01【ベランダのオットセイは洗濯物とともに】
「ああああああああああああああああああああああああっ!!」
口内から迸るは、絶叫。
まるでオットセイのような体勢。
両手で這うようにして、前に進む。
進まなくともいいのに、部屋の中を徐々に進む。
そうしなければ、永遠に足に刺激がいってしまう。
動くだけで、スタンガンを神経に直接流されたような感覚に陥る。
が、何もせずに止まっている方が痺れてしまう。
動く方が気がまぎれる。
だからこその、オットセイ。
おぅ、おぅ、とエアなボールを鼻で転がすような動きを見せる。
無駄に顎の前後する動きが洗練されているような気がする。
「足が痺れるぅぅうううううううううううううううううう!!」
開けっ放しの窓。
ベランダどころか、マンションの外にまで届いているであろう大声。
それでも叫ばずにはいられなかった。
まだ私は二十代。
肌のはりが尋常でなかった学生時代と自分の差はほとんどない。
そう思っていた。
なのに。
やはり、時の流れは残酷だった。
長時間、同じ姿勢で洗濯物をたたんでいただけでこの体たらく。
「私、歳……とったんだなあ……」
むにむにと、少し弛んでしまった頬を動かす。
こうすれば、顔の輪郭がシャープになると、昼のテレビ番組で放映されていたのだ。
それから、ほうれい線がやばい。
めっちゃくちゃやばい。
ほうれい線だけじゃないのだが、こう、家事に疲れて眠ってしまった時。
何も考えずに突っ伏して寝た時。
その時に、その、あれだ。
ベッドのシーツの皺が、そのまま頬の皺として刻まれるのだ。
嘘……でしょ……?
と、絶望するが、その皺が、そのまま持続する。
えっ、えっ、えっ? と結局半日ほどその皺がついていた時、感じたのだ。
老いを。
これが、老いなのかと。
周りの同世代の女子に、相談なんてできない。
こんな、こんな、初老の女の悩みなんぞ。
「うああああああ、うあっ? うあ?」
もはや人間とは思えない奇声を発しながら、手の指と足の指をわきわきする。
どうやら、痺れがなくなったようだ。
危なかった。
もう、一生立てない身体になったかと思った。
しかし、本当に苛立つ。
その原因は、夫の洗濯物。
「なんで、なんで、靴下裏返しにするかなー?」
夏。
容赦なく降り注ぐ太陽光。
お肌の大敵ではあるが、洗濯物を干すには絶好。
だが、洗濯機から、衣服を取り出した時に気がつくことはたくさんある。
その一つが、靴下の裏返し。
夫には何度も注意している。
靴下を裏返しにしたまま、洗濯機に入れるなと。
だが、夫は入れてしまう。
躾のなっていない犬じゃないんだから、いい加減にしてほしい。
靴下を裏返しにしたままだと、汚れがおちづらくなる。
別に夫は多少の汚れで直接私に文句をいうわけではない。
だが、微妙に不満そうな顔をする。
それが面倒なのだ。
だから、また洗濯機に靴下を入れて、やり直す。
この二度手間感。
ひどすぎる。
洗濯機を回す前に気がつけば回収できるのだが、気がつかないことも多い。
ポケットに、ティッシュやら、お店の子の名刺やら、小銭やらがあっても気がつかなくて回すこともある。
夫は独り暮らしを一度もしたことがないらしいので、どれだけ家事が大変かも分かってもらえない。
たまには手伝ってくれてもいいのに。
毎日毎日ルーティン化した生活を送っていると、頭がおかしくなりそうな気がする。
だから、叫ぶのだ。
「あああああああああああああああああああああああっ!」
不満を空にぶつける。
どこまでも、どこまでも。
目線は固定せずに、薄らと瞳を開いて、叫ぶ。
こうやって発散しなければ、いつまでも胃の中で鬱憤が沈殿してしまう。
だけど、気をつけなければならない。
「うわっ!」
お向かいのマンションで、惚けた顔をした女性がいた。
転がるようにして、ベランダから部屋に逃げ込む。
「見られた……よね?」
この時間帯。
そして、見た目からして、きっと、彼女も専業主婦なのだろう。
たまに、あの女性に、私の阿呆な姿を目撃されてしまうことがある。
自粛しなければ。
川合郁。
二十九歳の大人の女性としては。