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ある夏の思い出

作者: きずな

「今度の花火大会、浴衣着て行こうよ!」


 友人から突然の提案があったのは、八月末の花火大会まであと一週間というときだった。


「ほら、今までも三人でお祭りにはよく行ってたけど、浴衣で行ったことってなかったじゃん? 行こうよ!」

「いいね! 夏って感じ! 向日葵は?」


 一緒にいる二人の友人、明夏と鈴音は中学時代からの付き合いだ。家も近いので高校生になってからもよく遊んでいて、こうやって地元のお祭りにも一緒に行っている。

 提案してきた明夏はもちろん、鈴音も既に乗り気だ。

 確かに浴衣は着たいのだけれど。


「私、浴衣って小学生以来着た覚えがなくて……」

「じゃあ買おう!」

「明夏……あと一週間だよ? そこは向日葵の事情もあるでしょ……」

「そうだけど……せっかくだから着たいなって思って」


 鈴音が明夏をなだめているけれど、明夏は納得していないだろう。

 確かに、今年行く花火大会は来週の一回のみで、それ以外にこれといって夏らしいことをしたわけでもない。それなら、少しくらいは夏を楽しみたいとも思う。


「うん。じゃあ、帰ったら探してみるね」

「やった!」

「ごめんね向日葵、なんか無理言っちゃって」

「大丈夫。私だって皆で浴衣着たいしさ」


 心配そうな表情を浮かべる鈴音に笑いかける。

 明夏はやっぱり嬉しそうだった。



 家に帰り、お母さんに浴衣のことを聞いてみると、お母さんは自室の棚の奥をごそごそとあさり、大きめの箱を私に渡してきた。


「それ、私のなんだけど、それで良ければ着ていいよ。あなたにも似合うと思うし」


 開けてみると、白地に水色や薄いピンク、オレンジ色の花が敷き詰められているような柄が目に飛び込んできた。黄色の帯も入っている。


「可愛い! お母さんこんなの持ってたんだ!」

「昔、あなたが生まれた頃くらいまでは着ていたんだけど、もう着られなくなっちゃってね……こういうこともあるかと思って取っておいたのよ」


 言われてみればそんな気がする。言ってはいけないだろうが、お母さんが着るには少し可愛すぎる柄だ。


「じゃあこれ借りるね!」

「いや、私もう着ないからあげるわよ」

「ほんとに!? ありがとう!!」


 箱の中に入っている浴衣をまじまじと見つめる。

 まさか自分の浴衣がこんなに簡単に手に入るなんて思ってもみなかった。


「ちゃんと着付けの練習しておきなさいね」

「え? お母さん着付けしてくれないの?」


 お母さんの言葉に思わず聞き返してしまう。

 着付けはやってくれるものだろうと勝手に思いこんでいた。


「来週の日曜日だったよね? 休日出勤の日だから無理」


 私は声も出せずに固まる。

 そんな私を見て、お母さんはため息をつく。


「仕方ないでしょ。着方は教えてあげるから」


 そう言ってお母さんは本棚から一冊の本を取り出す。

タイトルは『分かりやすい浴衣の着付け』。


「これ見てやれば、面倒くさがりでがさつなあなたでもできると思うから」


 短所をぐさぐさと突いて言ってくるあたりが少し憎らしい。


「とりあえず今一回着てみれば?」


 お母さんに促されるように、私は箱に入っていた浴衣セットを出してみる。

 浴衣以外にも、いろんな紐や、帯もある。周りの人は難なく着こなしているように見えたのに、これを見てしまうと大変さしか感じない。


「……着れるかな」

「最初からうまく着れる人なんていないわよ。ほら、最初はこれを着て……」


 お母さんの着付け講座が始まった。



「だいたいこんな感じね。うん、初めてにしては綺麗なんじゃない?」


 鏡の前で自分の浴衣姿を確認する。

 かなり時間はかかったが、お母さんの言う通り、それなりにうまく着ることができたと思う。


「でもそんなに時間かかっていたら当日大変だから、もうちょっと練習して慣れておきなね。一日一回くらいは」

「はーい」


 気持ちが高ぶっていたからか、なんとなく曖昧な返事になってしまった。



 その後、私は前日になるまで一度も浴衣を出さなかった。

 忙しさからなかなか時間が取れなかったのもあるが、面倒くささが勝ってしまったのだ。


「さすがにやらないとまずいなぁ……」


 浴衣を着たくないわけではないからこそ、危機感を覚える。

 何日かぶりに出した浴衣の感触は既に懐かしいものだった。

 着方の本を横目に、私は練習を始める。

 久々だったから、最初はまた手間取ってしまった。以前よりも下手になってしまったように感じて、何度も練習した。

そうやって回数を重ねていくうちに綺麗に着られるようになっていって、鏡で自分の浴衣姿を見て嬉しくなった。

 浴衣が着られる。それだけで、明日が待ち遠しくなった。



 その日、朝から雨が降っていた。

 天気予報を見ると、台風が近付いているらしい。

 ほどなくして、明夏から連絡が来た。


『今日の花火大会中止だって! 延期じゃないからもうやらないみたい。残念』


「だよねぇ……」


 携帯の文面を見て肩を落とす。

 浴衣を着ることだけに夢中になっていて、天気なんて気にも留めていなかった。

 着るはずだった浴衣に目をやる。

 今日着るために、少し大きめのハンガーにかけて出しておいたのだ。

 そのハンガーから浴衣を外す。

 着方の本には畳み方も載っていて、それを見ながら浴衣を綺麗に畳んだ。帯などと一緒に箱に戻す。

 また来年。

 そんな思いをこめて、箱を棚の奥へとしまった。


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