アルヴェスト王国戦記
第一章
大人な頭じゃムリなのです
頭じゃないのよ、あたまでは
囚われた心を飛ばして
精神解放するのです
神聖かまってちゃん の子 『あるてぃめっとレーザー』より
「パルラ、出撃します」
と、僕は高らかに宣言する。そして、大空へと舞っていく。今日の空は晴天である。どこまでも澄んでいて、気持ちがいいスカイブルーが広がっている。気分が良い。でも、これから僕は戦闘をしなければならない。つまり、人を殺すのだ。
それが僕の役目。
僕は今、竜の背中に乗っている。白い竜だ。既に二年、この竜に乗っている。僕が竜騎士団に志願し、採用されたのが十三歳の時。この国、つまり、アルヴェスト王国では一三歳から竜騎士団へ志願し、戦闘員として、戦争に参加することが出来る。
この終わりの見えない戦争、スーヴァリーガル帝国との戦争は既に十五年以上が経過し、今も尚、激しい戦闘がいたるところで行われている。もちろん、テロや誘拐、非人道的なことも日常茶飯事に起きている。そんな戦争を止めるために、僕たち竜騎士団は今日も戦う。果たして、それが正しいのかどうか? 僕にはよく分からない。
ただ、竜に乗り、そして相手の竜騎士団を殲滅させる。それが僕の役目であると自覚していた。
「右方向に敵の竜騎士団だ」
と、白い竜が言った。
竜の色は全部で五種類ある。『白』『赤』『青』『黄』『黒』……この五種類だ。人語を扱うことが出来るのは、『白』の竜だけで、僕は竜騎士となってから、ずっと白い竜に乗り続けている。
白い竜は人語を理解するだけでなく、能力もオールラウンドである。つまり、バランスが非常に優れている竜ということになる。戦闘員の多くは白い竜を好み、そして戦線へ散らばっていく。
右方向、二時の方角に敵の竜騎士団が見える。数は三体。恐らく、偵察隊だろう。黒い戦闘服を着ている。あの漆黒の色は、スーヴァリーガル帝国の戦闘服だ。つまり、スーヴァリーガル帝国の戦闘員ということになる。戦闘は避けられないかもしれない。
「行こう」
と、僕は竜に向かって声をかける。
白い竜。……ラト。それが僕の竜の名前だ。
「OK。戦闘開始だ!」
ラトはそう言い、翼をはためかせながら、急激に飛翔する。体に重力を感じ、僕の身体は一気に緊張感に包まれる。今まで、何度も経験してきた興奮。しかし、何度経験しても、この戦闘前の空気には慣れることがない。研磨された針でチクチクと刺されるような刺激があるのだ。
敵の竜騎士団がこちらに気付いた。
三体の竜が一斉に臨戦態勢に入る。三角形の戦闘隊形を取っている。先端にいるのが恐らく戦隊長、ランクは恐らく『レベル1』か『レベル2』そのどちらかだろう。もしかしたら、それほど高いランクの竜騎士ではないかもしれない。
竜の色はすべて赤い色をしている。赤い竜は『ブレス』という炎を吐くことが出来る、長距離の戦闘に向いた竜である。敵の竜騎士団は一斉にブレスを吐く。激しい熱量を感じながら、僕は間一髪のところで、敵のブレスを避ける。
「敵の技術はそれほど高くない。新入りだな」
と、ラトは告げる。戦闘中だというのに、べらべらと色々なことを話す。
それは僕の高まった緊張感を、いい感じに解きほぐしてくれる。
「レベル1か?」と、僕。
「たぶん、先端にいるのが、戦隊長だろうが、経験はそれほど多くない。攻撃の仕方が凡庸だ。恐らく『レベル2』だろうな」
「攻撃を仕掛ける。行こう」
ラトは翼をはためかせ、そして敵のブレスの攻撃を避ける。白い竜はブレスを使うことが出来ない。その代り、魔法を使うことが出来る。これは白い竜に限ったことではないが、竜は魔法を使うことが出来るのだ。
僕は竜の背中に乗り、そして魔法を使う準備を始める。僕の意思とラトの魔術は連動していて、僕が念じると、ラトの魔法が発生するという仕組みである。この流動的な行いは、日々の鍛錬の賜物である。攻撃に……つまり、魔法を流れるように行えることが、竜騎士としては非常に大切だ。
「電撃だ!」
僕は叫ぶ。
すると、ラトの手のひらに急激に電力が高まる。
電気の系統の呪文。ラトはこの『天』系統の魔法が得意だ。魔法名は「カミナリ」一本の鋭い高圧の電力がラトの口から放たれる。
相手の一団は攻撃を器用に避けながら、編隊を崩す。やはり、それほど経験を積んだ竜騎士団ではない。編隊の崩れ方が雑である。恐らく『レベル1』か『レベル2』だろう。つまり、僕と同じくらいの実力ということになる。でも、僕は一騎、敵は三騎。普通に戦えば、相手の方に勝利は微笑むだろう。でも、僕は勇気をもって敵に挑んだ。
死んでも良い?
そんな印象がある。僕はこのアルヴェスト王国の竜騎士として、竜騎士団へ所属している。竜騎士になるには、色々な試験を受けて、それに合格しなければならない。合格率は一〇%前後で、決して高くない。つまり、エリートなのだ。
竜騎士には、ほんの一握りの人間しかなることが出来ない。だから、僕は竜騎士を目指し、そして憧れて散っていった仲間たちのためにも、劣勢状態でも戦う必要があるのだ。敵を前に、おめおめと尻尾を巻いて逃げることはできない。例え、数的不利の完全劣勢状態だとしても……。
敵の竜騎士団が一斉にブレスを吐く。魔法とは違い、竜の意思で火を吐くことができるため、非常に攻撃までが素早い。
高熱の攻撃が僕の頬すれすれに飛んでくる。熱量を感じる。これが戦闘だ。僕はラトを器用に動かし、そして攻撃を交わす。攻撃を交わしながら、呪文を唱えて、相手に向かって魔法を放つ。
慣れたものだ。
『カミナリ』が敵の一騎を捕らえた。見事、竜の頭に直撃、みるみる焦げ臭いニオイが辺りを覆っていく。そして、その竜は地上へと落下していく。完全に絶命している。これは間違いないだろう。
残りは二騎。
(いける!)
と、僕は感じた。敵よりも、僕の戦闘技術の方が高い。僕は竜騎士になってから二年。竜騎士としてのランクは四段階ある内の三番目『レベル2』である。このまま戦闘に勝利し、経験を積んでいけば、次のランクである『レベル3』への昇進も見えてくる。十五歳で『レベル3』のランクを持つ人間はあまり多くない。仮に、『レベル3』になれれば、僕は優秀な竜騎士として、認知されることになるだろう。
さて、戦闘に戻ろう。戦闘中は余計なことを考えるべきではない。一騎、撃墜したからといっても、敵はまだ二騎いるのである。数的不利には違いない。だが、既に勝利は見えていた。敵の一団は、戦隊長を喪ったことが関係し、酷く狼狽している。完全に自分を見失い、やたらとブレスを吐きまくっている。
冷静さを欠いた攻撃は、簡単によけることが出来る。僕はラトを巧みに動かし、相手のブレスの攻撃を、しなやかによける。腕の良いマタドールが荒れ狂った牛をよけるように、華麗に……。
攻撃を避けつつ、敵の竜に近づく。荒い息遣いが聞こえる。緊張し、恐怖しているのだ。その雰囲気をまじまじと感じることが出来る。戦闘は、いくら経験しても緊張するものだ。なぜなら、命が懸っているからである。誰だって死にたくない。
だけど、それが戦争だ。僕ら竜騎士は戦争があるから生活できる。戦争があるから、竜騎士として存在するのだ。
じゃあ……、戦争が無くなったら、
きっと、竜騎士は滅びるのかもしれない。それは平和の証としては正しいかもしれないけれど、生活の糧を喪うことになる。だから戦争は必要悪なのかもしれない。戦争があるから、栄える産業だってある、竜騎士の武器、防具、これらはすべて、戦争があるから需要があるのだ。戦争がなくなれば、この戦争産業は滅びることになる。
「パルラ。余計なことを考えるな!」
と、ラトが言った。
ちなみに、パルラというのは、僕の名前だ。僕は戦闘中、よく空想することがある。悪癖だ。直さなければならない。戦闘中の空想はそれがそのまま死に至ることだってある危険な行為だ。僕はハッと我に返り、そして竜の手綱をギュッと握りしめ、そして反転しながら呪文を唱える。
『カミナリ』の一撃が相手の竜を捉えた。竜のどてっ腹に直撃。忽ち相手竜は落下していく。勝負ありだ。残りは一騎。しかし既に勝利は目前だ。相手は完全にやる気を失っている。今がチャンスだ。だが、相手は死に物狂いで、戦線から離脱しようとしている。
どうするか?
僕は考える、戦闘を離脱するのならば、それに越したことはない。だが、おめおめと相手を逃がすことは、竜騎士としてできることではない。相手は完全に冷静さを失っているのだ。なら、この機を十二分に利用するしかない。僕は、背を向けた相手の竜騎士に向かって、『カミナリ』の呪文を放った。
ラトの口から、高圧の電力が放たれる、その攻撃は、背を向けた相手の背中に直撃し、そして断末魔の叫びと共に、相手竜騎士は落下していった。
意識を失い、落下していく相手を見ながら、僕は戦闘が終わったのだと自覚する。しばらく僕は漠然とその場にふわふわと浮いていた。すると、頭に装着しているヘルメットの無線機から声が聞こえてくる。
「大丈夫か?」
この声は、僕の戦友のケントゥリオンだ。年は十七歳で僕よりも二つ上だが、僕が竜騎士団へ入団してからずっと、同じ釜の飯を食っている仲間なのである。
「敵を撃墜した」と、僕は答えた。
「そうか、何騎撃墜した?」
「三騎……」
「馬鹿な! 数的不利な場合、まずは逃げることを選択しろと言ってるだろ! 死んだら元も子もないんだぞ」
分かっている。だけど、僕は死ぬことがそれほど怖くない。
「ごめん」と、謝る。本当はそんな気持ちはみじんも感じていない。
「一度基地へ戻るんだ」
「分かった」
僕はそう言い残し、そして基地へ戻るため、ラトを反転させ、この場を離脱した――。
アルヴェスト王国。
その一角にある竜騎士団の出撃基地。僕はそこに戻る。慣れた手綱使いで、ラトを操作し、僕は戦線を離脱する。フッと力が抜ける。戦闘の緊張感が消え、たちまち汗が噴き出す。忘れていた感情を取り戻すように。
基地へ戻ると、僕は竜の飼育員にラトを預ける。
「お疲れ様でした」
と、竜の飼育員は言う。そして手綱をとり、ラトを飼育小屋へ引っ張っていく。ラトは速やかに言うことを聞いている。
「ラト!」
と、僕はラトの背中越しに声をかける。
すると、ラトは一旦立ち止まり、僕の方向へ翻りながら、「なんだ?」と、声を上げた。それに合わせ、飼育員もその場で立ち止まる。
「あとで会いに行く。今日の反省会だ」
ラトはニッと笑みを浮かべ、「分かった。待ってるよ」と、反応した。
その後、ラトは飼育小屋に静かに戻っていった。完全に竜と別れた僕は、飼育小屋を出て、騎士団長のいる部屋まで向かう。
今日の戦歴を報告しなければならない。スーヴァリーガル帝国との戦争は、刻一刻と悪化している。今日もどこかで激しい戦闘が繰り返されているのだ。だからこそ、戦闘の報告は必須である。
僕は、騎士団長のいる部屋へ足を進めた。
基地の最上階。そこに騎士団長の部屋はある。この基地は五階建ての建物で、四つの竜騎士団が基地として利用している。やや中規模な基地だ。多くは僕と同じ『レベル2』のランクの竜騎士が多い。
さて、ここでランクについて説明しておいた方が、理解しやすいかもしれない。
竜騎士、つまり、竜のオペレータには、自分の経験や戦歴に従って四つのランクへ分かれている。
一番下、四つ目が『レベル1』
三つ目が『レベル2』
二つ目が『レベル3』
一番上、一つ目が『レベル4』
となる。
一般的に、騎士団長になるには、『レベル2』以上の階級が必要になる。特に中規模な団体をまとめる場合は、『レベル3』が推奨される。また、大規模な騎士団、そして、特に優秀な人材で形成された特殊部隊には『レベル4』のランクが求められている。
『レベル4』になるには、それなりの経験や技術が必要になり、承認されるための試験もとても難しいものになっている。僕もいつかはレベル4になりたいと考えている。それが今の僕の目標だ。
そうこうしていると、僕は五階の騎士団長の一室の前にたどり着く。
重い木製の両開きのトビラが目の前に広がる。戦闘の報告を、毎回行っているが、ここに来ることは、あまり慣れない。緊張するし、シクシクと心を刺激されるから、僕はあまり好きではない。
でも、そんなことは言っていられない。きちっと戦闘報告を行うことは、竜騎士にとっての義務であるのだから……。
「コンコン」
僕はトビラをノックする。ある程度の沈黙が流れた後、すっと可憐な声が聞こえてくる。
「どうぞ」
「パルラ。入ります」と、僕は答える。そして、トビラをゆっくりと開く。宝物を開けるように。
忽ち、室内の風景が広がる。
部屋の広さは一五帖ほどで、それなりに広い。部屋の左右のトビラには、書棚が設置されており、戦闘技術の本や、戦闘理論、戦争産業についての本がこれでもかと収納されている。その他にも竜騎士の本や、竜の育成理論、攻撃方法など、様々な書籍がある。僕はほとんど本を読まないから、そのどれもが貴重な本だと言われても、イマイチぴんとこない。
「どうかしたのかしら?」
と、騎士団長、プリオル=リュシルフルは言う。
僕の上司、つまり、プリオル騎士団長は女性である。年は四〇歳。
『レベル4』のランクを持った、優秀な人間である。いつも軍服をビシッと着ていて、肩に刻まれた階級の証が神々しいくらいに輝いて見える。同時に僕を竜騎士にした人間であるもある。
「分かってるでしょう」
と、僕は答える。
そんな僕のことを楽しむかのように見つめるプリオル。彼女は静かに言った。
「戦闘をしたみたいだけど」
「そうです。スーヴァリーガル帝国の偵察隊でした。恐らく、隊長は『レベル2』それ以外は『レベル1』で形成された初心者集団です」
「それで戦闘を行ったと……。敵は何騎いたの?」
「三騎です」
「そう……」プリオルはそこで一旦嘆息した。目の奥がどこか不審なものへ変わっていく。「あまり、褒められたものではないわね」
「何故です? 敵を撃墜したんですよ」
「えぇ。それは分かってる。もちろん、優秀なことよ。でも通常、敵が自分より多かった場合は戦線を離脱することを一番に考えなければならない。特に今回のあなたの任務は何?」
僕の任務。
それは戦闘ではない。
竜騎士団の機密文書の輸送だ。それなりに重要な任務である。アルヴェスト王国にはたくさんの竜騎士団の基地が存在している。通常は通信でやり取りすることが一般的だが、敵に傍受されることを危惧し、時折、機密文書や重要な作戦事項などは、通信などではなく、竜騎士を使って、流動的に報告されることになっている。
僕も今回、そのような任務を受けた。機密文書の輸送の帰り道、僕は敵であるスーヴァリーガル帝国の偵察に遭遇し、そして戦闘になったのだ。
「でも、機密文書は無事届けましたよ」
「分かってるわ。でも、敵に捕まれば、どうなるか分かってるでしょう?」
「捕虜になりますよね」
「それだけじゃないわ。スーヴァリーガルの科学者に捕まれば、人体実験を行われ、そこで自分の精神をめちゃくちゃにされる」
「えぇ。でも人体実験の件はあくまで噂でしょう」
「噂ではないわ。確かに行われている、事実よ」
スーヴァリーガル帝国には、色々な不穏な噂がある。
その一つが、軍司令部による人体実験である。その部隊『六六六部隊』と、呼ばれ、日々警戒されている。何でも、戦闘によって捕らえた竜騎士たちをモルモットにして、強引に人体実験を行い、新しい兵隊へと作り変えるのだそうだ。将棋の駒を使うように……。
話では、そのような人体実験によって作り変えられた、元アルヴェスト王国の竜騎士たちで形成された竜騎士団もあるそうだ。そういう竜騎士団は、基本的に激戦地に送られるらしい。死んでも構わない捨て駒として利用されるのである。
既に敵に捕らえられ、行方が分からなくなった竜騎士たちが、たくさんいることを、僕は知っている。その救出部隊も後々形成され、任務として制定されることが決まっているようである。
「僕は敵を三騎撃墜しました。そのことは褒めてくれないんですね」
と、僕は冷静に言った。
しかし、プリオルはそんな僕の冷静さを嘲笑うように……、
「あなたはもっと命を大切にするべきよ」
と、懇願するように言った。念じると言っても過言ではないかもしれない。
「命を?」
「そう、命を。命は一つしかないわ」
「でも、命にばかり気を取られていては、戦闘はできません」
「あなたは死にたいの?」
僕は死にたいのだろうか?
