4話
「一秋!紹介するぞ!」
数年前から徐々に弱っていた母の具合が良くなったので数日ぶりに訪れた真田邸で、我が幼馴染み殿が嬉々として開口一番そう言った。
幸村の背はにょきにょきと伸びて、同じくらいだった背はあっという間に抜かされてしまった。
せっかく男になったのだから俺も背丈は欲しいところだ。
「佐助ー!」
幼さが抜けてどこもかしこも少しずつシャープになってきた幸村は聞き覚えのない名を、なぜか天井に向かって叫ぶ。
俺の未来の上司はついにおかしくなったのだろうか。
「さすけ?」
とりあえずの疑問を口に出せば、幸村は呼ぶのをやめて俺に満面の笑顔を見せた。
曇り一つない顔というのはこういうのを言うのだろう。
素直に育ってくれて俺は嬉しいよ。
ここまで真っ直ぐ過ぎて愚直なままだとは思わなかったが。
まあそれも幸村の持ち味というヤツだろう。
もうお前はそのまま大人になってくれ。
いいじゃないか、いざとなったら俺がいる。
さすけ、と呼んだ幸村は俺の疑問に答えをくれた。
俺としては予想外の答えで。
「佐助は俺の忍だ」
その言葉に思わずぴきりと固まって、次の瞬間叫んだ俺は絶対に正常。
「アホかぁ――――!?」
忍とは忍ぶもので、つまり「紹介してどうする!!」と突っ込んだつもりだったのだが、幸村にはそれすら通用していないようで、きょとんと首を傾げられた。
男にそんな仕草されても可愛くねえ!
俺はつい先刻の思考を即効否定して、この考えナシの将来に激しく不安を覚えた。
やっぱり少しは腹黒さを持ってもらいたい。
雇い主は真田当主。
息子に年の近い護衛を、との配慮だったらしいが、それがどうしてか気付いたら世話役。
「佐助ー!」
と俺の主は昔から当たり前のように呼ぶ。
駆けつければ幸村様はぶんぶんと手を振り回し、ここだと主張している。
そんなことしなくても幸村様は目立つからどこからでもわかるけど。
幸村様の隣では優美な人影が微笑んでいた。
これまた見慣れた、相も変わらず美しい男の姿。
横谷一秋、幸村様の幼馴染みにして一の家臣。
家臣にしてはぞんざいで無礼で自由なのだが、昔から彼らを見ている俺にとっては今更な話だ。
そしてそこに居並ぶ俺。
いまや忍んでいないので忍とは言えない。
猿飛佐助と言えば真田家臣の一人だと、たいがいの人が答えるだろう。
不可思議な現状を作り出したのは、まあ、常識外れのこの二人以外にはいない。
俺にとっても二人は幼馴染と言えるのだと、最近気付いた事実はなんだか今更だと思った。
俺は彼らと出会った頃のことをふと思い返す。
俺の主となった真田幸村は俺より少し若く、まだ元服もしていない少年で、愚直なまでに真っ直ぐな馬鹿だった。
だが顔合わせをする前の数ヶ月、観察対象とさせてもらった彼の性質は人間としては大変好感の抱ける人物。
一言でいうなら。
暗闇を生きる忍には眩しい程の強烈な光。
初めて顔を合わせた時も、人間扱いされないはずの忍の目を見て「よろしく頼む、佐助」と声をかけてくれた。
今までに何度も任務をこなしてきたがその依頼主が自分の名を呼ぶことなど一度もなかったし、こちらも名乗ったりしなかったのに。
俺はそれからの人生を捧げる人物に出会ってしまった訳だ。
そんな素直な若様の人格形成に大きな影響を与えているのは若様の唯一の幼馴染みである横谷一秋という人物。
彼の立場も複雑なもので、普段は女の格好をして真田家に入り女の格好で出て行く。
細かい説明は割けるけど、とにかく彼は外では女であることを義務づけられているのだ。
そのせいか、端から見れば忍も真っ青な完璧な女である。
線の細い、美しい女性。
少し色の薄い茶色の髪は細く絹糸のような光沢があってとても手触りがよさそうだ。
俺ですら初見では男だとは見抜けなかった。
