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06【幻想の終わりと刑事】

 夜中に事件。

 しかも、起きた事件というのが、人が死んだとなれば刑事であるこの俺が現場に来るのは当然だった。帰ったらシャワーでも浴びて寝たいところだが、何やら長丁場になりそうだった。

 何故なら、死んだ人間が事故なのか、自殺なのか、それとも他殺なのか。

 それがいまいち分からない。

 まず、最初に通報してきたのが、死んだ奥さんの旦那――ではなかった。

 第一発見者は近所の大学に通っている大学生だった。

 帰宅途中で、ベランダから身を乗り出した女性――川合郁が目の前に降ってきたらしい。災難もいいところだが、彼にはしっかりと状況を訊いておかなければならない。あと、小一時間ぐらいはここに釘付けにしておかなければならないかもしれない。

 俺の刑事のカンによれば、恐らくは飛び降り自殺だろう。

 周りの奴らに聞き込みをするまでもなく、わらわらと野次馬が湧いてきた。その一部の連中の話によると、死んだ川合郁は自殺してもおかしくないぐらい憔悴していたらしい。旦那も家のことにはノータッチ。しっかりと、妻のことを見ておらず、浮気をしているらしかった。

 まだ裏は取れていないが、奥様方の、旦那と他の女とドライブしていたとかいう目撃情報が多数とれている。まあ、恐らくは間違いないだろう。

 それを妻が知っていれば、自殺の原因の裏付けになる。

 だが、問題が一つ。

 遺書がないのだ。

 それでは、矛盾している。

 人間という生き物は、どれだけ口では死にたい、死にたいといっても、必ず未練を残して死ぬものだ。それでは遺書がなくてはならない。仮に死にたくて死ぬとしても、飛び降り自殺なんてことはしないはずだ。

 飛び降り自殺は、あきらかに目立つ。

 家の中でガスを充満させて自殺するなんて方法をとらずに、わざわざ外に出て死ぬような奴は、たいがいが遺書を残す。それが見つかっていないということは、もしかしたら事故なのかもしれない。

 殺人、という可能性はほとんどない。

 大学生の証言があった。彼の証言によると、自分の意志でベランダに乗り出した奥さんを見ているらしい。ならば、殺人はまずないだろう。死ぬように夫が仕組んだ。わざと精神的においつめたとかならまだ分からないが……。

「大塚さん。これってやっぱり、自殺なんですかね?」

「さあな」

 大塚さんと、呼ばれて適当に対応する。

 話しかけてきた佐々木は、新人の刑事だ。明らかに緊張していて、唇が青白い。真面目で正義感が強い佐々木は、こんな軽率に話しかけるような奴ではない。本来ならば、こんな考えなしに発言するとは思えない奴だ。

 だが、人が死んでいるのだ。

 この状況では、極度のストレスでなんでもいいから話したいのだろう。喋れば喋るほど、不安は取り除かれるものだ。

 俺だって平静は装っているが、流石に動揺している。人間が死んでいる姿を目の当たりにして、余裕ぶっている奴がいたら、そいつは葬儀屋にでもなったらいい。

「憶測で判断すべきではない、そうだろ?」

「そ、そうですが。やっぱり、この事件何かが僕はおかしいと思うんです。さっき、大学生から証言をきいたんですけど……」

「おう、聴かせてくれ」

「そ、それが、大学生が言うには、今回の被害者は独り言を言っていたみたいなんです。死ぬ間際に涙を流しながら……」

「それの何がおかしいんだ? 自殺者にはよくあることじゃないか……」

「その大学生、よくこの道を通るから知っていたらしいんですけど、被害者は今日だけじゃなくて、日常的に独り言を言っていたみたいなんです。傍から見たら、誰かに話しかけているようにも見えたって……」

「話しかけていた? 誰に?」

「――向かいの人間にですよ」

「向かい? だってあそこは――」

「ええ、そうなんです。被害者の向かいには――」

 ガチガチ、と少しばかり歯が噛み合わないようにしている新人は、


「誰も住んでないんですよ。あそこはずっと空き家なんです」


 もう、顔の色が土気色になっていた。

「だから僕は思うんです。錯乱状態に陥った人間の自殺だって」

「そうかな……俺はそこまで聴いて、自殺というよりは、事故だったって思ったけどな……」

 きっと、錯乱していたのだ。

 あまりにも日々の苦悩がひどすぎて、彼女は生み出したのかもしれない。いるはずがない、自分自身の理解者を。

 この世界にはいないはずの、自分の味方を。

 昔の童話に、鏡が違う人物の姿を映し出す話があった。あれと同様に、空き部屋の窓に映った自分の姿を見て、違う人物に見えたのかもしれない。そうすることによって、心の安寧を求めたのだ。

 空き巣がそこにいたとか、そういうオチでなければ、もしかしたらこれが正解なのかもしれない。

 今となっては、もう、何が真相なのか、分からない。

 唯一の証言者である川合郁は、死んでしまったのだから。

「ちょ、ちょっと大塚さん」

 後ろから、呼び止める新人の声がするが、俺は歩みを止めることができなかった。こんな形容しがたい感情が湧いてきて、立ち止まれないだろう。

 俺達は、ただの人間だ。

 神様でなければ、小説や漫画の中の探偵でもない。だから、たった一つの真実に辿りつけないことだってある。今回の事件は分からないことだらけ。そんな風に結論付けても、上は納得しないだろう。世間は認めてくれないだろう。

 適当な理由がつけられて、この事件はファイルされ、いずれ忘れ去られてしまうだろう。あの旦那の落ち着いた様子。どうせ、自分の妻のことなど忘れて、他の女のところにいってしまうだろう。

 だが、やりきれないことばかりではない。

 分からないことばかりではない。

 こんな俺にも、分かったことがある。

 新人の話を聴いて、どうしてあの被害者が死ぬ間際にあんな表情をしたのかが分かったのだ。あんな顔をして死ぬ奴なんて滅多にお目にかかれない。

 きっと、彼女は、最期に、たとえ幻想であったとしても――救われたのだ。それは決して間違いなんかじゃない。

「だって、仏さん、泣きながら笑ってたんだからな……」


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