今まで、沈着になって考えたことはなった。
戦争を行えば……、戦闘に参加すれば、
その行為は、まるで悪魔に命と言う名の魂を差し出す行為に他ならない。だから、怖がってしまう。第一、戦闘に命を大切にするという言葉は似合わないのだ。死ぬときは一瞬だろう。常に万全の体制を整えていても、そして日々の生活でどれだけ鍛錬を重ねていても、ほんの魔法の一撃で、死に至ることはあるのだ。
「分かりません」
と、僕は答えた。
死にたいか? と、問われれば「分からない」と、答えるしかない。
「死にたいのなら、あなたにうってつけの任務があるわ」
と、プリオルは言った。
「うってつけの任務ですか?」
「そう。これより三日後。敵スーヴァリーガル帝国のとある基地を襲撃する。大きな作戦よ。そこには、先ほど言った、人体実験によって作り変えられた、元アルヴェスト王国の竜騎士たちが、竜騎士団を形成している。それを叩くの。相手は皆、捨て身の攻撃を行ってくるから、激戦が予想される。死は避けられないかもしれない」
「それに参加しろと……」
「そう。一応上には申告しておくわ。志願者を募っているから。私もこんなことは不本意なの。自分の部下をみすみす死に至るような戦線に送ることは、本意ではないわ」
「でも、僕を送るんでしょう」
「あなたが死にたいのなら……。考えておいて」
話は終わった。
プリオルは話の終わった合図として、煙草を吸い始めた。赤いパッケージの煙草。忽ち、嫌なニオイが充満していく。煙草を吸わない僕にとって、煙草の煙は迷惑以上の何者でもない。
プリオルの一室を出ると、トビラの前の廊下の端に、一人の男性が立っていることが分かった。壁に背中を預け、僕が出てきたのを見るなり、訝しい表情を浮かべ、コツコツと軍服で支給されたコンバットブーツの踵を鳴らしながら、僕に近づいてくる。
「ケントゥリオンか」
と、僕は言った。
前述でも紹介したように、僕の戦友だ。
「お疲れさん」
と、ケントゥリオンは告げる。
淡い明るい茶髪を指ではじきながら、ケントゥリオンは僕のことを見つめている。それはどこか非難している表情がある。やはり、彼も、僕の今回の戦闘を快く思っていないようである。何故なのだろうか? 僕は戦闘に勝利したのだ。その結果、相手の竜騎士を三騎も撃墜したのである。それを誰も認めてくれない。
「ありがとう」と、僕。
「あんまり無理をするなよ」と、ケントゥリオン。
「分かってるよ。でも任務中に敵に遭遇したんだ。戦闘は避けられないだろう」
「確かにそれも一理ある。だが、もっと命を大切にしてもらいたいんだ」
命を大切にする。
その言葉は戦闘を経験している僕には、上手いこと響かなかった。戦闘は命のやりとりだ。一瞬の油断が死に直結している。だから、命を大切にするということから、最も離れた行動の一つと言えるだろう。
もちろん、僕は命知らずというわけではない。命は大切だ。
生きられるのなら、生きたいと考えているし、心のどこかでは死にたくないと思っている。これは間違いのない事実であるように感じられる。
「大切にしてるよ」
と、僕はざっくばらんと語る。
しかし、僕の言葉にケントゥリオンは納得しないようである。依然として、訝しい表情を浮かべながら、非難するように僕のことを見つめている。
「本当にそう思ってるか?」と、ケントゥリオンは呟く。
「あぁ」
話を変えたい。
戦闘が終わって、幾分か精神は興奮状態にある。これ以上、『死』とか『生』とかの話をすることは、徒に僕の柔らかい精神を刺激するだけで、何のメリットもないように感じられる。それに、僕は次の任務に移らなければならないかもしれないのだ。
「ケントゥリオン。知ってるか?」
と、僕はあえて尋ねる。名詞を伏せて。
「何をだ?」
当然の疑問を吐くケントゥリオン。彼の表情がより一層、訝しいものへ変わる。
「特攻作戦だよ」
「特攻作戦? 何のことだ」
「スーヴァリーガル帝国の人体実験のことは知ってるか?」
「知ってる。捕虜をモルモットとして、利用するんだろう。悪魔じみている。それに戦争の法律を完全に無視している」
戦争の法律。
確かにこれは存在する。しかし、厳密に守られているかと言われれば、『?』である。だって戦争は人を殺すことだ。なのに、この法律では『捕虜は人権をもって扱わなければならない』とある。
つまり、一度捕虜になると、その生命は保証されるということになる。なのに、スーヴァリーガル帝国はそれを無視している。完全に戦争犯罪だ。敵の主将は死に至る罪を行っているということ。これは許されることではない。
「その作戦に……」僕は徐に告げる。「僕が参加するかもしれない」
すると、ケントゥリオンの目が大きく見開かれる。興奮により、肩が上下に動いているではないか。
「特攻に志願したのか?」
ケントゥリオンは尋ねる。
もちろん、僕は速やかに答える。一瞬であるが、窓の外から涼しい風が吹き込んできて、興奮した僕の顔を幾分か冷やしてくれた。
「志願したわけじゃない。プリオル団長に推薦されたんだ」
「プリオルに……?」
「そう。プリオルに……」
「あの団長は何を考えているんだ。それにお前、確実に死ぬぞ」
「それは分からない。だけど、それが任務なら仕方ない」
僕は、あくまで冷静に答える。そうこうしていると、ケントゥリオンは興奮に顔を赤らめながら、僕のそばまで近寄り、そして、両肩に手を置き、そして勢いよく左右に振った。されるがままに、僕は揺すぶられる。フラフラと、ユラユラと……。
「今すぐ辞退しろ!」
と、ケントゥリオンは懇願するように言う。彼の顔がほんの数十㎝先に見える。毛穴の黒ずみまでが克明に視界に飛び込んでくる。
辞退。何故だろう。
「できないよ」僕はあくまでもホームズのように沈着に告げた。
「死にたいのか? 本当に……」
「分からない」
「俺はお前に死んでほしくない」
「ありがとう。だけど任務を避けることはできない」
「考え直せ」
「無理だよ。既に任務に参加することになっているんだから」
興奮したケントゥリオンは、僕の頬を手のひらで張った。
『パン』という、拳銃の音にも似た、衝撃音が辺りに響き渡る。
一瞬、何が起きたのか、僕には理解できなった。しかし、数秒後、僕は頬を殴られたということが分かった。痛みがじんわりと、頬を覆っていく。不思議と怒りは巻き起こらなかった。何もないただの静寂だけが、界隈を支配する。
「何するんだよ」
と、辛うじて、僕は告げる。
ケントゥリオンは、「目を覚ませ!」と、僕を一喝し、そして再び声をかけた。
「俺はお前を失いたくない」
「なんで?」
「友達……、否、戦友だろ」
友達……。
その言葉は、確実に僕の心を捉えた。
僕は生まれてからまともな教育を受けていない。何故なら、小等教育を終えた後、すぐに軍隊に……、プリオルに推薦され竜騎士団に入団したからである。前述の通り、それが十三歳の頃。だから、友達なんて作る暇はなかったし、その代わり、僕の前に訪れたのは、敵の命を奪うという命令だけだった。
そんな時、出会ったのが、ケントゥリオンだ。彼は僕を『友達』として認知しているのだろうか?
「僕は死なないよ」
と、僕は言った。まったく根拠はない。ただ、漠然とした回答。
無論、そんな僕の意思をケントゥリオンは、無視をしている。納得できないという顔をしているではないか。僕にとって、ケントゥリオンは大切な人間の一人だ。立場が逆なら、僕はどうするだろう? つまり、ケントゥリオンが死に直結する任務に参加することになったら? ということだ。
止めるか?
否……。
多分、止めない。それがケントゥリオンが決めたことなら……。僕はその意思を認めるだろう。それしかできないと思う。
とは言っても、頬をぶたれたのは、やはり衝撃だった。
「死ぬさ。それが特攻作戦だ。相手は人体実験により、生まれ変わった竜騎士だ。命知らずの集団を前に、俺たちに何が出来るのだろうか?」
「敵を殲滅する。それが任務だろう」
と、僕は答える。
けれど、それが間違いであるということも、心の片隅で自覚している。
何が間違いないのか?
それは、相手は元アルヴェスト王国の竜騎士たちということである。つまりは共食い。味方が味方を殺すという、負のジレンマに陥ってしまう。果たして僕には戦友たちを殺すことが出来るのだろうか? それ以上に、人体実験によって心を作り変えられ、戦闘のロボットと化してしまった戦闘員たちを、救うことはできるのだろうか?
「俺はお前を失いたくない」
と、ケントゥリオンが言う。その言葉は芯から力がこもったものであった。そして、氷のように冷たくなった僕の心を、そっと温めてくれる。ありがたい言葉。そう感じられる。
「大丈夫さ」
根拠はない。だが言うしかない。
「俺がプリオルに意見してくる。お前はここにいろ!」
そう言うと、ケントゥリオンは足早にプリオルの部屋に向かっていった。自分のことではないのに、自分のことであるかのように振る舞ってくれる。これが戦友。『友達』というものなのであろうか?
待っていろと言われたが、僕はここで待つことはしなかった。
ラトに用事があったからである。いつも僕は戦闘が終わると、時間をとって、ラトを戦闘についての反省会をする。それが日課なのだ。僕はエレベータを使い、一階まで降りると、竜たちが住む飼育小屋まで行く。戦闘機で言えば、格納庫と呼べる場所だ。
飼育小屋は竜たちの息遣いで、がやがやとうるさかった。既に何度も僕はこの場所に訪れている。でも、この喧騒や独特の匂いには慣れることがなかった。飼育員はおらず、竜だけが自分の時間を過ごしているようである。僕はラトの許まで向かう。
ラトは自分のスペースでごろりと横になっていた。
白い竜。人語を操る竜。それがラトだ。戦闘能力も決して低くはない。既に、一年以上。僕はラトの背中に乗り、そして、戦闘を繰り返している。
「ラト……」と、僕は言う。「今、良いか?」
ラトはゆっくりと首を上げる。そしてダークブラウンの瞳を僕の方に向け、
「早かったな」と、だけ告げた。
「プリオルとは、あんまり話すことがなかったんだ」
「何かあったのか?」
ラトは勘が良い。だからきっと、僕とケントゥリオンのやり取りを、心のどこかで感じ取っているのかもしれない。
「なぁ」僕は告げる。「ラト、命って何だと思う?」
ラトは長い息を吐いた。そして、
「唐突に哲学的な質問だな」
「そうかな。僕には『命』ってものの大切がよく分からない。だって戦争を行っているんだぞ」
「戦争を行っているから、命が大切に思えるんだよ」
「命が大切か」
「そう。死にたくない。生きたい。というのは、人間の自然な欲求だ。竜だって死にたいわけじゃないんだよ」
「ラト、君も生きたいと考えているのか?」
「当然だ。死にたくはないよ。だが、お前を乗せている限り、そんなことは難しいかもしれないけどな」
と、ラトは言い、カラカラと笑った。
僕はそこで、特攻作戦のことを説明する。ラトは静かに僕の話を聞いている。時折、首を傾げたり、頷いたりしながら。
「なるほど。アルヴェスト王国もヤバいみたいだな」
ラトは答える。そして、「それにしても、特攻とは恐るべき作戦を立てたものだ。私と、パルラをセットにして、死んで来いというのか」
「そうかもね」と、僕。「君と僕は心中するかもしれない」
「勘弁してほしいね。私はまだまだ生きたいからね」
「どうして、ラトは生きたいんだ?」
「どうしてお前は死にたいんだ?」
そんな返しはダメだ。
質問の答えになっていない。僕だって決して命知らずの死にたがりというわけじゃない。生きられるのなら、生きたいと願っているのだ。ただ、戦闘をする上で、命を大切に扱うことの意味が分からないと言っているだけなのだ。
「僕は」と、僕は囁くように、「戦争をする上で、命を大切にする意味が分からない」
そう答えた時だった。
「第一種戦闘準備。繰り返す、第一種戦闘準備! 竜騎士団は至急出撃準備をすること」
出撃命令が下る。
今日、二度目の出撃である。
僕はラトの背中に飛び乗る。それと同時に、飼育小屋が慌ただしくなる、飼育員がやってきて、竜たちを起こし、出撃の準備を始める。僕はラトの背中に乗り、飼育小屋を出る。そして、他の竜騎士団が来るのを待った。
ちょうど、外に出ると、ケントゥリオンとすれ違った。彼もまた、出撃するのだ。
そして、再び放送が流れる。声はプリオルだった。
「敵、戦艦を発見した。方角は一二時。規模は中規模だ。すべての竜騎士団の出撃を命令する。作戦コードはA001。敵を完全に殲滅せよ」
数分後、僕の所属する竜騎士団『プリオル竜騎士団』の竜騎士が全員集まる。点呼をし、すべての竜騎士が集まったことを確認したプリオルは、至急、出撃するように命令を下した。僕らプリオル竜騎士団は、一斉に空に舞った。
数は六名。
それ以外にも、他の竜騎士団も空を舞う。
作戦コードA001は所属するすべての竜騎士団の出撃を意味する。あまり頻繁に使われる作戦ではない。となると、敵の規模がかなり強大であることを示唆しているのかもしれない。
僕ら、プリオル団は先陣を切って、スーヴァリーガル帝国の戦艦を発見する。かなり規模が大きい。「ラクソ級」の戦艦だ。
ラクソというのは、五段階ある戦艦の規模のうち、上から二番目の大きさである。つまり、かなり大きい戦艦である。これほどの戦艦が、ギリギリまで発見されなかったこと自体、驚きである。恐らく、
「イルミネーションだな」
と、ラトは言う。
「うん。敵は強い」と、僕。
「気をつけろ。多分敵は皆『レベル2』や『レベル3』のはずだ」
「分かってる。大丈夫さ」
大丈夫という根拠はない。
でも、この場ではそう言うしかないように思えた。僕はラトの手綱をこれ以上ない力で握りしめると、旋回をしながら、敵の戦艦を見据える。すると、無線からプリオルの声が聞こえる。
「パルラ、聞こえるか?」
プリオルの声は冷静だ。戦闘に慣れているという感じ。
「聞こえます」僕は答える。
「プリオル団が、最も敵戦艦に近い、もうすぐ、敵の竜騎士団とあいまみれることになるだろう。戦闘の準備をするように」
「もう、準備してますよ。いつでも戦えます」
そう言った時だった。
十二時の方角に敵の戦艦を発見し、さらに、蟻のように飛び出してくる、敵竜騎士団を確認する。僕は無線でプリオルに向かって、
「敵を確認しました。これより、攻撃を仕掛けます」
「うむ、健闘を祈る」
プリオルの無線は消える。その代り、ケントゥリオンから無線が入る。
「パルラ、俺は左方向から仕掛ける。お前は右方から、戦隊を二つに分断させる」
「分かった」
「死ぬなよ。そして無理をするな」
「分かってるよ。そっちこそ、死ぬなよ」
「OK。お互い頑張ろう」
ケントゥリオンの無線は消える。そして、緊張感の空気が界隈を支配する。僕はケントゥリオンの言った通り、右方向からの攻撃を仕掛ける。敵の竜の多くは白だ。白竜は能力的に、オールラウンドである。よって、愛竜にする人間が多い。竜騎士の五〇%は白竜に乗り、戦闘を行うのだ。
敵も白。こっちも白。つまり、能力の差はほとんどない。
相手竜騎士団との距離が詰まる。ほとんど肉弾戦に近い距離になった時、相手から攻撃が飛んでくる。
『カミナリ』の一撃。
僕はサッと身構え、慣れた所作で、ラトを操り、華麗に一撃を避ける。そして反転しながら、反撃を開始する。こちらも『カミナリ』で応戦するのだ。
「ラト、『カミナリ』だ!」
僕は呪文を唱える。
ラトと僕がシンクロしていく。
竜と竜騎士が一体化することにより、魔法は流動的に発生する。つまり、竜と竜騎士の相性が良ければ、良いほど、魔法は有効的に働く。
僕が呪文を唱え、『カミナリ』が発生するまでの時間は一秒を切る。これはかなり早い。ほとんど、瞬間的に呪文を巻き起こすことが出来る。つまり、僕とラトはかなり愛称が良いということになる。
それはそうだ。
僕は竜騎士になってから二年が経つが、ずっとラトの背中に乗り、一緒にいたのだから。これからもずっと一緒にいることになるだろう。命続く限り。
ラトの口から電撃攻撃『カミナリ』が放たれる。
『カミナリ』は相手竜騎士に向かって一直線に向かう。しかし、そこは相手も慣れたもの、すんなりと避け、器用に反撃を繰り出してくる。再び、『カミナリ』の攻撃が僕らに向かって飛んでくる。
どうやら、敵はそれなりに経験を積んだ竜騎士らしい。攻撃に迷いがないし、最短距離で間合いを詰めてくる。しっかりと集中しなければ、たちまちやられてしまうだろう。僕は奥歯を噛みしめながら、放たれた『カミナリ』を避け、再び攻撃態勢に入る。
ラトの手綱をこれ以上ない力で握りしめながら、そして反転を繰り返す。『カミナリ』の雨の攻撃を、素早い所作で交わしていく。慣れたものだ。ほんの数十㎝横に、『カミナリ』の息遣いを感じる。
ラトは身をくねらせながら、攻撃を避ける。僕だって『レベル2』の端くれである。簡単にやられるわけにはいかない。右往左往と攻撃を避け、一瞬の隙をつくために、反撃チャンスを考える。そこで、僕はとある戦術を思いつく。
「ラト! 上昇するんだ」
と、僕はラトに命令する。
対するラトは、何も言わず、一気に反転し、今度は上昇を開始する。もちろん、相手竜騎士も僕の後を追いながら、器用に『カミナリ』の攻撃を仕掛けてくる。後ろから圧力を感じる。『カミナリ』を交わし、一気に上昇し、ある程度上昇すると、雲が見える。そして、ややスピードを落とす。
すると、敵との間合いが詰まる。敵はこれを勝機と見たようである。チャンスと言わんばかりに、僕との間合いを詰める。肉弾戦に持ち込むつもりなのかもしれない。しかし、これは僕が放った罠だ。
僕はラトの手綱を握りしめ、急速に速度を下げる。体に多大な圧力を感じる。自動車を高速で運転し、そしてサイドブレーキを掛けるとスリップする。それと同じ原理だ。竜も急激な速度の変化に身体はついていなかない。ラトはスリップするように、身を翻す。
あっという間に、敵の頭上を旋回し、敵の背中を取る。そして、流れるような所作で『カミナリ』を放つ。勝負ありだ。敵は僕らの『カミナリ』の攻撃をもろに受け、落下していく。竜騎士も竜も、気絶しているのか? 敵竜騎士は反撃してこなかった。高度は五〇〇〇メートルを超える。つまり、意識を失っての落下は死を意味する。
「パルラ! 無事か?」
無線が入る。
僕はハッと我に返る。そして、
「ケントゥリオンか? こっちは無事だ」
「よかった。敵戦艦から竜騎士が吐き出されている。気をつけろ」
「ケントゥリオンは大丈夫なのか?」
「今、二騎と交戦している」
「応援に向かう。それまで持ちこたえるんだ」
と、僕は言い、ラトに向かって、
「ラト、ケントゥリオンを助けに行く。まだイケるだろ?」
「愚問だな。当然だ」と、ラトは自信満々に答える。
僕らは敵戦艦の周りで激しい戦闘を繰り返している、プリオル竜騎士団の姿を確認する。そして、敵二騎と戦うケントゥリオンを発見する。ケントゥリオンも『レベル2』の称号を持った竜騎士である。そう簡単にはやられないだろうが、やはり、相手が多数だと、中々攻撃を仕掛けるのは難しい。その証拠に、ケントゥリオンをは防戦一方である。
「ラト、『カミナリ』だ!」
呪文を唱える。
ラトと僕が一体化していく。流れるように、血流を感じる。自分の体が宙に浮いた感覚が広がる。
『カミナリ』の攻撃が、ケントゥリオンと、敵竜騎士の間に飛んでいく。威嚇攻撃である。相手も僕の存在に気付いたようである。二騎いる内の一騎が僕の方へ向かってくる。青い竜だ。青い竜は肉弾戦に向いている。近距離専門の竜だ。攻撃力が高い。しかし、魔法やブレスといった攻撃は使えない。
「あまり間合いを詰めさせるなよ」
と、ラトが言った。「青は攻撃力が高い。一撃食らえば、それは死を意味することになる」
「分かってる。魔法で反撃だ」
僕は素早く『カミナリ』の呪文を唱える。ラトの口から『カミナリ』の一撃が放たれる。敵、青竜と竜騎士は、半ばその攻撃を予測していたようで、簡単に身をくねらせ、そして攻撃を避けた。
どんどんと間合いが詰まる。
肉弾戦になった場合、こちらに勝機はないだろう。それだけは、なんとしても避けなければならない。つまり、間合いを詰めさせることは、死を意味することである。『死』。そう、死ぬのだ。死がどんなものか? 僕には分からない。前世とか、来世とか色々言われているけれど、僕はそのどれもを信じていない。
きっと、死ねばそれまでだ。恐らく、電池の切れた人形のように二度と動くことがないだろう。それは確実だし、死というものが意味することのであると思えた。
僕は何度も『死にたいのか?』と、自分自身に問うてみた。しかし、いくら問うても、答えは出そうにない。死にたがりというわけでは、決してない。生きることができるのなら、多分、生きていたいと思うし、こんな戦場で死ぬことは、本意ではない。でも、戦闘中は一瞬の油断が死に直結している。
今、この場で考えていることも無駄だろう。今は、戦闘に集中しなければならない。僕はキッと目を見開き、相手の竜騎士の攻撃に備える。相手は、何とか僕の間合いに入り込もうと躍起になっている。僕はある程度の間合いを広げながら、『カミナリ』の呪文を規則的に唱える。
相手竜騎士は決して動揺を見せなかった。多分ではあるけれど、戦闘に慣れているのだろう。状況を鑑みる限り、敵は『レベル1』ではない。僕と同じ『レベル2』であるか、もしかしたら『レベル3』かもしれない。
敵との間合いが一気に詰まる。
(まずい)
と、僕は考える。
近距離戦闘になったら、こちらに勝ち目はない。なんとしても、距離だけは取らなければならないのに、それが中々できない。連続して『カミナリ』を唱えるが、その努力は徒労に終わる。敵の方が一枚上手なのだろうか?
