだ」と、僕。「僕はあんたを許すことはできない」
「なら、俺を殺すか? プリオルを討った今、俺はもう長くない」
「当たり前だ。あんたは僕の母だけじゃなく、僕の大切な友人や上官までも殺してしまった。許しておくことはできない」
「パルラ。お前は黒い竜に乗ったんだな」
「そんなことは関係ない」
怒りが、体内を荒れ狂った台風のようにうごめき回る。僕はすべての怒りを解放させなければならない。怒りをすべて、戦闘力に変えるんだ……。
僕はこの目の前に立つラリウスを倒せれば、殺すことが出来れば、それで十分だった。なんとしても、僕はラリウスを倒さなければならない。負の連鎖をここで終結させることが、僕にできるすべてであるように思えた。
いつの間にか、僕の左手の甲には『暗黒の紋章』が刻み込まれていた。
ラリウスに対して、絶対的な力を見せることが出来るだろう。ラリウスは既に、プリオルに対して暗黒の紋章を刻み込んでいるから、僕に対しての力は極端に下がっていると言っても過言ではない。つまり、今の僕と、ラリウスの戦闘力は、ほとんど、五分五分と言えることになる。
僕はこのチャンスを待っていたのだ。
ナーガの手綱を掴み、僕はラリウスの後方へと素早く回る。当然、ラリウスはその行為を半ば読んでいたようで、正確に反応する。しかし、動きは鈍い。戦闘力は全盛期の半分以下になっていると言っても過言ではないだろう。
これは絶対的なチャンスである。いくら相手がレベル4だとしても、状況はすべて、僕に分があるのだ。この機会を逃すことはできない。僕は後方に回りつつ、ナーガに魔法を命令した。
黒い竜は、基本的に強い効果のある魔法を放つことが出来る。暗黒の炎、黒炎が有名なところであろう。僕は爆炎を命令する。忽ち、ナーガの口から、ありえないほど、高温の炎が放たれる。
速度も速い。僕は暗黒の紋章の力により、ラリウスに対しては、絶対的な力を誇ることになる。もう、後先考えることはしなかった。ただ、仇を討ちたい。それだけが、今の僕の精神を支えている。
戦争は僕の大切なものを縦横無尽に奪い取ってしまった。
台風の日、荒波が浜辺を襲うように、何もかもを、吸収し、そして消えて行く。
プリオルも……、
ケントゥリオンも……、
ラトも……、
そして、僕の母、ミルトンも……、
すべての元凶は、この目の前にいる父親だ。
父親を殺す息子。この縮図だけは、変えようがないけれど、僕は積年の恨みを晴らすことしか頭に思い浮かばなかった。例え、それが悪魔的なことだとしても……。
黒炎はイスカリオとラリウスを襲う。明らかに動きの鈍いラリウスは、黒炎をまともに浴びた。
クリティカルヒット。
攻撃を受けたイスカリオが、痛みと共に、大きな叫び声をあげる。辺りを劈くような竜の雄叫びが、広がっていく。しかし、流石は、ラリウス、これだけの攻撃を受けながら、きちんと反撃の狼煙を上げてきた。
『シンソク』により、衰えた竜のスピードを高め、そして、邪王の名にふさわしい、『邪炎』を放ってきたのである。僕と、ラリウスの間合いはおよそ一〇m。これが広いのか、狭いのか、僕には分からなかった。だけど、ギリギリのところで僕は邪炎を交わす。
しっかりと手綱を掴み、ナーガを飛翔させ、そして、攻撃を避けながら、『黒炎』の魔法を唱える。
ラリウスの邪炎と、僕の黒炎が交錯する。
この場合、力の強い、魔法の方が打ち勝つことになる。当然だけど、通常のラリウスが相手では、僕の邪炎は歯が立たなかっただろう。だけど、今は、すべての条件が僕に味方をしている。そのため、ナーガが放った黒炎は、容易に、イスカリオの邪炎を吸い込み、吸収しつつ、一気にラリウスに襲い掛かった。
もちろん、ラリウスはただではやられない。少しずつ、ダメージを受けながらも、懸命に僕の攻撃を避け、そして的確な反撃を加えてくるのだ。流石は、『レベル4』の称号を持った竜騎士である。
これだけの劣勢的な条件が揃っているのに、中々、致命的なダメージを与えることが出来ない。僕はナーガを一回転させ、今度は、ラリウスの正面に回った。ラリウスも攻撃に備え、僕の行動を一々、予測している。
このままでは埒が明かない。となれば、どうするか?
