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スターレッド・レイ  作者: 一葉
3/7

3話



初めて会った時から、横谷一秋は変わった人間だった。


何せいきなり庭先の低木から顔を出したのだ。

真田の屋敷に勝手に入ることなど許されないはずが、みすぼらしい羽織物と、どこをどう通ってきたのか、汚れた顔の子供がいる。

驚くなと言うのが無理な話で。


「なにやつ!?」


と誰何すれば子供はにょきっと身体ごと姿を現した。

自分より少々年下に見えて、何より細い体と色の白さが相まって『そう』としか思えなかった。

今でもその場面を思い出せば、その時の自分が勘違いしてもおかしくないと弁護できる。


「お、おなご!?」


驚きは素直に言葉になって、瞬間、汚れ以外は整った顔の人形のような眉がぴくりと動いた。


そしてなんと。

一秋は着物の裾をたくし上げて怒鳴ったのだ。


「よく見やがれ!!」


彼が怒った理由はそれでわかった。

彼にはきちんと自分と同じモノがついていたのだから。







そうやって名乗りあった俺、横谷一秋と真田幸村の縁は不思議とその後も続くことになった。

その舞台を整えてくれたのはまず幸村の母、山手様だ。


母が青い顔をして俺に詰め寄ってきたのは例の冒険のすぐ後で、母の支離滅裂な話を要約すると、我が「横谷」家の主君筋に当たるのがどうやら俺が忍び込んでしまったあの屋敷だったようだ。


俺の記憶は女として蓄えたあの二十数年の経験と、生まれてから女装しつつ過ごした数年の隠遁生活のみ。

つまり外部接触も先日の冒険が初めてで、つまりはこの時代の常識などほとんどないに等しい。


故に、母が何をそれほど取り乱しているのかが理解できなかった。


昨日は珍しく母の姿を見ないと思っていたら、密かにその主君筋の奥方に呼び出されていたんだそうだ。

何がなにやら、結論から言えば俺は明日からあの屋敷に通うことになったとか。


「一体、なにをしたのです!?」


と病的な美しさを持った母の顔が迫る。


なにをしたのか?

特になにもしていない。

一人の少年と出会ったくらいだ。


彼とも二言三言しか話していないし、意味のある会話は互いの名を名乗りあったこと、それから彼が俺を「男」と認識してくれたこと。

それだけ。


「山手様があなたは横谷の跡取りだとわたくしにはっきりとお言いになったわ!?」


どういうこと!?

ヒステリックに叫んだまま、俺のまだ薄い肩をぎりぎりと掴み上げる。

母上、痛いです。


母の要領の得ない話では分かりにくいが、『山手』がその主君筋の奥方なのだろう。

母が俺を責めるのは、その奥方が俺が男だと言うことを知っていた事実。


俺には思い当たりがある。

というか、あの少年以外にない。

彼が『山手』に俺のことを話す以外にそれが知られる謂われはない。

なにせ俺の経験値は恐ろしく低いのだ。


何となく少年の正体に見当がついたので俺は一度首を傾げて母に正直に話した。


「幸村、という少年と会いました」


母が息を飲む。


推測は確信に変わった。

どうやら幸村と名乗った彼の家、『真田』が『横谷』の仕えるべき主なのだろう。


母の反応を見るに少年は多分その直系。

真田家当主の奥方である山手、そして山手に話が伝わるのなら幸村は山手の息子だ。


となると、俺が男として生きるならいつかは上司になる人物。

おかしな縁を持ってしまったものだ。


俺の言葉を聞いた途端に母は視線をすっ飛ばして、山手様の意図を探り始めたようだ。

母が小さな声で自分の思考を呟いている。

それは疑心と打算と、ほんの少しの信頼が潜んで、母は最後に希望を見いだした。


子供を奪われる恐怖から俺を隠して。

側室に息子が、俺にとっては弟が生まれたことから、母はなおさら身動きが取れなくなった。

現在は側室の息子が跡継ぎと目されているのだから、そこに実は血筋も年も上の俺が現れればお家騒動は必至。


母はついに、諦めた。

俺の男という性を否定して、多分自分が子供を女と思い込むことで事実すら違えるつもりだった。

俺がぶち切れて飛び出した冒険はそんな恐怖を感じた俺の反乱とも家出とも言えた。


あれほど言い聞かせて育てられたのに初対面の少年に自分の秘密をぺろっと話してしまったのは、もうどうにでもなれと思ったから。

八方塞がりの現状をとにかく動かしたかった。


暗いのもシリアスなのも俺は好まない。

漂うように生きてきた俺に重さは必要ない。


効果は意外にも早く表れたようで、現在の俺には動いた状況が好転したのかそれとも反対に悪くなっているのかは判断がつかないのだが、とにかく俺は風穴が開いたことにほっと息を吐いた。