目の前、数メートル先に、敵、青竜が顔を出す。そして、筋力で張った腕で、ラトと僕に向かって攻撃を繰り出す。
台風のような風を切る攻撃が繰り出される。
『ビュン』
と、空気を切り裂く音が聞こえる。僕はラトを操りながら、後退する。何とか一撃目は避けることができた。でも、敵の僕の行動を予期していたようで、直ぐに二撃目を放つ、青竜の太い腕が、僕の視界に飛びこんでくる。攻撃を受けることが出来ない。なんとかして よけなければ、次の瞬間、『死』は現実のものとなるだろう。
僕は後退しながら、呪文を唱える。後退しながらの呪文の詠唱は、中々難しい、後ろに目がついているわけではないから、常に周りに気を配らなくてはならない。
青竜の一撃が飛んでくる。
僕はラトの手綱を握りしめながら、間一髪のところで、攻撃を避ける。
苦しい戦闘が続く。敵の技量はかなりのものだ。青竜でここまでの攻撃を組み立てることが出来るのは、優秀さの証である。僕はそう思った。きっとかなりの鍛錬を積んでいるのだろう。そうでなければ、ここまで巧みに青竜を扱うことが出来ないだろう。
けれど、僕だって竜騎士の端くれである。こんなところで負けるわけにはいかない。ラトが扱える呪文は、決して『カミナリ』だけではない。もっと別の呪文だって唱えることが出来る。それは竜騎士の技量による。
竜が扱える呪文は、多数ある。確認されているだけで一〇の呪文があるのだ。『カミナリ』はその内の一つである。竜騎士の技量やレベルが高くなればなるほど、呪文を数多く使えることが出来る。『レベル2』クラスの竜騎士の場合、大体三つくらいの呪文を覚えているのが、基本だ。
僕も、三つの呪文を使うことが出来る。
『カミナリ』
『シンソク』
『アクア』
この三つだ。
『カミナリ』は電撃。『シンソク』は竜の体内に電気を通すことで、一時的に命令速度アップさせる。つまり、電気の力を利用して、脳内に直接命令を下し、そして攻撃や防御を一時的に上昇させるのだ。『アクア』は水の力。圧倒的な水量の攻撃を繰り出すことが出来る。
「ラト。まだイケるだろう?」
と、僕は言った。ラトは大分疲弊しているようであったが、それを顔をには出さずに、僕に向かって言った。
「もちろんだ。どうする?」
「連続攻撃だ」
青竜がギリギリまで迫ってくる。今度、僕は逃げなかったし、避けもしなかった。ただ、相手の間合いを詰める。そして、避けられる限界まで青竜を引き付けると、そこで『アクア』の呪文を唱えた。
『アクア』の攻撃が、敵、青竜に向かって飛んでいく。青竜と竜騎士は、その攻撃を避け、そして、僕に向かって反撃を繰り出す。僕はこのチャンスを待っていた。すぐに『シンソク』を使い、一時的にラトのスピードをアップさせる。僕は『シンソク』を使えるが、スピードをアップさせることは、ほんの瞬間的にしかできない。多分、二秒くらいが限界だろう。
高々二秒? と、徒に考えるのは愚問である。戦闘中の二秒は途轍もなく大きな時間だ。それだけの時間、ラトのスピードは従来の倍になる。僕は『シンソク』を使い、ラトのスピードをアップさせ、そして青竜の攻撃を華麗に避けて、その瞬間、あっと言う間に敵の背後に回る。
これには、敵の竜騎士も度肝を抜かれたようである。戦闘中、敵に背中を取られるのは、それこそ『死』を意味する。背中に目玉はない。だから、かなりの鍛錬を積んでいないと、攻撃を避けることは難しい。
僕は複数の呪文を組み合わせることで、この窮地を脱した。そして敵のがらんとした背中に向かって、『カミナリ』の攻撃を繰り出す。
三つの呪文を効果的に僕は扱った。
つまり、こういうことである。
まず、『アクア』で敵青竜の体を濡らす。そしてでギリギリまで、相手を引き付けておいて、『シンソク』で攻撃を避ける。その後、敵の背後に回り、『カミナリ』を使う。『アクア』の攻撃により、水で濡れた敵、青竜はいつもの数倍、『カミナリ』の攻撃を食らうことになる。なぜなら、水は電気系統の攻撃をよく通すからだ。
勝負あり。
敵竜騎士と青竜は断末魔の叫びを上げながら地上に落下していく。青竜は『カミナリ』を背中に直撃しているから、ある程度のダメージを負っているはずである。再び攻撃を繰り出すことはできないだろ。このまま落下し、地面に叩きつけられ、結果的には死に至る。それがシナリオ。仕方のない犠牲なのだ。
もちろん、それを分かっていたのか、敵竜騎士は、青竜を見捨てて、パラシュートを使い、脱出する。青竜だけが虚しく地表に向かって落下していき、やがて、米粒のように見えなくなった。
「終わったな」
と、ラトは言った。呪文の多用により、顔はかなり疲れているように見える。ラトは一回の戦闘で一〇回ほどしか呪文を使うことが出来ない。魔法は著しく精神力を使うのである。また、複数の魔法を組み合わて使うと、余計に精神力を食う。ラトの場合、三回が限度であろう。今回の戦闘では何度も魔法を使ったから、残された精神力はギリギリだった。
「大丈夫か? ラト、大分疲れているみたいだけど」
と、僕は労いの言葉をかける。
ラトは翼をはためかせながら、
「大丈夫、とは、素直には言えないな。一旦戻ろう。これ以上の戦闘は難しい」
確かにその通りだ。これ以上、ラトは戦うことが出来ないだろう。速やかに戦線を離れることが重要である。戦局を離脱すると、ちょうど、ケントゥリオンも戦闘が終わったようで、僕の姿に気づいたようである。ケントゥリオンの乗る竜が傷つき、血で濡れている。恐らく激しい戦闘を繰り返したのであろう。
僕は、無線でケントゥリオンに向かって言った。
「大丈夫か? ケントゥリオン?」
…………。
数秒の間があった。その間は時間にすれば、僅かであったが、僕には永遠とも感じるくらい長いものに感じられた。
「あぁ」
ケントゥリオンの声は小さい。かなり疲弊していることが想像できた。「そっちは大丈夫か?」
「こっちは無事だ」
「それなら良い」
「大丈夫なのか?」
「俺は大丈夫。だが、竜が問題だな」
竜が問題。確かに傷ついた竜の動きは精彩が感じられない。もう、浮いていることが限界のようである。このまま、基地へ戻ることが出来るのであろうか?
心配は徒労に終わった。何とか、僕とケントゥリオンは基地へ戻ることが出来た。しかし、基地へ戻るなり、不幸なことが起きることになる。それは、ケントゥリオンの愛竜である白竜(通称ハリオ)が、予後不良として、安楽死になったのである。
予後不良というのは、回復の見込みがないということである。竜には回復系の呪文を得意とする黄竜がいるが、その呪文をもってしても、ハリオは回復することがなかった。飼育員の注射により、速やかにハリオは安楽死の手段が取られた。最後までケントゥリオンはハリオのそばに立っていた。
泣いているようにも感じられた。ケントゥリオンとハリオは四年以上の付き合いだと聞いたことがある。つまり、長い間、ずっと一緒に戦っていたのである。そんな愛竜を喪ったことで、ケントゥリオンは深く傷ついている。僕はその心の痛みが何となく分かった。
夕方――。
ハリオの葬儀を終え、ケントゥリオンは宿舎に戻ってきた。僕は廊下で薄暗くなった空を見つめていた。空は曇りで、星や太陽、月は見えなかった。ただ、暗黒のダークグレーの雲だけが、空一面を支配している。それはまさに、今の自分の心境を投影しているように思えた。
「ちょっといいか?」
と、ケントゥリオンは言った。
「あぁ」と、僕。「構わない」
「これから十字路に行こうと思うが、付き合えよ」
「分かった」
十字路というのは、この界隈にある酒場のことだ。基地にいる竜騎士の多くがここを利用する。竜騎士ご用達の酒場なのである。
僕らは車を使い、十字路へ向かう。運転するのはケントゥリオンだ。彼の持つ車は、旧車であり、知る人ぞ知るビンテージ感あふれる車である。車内は水を打ったように静まり返っている。それはそうだろう。愛竜を喪ったばかりなのだ。僕は、どう声をかけていいのか分からなかった。
例えば、僕の竜、つまり、ラトが戦線での攻撃を受け、それが原因で死に至ることになったら、僕はどういう風に思うだろうか? やっぱり、悲しいと思うし、それにショックを隠しきれずに、寝込んでしまうかもしれない。それだけ自分の竜には愛着がある。
だからこそ、この場で容易にケントゥリオンに声をかけることはできなかった。否、声をかけるべきではない。そんなタイミングは金輪際存在しない。そんな気がしてならなかった。そんな僕の心境を慮ってか、唐突にケントゥリオンが言った。
ちょうど、信号待ちで車が止まる。前方、後方、共に車の姿はない。あるのは、僕らの車だけ。
「俺の所為なのかな?」
「え?」と、僕は聞き返す。言っている意味が図りかねた。
「だから、ハリオを喪ったのは、俺の所為なのかってことだよ」
「君の所為じゃない」
「じゃあ、誰の所為だ? 責任の所在はどこにある?」
「それは……」
一体、誰が悪いのか?
戦争が悪い。と、言えばそれまでであろう。戦争が無ければ、竜を喪うことがなかったかもしれないが、逆に竜と出会うこともなかっただろう。戦闘竜は戦争だから利用価値があるのだ。戦争が無ければ、きっと繁栄はしないだろう。でも、それをこの場で言うことが、果たして正しいことなのか? 僕には分からなかった。
「俺にもう少し、ハリオを扱う技術があれば、ハリオは死ななかっただろう」
「そうかもしれないけど」
「悔しいんだ」
「うん」
「絶対に敵を許すわけにはいかない。俺は復讐鬼になる。次こそは、根こそぎ、スーヴァリーガル帝国の竜騎士団を殲滅させる。新しい竜で」
「そう。僕も協力するよ」
車はゆっくりと動き出す。
夜の闇を、ライトの明かりが静かに照らし出していった。基地から十字路までは車で十五分ほどの距離だ。
十字路に着くと、店の前にある駐車スペースに車を止め、僕らは店内に入った。
店は想像通り、竜騎士たちでごった返していた。戦争というストレスが、酒を煽り、食事をし、気分を高揚させ、陽気にさせるのだ。皆、偽りの感情の中を生きている。いつ死ぬか分からないのだから、ストレスはたまる。だから皆、十字路に集まり酒を飲むのだ。
ちなみに、アルヴェスト王国では十五歳から飲酒が認められている。つまり、僕も酒を飲むことが出来る。
店内に入ると、僕とケントゥリオンは空いているカウンター席に座った。店の広さはそれなりにあって、十人がけのカウンター席があり、四人掛けのテーブル席が五席ある。カウンター席以外はすべて人で埋まっている。がやがやと恐ろしいまでの喧騒である。まるでお祭り騒ぎ。そんな印象がある。
カウンターに座ると、顔なじみのバーテンがやってきて、注文を取る。
「マルゲリータと、ラムトニック、濃い目で頼む」
と、ケントゥリオンは言った。
僕は特にお腹が空いているわけではなかったが、一応、バーニャ・カウダと、ジントニックを頼んだ。
注文の品が運ばれてくるまで、やや時間がある。この空白の時間をどう過ごすべきなんだろうか? 優しい言葉でもかけるべきか……。否、そんな場当たり的なことは、むしろ逆に高ぶった精神を徒に刺激するだけかもしれない。
ケントゥリオンはポケットから煙草を取り出した。赤いパッケージの両切りの煙草だ。煙草も飲酒と同じで、アルヴェスト王国では十五歳から認められている。ケントゥリオンは十七歳だから、当然、大手を振って煙草を吸うことが出来る。
ゆっくりと煙を吸い、紫煙を鼻から放つ。白い煙が生き物のように宙を舞う。僕はそんな煙を見つめながら、ケントゥリオンに視線を注いだ。
見つめられていると、ケントゥリオンは察しているだろう。やがて、ほとんど吸っていない煙草を灰皿に押し付けると、次のように言った。
「次の竜、何色が良いかな?」
僕はその質問に答える。
竜のアドバイザーではないが、何か言わなくてはならない。
「白が一番バランスが取れて良いかもしれないけど」
「今回、ハリオは赤竜にやられたんだ。ブレスの攻撃を、一度まともに浴びた」
「赤にするのか?」
「分からない。ただ、白い竜は止めようと思う」
「どうして?」
「思い出すからだ……。ハリオのことを」
なるほど、と、僕は思う。
白竜に乗れば、ハリオの幻影を思い出してしまう。それは戦闘を行う者の心境としては、マイナス要素である。戦闘中の気の乱れは、それこそ死に直結する。避けなければならない事態の一つだ。しかし、ケントゥリオンはずっと白竜に乗ってきた。それを今更、別の竜に乗り換えて、都合よく乗りこなすことが出来るのであろうか? 僕にはそれだけが心配であった。
「黒い竜っていう手もあるけど」
と、僕は答える。
「黒竜か」
ちょうど、僕の注文したジントニックと、ケントゥリオンが注文したラムトニックがテーブルに置かれた。僕らは乾杯するわけでないが、軽くグラスを鳴らし、そして一口酒を飲んだ。淡い炭酸が心地よく喉を駆け抜ける。飲みなれた味のジントニック。僕はほとんどこの酒しか飲まない。後、飲むとしたら、ギムレットくらいだが、あれはアルコール度数が高いから、この場ではあまり適さないかもしれない。
さて、竜の色の話に戻ろう。
黒竜は全五色ある竜の中で、最も戦闘能力が高い。ただ、その分の弊害として、酷く乗りにくいのだ。我が強く、あまり人間に慣れない。だからこそ、あまり使う人間は多くない。だけど、この世界に名を残す名竜騎士たちの愛竜は皆、黒竜なのだ。
歴戦の竜騎士、つまり、『レベル4』のランクを持つ竜騎士の多くは、黒竜に乗っているというデータもあるくらいだ。
「俺には難しいかもな」
と、ケントゥリオンは言った。それは自分を卑下しているのではなく、本音を語っているのだろう。
「じゃあ、赤か……、それか青か。黄竜は後方支援だから、関係ないとしても、難しいな」
「そうだな」ケントゥリオンはグラスのラムトニックを一気に半分ほど飲み、その後、煙草に火をつけた。「明日、ギルドへ行くんだが、付き合ってくれるか?」
「ギルドへ?」と、僕。
ギルドというのは、竜騎士の総合施設のようなものである。各種申請や竜の登録、ランクの授与など、竜にまつわるすべての業務を担当している。竜騎士の乗る竜は、アルヴェスト王国が展開しているギルドへの登録義務があり、登録しないと竜に乗れないのである。もちろん、竜が死亡した際もきちんと届け出ないとならない。しかし、これは通常、軍の内部施設が一括して執り行っているから、普通は自分で届け出る必要がない。けれどケントゥリオンはギルドに行くと言っている。何かそこに目的があるのだろうか?
