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02【はげジジイの朝のゴミ出しチェック】

 朝。

 それは、戦争。

 もっとも激務な朝一番。

 私が朝起きて一番やることは、洗顔。

 それから、お化粧。

 すっぴんのまま夫と対面する日の方が珍しい。

 若い頃は素顔のままでも綺麗だしー、とか思って、ケアを怠っていた。

 アラサーの口うるさいおぼさんとかが、あのね、とにかく肌はケアしていないと、二十過ぎてから、徐々に、ほんと徐々に肌が荒れてくるの! 肌はね! 恐ろしいことに時間差で悪くなっちゃうの! ほんとよ! ねぇ、訊いてるのっ!? とか言ってくることが多かった。

 ああ、うっるさいなーとか聞き流していたが、あの頃の私が目の前にいたら殴ってやりたい。

 まさに、その通りだ。

 もう、肌ぼろぼろ。

 体裁を整えるためには、化粧が必要なんだ。

 ああ、すっぴんのままでも綺麗だったあの頃に戻りたい。

 美容液をびしゃびしゃぶっかければよかった。

 燦々と輝く真夏の太陽に、無抵抗で挑まなければよかった。

 紫外線って、ほんと怖い。

 日傘なんておばさんが使うものだと思っていたけれど、暑い夏の時に、あんな頼もしい相棒はいないのだ。

 だが、どれだけ後悔してもあの頃には戻れない。

 化粧をするにはそれなりに、時間がかかる。

 最低限、ほんと、私が人間になれるのにかかる時間は最低でも十分かかる。

 昼に、もう一度ちゃんとした化粧をするが、それよりも、まずやるべきことが山ほどあるのだ。

 夫が起きる一時間以上前に起床。

 それから、そろりそろり、と忍者のように緩慢な動きでやるべきことをやる。

 夫はめったなことじゃ起きないが、男の癖に低血圧ぎみなので寝起きは機嫌が悪い。

 私が起こしてしまうと、いつも文句ばかり。

 寝る部屋は別々なので、まだ起こしてしまうリスクは低いが、やはり面倒だ。

 あー、それしても、どうして私にだけは怒るのだろうか。

 大学時代。

 夫は朝、母親のモーニングコールで起きていたらしい。

 その名残か知らないが、今でもたまに、朝、夫の母親から電話が来る。

 最初聴いた時は、まじ、ドン引きでした、ほんと。

 私が起こすと、苛々している癖に、母親に起こされる時は機嫌を損なわない。

 そんなところも、キモイと思うポイントの一つ。

 母親にモーニングコールされてるにもかかわらず、俺は大学の時は独り暮らしっ! あの時から、独り立ちしていたねっ。えっへんっ!! と、訳の分からない自慢をたまにされるが、今も精神的には全然自立していない。

