5.不安増加編
土曜日、楓子は一人で四条の街を歩いていた。
柑奈と暮らし始めてからはこうやって買い物に出かける際は二人の時が多かったため、一人で来るのが随分久々に感じた。
普段自分では絶対入らないような可愛らしい服や雑貨を扱う店に入る。店内にいる周囲の女の子たちは皆可愛らしい服を着ていて、こういう場違いな空間にいるとなんだかそわそわしてしまう。誰かが自分のことを気にしているわけでもないのに、自意識過剰だろうか。
適度にフリルのあしらわれた花柄の冬物ワンピースを手に取る。ウエストが絞ってあり、スカート部分はフレアタイプになっていて動きやすそうだ。スカート丈は長すぎず短すぎず、ちょうど膝丈くらいだろうか。自分は平均よりそこそこ身長が高いのでアテにならない。
隣の色違いも見てみようと思い手をかけたら、誰かの手とたまたま重なってしまった。
「あ、すみませ……」
咄嗟にそう口に出して横を見た。
「あ、」
その人物はポカンと口を開けてこちらを見ていた。楓子もそれが誰であるかを認識すると同時に、大きく目を見開いた。
***
「驚いた。まさか楓子ちゃんがあんなお店にいるなんて」
有名チェーンのコーヒーショップの二人席の向かいに座る彼女は、くすくすと笑っている。
自分が悪いことをしたわけではないのになんだか恥ずかしくてたまらない。
「別にいいじゃない。梓咲こそ、一人なんて珍しいのね」
「あら?私がいつも男を侍らせているみたいな言い方は心外よ」
「そこまでは言ってないでしょ」
梓咲は楓子の元カノではあるが、レズビアンではない。別れてからは男と付き合ったという話も聞く。
「楓子ちゃんも、前までは妹ちゃんとよく出かけていたじゃない。最近はそうでもないみたいだけど」
「……あんたまだストーカーしてるの?」
「あらぁ、なんのことかしら?」
よくよく考えたら、あの人攫い騒動からまだふた月と経っていないことに気づく。柑奈が来てからというもの、密度の濃い日々が続いているため時の流れが早く感じる。
「でも人のモノを盗る趣味はないから。苛めるのは好きだけどね。だから安心して、あの子には今後何もしないわ」
「全く安心できる要素が見つからないんだけど。じゃあ、そもそもなんであんなことしたのよ」
「言ったでしょう?苛めるのは好きなのよ。それに、あの時は楓子ちゃんも柑奈ちゃんも誰のものでもなかったわ」
「それはそうだけど……」
言葉に詰まる。そして、遅れて梓咲の台詞の違和感に気づく。
「……ちょっと待って、誰があなたに私と柑奈のこと教えたのよ?」
楓子は紙カップに似つかわしくない優雅さで紅茶を飲んでいる梓咲に、怪訝そうな顔で問いかける。
「あら……失言だったかしら?」
梓咲は曖昧にはぐらかす。しかし、梓咲がはぐらかしたところで、楓子と柑奈の関係を知る人物など一人しかいない。
「柚宇ね……」
憎たらしい親友の顔が頭に浮かんだ。
梓咲と柚宇が今でも繋がっているという話は聞かなかったが、繋がっていても不思議ではない人物である。
「別に柚宇ちゃんとは何もないわ。ただ、向こうから久々に連絡があって、もうあの二人にちょっかい出すな、って言われたのよ。私、正直なところ柚宇ちゃんのこと怖いし従うしかないじゃない?」
「柚宇があなたに何をしたのよ」
「別に、何も?ただ、柑奈ちゃんがきっと私のこと怖いのと同じように、私も柚宇ちゃんのことが怖いのよ。それだけ」
それは楓子にはよくわからない感覚であったが、梓咲がそう言うのだから大丈夫であると、妙な安心感があった。彼女は意味のない嘘はつかない。
「で、楓子ちゃんは何を思い悩んでるのかしら?倦怠期にしては早すぎるでしょう」
梓咲は突然話題を変えてきた。あまりにも的を射ていたので、楓子はコーヒーをむせた。
「相変わらず、変なところには鋭いのね」
「プレゼント選びくらい楽しそうにしたらいいのに。なんだか腫れ物に触るみたいだったもの」
どうやら偶然鉢合わせたあの店から既にお見通しだったようだ。
「……柑奈、小さい頃京都に住んでたことがあったらしいんだけど。黙ってたのよね」
「ふぅん。それが隠し事されてたみたいで嫌なの?でも小さい頃の話なんでしょう?わざわざ話すことじゃないわ」
「物心つく前なら、ね。小さいって言っても小学校の低学年の時とかよ?隠してたのも何か理由があるとしか思えないわ」
「……ねえ楓子ちゃん。あなたやっぱりしつこいし面倒臭い女ね」
「梓咲にだけは言われたくないわね」
自分が気にしすぎなのは重々承知している。しかし、柑奈のことなら何でも知りたいと思ってしまうのだ。
「京都に住んでた、ってここで生まれたってこと?」
「ううん、違うみたい。十五年くらい前まで、五年間、みたいなこと言ってたわ」