「どうしてわざわざギルドへ?」
と、僕は尋ねた。
ケントゥリオンは僕の方を見ずに、ただ真っすぐにカウンターの奥にある、酒類の瓶を眺めていた。色とりどり、様々な形の酒瓶が、ケントゥリオンの瞳に映りこんでいる。
「ただ、自分の竜のことは、せめて自分で最後まで処理をしたいんだ。それに、新しい竜も見てきたい」
ギルドには竜の育成機関がある。そこで竜を見ることが出来る。一般的には、竜を喪った竜騎士は、速やかに軍司令部に届け出を出し、そして新しい竜を手に入れる。その期間はわずか一日。つまり、自分の乗っていた竜が死んだ場合、最短で翌日には新しい竜を手に入れることが出来るのだ。
それは薄情な行為なのだろうか? 皆、竜を道具のようには扱っていない。それそれの竜に思い入れがあるし、感情がある。歴戦の竜騎士が、竜を喪い、新しい竜にして、一気に戦闘能力が衰える例がある。それだけ、人と竜の関係は密着している。新しい竜にすることは、魂を入れ替えるようなものなのである。
「分かった。一緒に行こう……」
と、僕は言った。
その時だった。入口のトビラがキシッと、錆びた音を上げて開いた。僕はトビラの方へ視線を注いだ。そこには、プリオルが一人立っている。プリオルは、あまり十字路へは来ない。だからこそ、皆の視線が一斉にプリオルに注がれた。
プリオルは入口からキョロキョロと辺りを見渡すと、どういうわけか、僕とケントゥリオンの許へ足を進めてきたではないか。そして、空いていた僕の隣に座り、
「ここにいたのか」
と、声をかけた。
僕に言っているのか、あるいはケントゥリオンに言っているのか、よく分からなかった。
「何か用ですか?」
僕が言った。ケントゥリオンはプリオルに対し、軽く目で相槌を打ち、再びラムトニックを飲んだ。もうグラスは空だ。ラムトニックはそれほど強い酒ではないけれど、飲み過ぎれば簡単に酔ってしまう。悪酔いしやすい酒と言えるだろう。
「ちょっと良いか?」
と、プリオルは言った。
断る理由はどこにもないし、今は勤務時間外であっても、上司の命令は基本的には絶対服従である。僕は立ち上がり、
「構いませんよ」と、声をかける。
すると、プリオルはケントゥリオンに対し、「ちょっと相棒を借りるぞ」と、一言告げ、僕を店の外に引っ張り出していった。
空は曇り空で、星一つ見えなかった。ただ薄暗いチャコールグレーの空が一面を覆いつくしている。
店の外には誰もいなかった。ただ、プリオルが乗って来たであろう、単気筒の二輪車が、止めてあり、熱を放っている。
プリオルは店の外壁に背中を預け、そして煙草を吸い始めた。たっぷりとした間があり、プリオルは旨そうに煙を吸い込み、それを速やかに吐き出すと、僕に向かって次のように言った。
「ケントゥリオンはどうだ?」
「どうだ? というのは?」と、僕は言った。質問の意味がよく分からない。
「竜を喪ったばかりだろう」
「ええ。そうですけど、明日、自分でギルドへ行くと言っています」
「わざわざギルドへ行くのか?」
「はい。自分もついて行きます」
「そうか。至急新しい竜を手に入れる必要がある」
「何か、新しい作戦でもあるんですか?」
「敵の戦艦を叩く、オペレーションが展開されようとしている。これまでにないくらいの激戦になるだろう。この戦いに勝利を収めるか否かで、戦況はぐっと変わる。今日告げた特攻の話はナシだ。命拾いしたな」
今のところ、これは新聞やニュースなどの情報であるが、スーヴァリーガル帝国との戦争の戦況は五分五分であるという見方が大多数を占めている。よって、今回の作戦はその均衡した戦況を脱するのに一役買うのであろう。
勝てればいいが、敗退した場合、それは戦争の悪化を意味する。
「ケントゥリオンはどうするんですか?」
と、僕は尋ねる。
竜を失った竜騎士は、すぐに戦線には戻らない。その理由は簡単である。新しい竜を乗りこなさなければならないからだ。新しい竜を自分のものとし、そしてある程度命令を下すようにならなければ、戦闘は難しい。ケントゥリオンも、恐らく、しばらくの間は訓練場で新しい竜と共に、訓練をするはずだ。
と、なると、今回の任務にはつかないだろう。これだけ高度な作戦である。竜を喪ったばかりのケントゥリオンがすぐに参加できるとは思えない。
「しばらくは訓練だな」
と、プリオルは言った。やはり、僕の予想通りだ。これからしばらくの間は、ケントゥリオンとは別の舞台になるだろう。いや、これでお別れかもしれない。再び、ケントゥリオンがプリオルの団に戻ってくるとは限らないのだから。
「ケントゥリオンはまた、戻ってきますよね?」
と、僕は言う。
ずっと同じ環境にいたのだ。このまま別れたくはない。
「分からない。微妙なところだな」と、プリオル。
「なぜです?」
「新しい竜を乗りこなすのは、歴戦の竜騎士でも難しい。すぐに戦線に戻れるとは思わないからな」
「なら、どうするんですか?」
「新しい竜騎士を入れることになるだろう。竜騎士は掃いて捨てるほどいる。別にケントゥリオンではなくても構わない」
「でも、彼は『レベル2』のランクを持っているんですよ」
「それは分かってる。だが、『レベル2』のランクを持っている竜騎士だってたくさんいるさ。彼は『レベル4』ではない。つまり、代わりはいくらでもいるということだ」
そのセリフは、とても冷たく氷のように、僕の胸に響いた。これが現実なのだろうか。ケントゥリオンは今までプリオル竜騎士団の一員として、任務に就いていた。どんな任務であっても、生き残り、そして作戦を遂行してきたのである。そんな竜騎士に対して、プリオルは冷徹に突き放す。
騎士団長としては、当然の義務なんだろう。一々、相手のことを気にしていたら、作戦にはならない。それでも僕は、ケントゥリオンとは別れたくはなかった。これまでずっと一緒にいたのだから。
「新しい竜騎士はいつ来るんですか?」
と、僕は言った。気になるのは当然である。
プリオルは新しい煙草に火をつけながら、質問に答えた。
「早ければ明日」
「明日ですか、僕は明日、ケントゥリオンと共にギルドへ行ってきます」
「新しい竜を見にか?」
「たぶん、そうだと思います。他に手続きもあるでしょうし」
「手続きなら、この基地へいてもできるだろう。わざわざギルドへ行く理由がない。あるとしたら、竜を見に行くくらいだろうな」
「どんな色の竜が良いんでしょうか?」
「それは私やお前が決めることじゃない。ケントゥリオンが決めることだ。アドヴァイスとしては、白竜が一番、適格だと思うがな」
「黒竜はどうですか?」
「黒か」プリオルは煙を吐き出し、その後、僕のほうを向いた。「あまり、おすすめはできないな」
「そうですか。でも、一番能力が高いのは黒ですよ」
「だが、その分乗りこなすのは難しい。凶暴で暴れやすいからな。黒竜の餌食になった竜騎士を、私は何人も知っている」
「けれど、『レベル4』のランクを持つ、竜騎士は皆、黒竜に乗っていますよね。あなたは別ですけど」
「確かにそうだ。だが、黒竜に乗る奴らは別物だ。『レベル4』になれる竜騎士は、ごく一握りだ。皆が皆、なれるわけではない。その中には、きっと……」
そこで、プリオルは言葉を切った。
しばらくの間、沈黙が流れる。なぜ、彼女が唐突に口を閉ざしたのか、僕に分からなかった。僕はいまだに、プリオル以外の『レベル4』の称号を持った竜騎士に会ったことはない。当然、戦闘をしたこともない。全竜騎士の僅か一%未満しか、『レベル4』はいないのである。会うほうが稀だ。会った瞬間、やられているかもしれないが。
「ヴィンターヴル。知ってるか?」
徐に、プリオルは言った。
ヴィンターヴル――。その単語に僕は聞き覚えがある。遠い昔、絵本の中で読んだ、勇者が持つ異能の力のことだ。それをここで、プリオルが言うことに、僕は幾分か、違和感を覚えた。
「知ってますけど、伝説の力のことですよね」
「そう、伝説の力。竜騎士になる上で、絶対的に有利な力だ。説明はできるか?」
「竜を手懐ける力のことですよね。ヴィンターヴルはそれが超人的に優れている。絵本の中の勇者が持つ力です」
「それがもしも、現実にあったとしたらどうする?」
プリオルの言葉に、僕は黙り込む。
伝説の力が、この現実の世界に蔓延っていること自体、ちょっと信じられないことであると感じられた。しかし、この場でプリオルが嘘をつくとは思えない。彼女には、彼女なりの考えがあるように感じられる。
「そんなわけありませんよ」
と、僕は泰然と言う。
絵本の中の勇者を現実世界とごっちゃにするほど、僕はもう子供ではない。かといって、大人でもないのだけれど。
「でも、どうしてそんなことを言うんですか?」と、僕。
すると、プリオルは短くなった煙草を地面に落とし、それをブーツで押しつぶし、
「黒竜を乗りこなす、一部の天才的な竜騎士には、そんな『ヴィンターウル』の力が備わっていると言われている」
「まさか、そんなことは……」
「そう思うだろう。だが、事実なんだ。もともと、黒竜は人には懐かない。なのに、どうして一部の人間だけが、操ることができるのだと思う? それも巧みに」
「わかりません。ただ、竜を扱うことが上手いだけじゃないんですか?」
「私はそうは思わない。ただ、『ヴィンターヴル』の力が存在するということが、今も私の心を縛り上げている」
「どうしたんですか。急に、いつもと様子が違いますよ」
「さっき言った作戦。覚えているか?」
「ええ」
「スーヴァリーガル帝国の竜騎士団に、一人の天才竜騎士がいる。その竜騎士が参戦してくるという噂だ」
「天才竜騎士、ですか。それは誰です?」
「邪王使い、ラリウス」
その言葉に、僕は聞き覚えがあった。
ある程度経験を積んだ竜騎士ならば、誰だって一度は聞いたことのなる、スーヴァリーガルが誇る天才竜騎士である。年は四十三歳。十五歳で竜騎士となり、その後、めきめきと頭角を現した、竜騎士だ。敵の撃墜数は一〇〇騎を超えるという、化け物クラスの竜騎士。
運が良いのか、あるいは悪いのか? 僕はいまだに遭遇したことがない。否、遭遇していていたら、今頃墓の下にいるかもしれない……。
そんなラリウスが相手の作戦部隊の中にいる。一説によれば、『レベル4』のランクを持つ、竜騎士は『レベル3』の竜騎士の一〇人分、『レベル2』クラスの一〇〇人分とも言われている。それだけ高い能力を宿しているのだ。
「ラリウスが参戦してくる。作戦はこれまでにないくらい激戦が予想される」
と、プリオルは言った。
僕は、どう言葉を返せばいいのか迷った。慰めることが良いのか? それとも、士気を高め、己を鼓舞するように振る舞えばいいのか?
「こっちも『レベル4』を立てれば良いんじゃないですか?」
「楽観的に言うな。今や、このアルヴェスト王国には『レベル4』のランクを持つ竜騎士はほとんどいない。多くが戦死している」
「じゃあどうすればいいんですか?」
「なぁ。パルラ、お前、竜を代えるつもりはないか?」
「ラトをですか? ありませんよ。僕とラトはずっと一緒だった。それを今さら代えるなんてできません」
「そうか、だが知ってるいるか? ラトはすでに戦闘竜としては高齢だということを……」
「それは知っています。だって、ラトは僕と出会った時にすでに高齢でしたから。でも、高齢の竜のほうが、落ち着いているということがあり、僕はラトを選んだんです」
「ラトの攻撃力、そして防御力が衰えてきていると、飼育員から連絡が来ている。そろそろ潮時だとな」
「僕はラトを降りる気はありません」
「ラトが死ぬことになってもいいのか?」
「死にませんよ。僕がいる限り」
僕はこの場にいることが嫌になった。露骨にプリオルを無視し、僕は十字路の中へ戻った。
店内は相変わらず激しくうるさかった。カウンターに座るケントゥリオンが、注文したマルゲリータを一人つまみながら、ラムトニックを飲んでいた。そして、店内に入ってきた僕を見るなり、顎で僕の座っていた席をしゃくった。
僕は席に座る。
ピザソースのいい香りがする。僕が座ったのを見るなり、マスターがバーニャ・カウダをテーブルに置いた。
「話は終わったのか?」
と、ケントゥリオンが言った。頬にピザのかけらがついている。
「終わったよ」と、僕。
「何の話だったんだ?」
「特攻はナシになった。それと、これからの作戦のことさ。大した話じゃない」
「俺の悪口を言っているかと思ったよ」
「そんなことはないさ」
「俺はしばらく、お払い箱だな」
「なんでそんなことを言うんだ」
「新しい竜を乗りこなすまではまだ、時間がかかるからな」
「大丈夫だろ」
「俺はお前とは違う。お前みたいに、竜を巧みに乗りこなすことはできない」
「僕だって、そんなことは」
「謙遜するなよ。お前は竜を扱うのが上手い。おそらくプリオル団の中でぴかイチにな。とにかく、明日は一日付き合ってくれ」
「分かった。ギルドへ行こう」
僕らの話はそれで終わる。後は、ちみちみと酒を飲みながら、食事をし、宿舎へと戻った。竜を喪い、傷ついていたケントゥリオンはやや飲みすぎたのか、帰りは運転できずに、僕が代わりに運転をした。そして、酔ったケントゥリオンをベッドの上に寝かせ、僕も重い瞳を閉じた。今日は、色々あって疲れた。だからこそ、簡単に眠りにつくことができた。
第二章
墓石に持っていく友人たちの顔を/
じっと/
見ていた間に星が墜ちてきた
最果タヒ
翌日――。
僕とケントゥリオンは午前中からギルドへ向かった。
宿舎からギルドまでは電車で三〇分ほどの距離がある。車で行ってもいいのだが、僕と、ケントゥリオンは久しぶりに電車に乗ることにした。
車内はそれほど混雑をしていない。戦局が悪化し、皆、遠出をしなくなったからである。いつまで続くか分からない戦争。それは、僕らの生活を一歩一歩確実に、負の道へと歩ませていく。
ケントゥリオンは、窓の外を眺めながら、静かに席に座っている。どう、声をかけていいのか分からない僕は、ただ、単に彼の顔を見つめていた。ケントゥリオンは、何も言わない。僕に見つめられても、自分の世界に閉じこもったままだ。
さて、この居心地の悪い時間を、どうクリアにすればいいのだろう。僕は決して沈黙が苦手というわけではないけれど、刺すような緊張感のある空気は好きではない。こんな空気は戦闘中だけで充分である。
それにしても、ケントゥリオンは、竜の色を決めたのだろうか? 前と同じ、つまり、ハリオと同じ、白竜にするか、あるいは、まったく別の色に変えるのか。どう決断を下したとしても、僕は何も言わずに肯定してやろうと考えていた。それがケントゥリオンが決めた道なんだから。
やがて、電車はトンネルの中に入る。うっすらと暗くなり、車内は蛍光灯の明かりで満たされる。トンネル内は騒音がうるさく、まるで洗濯機の中に放り込まれたかのように錯覚する。
そんな中、ケントゥリオンが言葉を放った。
何年ぶりに言葉を聞いたという感覚が、僕の体内に広がっていく。
「竜、何色にしようか?」
その呟きは迷いに満ちているようなオーラがある。
僕は、どう答えるべきか、考えていた。竜の色は、竜騎士にとって、非常に重要なウエイトを占める。それだけに選択は慎重に行わなければならない。どう、アドヴァイスするべきか、……、そこで僕は、先日プリオルが言っていた言葉を思い出した。
「ヴィンターヴルって知ってるか? ケントゥリオン?」
その言葉に、一瞬、ケントゥリオンは固まった。記憶を上手く再生できないようである。
「ヴィンターヴル、確か伝説の力だよな」
「そう、竜を扱うことが飛びぬけて上手い人間を形容する言葉だけど、実際に存在するようなんだよ」
「馬鹿な……。お話の中だけだろう。第一、そんな力があるのなら、誰も竜を扱うのに、苦労はしない」
「僕もそう思う。だけど、プリオルは違うみたいだ」
「プリオルが? 団長が言っていたのか?」
「うん。黒竜を支配する、『レベル4』の称号を持つ竜騎士たちには、皆、この能力が宿っているらしいんだ」
「『レベル4』か。俺には関係のない話だな。絶対に昇格できない、幻のランクだ」
「そうだね。精々、『レベル3』が良いところだと、僕も思う。プリオルの話では、黒竜は絶対に人に懐かないのだと言う。なのに、『レベル4』の人間は、そんな竜を手懐けることができる。これはヴィンターヴルの力が宿っているからだと、プリオルは察している」
「団長がオカルティストだとは思わなかったよ。でも、なんでそんなこと言い出したんだろうか?」
「分からない。多分、今度の作戦が関係していると思う」
「例の敵の戦艦を叩く作戦か。俺はちょっと参加できそうにないな。パルラ、お前はどうする」
どうすると言われても、僕は回答に迷った。
ケントゥリオンが、何を示唆しているのか、分からなかったからだ。それでも僕は答えなければならない。
「僕は戦闘に参加する。そして、敵を攻撃し、いつも通り撃墜するんだ。それだけだ。戦闘はいつだって僕の目の前に存在するけれど、やることは一緒だ。生きるために戦うよ」
「そうか。パルラ、絶対に死ぬなよ」
「それは約束できないよ。死ぬときは、多分一瞬だ。それが戦闘だよ。ケントゥリオンだって分かるだろう」
「それはもちろん分かっている。だけど、俺はお前を失いたくない。ずっとこれからも一緒にいたいよ。これまで多くの仲間を喪ってきたけど、お前ほど、喪いたくないとは思ったことはない。それだけ大切な戦友なんだ」
「ありがとう。その言葉が僕の力になるよ」
僕とケントゥリオンは戦友だ。
これまで多くの戦闘を切り抜け、戦い抜いてきた。そして、いつも一緒だった。同じ竜騎士団に所属し、そして、戦闘を繰り返す。団長はプリオル。そんな関係性が、今まさに崩れようとしている。
電車はギルド前の駅にたどり着く。
降りる人間は疎らであり、そう多くはない。
僕とケントゥリオンは改札を抜け、目の前数百メートル先にある、ギルドの本部へ向かい足を進める。
再び無言の時間が流れる。
ギルドはひっそりとした空気が漂っている。
まずは、竜が亡くなったことの手続きを済ませ、新しい竜を手配することになる。人がほとんどいないので、手続きは容易に進む。事務的に作業を済ませると、竜の選定に入る。ギルとの地下には竜の飼育施設があり、そこで竜を選ぶことが出来る。
僕と、ケントゥリオンは、エレベータに乗り、そして地下へ向かう。竜の香りがする。野性味あふれた匂いだ。僕は決してその匂いが嫌いではない。どこか人を安心させる匂いなのだ。戦闘中に嗅ぐことで、高ぶった精神を幾分か鎮静化させる作用がある。と、僕は思っている。
飼育小屋にいる竜は基本的に若い。
大体生後二年~五年くらいの竜が一般的だ。竜の寿命は三〇年と言われている。人間の倍以上の体積を持つから、普通は寿命が人間よりも伸びるのが当たり前だろうけれど、竜の寿命は短いのだ。
最盛期は生後五年から二十五年の間。つまり、二〇年は戦闘を行うのに適した時代が流れる。つまり、竜は活動時期が寿命に比べて長いのだ。二〇年を一緒に戦えば、そのシンクロ率は高いものになるだろう。それだけに、愛竜を喪失したときの、ぽっかりと穴の開いた心境は中々形容できるものではない。
ケントゥリオンも竜騎士になり、四年が経つが、ずっとハリオに乗ってきたのである。僕の記憶が正しければ、ハリオはまだ一〇歳だったはずだ。つまり、戦闘に一番適した時期を過ごしていたことになる。それだけに、今回のハリオの死は、僕だけでなく、同じプリオル竜騎士団に衝撃を与えた。
「色……何にするべきか」
誰に言うでもなく、ケントゥリオンは囁いた。
「白は止めるんだろう」と、僕は言う。
「あぁ、やめたいな。ハリオを思い出す」
「そうか、なら赤竜はどうだ? ブレスが使える」
「それも良いかもな」
ケントゥリオンは飼育員に赤竜を見せてくれと頼み、実際に騎乗してみることにしたようだ。あてがわれた竜は鮮血の綺麗な赤をしている竜で、まだ五歳と若いようであった。ケントゥリオンは竜にまたがり、乗り心地を確かめている。赤竜はそんなケントゥリオンのことを円らな瞳で見つめている。
僕は一人、竜の飼育スペースを眺めていた。
すると、一人の飼育員が寄ってきて、僕に向かって言った。
「竜をお探しですか?」
初老の男性飼育員だった。声が低く、聞き取り辛い。
「いや、」僕は答える。「そういうわけじゃないんです。ただ友人の付き合いでここに来ただけで」
「そうですか。でも珍しいこともあるもんですよ」
「珍しいこと?」
「そう。あなたは非常に竜を扱うのが上手いようですね」
「どうして、そんなことが分かるんです」
「あそこをご覧下さい」
と、初老の飼育員は、とある竜を指差した。
その先には、一匹の竜がぼんやりと佇んでいる。
黒竜だった。
まだ、若いのか、完全な黒ではなく、チャコールグレーの色合いをしている。
「黒竜ですね」
と、僕は答える。「珍しい。普通、飼育小屋には黒い竜はいませんよね。基本的には取り寄せになるはずだ」
「えぇ。そうです。先日、この飼育小屋にやって来たんです。野生の時期が長かったため、誰の言うことも聞きません。でも御覧なさい。あなたのことを興味深そうに見つめている。こんなことは今まで一度もありませんでしたよ」
「そうなんですか」
そこで僕は黒竜を見つめる。
確かに、黒竜は僕のことをじっと、見定めている。まるで、インディアンが文明の利器を見つめるかのように……。
「少し触れてみますか?」
と、飼育員。「あなたと喋りたがっているみたいですから」
「でも」僕は動揺する。「黒竜は言葉を話せないですよね。白竜だけですよ。人語を話すのは」
「えぇ、もちろんそうですよ。ですが、言葉を話せないだけで、人間の言葉を理解しているんですよ。これは黒竜に限ったことではありません。どんな色の竜であっても、皆、人間の言葉を理解しています。じっと聞いているのですよ」
「そうなんですか」
と、僕が次の言葉を言う前に、初老の飼育員は黒竜の許まで行き、そして竜を僕の前まで連れてきた、その最中、こんなセリフを吐いた。
「やはり、珍しい。ちゃんと言うことを聞き、あなたの前までやってきた。今まで命令に従ったことなどなかったのに」
黒竜はじっと僕を監視するかのように、視線を注いでいる。黒い肌に、黒い瞳、否、若干ではあるが、グレーが入り混じっている。体は大きく、今僕が乗っているラトよりも大きい。
そこで僕は不思議な感覚に囚われた。どういうわけか、この竜の背中に乗ってみたいという感覚に襲われたのである。
(君は誰?)