僕は作戦を考える。その時であった。
(パルラ。聞こえるか?)
黒竜。ナーガの声である。
僕は念じる。
(聞こえるよ)
(大分苦戦しているようだな)
(相手はレベル4だからね)
(なるほど、だが、一連の流れを見る限り、戦闘はお前に分があると言っていいだろう。いずれにしても、あまり長期的な戦闘になると、勝機は薄れていくことになる)
確かに、あまり戦闘を長引かせることは、優位さを揺るがせ、ラリウスを延命させることになってしまうであろう。
だからといって、この場を上手く収めるような攻撃を仕掛けることは、中々難しい。一体、どうすれば良いのか? 僕は高々、二年程度しか、竜騎士の経験がない。対して、ラリウスは一〇年以上、竜に乗り、そして戦いに勝利してきた、歴戦の勇者なのである。そんなラリウスを前にして、僕の攻撃はどこまで通用するのであろうか?
(どうしたらいい?)
僕は黒炎の呪文を唱えながら、念じてみせる。
すると、ナーガの声が聞こえる。
脳内に直接響き渡るといっても過言ではないかもしれない。器用な竜である。黒炎を放ちながら、尚且つ、僕に向かってテレパシーを送ってくる。かなりの戦闘力や行動力が無ければできない行為。やはり、黒竜は他の四色の竜とは違い、段違いの行動を見せる。
(方法がある)
と、ナーガは言った。
(教えてくれ)と、僕。
(それは……、――――だ)
僕はその言葉を聞き、開いた口が塞がらなかった。
作戦は決死の攻撃と言ってもいいだろう。それを行えば、命の保証はない。否、命の代わりに勝利を収めるという作戦だ。絶対にやりたくない。少なくとも、僕にはそう思えた。新しく竜に乗り、その竜を死に至らしめることで、勝利を収める。僕の心は、ギュッと冷たい腕で握りしめられるように衝撃を覚えた。
(馬鹿なこと言うな!)
と、僕は叫んだ。
しかし、ナーガはいい加減、冷静な態度を崩さない。しっかりと攻撃を行いつつ、余裕のある態度で、僕に接してくるのである。
(しかし)と、ナーガ。(お前が的確に勝利するためには、今、俺が言った作戦を遂行するしかない)
(それはそうかもしれないけれど)
(僕は奴を討たなければならない)
奴。とは、一体誰のことだろうか?
僕がラリウスを呪っているように、ナーガも何かラリウスに対して、恨みのようなものがあるのであろうか? この灰色の竜は分からない。僕が黙り込んでいると、ナーガが念じてきた。
(僕の母竜がどいつだか知っているか?)
(ラトだろう)
(そして、……)続けてナーガは言う。(父親はイスカリオだ。つまり、お前の父親、ラリウスの愛竜と、僕は親子なんだよ)
いつ、ラトがイスカリオと出会ったのかは分からない。
しかし、二人は……、イスカリオと、ナーガは……、僕がラリウスと親子であると同じように、血縁関係があるのだそうだ。どこまでも世間は狭い。そんな風に感じられる。しかし、だからと言って、ナーガには、何の恨みがあるというのだろうか?
(イスカリオは僕の憎き仇でもある)
と、ナーガは念じる。
(何故?)
理由も分からず、僕は尋ねる。それが、この場を打開するすべてであるように感じられた。必死に攻撃を仕掛けつつ、僕の質問に、ナーガは答える。
(僕は双子だったんだよ。だが、僕の兄弟の竜を、イスカリオは食らった。自分の我が子を手にかけたんだ。僕はその時、赤子だったが、よく覚えている。同時に、いつか兄弟の恨みを晴らさなければならないと、心に誓ったんだ)
(それが、今、この時ということか)
(そう、パルラ、お前がラリウスに恨みを抱いているように、僕もまた、ラリウスと、イスカリオに積年の恨みを抱いているんだよ)
(だから……)
殺す。
僕は最後まで念じることが出来なかった。それでも、僕はこの恨みの連鎖によって巻き起こっている戦闘を、終わらせなければならない。それが僕の天命であり、確固たる心の表れなのだから。戦闘を終えたら、僕はどうなるのだろう。このまま竜騎士として、生きていくことはできるのであろうか??