だが彼は本来なら真田家家臣の中でも筆頭の重鎮である横谷家の跡継ぎ。
真田へと訪れる一秋は若様と一緒に学んでいるらしい。
若様は彼の話になると褒め言葉しか出てこない。
曰く、大変頭がいいらしく若様はまったく勝てる気がしないとか。
曰く、武術もなかなかのもので、軽やかな動きにはついていくのがやっとだとか。
自分の主人をこう言うのも何だけど、若様になら勉強では誰でも勝てるのでは…と思ったが賢明にも俺は口に出さなかった。
毎日来る訳ではないが、若様に近しい人物と言うことで彼を少々観察させてもらった。
真田の屋敷では彼は男の格好を許され、周りには若様の乳兄弟と認識されている。
男の格好をしていてもたおやかな美人の外見がなくなる訳でもない彼は優しげな雰囲気も手伝って女性に圧倒的な人気を誇っていた。
若様は骨格もしっかりとしてきた成長期だというのに、一秋の方は背は伸びても薄い体は変わっていない。
筋肉の付きにくい体質なのかもしれなかった。
そんな世間知らずのような擦れていない印象から反転、俺の観察したところによれば、彼は天然だか意図的だかはわからないが恐ろしい女たらしだった。
「女性がそんなに重いものを持ってはいけないよ」
見目のよく、声の良い彼にひょいと荷物を持ち上げられて下女が慌てる。
本当のところ、一秋はまだ女性らとそう変わらない背丈なのであまり様にはなっていないはずだ。
だが女にそんなものは目に入っていないのだろう。
恐縮する下女に一秋が微笑む。
「こういうものは男の仕事だ」
使えるものは使うといい。
自分を指してそう微笑めば彼にころりといった女がひとり出来上がり。
若様に大きな影響を与えていると若様の母上である山手様は仰っていたが、悪影響の間違いではないだろうか。
どうせこれから長い付き合いになるのだし、俺が正式に若様の護衛として働き始めてからじっくりとその是非を考えればいい。
邪魔になるなら排除して、力になるなら利用する。
そう考えていたが、残念なことに俺が若様と顔合わせをしてから数日は横谷一秋を見ることはなかった。
どうやらご生母の具合が良くないらしく、いつも元気な若様は少しだけ沈んでいるように見える。
だから久々に彼が訪れると聞いて喜んだのは若様だ。
嫌な予感はその時からしていた。
若様の部屋を訪れた一秋が声を出す前に若様が言った。
「紹介するぞ!」
と。
え、だれを?と思った俺は悪くない。
「佐助ー!」
呼ばれた瞬間、目眩がした。
天井から落ちそうになったくらいに。
「アホかぁ――――!?」
俺の代わりに叫んでくれた一秋に瞬間の近親感を持った。
どうやら横谷一秋は若様より常識を知っているらしい。
最早仕方なく床に下りた俺の微妙な表情に気の毒そうな顔を向けて、横谷一秋は若様と同じように自己紹介をした上で宜しくと言った。
若様より手早く簡略化されていたのは若様への説教を優先したせい。
「お前、忍の意味がわかってんのか!?忍は諜報の要!忍んでこそ真価!真田の宝!お前の切り札!ジョーカー!アーユーオーライ!?」
「…わ、わかっている」
「ぜんっぜん、わかってねーだろ!!」
一秋が顔に似合わずぞんざいな口調で悶絶した。
唖然としてしまった。
俺が知っている彼は軟派者の穏やかな男なのだが、それも彼のほんの一面だけだったらしい。
儚げで優雅な印象は吹っ飛んでどこにもない。
「あ゛ー 長所は時に短所ってマジだよ!!真理だよ!?」
そんな一秋の様子に表情に出さず驚いていたが、議論の的である俺は恐ろしく居心地が悪かった。
忍とは人間ではないのだ。
人間扱いして、なお俺を個人として見てくれる若様も特殊だが、これだけ忍に褒め言葉を連発する人間は見たことがない。
褒められることなど無きに等しかったので面映ゆくて仕方がなかった。