唐突に声が聞こえた。
否、聞こえたというよりも、頭の中に直接響いてきたと言った方が正しいかもしれない。テレパシーのような感覚が、僕の脳内に広がっていく。声の主は誰か? それは決まっている。今、目の前にいる黒竜に違いない。
「僕は竜騎士だ」
と、僕は言う。
隣にいた初老の飼育員が、急に独り言を言った僕に、訝しい視線を注いでいる。だけど、僕はお構いなしだ。今は、この黒竜との会話を大切にしたいと考えている。
(君には不思議なオーラを感じるよ)と、黒竜。
「オーラ?」僕は鸚鵡返しに尋ねる。
(そう。オーラ。君は特別な竜騎士なのかもしれない)
「そんなことはないよ」
(僕を救ってよ)
「救う?」
(そう。この飼育小屋から救ってほしい。僕は君の竜になりたい)
「な、何を……」
一体、この竜は何を言っているのだろうか?
僕は理解できぬという体で、黒竜に視線を注いだ。黒竜は相変わらず、僕のことを円らな瞳で見つめている。こうしていると、凶暴な黒竜であるということを忘れてしまいそうである。どこまでも普通の竜であるということが垣間見える。
徒に時間が流れる。黒竜は自身を救ってくれと言っていた。何故、そんなことを言うのだろう。否、それ以上に、何故、僕に向かって言うのだろうか? 僕はしがない竜騎士だ。それも『レベル2』のランクのそれほど高い技能を持った竜騎士ではないのだ。僕の代わりなど、きっと、この世には無限に存在するだろう。
にも拘わらず、この目の前に居座る黒竜は、僕を特別な存在だと言う。その根拠は果たしてどんなものなのか? その源泉はどこからやってくるのか? 僕は再び、黒竜に向かって言った。
「救うってどういうこと?」
黒竜は漆黒の瞳で僕を睨む。
睨むとっても、喧々囂々したものではない。どこかこう、優しげなオーラが感じ取れる。
(僕をこの場から出してほしい)
と、黒竜は言った。
この場から出してほしいと言っても、僕は飼育員ではない。だからそんなことはできない。この場から出すとしたら、新しく竜を迎え入れる時だけだろう。でも、今はその時じゃない。僕にはラトという相棒がいるのだから。
「無理だよ」
と、僕は言う。
(どうして?)
と、黒竜は答える。
「僕には愛竜がいる。だからさ」
(愛竜?)
「そう、白い竜さ。僕が竜騎士になった時からずっと乗っている。だから、君を迎え入れることはできない」
(その竜、死ぬよ)
「は?」
僕は思わず固まった。
ラトが死ぬ?
何故、そんなことが言えるのだろう。先日行われた竜の健康診断では、ラトには何の異常も見受けられなかった。しいて言えば、高齢になっているから、運動能力の低下が若干見られるだけで、それ以外は何もなかったのだ。
つまり、死ぬ要素はどこにもない。あるとしたら、戦闘で死ぬということだ。
戦闘。それはまさに次に行われる大規模な作戦のことを指しているのだろうか? 敵の軍艦を叩く。スーヴァリーガル帝国との戦闘は、日を追うごとに激烈になっている。偵察騎も多いし、いつもよりも増して、戦闘は激化している。
「ラトは死なないよ」
と、僕はポツリと言う。
ラトを喪うということは、ちょっと考えられないことだ。ラトとは今も、昔も、そして、これからもずっと一緒にいたい。そんな竜なのだから。今回の作戦でも、必ず生き延びて見せる。そんな心意気が僕にはある。
絶対に、死ぬわけにはいかない。否、死を恐れるのではない。ラトを喪うことを恐れているのかもしれない。
ラトがいなくなった生活を、僕は思いめぐらす。
ケントゥリオンは愛竜を喪い、心に大きな傷を受けた。傍目からみると、自然を装っているように見受けられるけど、僕には分かる。だって、ケントゥリオンとの付き合いは、今日、昨日の短いものではないのだから。
新しい竜を選ぶのは、竜騎士にとって死活問題であると言っても良い。相性の問題もあるし、乗り心地も関係してくるだろう。特に、それまで乗っていた竜との付き合いが長ければ長いほど、新しい竜を乗りこなすことは難しい。それが竜騎士なんだ。
竜騎士と竜。その関係は、家族以上に強く、同時に、拙いものでもある。それは何故か? 理由は僕には分からない。だけど、竜は心血を注いで、愛情持って接するのだけど、喪うときは一瞬で喪ってしまう。それが、悲しいけれど現実のことなんだ。竜騎士はそのことを肝に銘じておかなければならない。
(ラトって言うんだね)
と、黒竜は言った。
「うん」と、僕。「それが僕の竜の名前だ」
(だけど、年を取っている。違うかい?)
「なんでそれを知ってる?」僕の額に汗が浮かぶ。「僕は一言も言っていないはずだ」
(簡単さ。僕は人の心を読むことが出来る)
「嘘言うな。竜にはそんな力はない」
(信じる、信じないは君の勝手さ……。でも僕は確かに君の愛竜であるラトのことを知っている。ラトはもう年を取り過ぎているよ。戦闘をそろそろ卒業しないとならない。そうしないと、君の命の問題にもなるし、ラト自身の生命を脅かす重大な因子にもなる。それは分かるね)
「分かってる。だけど、ラトはまだまだ現役でいられるよ」
強気に言う僕。
ラトの体力、そして運動能力が若干衰え始めていることを、僕は感じている。だって、ずっと一緒にいたのだから。微細な変化であっても、気づくことができる。ラトは確実に老いている。それは間違いない。
だからといって、僕はラトを喪いたくないし、新しい竜に乗り換えることはしたくない。それだけは確かな事実だ。そして、できるのならば、ずっとラトに乗り続けていたいのだ。
(君は)再び黒竜。(また、ここに来ることになる)
「それも、」僕は泰然と答える。「予言か?」
(そうだね。予言と言っても構わない。君は僕を選ぶだろう)
「随分と傲慢な竜だ。流石は黒竜。噂通りだよ」
(そう。まぁいいさ。君の名前は?)
「得意の予言で見抜いてみたら良いさ」
(良いのかい? 驚くことになるよ)
自信を持った声が、僕の脳内に響き渡る。この目の前に座る竜は、当然ではあるけれど、僕の名前を知っているはずがない。動物園に行って、目の前にいる動物に自分の名前はなんであるか聞いて、答えられる動物がいないのと同じだ。例え、動物に人語が操れたとしても、予言することはできないのだから。
僕はじっと我慢しながら、この黒竜の回答を待った。しかし、そこで恐るべきことが起きることになる。
(パルラ)
「え?」
驚きで目を大きく見開いた。僕は一瞬、トンカチで殴られたかのような衝撃を覚える。今、黒竜はなんて言った? 確かに、『パルラ』と、言わなかったか?
(だからパルラって言ったんだ。それが君の名前。同時に僕の新しいご主人様だ)
「や、やめろよ」
(君は近いうち、必ず僕のことを新しい竜に迎え入れる。それは間違いのないことだ)
そうこうしていると、竜の試乗を終えたケントゥリオンが僕の前までやってくる。そして、僕が黒竜のことを見ていることを察し、少し小声で声をかけてきた。
「黒竜か。珍しいな、ギルドの飼育スペースに黒竜がいるなんて」
「うん」と、僕は言う。「珍しい、しかもテレパシーが使えるみたいなんだ?」
「テレパシー?」
「そう。よく耳を傾けてごらん。この竜の言葉が聞こえるはずだ」
…………。
数秒の間があったが、ケントゥリオンは首をかしげながら、
「何も聞こえないけど、どういうことなんだ?」
そんな馬鹿な。僕は神経を集中させる。
「黒竜! 聞こえるか?」
(聞こえるよ)と、黒竜は告げる。
「ケントゥリオンにも聞こえるようにするんだ」
(それは無理だよ)
「どうして?」
(僕の言葉、つまり、テレパシーは万人に聞こえるわけじゃない。選ばれた人間にしか聞こえないんだよ。残念だけど、ケントゥリオンという竜騎士には、僕の声は聞こえない。それは彼がそれだけの竜騎士だからだよ。君とは違う。彼は凡夫なのだ)
「そ、そんな馬鹿な……」
僕が特別だって? そんなことは聞いたことがない。僕は特別な存在ではなく、どこにもでもいる、ただの竜騎士だ。故に、自分を特別だと思ったことはどこにもない。
特別という単語を聞くと、僕は思い返すことがある。
それは『レベル4』のランクを持つ、竜騎士のこと。特に敵、スーヴァリーガル帝国の『レベル4』ラリウスだ。
漆黒の竜にまたがる、黒いレベル4。それがラリウス。二つ名は、邪王。その名の通り、冷徹でありながら、邪王という黒炎の魔法を使うことが出来る。その炎の攻撃力は異常に高く、戦艦一台分の攻撃力を誇るのだと、噂では聞いたことがある。
(いずれにしても、また会うことになるよ)と、黒竜は言った。(僕の名前はナーガ。覚えておいてね)
ナーガ。遠い異国の言葉のように感じられる。確か、僕の記憶が正しければ、竜神という、意味だったように感じられる。
結局、ケントゥリオンは新しい竜として、赤竜を申請することになった。年は六歳。若く逞しい竜だ。使えるブレスの数も豊富で、人語をやや理解する。しばらくは訓練施設での特訓がメインになるだろうけど、ケントゥリオンならば、一か月もあれば戦線に復帰することが出来るだろう。
宿舎に戻った僕はラトの許へ行くことにした。何かこう、会っておきたい心境に駆られたのだ。
それは夕暮れのことだった。竜の飼育小屋は人気がなく、ひっそりと静まり返っている。餌の匂いや、竜の体臭などが入り混じり、独特の雰囲気を形成していた。ラトはごろりと横になっていた。気分が悪いのか、少しだけ、顔色が悪そうに見える。
「ラト……」
と、僕はラトが寝ている場所の柵越しに声をかける。
ラトは僕がやってきたことに、当然気づく。横になっていた体を揺り動かし、そして胡坐をかくように座る。その仕草がなんとなくかわいい。
「どうかしたのか?」
と、ラトは答える。
一体、なぜこんな時間に、この場所に来たのか、よく分からないといった体である。それはそうだ。僕は普段、夕暮れに竜の飼育小屋に来ることはない。だけど、今日は違うんだ。何としても会っておかなければならないような気がしたのだ。
「今日、ギルドへ行ってきたんだ」
と、僕は言う。
「ギルドへ、……確か、ケントゥリオンの新しい竜を見に行くんだったな?」
と、ラト。眠そうな声が聞こえる。
「そう。ケントゥリオンは赤竜を新しい竜にしたよ」
「ブレスか」
「うん。しばらくは訓練の生活になるだろうけれど、ケントゥリオンならすぐに戦線に復帰するだろう」
「そうか。それなら一安心だ。だが、パルラ、次はお前の番だぞ」
? 僕の番? それはどういうことだ。
「何が?」
「新しい竜にするってことだ」
「僕が新しい竜にするだって。なんでそんなことを言うんだ。僕には、ラト。君がいるじゃないか」
「私はもう戦えないだろう」
「なんでそんなことを言うんだ」
「歳には勝てない。私はもう二十五歳を超える。つまり、現役の竜としてやっていく年齢ではない。パルラ、お前を守ることができないだろう」
「そんなことないよ。まだまだ僕らは戦える。それに、次の作戦も既に発表されているんだ」
「そうか、なら、それが私の最後の聖戦かもしれないな」
「引退するつもりなのか」
「有無。そうだ。私は既に戦える状況ではない。体は重いし、若い頃のように動かない。着実に衰えている。それは私の背中に乗っているお前がよく分かっているんじゃないか」
「それは……」確かにラトは衰えている。だけど。「まだ大丈夫さ」
「ありがとう。だが、次がラストだ。それが終われば、お別れだ」
別れ。
そんな唐突に言わないでほしい。
少なくとも、まだ僕は君と一緒にいたいんだ。僕が竜騎士となり、そして君に乗った。ずっと一緒に……、墓の下まで一緒になるつもりでいたのに。どうしてそんなことを言うんだろう。否、ラトの言うことは正論だ。
竜の衰えは仕方のない犠牲だ。そして、それが原因で死に至ることだってある。現役を終えた竜は、速やかに引退し、竜騎士は新しい竜に乗らなければならない。それが規則であるし、当たり前のことなんだ。
分かっている。心の中では。でもそんなに簡単に竜を乗り換えられるわけではない。
竜騎士の中には、竜をあくまでも『道具』として認知し、コロコロと乗り換える者がいるけれど、僕にはそんな行為は真似できない。だって竜は生き物だよ。それに、愛着だってあるし、ラトの場合、人語を操る。友達以上、否、家族以上の関係なんだ。それなのに、高々歳をとったと言うだけで、お別れしなければならないなんて、僕には納得できなかった。
「別れたくない」
と、僕は言う。悲しみの旋律を帯びた声。
「パルラ。覚えているか?」
と、ラトは呟く。
「何を?」
「最初の戦闘だ」
「最初の……」
「そう、最初の戦闘だ。お前がまだ、十三歳の頃の話だ。最初の戦闘ということなのに、お前はほとんど緊張していなかった。私はそれを感じ、お前が大物だと思ったよ。パルラ、お前には竜を扱う才能がある。それに戦闘を行う力も、他の竜騎士とは違う。レベルが違うんだよ。きっとお前は、腕の良い竜騎士になる」
そこまで言うと、ラトは一旦言葉を切り、うっすらと目を閉じた。記憶を反芻させているようである。僕もそれに習い、記憶を呼び戻す。様々な記憶が、濁流のように入り混じる。戦闘の記憶が蘇り、僕の脳内に再生される。どの思い出も、僕にとっては大切な出来事の一つだ。決して色褪せることのない、戦闘の記憶。この先も多分、忘れることはないだろう。
でも、ラトは何を言っているんだろう。
僕に竜騎士としての才能がある? そんなことあるわけないだろう。だって、僕はただの『レベル2』のランクの竜騎士だ。『レベル2』のランクを持つ竜騎士は、それこそ、泡のようにたくさんいる。まぁ確かに十五歳で『レベル2』というのは、結構腕の良い証拠かもしれないが、この先、とんとん拍子に昇進していくとは思えない。
そこで、僕は黒竜の言葉を思い出した。
あの竜も僕には力があると言っていた。その根拠は分からないけれど、僕には竜を扱うことの才能があるのだろうか? 否、傲慢だな。そんな考えは捨てなければならない。自分には才能がある。こんな根拠のない感情の高鳴りは、それこそ、戦闘中の死に直結する。あくまでも冷静に物事を見なければならない。
そうしなければ、竜騎士として生きていくことは難しい。僕はそう思っている。だけど、ラトとあの黒い竜はそうは思っていないみたいだ。
「最初の戦闘」と、ラトは言葉を継ぐ。「お前は一騎撃墜したんだ。初陣で、敵を撃墜することのできる竜騎士は少ない。私はお前の前にも、数名の竜騎士を背中に乗せたが、お前のような力はなかった。お前は冷静沈着で、それでいて高い竜を扱う技能がある。その点は自信を持っていいだろう」
「たまたまだよ。戦闘の撃墜数なんて、偶然の賜物だ。僕は自分に力があるとは思えない。どこにでもいる『レベル2』だよ」
「そんなことを言うなよ。お前はきっと、腕の良い竜騎士になる。その時乗るのは私ではなく、新しい竜だ。今日、ギルドへ行ったんだろう。私の後継者をそろそろ探した方がいいだろう」
「ど、どうして……。僕はずっと君といたい」
「それはできない相談だ」
「誰かに言われたのか?」
「鋭いな。誰かに言われた。それもあるが、自分でも体力の衰えを感じている。前々から思っていたんだ。私の体力は、既に全盛期の半分以下になっている。もう昔のように、縦横無尽に飛び回ることは不可能だ。魔法を放つ時間も、前は一秒を切っていたが、今は一秒を超えてしまう。体がいうことを聞かないんだよ」
「だ、だけど」
「パルラ。黒い竜に乗れ」
「黒竜に?」
「そうだ。お前は乗れる。私が保証する」
そこで僕は、今日、ギルドで出会った、あの黒竜を思い出す。あの竜は僕を新しい乗り手として迎え入れるつもりでいるんだ。それが現実のものとして現れようとしている。しかし、僕の感情は、そんな簡単に竜を乗り換えられるほど、軟なものじゃない。
「今日、」僕は囁く。「ギルドの竜の施設に、黒い竜がいたんだ」
「ギルドに黒い竜が? 珍しいな」
「あぁ。その竜は何故か僕の名前を知っていた。それだけじゃない。君の名前も知っていたんだ」
「…………」
ラトは不自然に黙り込んだ。その仕草を見る限り、何か知っているような気がしてならない。一体、何を知っている? 否、隠しているのか?
