-2.始動
「柑奈、入るよ」
待って、という言葉を発する間も無く、母は柑奈の自室にずかずかと入ってきた。柑奈はベッドから飛び起きてデスクに散乱していた原稿用紙を慌てて片付ける。
「そんな、別に隠さなくてもいいじゃないか」
「嫌。お母さんの方が上手いんだもん」
描きかけの漫画を引き出しに仕舞ながら、柑奈は唇を尖らせた。
母はデザイン事務所の社長なだけあって、絵はかなり上手かった。名実共にプロなのだから、当たり前といえば当たり前だ。
「でも、完成したら読ませてくれるんでしょ?」
「……完成したら、ね」
「させなさい。荒削りでもまず完成させることが大事なんだから。中途半端にこだわって未完成で終わるなんて、一番馬鹿のすることだしね」
母の言うことはもっともだった。少し絵を描くのが好きな子どもなら誰もが夢見る漫画家という職業は、まず何よりも投稿する作品を作り上げることが大変だった。それが出来もしないのに、漫画家の夢を語る人間の多いこと。柑奈はそうはなりたくなかった。
「でも、まさかあんな問題児だったあんたが、私と同じところに着地するなんてね」
「……まだ宙に浮いてるけどね」
昔から絵を描くことは好きだった。反抗期と引きこもり期間を経て、その膨大な暇な時間を再び絵に向かい合うことに使った結果だった。
「まあ、アドバイスならいくらでもしてあげるから。尻も叩いてあげるし」
「後者は切実にお願いします……」
身内にプロがいるというのはかなりのプレッシャーであった。どんな作品を作っても母には敵わない、という負の感情と常に闘わなければならない。
「お母さん、」
「ん?」
「今までたくさん迷惑かけてごめん。いつになるかわからないけど、絶対私もプロになって親孝行するから」
荒れていた数年間は両親、特に血の繋がらない母に辛く当たることが多かった。
「その言葉、お姉ちゃんにも聞かせてあげたいわ」
母は困ったように笑った。照れ隠しだった。
姉の楓子は滅多に家にも帰ってこないし、就職してからは連絡もほとんど寄越さなかった。実の母にもそうなのだから、柑奈など顔を覚えられているかも怪しい。
「まあ、お母さんは柑奈と楓子が元気にすくすく育ってくれるだけで幸せなんだけどね」
そう言って母は柑奈の首に手を回して頬ずりをする。柑奈は気恥ずかしくて母のその顔を押し返すが、満更でもなかった。