 最近、マザコン男が、ほんと増えてきている気がする。

 距離感が、親と子じゃない。

 恋人同士のような人が、私の周りでも散見される。

 もはや、珍しいことじゃないのだ。

 だから、一々、きもっ、とか夫の前では口走らない。

「はぁ」

 嘆息をつきながら、ドアを開ける。

 一応、玄関の鍵は閉めて出る。

 まずは、溜まったゴミを捨てないと。

 ゴミ捨て場から距離はないが、毎日万が一のためにも鍵は閉めてでている。

 泥棒が怖いのだ。

 漠然とした泥棒のイメージは、夜、こっそりと家に入る。

 もしくは、昼、新聞の勧誘に偽装して、なにげなくピッキング。

 だけど、一番多いケースは、朝のゴミだしだったりするのだ。

 結構、ゴミだしの時は鍵を掛けずに外に出る人がいるが、それを狙って泥棒が入るらしい。

 そんな、数分で泥棒が入って何が盗めるんだと思うだろう。

 だが、奴らもプロ。

 一瞬でどこに通帳と印鑑が入ってるかを嗅ぎ分けるのだ。

 井戸端会議が始まって、数分、外にでるつもりが、数十分、鍵を掛けずに外にでてしまうこともある。

 それに、もっと面倒なのが、

「あらら、奥さん。おはようございます」

「……お、おはようございます」

 名前も知らぬおじさんから声をかけられた。

 毎日、とまではいかないが、このおじさん、本当にめんどうくさい。

 いつも、ゴミ捨て場の前で待ち伏せしている。

 やることといえば、

「えっ、とゴミ袋にマンションの部屋番号はしっかり記載しているし、燃えるごみの中に、ビニールは混入していない。うん、優秀優秀」

 勝手に袋をつかんでとったかと思うと、ねっとりとした視線でゴミ袋を隅々まで観るとそんなことを言ってきた。

 なんか、本当に気持ち悪い。

 生理的に無理な、はげジジイだ。

 年齢は、きっと、六十は超えているだろう。

 こいつは、マンションの管理人というわけじゃない。

 知り合いという訳でもない。

 ただ、ボランティアでゴミをチェックしている奴、らしい。

 自称ボランティア、というのが頭にひっかかる。

 誰かに頼まれた訳でもなく、善意でやっているらしいのだが、ほんとうに迷惑なのだ。

「それで、最近旦那さんとどうなの?」

「ど、ど、どうといわれましても……」

「ねっ。あれだよ、あれ。夜の営みとかちゃんとしてる? ああいうのはさ、期間がおいちゃうとさ、やっぱり夫婦仲がわるくなるんだよ。うちのかみさんも――」

 気持ちの悪い会話の切り出し方。

 それに、心底どうでもいい自分語り。

 右から左に聞き流していると、他のゴミ捨ての方々がちょくちょく現れる。

 その度に、うわっ、今日はこの人がつかまったんだ。ご愁傷様と、同情を孕んだ視線をよこしてくる。

 本当に同情しているのなら、助けて欲しい。

 こうやって、このはげジジイは誰か一人にターゲットを絞ると、永遠に語りだす。

 奥さんはいるらしいが、きっと相手にされていないのだろう。

 語る語る。

 とにかく、このぐらい年配の方で、奥さんと仲睦まじい関係性でないのなら、きっと、飢えているのだろう。

 人に。

 私も少しは気持ちが分かる。

 学校や職場。

 そういうかしこもった場所にいるだけで肩が凝って、胃が痛くなったりする。

 だけど、誰かに必要とされていたりとか、成功や達成感がある。

 それなのに、定年退職したり、家で仕事をするような人だったり、専業主婦だったりして、引きこもっている人は、なんというか、感動が薄まってしまう。

 家の中にいると、まるで毒がゆっくりと浸食するようだ。

 人との関係が少なくなってくると、自分自身という存在が希薄になるような気がする。

 生きているという感覚が、あまりない。

 専業主婦が家事をしても褒められることなんてない。

 ただ、当たり前のことを当たり前にやっただけ。

 何か成功しても最初は驚かれて、それからはそれを維持することを求められる。

 今日だって、これからお昼の弁当を作らなければならない。

 夫は気分屋。

 弁当を持っていく日と、持っていかない日がある。

 それを決めるのは当日の朝だ。

 だから私は、早起きして毎日つくらないといけない。

 同じ人の料理ばかりだと飽きる。

 どれだけ美味しくても、味付けが似てくるからたまにはカップラーメンとか、コンビニ弁当とか喰いたいらしい。

 でも、せめて、事前に教えて欲しいものだ。

 夫を知っているのだろうか。

 持っていかなかった。

 選ばれなかった可愛そうな弁当。

 それを、お昼に一人寂しくもそもそ喰う姿を知っているのだろうか。

 電気代がもったいないという理由で、電気を消している。

 そして、電子レンジも使わない。

 そのせいで、油が白くなって固まった料理を、暗い部屋の中で食べつづける。

 想像してみて欲しい。

 もう、ほんとに私のことなのに、客観的に見るとかわいそうすぎる。

 別に弁当だけじゃない。

 ご飯のおかずはいつも多めに作るから、だいたい余ってしまう。

 同じ品を連続で出すと口に出さないにしても、絶対に不満げな顔をする。

 腐らせないうちに処理するためには、余ったものは私が食べるしかない。

 夫が食べ残したものを、金がもったいないからといって食べる。

 そんなことしたくないけれど、少しでも食事の量が少なかったら言われてしまう。

 おかず作って、と。

 皿洗いは手伝ってくれない。

 食べ終わった皿を水につけることすらしてくれない。

 そんな夫は無邪気に。

 まるで子どものようにねだってくる。

 私の家にはまだ子どもはいない。

 でも、ぞっとしてしまう。

 もしも子どもを産んだら、夫という子どもがいるから二重で疲れてしまうんじゃないかと。

 私だって子どもは欲しい。

 欲しいけれど、あの夫が、大人になってくれるだろうか。

 子どもが生まれることによって、夫は親の自覚を持つ! みたいなご都合主義的展開になればいいのに、と心の底から思う。

「それじゃあ、また」

「は、はい」

 どうやら話が終わったようだ。

 まずい。

 まるで話を聴いてなかった。

 だが、満足げに頷いていたということは、どうやら適当な相槌はできていたらしい。

 ああ、でもどうしたものか。

 あの人、悪気がない分タチが悪い。

 迷惑だと、正面から言った方がいいのだろうけれど、私はあまり他人に対して強く言えるタイプじゃない。

 本音は漏らさない。

 我慢して、我慢して、悪いものは腹の中に溜めこむ。

 そして。

 膨らんだ風船がちょっとした衝撃で割れてしまうように、いつか鬱憤は爆発する。

 そういうタイプの人間。

 だから、今度会った時も、言える気がしない。

「ほんと、どうすればいいのかなー」

 悩みになんで家に戻ると、そこには、起床した夫がいた。

 まだ起きたばかりで、髭はそっていないは、顔はあらってないはで汚い。

 ボリボリと尻をかきながら、もう片方の手は寝癖でぼさぼさの髪を梳いている。

 欠伸のために大口を開けた後に、どこまでも間抜け面を引っ提げて、

「えっ、朝飯まだなの?」

 そんなことを聴いてきた。

 ただでさえはげジジイで疲れているのに、とどめの追い打ち。

 ははっ。

 ああ、今日の朝は格別に辛いものになるだろう。

 私は一瞬何も考えられなくなって心の中で笑った。


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