あの黒い竜は完全な黒色をしていなかった。ダークグレーと現した方が正しい。
グレー。
それは黒と白を混ぜた色だ。
それはつまり――。
「ラト、知っているのか?」
と、僕はラトを問い詰める。きっと何か知っている。僕はそう察した。
「その竜が何故、お前のことを知っていたんだと思う?」
ラトは答える。そして円らな瞳を僕に向ける。少しだけ潤んでいるようにも見える。竜が涙を流すのは、あまり見られる行為ではない。
「黒竜はテレパシーだと言っていたけど、そんなことはないだろう。となると、事前に僕のことを知っていたということになる」僕は持論をさらに展開させる。「僕は黒い竜に会ったことがない。だから、あの竜がどうして僕のことを知っていたのか、その理由は分からない。だけど、考えられるのは、黒竜が間接的に僕のことを誰かから聞いたということだ」
「鋭いねぇ。流石はパルラだ。その通りだよ」
「何を言ってるんだ? 君は何か知っているんのか?」
「その黒い竜は私のことも知っていたと言ったな?」
「あぁ」
「その理由は簡単だ。黒竜の名前を憶えているか? 彼奴の名は『ナーガ』と言っていただろう」
僕は固まる。
どうしてそれを知っているんだ。
「な、なんで」僕はもごもごと口を動かす。それしかできなかった。「どういうことだ」
「理由は簡単だよ」ラトは満足そうに言う。「ナーガは私が産んだんだ。つまり、私の子供ということになる」
「こ、子供……」
「そう。私が若い頃、唯一産んだ竜、それがナーガだ。相手の竜は黒竜。だからナーガはダークグレーをしているんだ。完全な黒ではないのは、私の白い遺伝子が少しだけ作用したんだろう」
ということはつまり、テレパシーではなかったということだ。あの竜は、事前にすべてを知っていたということになる。でも、なぜギルドへいたんだろう? それだけが謎だ。通常、ギルドへは黒い竜はいない。なのに……。
その答えが分からないまま、僕は決死の戦闘作戦に突入することになる。
『作戦名――。敵戦艦ヴァルカン、殲滅作戦、コードA001』
僕はラトの背中に乗り、出撃の時間を待っていた。
ラトの背中はいつもよりも、冷たく感じられる。戦いの前の脈動をヒシヒシと感じながら、僕の心は、疑心感に満ちていた。それは、ラトを喪うのではないか? という恐怖である。ラトを喪った時、僕は自分の精神を上手くコントロールすることが出来るのだろうか?
否、できない。
そんな風に感じられる。ラトの考えは、この戦闘の終結後、引退するということである。確かに、ラトの体力や精神力の衰えは感じている。それでも僕は、ラトに乗っていたかった。戦闘に行けば、いつ死ぬか分からない。ならば、竜を常に完全な状態に置きたいと思うのは、一般的な心構えかもしれない。
でも、僕はそんな風に感じない。
ラトと別れるのならば、今回の戦闘を最後にすれば良い。それはどういうことか? 今作戦は激しい戦闘が予想される。となれば、戦死する竜騎士も多いであろう。特に相手の大将には、『レベル4』のランクを持つ、超一流の竜騎士がいるのだから。
この戦闘でラトと共に死のう。
と、僕は考えていた。つまり、心中。ラトと別れるくらいなら、ここで死んだ方がましであると感じられる。僕は命への執着が少ない。それは人にも言われるし、最近、自分でもそう感じることが出来ている。
死。それは戦闘を行う者であれば、常に心のどこかで考えておかなければならない重大な問題だ。戦闘を行う関係上、必ず死というものは背中に潜んでいる。一瞬の油断が死に直結することだってある。
だけど、別に構わない。
竜騎士はどこから来て、どこへ行くのか? 何故、自分は竜に乗っているのか? そんな自己のアイデンティティを、まざまざと感じさせる。答えなんてきっとない。第一、竜騎士の目的なんて、難しく考えるべきではないだろう。ただ、敵がいる。この場合、敵というのは、スーヴァリーガル帝国のことだ。
同じ人間。そして竜騎士。違うのは、自分が背負っている国ということだけ。それ以外は、僕と同じだろう。相手だってきっと死にたくないだろうし、家族や友人、あるいは、恋人がいる人間がいるだろう。人の命は尊い。だから尊重されるし、皆、大切に扱おうとする。
けれど、それって正しいのだろうか? 命は確かに大切に扱わなければならないかもしれない。でも、大切に扱うがあまり、戦闘行う上では、マイナスになることだってあるだろう。命を喪うのが怖くなり、敵に背中を見せれば、竜もろとも、闇に葬り去られることになるかもしれないだから。
「パルラ」と、ラトが言った。「何を考えている」
「なんだと思う?」
と、僕は尋ね返す。
「余計なことは考えなくていい。今は戦闘のことだけを考えるんだ」
「分かってる。だけど」
「私のことか?」
「うん」
「私がこの戦闘を最後に、引退しようとしていることを、まだ気にしているのか? それは仕方のないことだ。竜にも人間にも『旬』というものがある。私はその『旬』が過ぎたのだ」
「旬が終わっても、美味しい食べ物はあるよ」
「竜は別だ。常に最新の状態にしておかなければならない。つまり、老いた竜は速やかに引退し、竜騎士は新しい竜を迎え入れる必要がある。それが、今、まさにこの時なのだ」
「それは分かってる。でも、感情の問題だ」
感情。
そう、僕はラトを喪いたくないのだ。ただ、単にずっと一緒にいたいだけだ。そう思うことが、どうしていけないことなのだろう。竜の背中に乗り、戦闘を行う。例え、老いた竜であっても、戦闘を行うことは可能だろうし、相手を倒すことだってできるだろう。問題は、やる気だ。
やがて、第一種戦闘態勢の命令が下される。竜騎士たちの間に、一斉に緊張が訪れる。僕ら、プリオル竜騎士団も戦闘態勢に入る。そして、数秒後、出撃命令が発せられる。一斉に僕ら竜騎士団は空を飛ぶ。ケントゥリオンがいないから、今日は六人体制であった。プリオルを先頭にピラミッド型のフォーメーションを取る。僕は三列目の左側に陣取る。
空は青く澄み渡っている。スカイブルーだ。戦闘という行為がなければ、きっと穏やかにピクニックが出来るくらい、静かなものだった。戦争は人の心を容易に変えてしまう。普通の人間が残酷になるし、死というものが恐怖を生み、正常に思考することを、阻害してしまう。
戦争を行うことは、果たして正しいのだろうか?
否、どうして僕らは、スーヴァリーガル帝国と戦争を行っているのか? 先に仕掛けてきたのはスーヴァリーガル帝国の方だ。僕らはそれに追随したに過ぎない。話し合いで、解決することはできなかったのだろうか?
上層部の考えで、戦争は引き起こされる。同時に、戦うのは上層部の人間ではなく、僕らのような下っ端の戦闘員たちである。命を脅かされ、戦闘を行うことは、常に立場のよ弱い人間なのだ。それを偉い人は知っているのだろうか?
知っていながら、戦闘を行えと命令を下すのだ。
人を殺すことはいけない。これは誰だって知っている、当たり前の理だ。人は死ぬから尊い。そしてどんな人間にも生きる理由があるし、権利がある。その権利を人が奪ってはいけない。負の連鎖により、恨みや嫉みが発生することだってあるし、やっぱり、大切な人を喪うことは、人に大きなダメージを与える。
でも、僕には悲しんでくれる人間がいるのだろうか?
(いないな)
と、僕は、一人ごちる。
僕に家族はいない。父親はどこに行ったのか分からない。母は遠い昔に亡くなっている。自分がまだ物心つく前の話だ。もちろん、兄弟はいないし、親戚だっているのか分からない。つまり、僕が死んでも悲しでくれる人間はいないということだ。それは寂しいことなのか? 自分が死んだ後、悲しんでくれる人間がいるか、いないか、なんて戦闘を行う者としてはどうでも良い。だって、死んだらただの躯になるだけだし、きっと何かを考えることだってできない。
よく、小説や映画なので、死後の世界が表現されることがあるけれど、あれはフィクションだ。死んで、魂になって、自分のことを俯瞰することなんて、きっとできないだろう。死ねばそれまで、暗黒に身を焼かれ、何も感じなくなる。電池の切れたロボットのように、動かなくなるだけだ。
だから、死んだ後のことなんて考える必要はない。
「パルラ」
と、ラトは言う。「集中しろ」
「うん」と、僕は答える。「ごめん」
空を飛んでいると、気分は幾分か鎮静化された。いつもとは違う心境。いつもは、こんなに感情が高鳴ったりはしない。やはり、ラトを喪うということが、どこまでも尾を引いているように感じられる。
やがて、僕らプリオル竜騎士団は戦闘態勢に入る。敵戦艦、ヴァルカンを発見し、それを攻撃するのだ。もちろん、相手だってそれを黙ってみているわけではない。ヴァルカンからは、これでもかと、言わんばかりの数の竜騎士たちがあふれ出してくる。腐った食べ物に集る蠅のように……。
穏やかだった空が、急激に変わる。忽ち戦闘状態に入り、激しい攻防戦が繰り広げられる。僕らプリオル竜騎士団も戦闘に参加する。
「隊列を崩す。皆、それぞれ敵騎を撃墜すること。健闘を祈る」
と、プリオルの言葉が無線から飛び交う。
基本的に、竜騎士の戦闘は孤独なものである。隊列を組んだまま戦闘を行うことはほとんどない。敵騎と一対一、それが基本なのだ。僕はラトを動かし、敵の戦艦に向かう。今回の作戦は、あの敵戦艦、ヴァルカンを沈める事にある。ヴァルカンは巨大な戦艦であり、一〇〇〇名以上の乗組員や竜騎士がいる。
あれを叩くことができれば、アルヴェスト王国は、今後の戦闘をより、有利に進めることが出来るだろう。
「敵のお出ましだ」
と、ラトが言った。
僕は前方を見据える。そして、ラトと僕をつなげる、手綱を強く握りしめる。
敵騎の竜は、僕と同じ白竜だった。ランクは分からないし、頭部を保護するヘルメットを被っているから、年齢も不明だ。敵竜騎士は僕に向かって魔法を放つ。『カミナリ』の一撃が僕の頬すれすれに飛んでくる。
的確な攻撃。敵はかなりのやり手であると、感じられる。僕も呪文をもって、迎撃態勢に入る。ラトを巧みに動かしながら、呪文を詠唱する。向こうがカミナリならば、こちらもカミナリで応戦する。
ラトのカミナリと、敵のカミナリが交錯する。この場合、威力が高いほうが、勝つことになるが、どうやら、相手のカミナリの方が優勢のようだ。僕の攻撃を打ち破り、第二、第三の攻撃が飛んでくる。
やはり、ラトは衰えている。
格下の竜騎士との戦闘が多かったため、その事実に中々気づくことがなかったけど、同量の技術、あるいは格上の竜騎士と戦う場合、衰えを急激に感じることが出来る。きっと、ラトもそのことに気付いている。
カミナリがダメなら『アクア』がある。水系統の魔法なら、相手のカミナリの特性を上手く利用して、攻撃力を高めることが出来る。
僕は旋回し、そして敵竜騎士に向かって、『アクア』の呪文を放つ。
……、コンマ数秒の時間のズレがある。攻撃のタイミングはばっちりだったが、魔法が放たれるまでの時間が、僕が考えているよりも遅かった。よって、攻撃は簡単に避けられてしまう。
(不味いな)
と、僕は考える。敵の攻撃を掻い潜りながら、必死に反撃のチャンスを待つ。敵の嵐のような攻撃を避けるだけで精一杯だ。でも、どこかに反撃の糸口は存在する。それにこちらにはまだ切り札がある。
切り札。それは『ビースト・モード』である。
竜を野生化させ、数分間、通常の攻撃力の倍の力を出すことができる。攻撃力が上がる分、防御力は極端に落ちるが、スピードは増す。きっと、衰えた力を補うことが出来るだろう。当然、ビースト・モードが終わった時の反動はすさまじい。その後の戦闘は不可能になるくらい、疲弊することになる。つまり、諸刃の剣ということになるのだ。
普段、僕はビースト・モードを使うことはない。竜に対して負担がかかるし、コントロールすることが難しくなるからだ。でも、今はそんなことを言っている暇はないかもしれない。急がなければ、やられてしまう。
「パルラ! ビーストを使え」
と、ラトは言う。
どうやらラトも、僕と同じことを考えているようである。僕は咄嗟の判断で、ビースト・モードを展開する。
忽ち、ラトの体がめきめきと音を立てながら変化していく。野生への進化だ。穏やかそうに見えた顔は、ドギツイ、野生の竜へ変わる。スピード、パワーが一気に上がる。これで、年老いた分の体力の衰えをカバーすることができるだろう。
僕は手綱を掴み、そして一気呵成に攻撃をしかける。
ビースト・モードになったラトは話すことが出来なくなる。コミュニケーションは手綱しかない。それもかなり拙い。野生化した竜は扱いが酷く難しくなるのだ。だけど、僕には、そんなことはお構いなしだ。どんな状況だって、僕は巧みに竜を乗りこなしてみせる。
敵、竜騎士は僕のビースト・モードを前に、急激に臨戦態勢に入る。一連の流れを見る限り、敵はそれなりの経験を積み、確かな技術を持っているように感じられる。恐らく、僕と同じ『レベル2』あるいは、『レベル3』のランクを持っているに違いない。そうでなければ、ここまで流動的に竜を扱うことはできないだろう。
野生化したラトを、僕は懸命に操る。そして、「カミナリ」を放つ。通常、ビースト・モードになると、自分の命令を竜は聞かなくなる。だけど、どういうわけか、僕の言うことをラトは聞く。上手く乗りこなすことが出来るのだ。
パワーアップしたカミナリが敵竜騎士に直撃する。
素早く流れるような攻撃であったため、敵騎は避ける暇がなかったのである。カミナリの一撃を受け、竜は断末魔の叫び声を上げながら、地表に向かって落下していく。相手、竜騎士は竜を捨て、パラシュートで脱出を図る。
僕はその竜騎士に向かって照準を合わす。この場で敵竜騎士を生かしておくことはできない。しっかりと竜騎士を叩くことが出来なければ、竜騎士は失格であろう。でも、白旗を上げた竜騎士を打つことは、本当に正しいことなのだろうか? 敵は完全に丸腰である。
特に、パラシュートで落下している時間は、何もすることが出来ない。ただ、地表に到達するのを待つしかない。落下の時間はそれほど長くはないが、それでも、相手に狙われているという状況を鑑みると、永遠のように長く感じるかもしれない。
カミナリを敵竜騎士に向けて放つ。通常なら、これで完全に勝負ありだ。しかし、そうはならなかった。僕のカミナリの攻撃を打ち消した人間がいる。
完全にとらえたと思った攻撃を、あっさりと打ち消されたために、僕は驚きで目を大きく見開いた。
(黒竜)
そう。目の前には黒竜が見える。
邪悪で漆黒に光る、黒い竜。戦闘中、初めて出会った黒い竜だ。ということはつまり、竜騎士は、
(レベル4、ラリウス)
ヘルメットをかぶっているから中身は見えないが、それは間違いないように思えた。
巧みな攻撃と、防御。その流れは、出来の良い映画を観ているようにうっとりとさせる。恍惚とまではいかないが、攻撃が酷く芸術的に感じられるのだ。これがレベル4の成せる業なのだろうか。
黒い竜は僕に襲い掛かってくる。
どうするべきか? 幸いなことは、未だにビースト・モードを展開しているということであろう。恐らく、あと三分はビーストでいることが出来る。戦闘中の三分は長い。これだけあれば、相手を沈めるには十分である。でも、敵は『レベル4』であり、初めて交戦することになる。
果たして、どれだけの技術や体力があるのだろうか? まったく見当がつかない。もしかしたら、一瞬でやられるかもしれないし、『レベル4』という名だけが独り歩きし、伝説化しているだけで、中身は大したことがないのかもしれない。
そうこう僕が考えていると、敵竜騎士は攻撃を仕掛けてくる。見たこともない、魔法だ。
電撃と、炎が入り混じったような攻撃。それにスピードもかなりある。僕はすぐにラトを動かし、その攻撃を避ける。避けるだけで精いっぱいであり、僕は視線を敵竜騎士から外してしまった。
外してしまったといっても、その時間はほんの僅かだ。きっと、三秒程度であろう。それだけ僅かな時間、否、レベル4を前にした場合、この三秒は命取りになるくらい、長い時間なのかもしれない。
僕が気づいた時、ラリウスは目の前にはいなかった。
(ど、どこへ?)