イスカリオの邪炎が僕の頬スレスレに飛んでくる。僕はそれを反転しながら避け、そし的確に反撃をする。
体中が熱い。そんな風に感じられる。僕がラリウスに対し、恨みを抱き、暗黒の紋章を刻み込んだように、ナーガもまた、ラリウスとイスカリオに対し、恨みを抱いていたのである。不可解な因果であると感じられる。僕と、ナーガ。
僕らの関係を結びつけているのは、きっと、ヴィンターヴルの力だろう。そうでなければ、僕はここまでナーガを操ることはできないだろうし、いくら、誓約によって、力の衰えたラリウスを前に、威風堂々と戦うことは難しいはずだ。
でも、
今の僕ならラリウスに勝てるかもしれない。そんな気合が僕の中で立ち上る。そして、一つ一つの動作が、着実にラリウスを追い詰めていく。最早、勝負はあったのかもしれない。
とはいうものの、そこは流石の『レベル4』である。ラリウスは僕に対して、圧倒的に劣勢であるのに、中々致命的なダメージを与えることができない。すべての攻撃は寸でのところで、避けられてしまうのである。これは恐るべきことであった。やはり、ラリウスは天才、そしてイスカリオと一心同体のシンクロ率を見せる。
やはり、ナーガが編み出した作戦を実行するべきなんだろうか?
一撃必殺の攻撃であることには違いないが、……それには痛々しい犠牲が発生することになる。僕はまさに躊躇していた。なぜなら、これ以上の犠牲は出したくはなかったからだ。僕はきっと、父親を殺してしまうだろう。それが、僕に課せられた使命であるように思われる。
父親殺し。
何故、このようなことになったのだろう。僕は自分の運命を呪った。呪い、吐き気を催す。
瞬間、イスカリオの邪炎が飛んでくる。僕は手綱を引き、左右に旋回し、攻撃を避ける。そして、その時発生した遠心力を利用し、イスカリオの後方へ回り、そして、黒炎の呪文を唱える。
ナーガの口から黒炎が放たれる。やはり、ラリウスの動きは鈍い。ナーガの邪炎が、イスカリオの背中と、ラリウスの体を焼く。
クリーンヒットというわけではないが、ある程度のダメージを与えることが出来たはずである。着実に、そして一歩ずつ、僕とナーガはラリウスと、イスカリオを追い詰めていく。同時に、別れの時間が迫ってきている。
竜騎士はどこへ向かうのだろう。
このアルヴェスト王国と、スーヴァリーガル帝国の戦い。戦記。それが終われば僕らは一体どうなってしまうのだろうか? 竜に乗ることを辞めた竜騎士の下に残るのは、果たしてどんなことなんだろう。
そんなことを、今考えても仕方ないことは分かっている。だけど、僕は自分の運命について知りたいんだ。生まれてから今まで、僕は自分のアイデンティティに疑問を持っていた。幼くして両親と別れ、そして竜騎士としての教育を受けた。だから、僕には生きる目的があまりなかった。
竜に乗ることが、生活のすべてであると感じられたからだ。だけど、戦争が終わり、人々が……、竜騎士が……、竜に乗ることがなくなる時が発生するのならば、僕はどこに向かうのだろう。そして、ラリウスをこの手で葬ったという、消えない事実を胸に、僕は生きていくことが出来るのだろうか?
疑問は泡のように発生し、やがて大きくなっていく。僕はずっと父親のことを求めていた。母親を求めるのと同じくらい、父親に会いたかったのだ。そして、僕はこうして、父親であるラリウスに出会うことが出来た。だけど、もっと別の形で出会いたかった。こんな積年の恨みを晴らすような状況で、出会うことはマイナスしかないではないか。
一言で言おう。
僕は、父親を、否、ラリウスを殺したくない。例え、その背景にどんな因縁が潜んでいるのだとしても。
(何を迷っている?)
と、不意にナーガの声が脳内に響く。
(僕は殺したくない)
と、僕は念じる。
(いまさら何を言っているんだ)
(だけど、ラリウスは僕の父親なんだ。ナーガ、イスカリオはお前の父親なんだぞ。それなのに、どうして殺せる? 家族じゃないか)
(家族……。確かにそうかもしれない。だが、その家族の絆を奪い、破壊させたのも、彼らだ。これは忘れてはいけない事実だ)
(それはそうかもしれないが)
(一撃必殺の攻撃を使え……。そして、着実にラリウスとイスカリオを葬るんだ。それができてこそ、お前はこれから先に進めることになる)
果たしてそうだろうか?