「単純計算で二十年前ね。何歳?」
「今月で24」
梓咲は何か考え込むようにして、頰に手を添えた。そして、何か思い当たる節があったのか顔色がパッと変わった。
「ねえ、楓子ちゃん。これは私のただの憶測に過ぎないんだけど……」
梓咲の顔がみるみるうちに青くなっていく。こんな余裕のない顔をする梓咲を見るのは久しぶりだった。
***
「楓子ちゃんはあまり意識がないかもしれないわね。でも、私たちにとってそれはとても大きな出来事だったわ。正直、私もまだ小さかったし多くを覚えているわけではないの。それに、京都はまだましな方だったから」
梓咲の口から語られる言葉は、頭の中で理解はしていても全く実感のなかった出来事をむざむざと提示されているようで、とても気分が悪かった。
頭がクラクラした。それくらいダメージが大きい。言葉にされただけでも、そうなのだ。柑奈は一体、どれほど苦しかったのかと想像するだけで身の毛がよだつ思いだった。
「私、京都で一緒に住もうなんて軽率だったのかな……」
「本当に嫌なら断っているわ。大丈夫よ」
梓咲に元気付けられているという、不本意な光景だった。それでも、今はその気休めの言葉も楓子にとっては自分を慰めるために必要なものだ。
「楓子ちゃんが本当に気になるなら、聞いてみるのもいいと思うわ。私は止めない」
「私に柑奈の傷を抉るようなことをしろって言うの?」
「じゃあ一生腫れ物に触るような接し方をするつもり?」
「それは……」
楓子は言葉に詰まった。正直、楓子にだって知られたくないことの一つや二つはあるし、柑奈に隠していることだってある。
きっと柑奈も同じはずだ。しかし、元旦のあの日に彼女の過去が垣間見えてしまった今、知らんふりはできない。
「楓子ちゃん、恋愛をするっていうのは傷つくことよ。そんなこと、あなたは充分わかっているわよね。少しは相手を信用してあげなさいな。……そうしないと、また繰り返しよ?」
梓咲の言葉には、ひどく重みがあった。
***
帰宅すると、部屋は真っ暗だった。
柑奈が今日どこかへ行くという話は聞いていない。携帯電話を確認するが、連絡も来ていない。
スーパーにでも行ったのだろう、とぼんやりと考えながら、楓子は自室へ向かう。
頭の中で梓咲に言われたことがぐるぐると巡っていた。もし本当に梓咲の言う通りのことが柑奈の過去に起こっていたとしたら、自分は柑奈にとんでもない仕打ちをしてしまったということになる。
楓子はコートをハンガーにかけて、そのままベッドに寝転がる。柑奈の匂いがする。よっぽど柑奈が夜通し作業をしない限りは、楓子のベッドで二人で眠るのが日課になりつつあった。
始めは遠慮がちであった柑奈も、最近では風呂上がりにそのまま楓子のベッドで寝こけていることもままあった。
そんな無防備な姿を見せてくれることそのものが嬉しかった。まだ半年も経っていない同居生活に、心許してくれている証拠のようなものだった。
柑奈のことが好きだった。妹としても、それ以上の存在としても。
***
「ふうちゃん、ふうちゃん」
柑奈の声が聞こえた。一体どれくらい眠っていたのだろうか。楓子は目を開けるが、ボヤけていて時計の針までは確認できない。寝付く前にコンタクトを外したのだった。
ベッドサイドに手を伸ばして眼鏡を探っていると、柑奈の手から渡された。
「ありがとう」
まだ完全には覚醒しきっていない声でお礼を言う。
「帰るの遅くなってごめんね。ご飯、できたよ」
眼鏡をかけると、柑奈が申し訳なさそうな顔をしていた。時計は21時を示している。
「どこかへ出かけていたの?」
「うん。ごめんね、連絡も入れずに」
誤魔化した、と楓子は直感でわかった。行き先を聞いたつもりだったのに、はぐらかされてしまった。
「柑奈」
「んー?」
楓子は体を起こして、ベッドに座る。両手を広げて、こちらに来るように柑奈に促した。
柑奈は何の躊躇いもなく楓子の隣に腰を下ろし、上半身を預けてきた。楓子はその身体を抱き締める。
「どうしたの?」
柑奈が上目遣いで楓子に問うが、楓子は何も答えない。
「ふうちゃん?」
不思議そうにこちらを見る柑奈を、楓子はただただ抱き締めるだけだった。
そして、そのままゆっくりとベッドに柑奈の身体を横たえる。さすがに驚いたのか、柑奈の身体がビクっと震えるのがわかった。
「ふ、ふうちゃん……?ご飯、冷めちゃうよ?」
柑奈の声は少し震えていた。
楓子は柑奈の身体の上に覆い被さり、押し倒したような状態になる。柑奈の手首を掴み、逃げられないように力を入れる。
「ねえ、柑奈」
楓子はようやく口を開いた。
「別れましょうか、私たち」
楓子の顔は、悲しそうに笑っていた。