僕は焦る。
そして、後方に圧倒的なオーラを感じた。
僕とラトが翻るよりも早く、再び、得体の知れない攻撃が飛んでくる。恐ろしく流動的で、そして的確な一撃がラトに直撃する。
衝撃が大きい。ビースト・モードを展開している関係上、防御力は普段に比べて、格段に落ちてしまうのだ。故に攻撃を受けたラトは、酷くダメージを負っているようである。このままではラトもろとも、地表にたたきつけられる。
ジ・エンド。その文字が僕の脳裏を霞める。
このまま死んでしまうのか?
分からない。
(死にたいのか?)
僕は自分に問うた。命は大切にしなければならない。でも、この終わりのないような戦争に主従するくらいなら、ここで死んだ方が、幸せなのかもしれない。僕はラトの手綱を掴んだまま、なんの抵抗も見せずに、ただ、漠然と落下していく。ラトと共に、命を終えるのなら、それは本望だ。
だが、ラトはそう考えていないようであった。落下中、ラトは目を覚ましたのだ。ビースト・モードは既に解除されている。つまり、その反動が体中を襲っているだろう。攻撃力はガタ落ちになるし、防御力だってザルになる。おまけにスピードだって衰える。年老いたラトの体力を考えると、最早、勝負はあった。
ただでさえ、敵は『レベル4』のランクを持つ、竜騎士ラリウスである可能性が高いのだ。そんな竜騎士を前にして、衰えた竜が攻撃を仕掛けても、それは成功しないように思える。しかし、ラトはそう考えていない。この圧倒的な劣勢状態であっても、どこかで勝機を探している。
「パルラ。聞こえるか?」
と、ラトが言った。
もちろん聞こえる。ラトの声はかなりか細く、老衰した老人のような声だった。つまり、残された命はあまり多くないということだ。
「聞こえる。なんだ?」僕は答える。
「最後の一撃を放つ。呪文を唱えてくれ」
「最後?」
「そうだ。そしてこのままではこちらはやられる」
雲の隙間を縫うように、僕らは落下していく。どんどんと地面が近づく。
「何の呪文を唱える?」
「カミナリだ。そして、これから言う、私の作戦を遂行するんだ。それが、この場を打開できる唯一の作戦だ」
「どんな作戦なんだ?」
僕が尋ねると、ラトは速やかに作戦を話して聞かせた。
その作戦を聞き、僕は心を鷲掴みにされるような感覚を覚えた。そんなことはできない。だけど、今は文句を言っている暇はない。どうしてだろう。僕は生きたいのだろうか? 死にたがりと言われた僕が、生にしがみ付いている今の感覚は、本当に正しいのか? これが僕のあるべき姿なのだろうか?
「パルラ! お前は生きろ」
と、ラトは言う。
生きる……。
死ぬ……。
その天秤の上で僕は激しく揺れていた。雲の隙間からこちらを狙っている、敵の竜騎士の姿が見える。敵はこちらに気付いている。当然、とどめの一撃を放ってくるだろう。そうなる前に、
『カミナリ』僕は落下しながら、巧みに呪文を唱える。そして、ラトの口から『カミナリ』の一撃が放たれる。それと同時に、僕はラトが話した作戦を遂行する。それが僕に課せられた使命であるように感じられたのだ。
直線的な攻撃である『カミナリ』の一撃が、雲の隙間を貫くように、発せられる。相手、竜騎士は簡単にそれを避ける。しかし、ここまでは予定調和だ。人は攻撃を避けたとき、一瞬ではあるが、油断する。それは『レベル4』のランクを持つ人間だって同じだ。
その間隙を突くのだ。
ラトの作戦はこうだ。
『カミナリ』の一撃を囮にして、僕が敵である黒竜の背後に回る。そして攻撃を仕掛けるのだ。竜を喪っても、攻撃をすることが出来る。銃を携帯しているからだ。でも、銃の攻撃は黒竜を前にすれば、それほど大きなものにはならないだろう。もしかしたら、掠り傷一つ負わせることはできないかもしれない。
だが、敵竜騎士を撃つことはできる。
僕は逆さまに落下しながら、雲の隙間から見える一瞬の隙をつき、銃の照準を敵竜騎士に合わせる。
(ラトの仇だ!)
雲が途切れ、敵の背中が見える。圧倒的なオーラを感じる。敵はかなり強大であることには違いない。僕は震える手で拳銃を持ち、そして敵竜騎士の背中に向けて拳銃を撃ち放った。
「パン!」
乾いた音が、無限の空に広がっていく。
ラリウスは背中に目がついているかのように、僕の攻撃を華麗に交わす。
攻撃を仕掛けた分、僕の位置が丸わかりになってしまった。敵は落下する僕のことを完全にとらえただろう。勝負は完全についた。僕の最後の悪あがきの攻撃は、功を奏すことはなく、ただ、無念の一撃に終わってしまったのである。
(ラト、ごめん)
僕は念じた。
同時に、ラトのことを探したが、ラトはどこにも見られなかった。ラトを喪った今、僕は生きる目的を消失したと言っても過言ではない。このまま落下し、僕は地面に叩きつけられ死ぬか、あるいは、敵竜騎士の一撃を受けて死ぬか、どちらかだろう。少なくとも、生きることはできないように思えた。
しかし、相手に撃たれることも、地面に叩きつけられることもなかった。何と、ラトが最後の力を振り絞り、僕の体を保護したのである。それと同時に、不可解なことが起きた。敵竜騎士が僕のことを完全に確認したのにも拘わらず、とどめの一撃を繰り出してこなかったのである。僕の顔を見て、酷く驚いているように見えた。
僕の視線と、相手竜騎士の視線が交錯する。
年は、きっと親子ほど離れているだろう。何となくだけど、僕はそんな風に感じた。
そして、落下していく中、僕はラトの体に包まれながら、気を喪った。
意識を取り戻したとき、僕はぼんやりと、うっすらと濡れている地面の上に転がっていた。高度はどれくらいなのか、分からないが、落下したことは覚えている。その最中、意識を失ったため、死を意識したのは間違いないが、今、こうして生きていることを鑑みると、何か奇跡のようなことが起きたのかもしれない。
体の痛みはない。僕はゆっくりと立ち上がる。そして、まざまざと現実を垣間見る。
(ラト……)
僕が倒れていた場所の近くに、ラトが寝っ転がっている。寝っ転がっていると、形容することは、多分、適していないだろう。ラトは死んでいる。体の至る所から血が噴き出し、地面には水たまりのように、血だまりができている。
僕はそこで、すべてを察した。僕が落下し、けれど、生きていているのは、ラトの体に守られたからであろう。ラトが身を挺して、僕のことを守ってくれたのだ。自分の命を捨ててまで。
「竜に感謝するんだな」
不意に、前方から声が聞こえた。そして足音も、土を擦るような独特の足音である。
僕は咄嗟に臨戦態勢に入る。といっても、武器となるものは何もない。携帯している小型のナイフがあるが、これでは正直、武器としては心もとない。相手は何者なのか? それを見極めることが肝心であろう。
現れた人物は、スーヴァリーガル帝国の軍服を着ていた。黒地に黄色の側章がはいったユニフォーム。僕は戦場で、何回もその軍服を見ていたから、見間違うことはないだろう。同時に、オペラでも始めるかのような、漆黒の仮面をかぶり、手には黒革の手袋をはめている。
目の前に現れた人物は確実に、スーヴァリーガルの人間だ。同時に、絶対的な窮地に陥っていることは、間違いないのかもしれない。でも、どうすれば、
「慌てるな」
と、とりなすように、仮面の男は言った。
声を聴く限り、現れた男は、四〇歳くらいの壮年の男性であると思える。今まで会ったことはないはずなのに、何かこう、懐かしい印象を覚える。何故なんだろうか。
男は、僕が愕然としていると、横に立ち、躯になった竜の背中を撫でた。
「いい竜だ。常に竜騎士のことを考え、身を挺してまで、主人を守るとは、中々できることではない」
「あ、あんたは誰だ?」
と、僕は絞り出すように言った。
この仮面男の目的は一体何なのか? 胡乱な目つきで、僕は男を見つめる。けれど、男はその視線を楽しむかのように、僕を見定めた後、制服の胸ポケットからタバコを取りだし、それを旨そうに吸った。
紫煙が界隈を覆い、それが線香から放たれる煙のようにも感じられる。同時に、ラトへ向けての、焼香にも思えるではないか。
「俺はラリウス。ラリウス・エトルリカ。スーヴァリーガルの竜騎士だ」
ラリウス。
僕はその名前を聞き、大きく目を見開いた。
漆黒の竜騎士。邪王と呼ばれる竜騎士だ。そんな半ば、生きる伝説と化した竜騎士が、何故、僕の目の前にいるのだろうか? つい先ほどまで、戦闘を行っていたことを考えると、とどめを刺しに来たと考えることができる。
僕はまた、死を覚悟した。
体は決して震えなかった。恐怖がないと言ったら、嘘になるけれど、この時の僕は至って冷静に物事を見ることができていた。
「僕を殺すのか?」
と、僕は言った。
すると、ラリウスは煙草を再び大きく吸い込み、そして、答えた。
「殺すか? お前は死にたいのか?」
「別に構わない。ここは戦場だ。竜騎士として、戦闘に敗れれば死ぬしかないと考えるのは当たり前だ」
「お前、名前は?」
「それを聞いてどうする?」
「どうもしない。ただ、俺が名乗ったんだ。お前も名乗るのが、普通じゃないか?」
「僕は、パルラ。アルヴェスト王国の竜騎士だ」
「パルラ」
繰り返し、名前を呟くラリウス。彼は僕の名前をどこかで聞いたことがあるように、まじまじと呪文のように繰り返している。
僕はラリウスに会ったことはない。でも、ラリウスはどこかで僕を見ている。そんな気がした。僕には前述のとおり、両親がいない。そして、プリオルに拾われたと聞いている。だからこそ、幼くして、自分の不幸な境遇を感じることになったし、生きることに中々希望が持てないでいたのだ。
きっと、竜騎士になったのも、そんな負の感情が大きく支配したからかもしれない。ラリウスは吸っていた煙草を地面に押し付けると、今度は、指を笛代わりにして、「ピュー」という音をあげた。
途端、奥の藪の中に隠れていた黒い竜が姿を現す。体調は四m近くあるだろう。大型のがっしりとした竜だ。
僕は、これだけの黒竜を目の前で見たことはない。大きな竜になればなるほど、扱いは難しくなるし、乗りこなすことが大変になるからだ。故に、通常の竜騎士は大体、二mから三mに届かないくらいの竜に乗るのが一般的である。ラトも体長は二m半、そして、雌の竜である。
雄の竜の方が力は高いが、その分、凶暴になりやすく、乗りこなすことが大変である。故に、『レベル2』や、『レベル1』の竜騎士たちの多くは、雌竜に乗ることが多い。
「な、何をするんだ?」
僕の言葉はカラカラに乾いていた。水分が足りていない。言葉が上手く発せられないような気分だ。
ラリウスには、僕の言葉が当然、届いているはずである。しかし、彼は何も言わずに、淡々としている。黒竜を自分の前まで、呼び寄せ、そして、太い竜の腕を使い、地面に大きな穴を開けた。
一撃で、深さ二mほどの穴が開いた。そして、もう一撃。さらに一撃。
まるで隕石が墜落したかのような巨大な穴が、僕の目の前に広がった。僕が固唾をのんで見守っていると、ラリウスは、再び、黒竜に命令をし、なんと、ラトをたった今開けた穴の中に入れたのである。
いわゆる土葬というものだ。
竜は死ぬと『竜岩』という現象が起こる。人が死ぬと、死後硬直が起きて、固まるように、竜も岩のように固まるのである。人間と違うのは、一度竜岩が始まると、硬直が解けないということだ。だから、英雄たる竜を祀る場合、この竜岩を利用し、石像化させることが見受けられる。
墓石の代わりに、竜岩により、硬直した竜をそのまま利用するのである。僕はそんな竜たちを幾度となく見てきたし、ケントゥリオンの竜、ハリオも、竜岩により、墓場に葬り去られたということを聞いている。
「ここは一応、スーヴァリーガルの領地だからな。敵国の竜を竜岩させたまま、放置しておくことはできない。だから土葬する、良いな?」
「なんで、そこまでしてくれるんだ?」
「竜に敬意を払うのは、竜騎士としては当然だ。しかし、驚いたな。俺の黒竜が全く暴れたりしないのは、お前には竜を扱う才能があるのかもしれない」
「才能があれば、僕はラトを失ったりしない」
「ラト、それがこの竜の名前か?」
「うん。僕が竜騎士になってから、ずっと一緒だったんだ」
「そうか」
ラリウスと黒竜は、ラトを完全に埋めた。ラトとの今生の別れ。まさかこんなに簡単にやってくるとは思わなかった。ラトは自分の死を予言していた。そして、僕の新しい竜として、黒い竜を迎え入れることを推奨していた。だけど、僕は……、ラトを失い、二度と竜には乗りたくはなかった。
軍人をやめる。
否、今さらやめることはできない。深入りしているし、今からやめると、色々な生活上の制限がつくことになる。だからと言って、再び竜に乗ることは、ラトを思い出してしまいそうで、僕の精神をチクチクと刺激してしまう。
「僕をどうして殺さない?」
と、僕は再び言った。
対するラリウスは、この状況を楽しんでいるのか、にっこりと笑いながら、僕のそばまでやってきた。僕はさっと身構えるが、ラリウスは僕の頭にポンと手を当てながら、
「俺は殺さないよ」
「なぜ?」
「才能ある竜騎士を殺すことは忍びないからね」
「才能? 僕には才能はないよ」
「そんなことはない」
「どうしてさ?」
「イスカリオを見てみろ。イスカリオというのは、この黒い竜だ」
僕はサッとイスカリオを見る。
漆黒の竜。
僕と、ラトを攻撃した竜。
つまり、僕にとっては仇になる竜だ。
だからと言って、僕には何もできない。丸い円らな瞳を見てみると、殺戮を繰り返している、邪王という名がついた竜には思えなかった。子供のような純粋無垢な瞳をしているのである。
「イスカリオは基本的に俺と、懇意にしている飼育員にしか懐かない。けれど、不思議なことに、お前には懐いている。これがどういうことかわかるか?」
「分からない」僕は呟く。「僕に竜を扱う才能があるっていうのか?」
「その通りだ。ヴィンターヴルを知っているか?」
つい最近、プリオルから聞いた言葉だ。
竜を扱う天才的な人物を形容する言葉。
そんな伝説のような能力が、僕に宿っているとは思えない。けれど、ラリウスはそうは考えていないようである。
「乗りな」ラリウスは黒竜の背中に乗り、そして僕に向かって、手を刺し伸ばした。「一旦、スーヴァリーガルの首都アクラリウムへ行く、そこから大きく迂回して、アルヴェスト王国に戻るんだ」
「どうしてそこまでしてくれるの?」
僕は当然の疑問を吐いたが、ラリウスはそれには答えなかった。僕は初めて黒い竜に乗り、その体温や脈動を感じながら、そして、スーヴァリーガル帝国の首都、アクラリウムへと向かった。
無論、正規のルートからスーヴァリーガルの軍部に入ることはできない。入るためには、捕虜になる必要があるが、ラリウスは僕を捕虜にするつもりはさらさらないようである。一旦、僕を軍部から離れた住宅地へと下すと、とあるアパートの一室を開け、その中に僕を入れた。
「ここで、待ってろ。三〇分ほどで戻る」
あまりに唐突なことなので、僕はいささか面を食らった。つい先ほどまで、命のやり取りを行っていたとは思えないくらいの変わり身である。
アパートの一室には、どうやら誰かいるようで、キッチンの方から、食べ物を良い匂いがしてきた。
「ニーチャ。こいつを少し匿ってくれ」
と、ラリウスが言った。
ニーチャと呼ばれたのは、細い体つきをした三〇歳くらいの女性だ。こうした状況に慣れているのか、ニーチャは特に驚くようなことはせず、「あいよ」と一言告げただけであった。
その後、ラリウスは外へ飛び出し、竜に乗ってどこかへ去ってしまった。たちまち、室内には、僕とニーチャの二人が残される。僕は決して社交性の高い人間であるわけではないから、この唐突に訪れた状況を、どう打開するべきか迷っていた。
しかし、
「こっちへ来て座りなよ」
と、ニーチャが言った。僕は言われるまま、キッチンの脇になるダイニングへ座り込んだ。ダイニングの広さは一〇帖ほどだろう。つまり、それほど広くはない。中央には革張りの年季の入ったソファが置いてあり、目の前にはオークのローテーブルがある。ちょうど、今日の新聞が置いてあった。
僕は言われるままにソファに腰を下ろす。柔らかい中にも、しっかりの硬さのある座り心地の良いソファだ。ダイニングの左側の壁には、大きな出窓があり、そこから日光が燦々と降り注いでいる。つい先ほどまで、戦闘をしていたことなんて忘れてしまうくらいに……。
ニーチャは僕がソファに座ったことを確認すると、キッチンへ向かい、そこでお茶を沸かし始めた。微かだが、紅茶の匂いがする。僕はこの後どうなるんだろうか。考えるのはそればかりだ。
敵国にやってきて、まったく会ったことのない人の家に行く。こんなことが考えられるだろうか。否、今、考えるべきことは、
(ラト)
そう、我が愛竜。ラトの死についてだ。
ラトは確かに死んだ。これはもう、避けようのない事実である。僕はラトを喪ったんだ。そう考えると、僕の精神は鬱屈としていく。もう、このまま死んでも良いような気がするんだ。でも、
「僕をどうするんですか?」
と、僕は言った。
ちょうど、ニーチャがキッチンから、熱々の紅茶をカップに注ぎ、それをダイニングに持ってきたところであった。
ニーチャはにっこりと笑みを浮かべ、そして、紅茶を僕の前に置き、
「さぁ。でも取って食おうってわけじゃないから、安心しなさいな」
と、告げた。
いっそのこと、取って食われたとほうが、良いような気がしたが、僕はそのことを声には出さなかった。紅茶の良い香りが僕の鼻孔をくすぐる。
「ここはどこなの?」
と、僕が言うと、ニーチャが自分の分の紅茶に口をつけ、そして答えた。
「分からない。あの人が帰ってきたら、分かるんじゃないかしら」
「あの人?」
「えぇ。つまり、ラリウスのこと」
「ラリウスとどういう関係なんですか?」
「私はラリウスの家政婦をしているのよ。結婚してるわけじゃないの」
ニーチャはそう言うと、くすくすと笑った。
僕には、彼女が何故笑っているのか、分からなかった。ただ、命を取られるわけではないし、捕虜として拘束されるわけでもないことが分かった。それにしても、ラリウスは不思議な竜騎士である。どうして僕を、わざわざ生かしたのだろうか? 彼は僕のことを、才能ある竜騎士であると告げていた。
その事には些か異論がある。僕は決して腕の良い竜騎士ではない。ラトを喪った今、僕はもう、竜騎士として戦場に出るつもりはさらさらないのだから。でも、そうなると、僕は一体どうなるんだろう?