僕にはこの戦いが無益なものでしかないように感じられるのだ。何が悲しくて、そして、何が僕を突き動かすんだ。この圧倒的に理不尽な戦闘の先に、何が待っているというのか?
ラリウスは母親だけじゃない。プリオルを葬り、そしてケントゥリオンも打倒してきたのだ。その仇を僕は取らなければならない。怒りを決して風化させてはいけないのである。倒す。絶対に、僕の中で、怒りの炎が再び、雄叫びを上げるように舞い起こってくる。そして、
(行くぞ、ナーガ!)
僕は意思を固め、そしてイスカリオに向かって突進する。当然、攻撃を受け流すために、イスカリオは邪炎を吐く。僕とナーガは当たり前のように邪炎を体に浴びる。
熱い。否、これはもう熱いというレベルを超えている。体中を溶かすと形容しても、何らおかしなことはないだろう。事実、ナーガの体は、みるみる邪炎に焼かれ、そしてゴムのように縮んでいく。僕はナーガの体に守られているから、さほど、ダメージを負うわけではないけれど、それでも、かなりの熱量を感じられる。
僕と、ナーガが実行した作戦はこうだ。
竜の死後、現れる竜岩を利用した、決死の突撃作戦である。自爆テロに近い行為と言っても過言ではない。ナーガは己の命と引き換えに、僕に勝利をもたらす、女神となったのである。
邪炎の攻撃をまともに浴びたナーガは、最早生きる屍となっていた。もう、命の灯は消える寸前である。そして、命尽きたとき、ナーガは最後の魔法を放つように僕に命じた。
『ウォール・ロック』
この呪文は、自分の周りに結界を張り、そしてそこから対象者を抜け出せないように、拘束する呪文である。主に、黄竜に乗る竜騎士が乗る呪文であるが、僕はその昔、プリオルにこの呪文を教えてもらったことがあるのだ。もちろん、扱うのは初めてである。僕はそれまで黄竜に乗ったことがなかったし、ずっとラトという白竜に乗っていたのだから。
ウォール・ロックにより、僕とラリウスの間には見えない結界が張られることになる。そして、これがチャンスと言わんばかり、瀕死の状態であるナーガがくねるように、イスカリオに抱きついた。
(やるんだ)
と、ナーガの声が聞こえる。
そう、やらねばならない。僕は決死の覚悟を決めて、持っていた短刀で、ナーガの頭を一突きした。黒竜の体は基本的には短刀なんかでは突けない。きっと、傷一つ負わせることはできないだろう。だけど、今は違う、イスカリオの邪炎をまともに浴びたナーガの皮膚組織は限界まで弱まっていた。
だからこそ、僕は自分の手でナーガを葬ることが出来たのである。ナーガの脳髄が飛び散るとともに、激しい竜岩が巻き起こる。そして竜岩はイスカリオとラリウスを巻き込み、地上に落下していく。僕とナーガは、こうして自殺前提の攻撃を加えることで、ラリウスとイスカリオを葬ったのだ。
何秒後だろう。僕はナーガと共に、地表に叩きつけられるだろう。結界の中にいる限り、パラシュートという救出道具は使えない。ラリウスもろとも、僕は命を喪うことになる。
だけど、それで十分だった。
ラトを喪い、そして戦友であるプリオルとケントゥリオンを喪ったのだ。もう、生きる目的などなかった。だからこそ、僕はこうして、ナーガの編み出した、攻撃に乗ることに決めたんだ。きっと、ナーガも僕の気持ちを見抜いたのだろう。故に、この一撃必殺の作戦を僕に押してくれたのだ。
(生きろ!)
意識が遠のく最中、最後、その言葉を聞いた。
それはラリウスの声。だけど、その時僕は、どうしようもないくらい、体を動かせずにいた。このまま死んでいく。それでよかったのだ。しかし――。
激しい炸裂音が鳴り響いたことであろう。
竜岩作用により、岩に変化した、ナーガは己の身を爆弾とすることによって、イスカリオとラリウスを葬り去ることに成功した。
通常なら、その竜に乗る、僕も同じように死んだはずである。
だけど、
気が付くと、僕は浜辺に一人横たわっていた。波の音が、静かに聞こえる。体中に痛みがあるけれど、どれも致命的な痛みではないし、骨を折っているわけではなさそうである。自分でも何が起きているか分からなかった。
僕は立ち上がる。そして、辺りを見渡す。ここはどうやら無人島であるようである。僕の横、数十メートル先には、躯と化したイスカリオと、ナーガの姿がある。二体ともぐちゃぐちゃになっているが、竜岩により、固まっているように見える。竜岩を利用した、決死の作戦はこうして成功したのである。
けれど、ラリウスの姿がない。彼は一体どこに行ったのか?