頭を抱えてとにかく若様を罵倒するのに忙しい一秋は拗ねかけている若様にも俺の居心地悪さにも気付いた様子なく今度は悩み出す。
「おっま、馬鹿、馬鹿すぎる。どうしよう、こんなのが上司とか。俺と真田の未来が!」
「…一秋の方が間違ってる」
ぶすっと若様が呟いた。
「あぁん?」
どこかの柄の悪い浪人みたいな声で一秋が反応し、彼の額に青筋が浮いているのが見える気がした。
「佐助は俺の忍だ。だけどお前にまで隠す理由にはならない」
真っ直ぐだ。
忍である俺が惹かれて止まない光。
逸らさない視線。
「俺は全部言うぞ。これからだって、何だって。なにがあったって。」
お前には、何一つ隠さず。
それは絶対の信頼。
俺が若様に向けかけているものの究極系。
そんなものを向けられた一秋はどうするのだろう。
一秋は一瞬言葉を失って、顔を顰めた後に深いため息を吐いた。
「お前、どうしてそんなんなの?どうやったらそんな風になるのかねぇ?」
それは俺も不思議でならない。
なぜここまで歪み無く育つことが出来るのだろう。
同時に、一秋の声に混じる感情にそれと知らず既視感を覚える。
心底疑問であるかのように一秋が首を傾げ、そして最後に小さく笑った。
今でも時々見る、一秋が男であることを疑うような笑み。
若様はそれに弱い。
思わず顔を赤くする若様に気付かないまま一秋は珍しく本当に穏やかな表情で言った。
「俺の負け、だな」
いいさ、その信頼に応えることにしよう。
苦笑を交えて、降参とばかりに両手を挙げる。
少し、眩しいものを見るかのように細めた眼は俺に似ていた。
俺が横谷一秋を信用した瞬間だ。
一秋は思うより図太い人間で、俺が女の成りをしている一秋をからかって「ちゃん」付けで呼んだところでどこ吹く風。
好きに呼べば?と来たもんだ。
これが若様なら大激怒なのに。
「一秋ちゃんっていい性格してるよね」
「今頃気付いたのか?」
秋に吹く乾いた風のような笑いを返された。
「佐助、どうだった?」
それからいくらか背の高くなった一秋が声をかけてくる。
変わらず穏やかに聞こえる声だ。
「予想通り」
ちらと一秋を見て答えた。
相変わらず小賢しいほどに的中率の高い予想屋だ。
「重畳!」
破顔して、一秋は幸村様に意味ありげな目線を流す。
元服してしまえばもう若様と言う訳にもいかない。
最初は違和感があった幸村様という呼び名もいつの間にか定着した。
一秋のことも、名前で呼ばなくなったのは、多分認めているから。
ふっと視線をくれた一秋と目が合えば彼は目尻に笑みを乗せる。
一秋は自称する。
自分をろくでなしだと。
だが俺はそうは思わない。
男としては最低の類であることは間違いないけど。
少なくとも、幸村様と俺にとっては失えない味方だ。
「ではおれ達も出立することにしよう、お館様のご期待に存分に答えようではないか!」
幸村様の威勢のいい言葉に一秋は苦笑を漏らす。
幸村様の声の大きさは昔から変わらないから俺も同感だね。
昔、幸村様がどうしてここまで真っ直ぐに育ったのか、疑問に思ったことがある。
幸村様自身の性質と、本当のところ一秋の存在が大きかったのではないか、なんて気付いたのはいつ頃だったろうか。
俺は忍。
いや、元忍と言うべきか。
職場には恵まれ、上司にも恵まれた。
一秋は雇い主でも主でもない。
だが俺は仕えるべき人物だと認識している。
一秋にとって幸村様は最優先事項。
だから彼と俺の見ているものは同じ。
そんな人間に俺が信頼を譲り渡すのは時間の問題だった。
つまり、俺は仲間にも恵まれた、と。
息巻いてる幸村様を一秋と二人で眺めて、どこか俺と似たところのある一秋を盗み見る。
ろくでなしのはずの彼は至極楽しそうに幸村様を見ていた。
脳筋幸村、軟派一秋、チャラ男を気取りつつ常識人をやめられない佐助。