僕は、僕の存在は、竜騎士だから認知されていたように感じられる。そう、僕から竜騎士の称号を取ってしまったら、後には何も残らないような気がするのだ。それは少しばかり寂しい気持ちであると思えた。
「あんた、まだ若いね。いくつだい?」
と、ニーチャは言う。
「十五です」と、僕は答える。
「十五で竜に乗るのかい。あんたはアルヴェストの人間だよね」
「そうです」
「どうして竜騎士になったんだい?」
「理由ですか? そんなものないですよ。僕は孤児なんです。だから生きるために、竜騎士になる必要があった。軍人になれば、衣食住は確かだし、いつ死んでも良いですから」
「老成しているね。いつ死んでもいいか、私も若い頃はそう考えたことがあったよ。でもラリウスに会って、それが変わったんだ」
「ラリウスは何故、仮面を被っているんですか?」
「深い過去があるらしいよ。あまり話そうとはしないけどね」
「ラリウスは一体何者なんですか?」
「天才竜騎士。黒い竜に乗りこなすことが出来るからね」
「そうですね。確かに高い戦闘技術がありました」
「ラリウスと交戦したんだね」
「そうです。あっさりとやられました。そして、僕は竜を喪った」
「何色だい?」
「白竜です」
「白か。私も昔、白竜に乗っていたよ。今は完全に引退したけれど、こう見えても、昔は竜騎士だったんだ。もう、十五年も前の話だよ」
十五年。言葉にすれば短いけれど、長い年月である。
人が成長する。あるいは、腐敗するには、十分すぎる年月である。アルヴェスト王国とスーヴァリーガル帝国の戦争は、かれこれ十五年は続いている。となると、ニーチャが竜騎士だった頃に戦争が始まったということになる。
彼女のような細身の人間が戦場に出ていたということが、どこか不思議に思えてならなかった。
「私も昔、」ニーチャは思い返すように呟いた。「ラリウスに助られたんだ」
「ラリウスに?」と、僕。
「そう、私が竜騎士だった頃、今の戦争が、ちょうど始まったばかりの頃だった。だから、戦線は激戦が多く、多くの竜騎士が命を落とした。私の戦友も多くが命を喪ったよ。ラーゼフォンの戦いを知ってるだろう?」
ラーゼフォンの戦い。
それは、このアルヴェスト王国とスーヴァリーガル帝国の戦争の第一幕と言っても過言ではない、戦闘のことだ。アルヴェスト王国の空域、ラーゼフォンで行われた激戦。多くの竜騎士が死に、そして、アルヴェスト王国がまずは勝利を収めた戦闘である。それが十五年前に行われた。僕はこの戦闘のことを、プリオルから聞いていたし、若き日のプリオルが戦闘に参加しているということを知っていた。
そんなラーゼフォンの戦いに従軍していたとは、世間は狭いものであると、感じられた。特に、傍目からみれば、か弱い女性にしか見えないニーチャが、竜に乗り、戦闘を行っていたとは、まったく思えなかった。
彼女は、白い竜に乗り、そして戦闘を行っていたんだ。それは確かなのだろう。今、彼女は戦闘を行っていないようであるが、それには、何か理由があるのだろうか? 聞いてみたい衝動に駆られるが、その心のトビラを、不用意に開けても良いものか? 僕は迷っていた。
しばらくの間、室内には沈黙が訪れる。
僕は視線を、テーブルの上に置かれた紅茶に注いだ。白い湯気が、煙のように立ち上っている。何て言うべきなんだろう。そうこう考えていると、ニーチャが次のように言った。
「私は戦闘を止めた。どうしてか分かるかい?」
さて、どうしてなんだろう。
考えられる理由はいくつかあるが、僕が導き出したのは、
「竜を喪ったからですか?」
と、言う理由であった。
対するニーチャは再び紅茶に口をつけた後、言葉を発した。
「そう、私は最愛の竜を喪った。だから竜騎士を止めたんだ」
「その気持ち、分かります。僕も愛竜である白竜を喪いました。もう、竜に乗るつもりはないんです」
「仇を討ちたいと思わないのかい?」
「仇ですか? それはつまり、ラリウスを殺すということですか?」
「そう」
ラリウスを殺す。
その時の僕には、どういうわけか、殺意は湧かなかった。ただ、漠然と状況を見つめていたに過ぎない。ラリウスに命を救われたということが、尾を引いているのかもしれない。いずれにしても、僕はラリウスに対して、感謝以上の気持ちを抱いていることは確かである。それが何故、発生しているのかは、分からないのだけれど。
「僕じゃラリウスは殺せない。一応、彼は僕の命の恩人ですから」
と、僕は言った。すると、ニーチャが、
「でも、あんたの竜を奪ったよね。それは憎くないのかい?」
「憎いと言われれば、憎いです。だけど、あまり感情が湧かないんです」
「ラリウスは多くの竜騎士の命を奪っている。死んだら完全に地獄行きだね。戦争があるから、彼は英雄でいられるけれど、戦争が無ければ、ただの殺人鬼だ。それも一流の殺人鬼、シリアルキラーになれる才能があるだろうよ」
どうして、ニーチャはここまでラリウスのことを愚弄するのだろうか? てっきり仲が良いかと思っていたけれど、それは違うようである。
「あんた、ヴィンターヴルだね」
と、唐突にニーチャが言った。
ヴィンターヴル。伝説の能力の名前。
そんな物語の中にしか現れない特殊な力のことを言われても、僕にはイマイチ、ピンと来ない。第一、僕にそんな力が宿っているとは思えないのだから。
「どうしてそう思うんですか?」
僕は問うた。
対して、ニーチャは、蠱惑的な笑みを浮かべながら、
「ラリウスと同じ匂いがするんだよ」
と、答えた。
ラリウスと同じ匂い。果たして、喜ぶべきか、あるいは悲しむべきなのか。それ以上に、これは褒めているのか、貶しているのかさえ不明だ。僕は唖然と口を開きながら、どう答えようか迷っていた。
「ラリウスはね」と、ニーチャ。「ヴィンターヴルなんだよ」
「それは分かります」と、僕は言う。「あれだけ巨大な黒竜を扱うんですから、並大抵の竜騎士じゃないことは確かですよ」
「あんたにも黒い竜は乗りこなせるよ」
「無理ですよ」
「そうかい。でも白い竜の仇を取るために、あんたはもう一度竜に乗ることになるだろうよ」
「もう、乗らないですよ。乗りたくない。ラトを、……ラトのことを思い出してしまうから」
「ラトって言うんだね。あんたの竜は」
「えぇ」
そう、ラトは二度と蘇らない。その事実が、僕の軟な心をズタズタに引き裂いていく。ラリウスが憎い。否、そんな風には感じない。怒りが風化してしまっていることが、僕には堪らず不穏に感じられた。
僕は憎き仇であるラリウスに対して、どこかこう、好意のようなものを感じているのである。
「ラリウスは」僕は言った。「どうして竜に乗るんでしょうか?」
「簡単さ」ニーチャは目を瞬かせながら、「ラリウスは贖罪のために竜に乗っているんだよ」
「贖罪のため?」
「そう、ラリウスは昔、奥さんを戦争で喪っているんだ。もう、遠い過去の話だけど。その時、生き別れた子供もいたそうだよ。ラリウスはこの時のことをあまり語らないけれど、自分が戦闘を行っている間に、家族は襲撃され、そして無残にも引き裂かれた。だから彼は戦争で多くの人間を殺すんだ」
「でも、僕のことを助けた。それは意味深なことですよね?」
「あんたを助けたのにはきっと理由がある。その理由が私には分かる」
そこに、どんな理由が隠されているのか、僕には皆目見当がつかなかった。同時に、自分がヴィンターヴルであるとは、どうしても思えなかったのである。仮に、僕がヴィンターヴルだったとすると、どうしてラトを喪うことになったのか? それが説明できない。竜を扱うことが天才的に長けている、ヴィンターヴル。
ならば、ラトを喪うことはなかったはずだ。だけど、現実は違う。僕はラトを喪い、そして戦線から離れようとしている。
「理由ってなんですか?」
と、僕はニーチャに尋ねた。
ニーチャはその言葉が、さも当然であると、感じていたようで、直ぐに答えてくれた。
「あんたのことを気に入ったのさ」
「気に入った?」と、僕。「僕はアルヴェスト王国の人間ですよ」
「それは分かってる。だけど、気に入った人間を殺すことはしないよ。特にラリウスはそんな人間だ。敵国の竜騎士であろうと、そんなことはお構いなしだ」
「どうして、ラリウスは僕を気に入ったんでしょうか?」
「それはね……」
今、まさにニーチャが質問に答えようとした時であった。静かに部屋のトビラが開け放たれた。外から、とある人物が入ってくる。もちろん、その人物とは、言わずもがな、ラリウス本人である。額に若干の汗を浮かばせながら、僕とニーチャの前までやってくる。
「ニー。余計なことを言うな」
どうやら、ラリウスはニーチャのことを、ニーと呼んでいるらしい。
ニーチャはというと、舌をペロッと出しながら、いたずらっ子のように笑みを浮かべる。僕と、ニーチャとの会話は、こうして打ち切られた。
「ニー。俺にも紅茶をくれ」
と、ラリウスが言うと、やれやれと言わんばかりの態度で、ニーチャはキッチンへ向かって言った。ダイニングには、僕とラリウスの二人だけになる。
二人の竜騎士、それも敵同士である人間が相対するのである。中々緊張感のある雰囲気が流れる。僕はどう言葉をかけていいのか迷っていた。お礼を改めて言うべきなのだろうか? それとも、ラトを殺されたことに対する呪詛を吐くべきなのだろうか。いずれにしても、僕にはこの場を上手く打開するような話術はなかった。
故に、黙り込む、そして沈黙に耐える。
ラリウスは僕のことを覗き込む。仮面越しに瞳が僅か見える。黒い竜が見せた。円らな瞳とそっくりであった。愛竜と乗り手は似てくるというが、それは本当なのかもしれない。ラリウスの目とイスカリオの目は、シンクロしている。だからこそ、上手くイスカリオを乗りこなすことが出来るのかもしれない。
「僕をどうするんだ?」
と、僕はそれだけを何とか絞り出した。
他に言うべきセリフは思いつかなったのだ。ラリウスはふと視線を僕から外し、そして、部屋のトビラの対面にある出窓の方へ注いだ。
外は良く晴れている。雲が多いけれど、その隙間から日の光が燦々と降りしきっているのが見える。穏やか空。こんな空の時は、竜に乗って、空を縦横無尽に飛び回りたい。そんな風に思えるのだ。
「どうもしないさ」と、ラリウス。「それよりもちょっと付き合ってほしい」
「付き合う? どうして?」
「少し話したいんだ」
ちょうど、ニーチャが紅茶を持って現れた。ラリウスは熱々の紅茶を一口、口に含むと、丁寧に味わうように、ゆっくりと飲み込んだ。
ラリウスが何を考えているのか、僕にはさっぱり分からなかった。敵国の竜騎士に対して、些か態度が緩すぎるように思えるのだ。きっと企みがあるのだろうと、僕は察したけれど、それ以上のことは分からなかった。
ラリウスは一気に紅茶を飲んだ。そして、立ち上がり、
「さぁ行こう」
と、声をかけた。
僕はというと、断る理由が見つからず、仕方なくラリウスについて行くことになった。
ラリウスはアパートの前にある竜の飼育小屋へ向かうと、そこから黄竜を一頭連れてきて、それに乗るように指示を出した。
僕とラリウスは黄竜に乗り、そして空を舞う。先程も言った通り、穏やかな空だ。黄竜は僕とラリウスを乗せ、そして羽ばたく。
飛翔時間は約五分。
僕らはとある岬へとたどり着いた。
僕は、スーヴァリーガル帝国のことをよく知らない。旅行で来たこともないし、戦闘中であっても、訪れたことはないのだ。なのに、この岬には昔来たことのあるような気がしてならなかった。
岬には誰もいなかった。その代り、石碑がポツンと建っていて、僕のことを見つめているようにも感じられた。
「ここは?」
と、僕は尋ねる。
ラリウスは黄竜を岬の脇へ止めると、竜を下りながら答えた。
「アステリア岬。昔、ここで多数の人間が殺されたんだ。ラーゼフォンの戦いの裏の顔」
「殺された?」
僕は思わず尋ね返した。
「そう。もう一〇年も前の話だ。アルヴェスト王国との戦争が始まった時、ここは激戦地区になった。竜による戦闘ももちろんあったが、地上戦が繰り広げられた場所でもあるんだよ」
「地上戦? つまり人間同士が戦ったってこと?」
「そうだ」
地上戦があったことは、僕は知っている。だけど、詳しい内容までは分からない。だけど、僕の拙い記憶では、多くの一般市民が犠牲になったという話だ。
「ここで、ミルトンは亡くなった」
と、ラリウスは静かに呟いた。
「ミルトン?」と、僕。
「そう、俺の妻の名前だ」
「戦争で犠牲になったんだね」
「あぁ、俺は彼女を守ることが出来なかった。みすみす、殺されてしまった。だからこそ、俺は自分の運命を呪ったよ。最愛の人間を守ることが出来なかったのだから……。そして今もまた守れなかった」
「仕方ないよ。それが戦争なんだから」
「戦争。お前はどう思う」
「僕には戦争がどんなものなのか分からない。だけど、来るべき時が来たら、死ぬものだと思ってる」
「お前は死にたいのか?」
「死にたいわけじゃない。ただ、死を意識していると言うだけだ」
「そうか。俺はお前には生きてもらいたい」
「聞いても良い? 正直に答えてもらいたいんだ。どうして僕を救った? それを教えてほしい」
淡々と、それでいて、淀みなく話していた、ラリウスの呼吸がそこで不自然に止まった。その一瞬の変身に、僕は当然だけど気が付く。ラリウスが何かを知っていて、それをオブラートで包むように隠していることは、容易に察することが出来る。
ラリウスは、さっきのセリフで、『今もまた守れなかった』と、告げた。それはつまり、妻であるミルトンの他に、何かを守れずに喪った可能性が高いということになる。ラリウスの心の闇は深い。僕にはそんな風に感じられた。
岬は僕とラリウス以外誰もいない。緑色の雑草がカーペットのように地面に生え渡り、そして鬱蒼としている。岬の先端からは海が見える。大海原だ。名前は分からないけれど、広大な海が広がっていることは分かる。僕はじっと海と、石碑を交互に見つめた。
「パルラ」と、ラリウスは言った。「お前に家族はいるか?」
「家族はいない」僕は素直に答える。「僕はずっと一人だよ」
「死んだのか?」
「分からない。物心ついた時には、すでに両親はいなかった。兄弟もいないし、親戚もいない。ずっと施設で育ったからね」
「仮に、両親に会えるとしたらどうする?」
「両親に……。さぁ分からない」
それが正直な気持ちであった。僕には両親はいない。ずっとそう思って生きてきたのだから、今更両親に会えるといっても、どう対処して良いものか、僕には見当がつかないのだ。
だけど。
心の奥では、こう叫んでいる。
『両親に会いたい』と。
「会えるなら会っても良い」
と、僕は言った。
「そうか。俺はお前の両親を知ってる」
その言葉は、大きく僕の胸を貫いた。
否、半ば予期していると言っても過言ではない。僕は経験上、ラリウスが言いたいことが何となく分かってしまった。
「ラリウス。これは僕の推理だけど聞いてくれるか?」
と、僕が言うと、ラリウスはゆっくりと頷きながら、視線を大海原に向け、そして、
「あぁ構わない。言ってみろ」
「僕は両親はいない。話では戦争で亡くなったということだったけど、実は違うみたいだ。ラリウス。君が僕の父さんじゃないのか?」
ラリウスが父。
この推理は決して名探偵のように、確固たるロジックがあるわけではない。水面から浮かび上がる、泡のように、突如として降って湧いてきたのである。
「ラリウス。君は僕の父さんなんだろう。だから、名も知らぬ僕のことを救ったし、こうして、ミルトンさんが眠る場所へ僕を連れてきた。違うか?」
「どうして、俺は、お前を自分の息子であると、察することが出来たんだ?」
「竜さ」
「竜?」
「そう。ヴィンターヴルは遺伝する。そして、イスカリオが僕に何故か懐いたのは、僕がヴィンターヴルかもしれないという事実以外にも、君の息子であるということを、イスカリオが見抜いていたからだと思う。竜は敏感だ。その鋭敏な感覚で僕と、ラリウスが親子であるということを察したに違いない」
「なるほどな……」
「仮に、俺がお前の父親だとしよう。そうなった場合、お前はどうする? 殺したいと思うか? それとも、これからも一緒にいたいと思えるか?」
僕は黙り込んだ。
感情の起伏が激しい。今までずっと離れ離れだったんだ。今更両親に出会ったと言っても、一緒に暮らすことはできないだろう。喪った時の流れは、もう二度と元には戻らない。第一、ラリウスと僕は敵同士だ。アルヴェスト王国と、スーヴァリーガル帝国の兵隊なのだ。そんな相反する二人が、一緒になることは難しいように思えた。
「察するように」と、ラリウス。「お前は俺の息子だ」
「だから救ったのか?」
「俺は、贖罪のために戦っている」
確か、ニーチャも同じことを言っていた。僕は先を話すようにと、手で催促する。それに合わせ、ラリウスは言葉を継いだ。
「これからお前と俺の過去を話そう。だからこそ、俺はここにお前を連れてきた」
そう言い、ラリウスは一呼吸置くと、手袋を外した。そこには漆黒の刻印が刻まれている。それを僕に見せた後、彼は淡々と過去を話し始めた――。それは僕と、ラリウス、そしてミルトンの悲しい記憶だ。