僕が辺りを見渡していると、イスカリオとナーガの陰に隠れて、ラリウスは倒れていた。見たところ、とても高度一〇〇〇メートルから落下したとは思えない。きっと、イスカリオの体に守られていたのだろう。それがギリギリのところで、彼の体を救ったに違いない。
僕は、ラリウスに近づく。その生命の有無を確かめるために。
単刀直入に言うと、ラリウスは生きていた。あれだけ高高度から落ちたというのに、驚くべき生命力である。やはり、この辺の体力や生命力、そして魔力の高さは、流石『レベル4』と言わんばかりであった。
「ラリウス」
と、僕は囁く。
ラリウスは仰向けに倒れている。
生きているといっても、それは風前の灯であって、最早、長くはないということが簡単に見て取れた。もう、命は長くないだろう。それにしたって、今、こうして生きていること自体が奇跡的であると思えた。
「パルラか」
「うん」
「ここは昔、俺がプリオルと戦い、そして破れた場所なんだ。結界が張られていてな。おれはその魔のスペースに誘われた。そして、戦いに敗れ、ミルトンやお前を喪った」
淡々と、ラリウスは語った。
その昔、ラリウスがプリオルと戦った事実を僕は知っている。
同時に、敗れたということも……、その際、僕の母親が、アルヴェスト王国によって、襲撃されたということも。
では、なぜ僕は、アルヴェスト王国の一員として、スーヴァリーガル帝国と戦っているのであろうか? 元を辿れば、僕はスーヴァリーガル帝国の人間なのである。当然、プリオルは憎き仇であり、恨まなければならない人間の一人であることには違いない。なのに、僕はこうしてプリオルの配下として、戦いに従軍している。
それは不思議な縁であった。変えようのない事実。僕は生まれながらに仕組まれた子供だったのかもしれない。母を喪い、そして、国を喪い、すべてを喪った僕に残されていたのは、ヴィンターヴルの力という不思議な力だけだった。
その力が、プリオルが僕を救うということに、一役買っていたのである。この力がなければ、今頃僕はどこで何をしていたのか? それは分からない。ただ、そっちの方が幸せだったかもしれない。
竜に乗り、そして戦う。
少年の憧れである竜騎士。
僕も小さな頃は竜騎士に憧れた。だけど、実際なってみたら、それは血みどろの戦いの連続で、思い描いていたものとは全く違っていた。本当の竜騎士は、きっとこんなものではない。国を救い、そして人々の盾として、戦う。誇り高き戦闘民族なんだと、僕は思っていた。だけど、それはどうやら間違いだったようだ。
皆、自分勝手に戦い、そして滅んでいく。それが竜騎士の本性であると感じられた。
僕ら、竜騎士は、どこから来て、そしてどこへ向かっていくのだろう。戦いの先に待っているものは、果たして何なのだろうか? そこに幸せや平和という二文字は本当に、存在するのであろうか? それは、僕には分からない。ただ、僕に言えるのは、竜騎士というのは、とても悪魔じみているということ。
とてもではないが、少年が憧れていい職業ではない。それだけは、確かに言える。心の中が、泥で洗われていく。そんな感じになるのである。そして、その泥は、生半可な努力では決して取れることがない。ただ、漠然と僕のことを覆いこみ、そして飲み込んでいく。そんな悪魔じみている泥。
「ラリウス。僕はどうしたらいい?」
と、僕は瀕死のラリウスに向かって言った。
当のラリウスは仮面越しに、僕の方を向いた。
不気味な仮面は縦に亀裂が入り、それで顔の皮膚を切ったのであろう。中から血があふれ出ている。
「竜騎士を続けるんだ」
と、ラリウスは言った。
「また、人を殺せと言うのか?」
「違う。新しい時代を守るんだよ」
「新しい時代?」
「そう。この戦いは、アルヴェスト王国が勝つだろう。我がスーヴァリーガル帝国は敗れることになる。それだけ、スーヴァリーガルは混乱しているし、上層部はもう、戦いをする気合が残されていない。戦いにスーヴァリーガルは敗れた。やがては混沌とした時が流れるであろう。でも、その先には平和が待っているはずだ。その平和を守るのが、お前の役目。つまり、新時代を守るんだ」
新時代。
そんな時代が本当に待っているのか? 僕には分からなかった。ただ、新時代の平和を守るという態度だけは、何となく分かった。だけど、僕にそんな時代が守れるのだろうか? このままいけば、幸せがつかめるのだろうか? 何かも暗黒に満ちているという気がしてならない。
「平和が訪れるのかな?」
と、僕は問うた。
すると、ラリウスは漫然と答えた。
「あぁ。俺の役目はこの腐りきった戦闘を終わらせること。つまり、俺は破壊神なんだよ。戦争を破壊し、次の時代への道しるべを創る。それが俺の存在意義であり、竜騎士としての、絶対的な使命であると感じている」
その役目はどこまでも寂しいものであると感じる。
破壊をするために、竜騎士として戦う。その役目はきっと冷たい水の中をうごめくようなものであっただろう。誰を信じ、そして、何を糧に戦えばいいのか? 分からなくなる戦いが目の前に広がったはずである。
特に、ラリウスは『レベル4』だ。レベル4は竜騎士の最高峰のランクであり、どの竜騎士にとっても憧れのランクだ。皆の目が、神を崇めるように、自身のことを見つめるであろう。そんな気合の入った目線に見つめられながら、戦わなければならない。それはきっとあり得ないほどの、プレッシャーがラリウスを襲っていたのかもしれない。だけど、ラリウスはこの戦争を乗り切り、自分の役目を果たしたのである。
新時代を守るために、僕はこれからも竜騎士でいるべきなのだろうか? これからもこの竜騎士として、自分に課せられた役目を果たすべきなのか。僕の心は混乱していく。何もかもが信じられない。
このまま死んでいければ、どれだけが幸せか、そんな風に感じられた。
「パルラ……。お前は生きろ。苦しくとも生きるんだ。そして新時代を守るために、ヴィンターヴルの力を使え」
と、ラリウスは言う。
楽観的に言わないでほしい。
僕はこの短期間で二体の竜を喪っている。ラトと、ナーガ。特にナーガはラリウスを葬り去る作戦のためにだけに、喪ってしまった。竜岩と言う、竜の死後の特性を生かし、僕はラリウスを倒すことに成功したのだから。
「もう、僕には竜はいない」
「イスカリオの丘へ行くんだ。そこには、黒い竜が巣を作っている。お前の力があれば、黒い竜を手に入れることは可能だ。そして、その竜と共に、新しい時代を守れ。それがお前に課せられた絶対的な役目なのだから」
「イスカリオの丘?」
と、僕は一人ごちる。聞いたことのない丘の名前であった。
「俺がイスカリオを手に入れた場所だ。場所はニーチャがよく知っている。彼女に聞くと良い。お前の道に幸あれと、俺は願っていることにしよう」
そのまま、ラリウスは動かなくなった。死が彼をあの世へ連れて行ってしまったのである。僕はラリウスの仮面に手を掛けた。そして、ゆっくりと仮面を引き剥がした。ラリウスの顔面には、暗黒の紋章が広がり、刻まれていた。これを隠すために、ラリウスは仮面を被り、そして戦っていたのだろう、手にも暗黒の紋章を刻み、そして顔にも暗黒の紋章を刻む。暗黒の紋章は恨みが強い程、広範囲に広がる。それだけの覚悟が、……この戦争を破壊させる覚悟が、彼にはあったということである。
僕はその仮面を手に取り、自分の額に当てた。すると、それがまるで生き物のように、僕の顔面に張り付いた。きっと、僕にこの戦争を終え、そして新時代を守れと言っているのであろう。そんな風に感じられた。
このまま僕は仮面の戦士として戦おう。それが僕にできるすべてであると感じられる。僕もラリウスと同じように、顔面に暗黒の紋章を彫り刻み、そして平和のために戦うのだ。そのために、まずはイスカリオの丘に向かうべきだろう。
やがて、この戦闘は終わる。
そして、その反動として、平和な日々が流れることになるだろう。それを僕は守るんだ。それが僕の役目なのだから。
僕はイスカリオの丘に向かうため、一人立ち上がり、そして、陽炎のように揺らめいている道を歩き始めた――。
〈了〉