横谷の主君筋の真田。

母は険しい顔をしたまま、もしかしたらと呟く。

真田という後ろ盾を得れば、俺の命の危機を回避できるかもしれないと言うのだ。


少しばかり本末転倒の話。

いつか俺は真田の名を借りて実家である横谷に男として挨拶に行く日が来るのだろうか。

おかしくて俺は笑いそうになったが、母の藁にも縋る思いを踏みつぶす訳にはいかない。


「母はあなたが生きてくれてさえいれば、それでいいのです」


横谷の当主になるべき血も、母にとっては二の次。

彼女の底辺には俺への愛情があって、俺はほんの少しその不自由さが憐れになった。

かつての自分に求められた愛はすぐに手を放せる類のもので、俺はそれに捕らわれることもなく、気まぐれに手を繋ぎ体を繋ぎ、気まぐれに離したものだ。


だがそこまで誰かを愛せる彼女を尊敬もしている。

俺には出来ない。


前世の記憶がある故に生まれた時から俺には確固たる人格が形成されていた。

現世に前世を引き継いだと言ってもいい。

俺の性質は変わらず、つまり相変わらず俺はろくでなしのまま。

いっそ記憶が無ければ素直に誰かを一途に愛す道もあったかもしれないのに。


そしてろくでなしの俺には、母から向けられる想いはやはり重いことには違いがないのだ。


さて、母は山手様の元へ呼び出された俺にやはり男の服装は許さなかった。

俺は辟易しながら山手様の元へ。


山手様の思惑はあまり考えなかった。

どうせなるようにしかならないし、会ったこともない人間の思考など俺が読める訳もない。

回答のない問答をするのは時間の無駄というもの。


結論から言えば、山手様は大変良い人だった。

生んでくれた母には悪いが、後の俺にとっては母と言えば山手様を思い描いてしまう程。


やはり山手様は自分の息子の幸村から俺の名を聞いてすぐに事の真相に気付いたそうだ。

後々に知ったことだが、横谷は真田家家臣の中でも譜代の重臣で山手様も横谷の事情は把握していたとのこと。


彼女が把握している横谷の子供は今現在で三人。

正室の産んだ長女と、側室が産んだ男の子が二人。

側室にはどうやら三人目が出来たらしいが、こうなったらそれが男だろうと女だろうとどうでもいい話だろう。


なのに、山手様が自分の息子、つまり幸村から聞いた「横谷」の性を持つ少年の名に聞き覚えがない。

しかもそれが女物を身につけていたとすれば答えは明白。


長女が長男だったということだ。


同じ武家の女として、山手様はその裏事情にも勘付いていたのだろう。

娘がいない山手様の慰めとして俺は度々彼女の元へ招かれた。


母とも慕う彼女が世間から我が儘と言われるのは少々堪えたが、それでも感謝の気持ちの方が多い。


山手様の部屋へ訪れると俺は楽しそうな彼女の手でさっさと少年らしい服装へと変身させられ、自分の息子である幸村の元へと放り込まれる。


動きやすい服とざっくばらんに過ごせるこの時間が俺は好きだった。


「横谷の跡継ぎともあろう者が教育の一つも受けられないのはあまりにも哀れ」


山手様はそう言い、俺は幸村と共に武家の男児に相応しい様々な教えを受けた。


世間一般では女と言うことになっている俺に教師を招くことが出来る訳ない。

母の元では俺には何ら学ぶ術がなかったのだ。

山手様はそこを憂慮してくれたらしい。


学んでから思ったのだが、もしいつか俺が表舞台に出ることがあってもあのまま女として過ごしていたらとてもじゃないが務まるものではない。

礼儀や形式等々、呆れる程に細かく、文字に至っては皆達筆すぎて熟練しないと読解が出来ない。


現代知識を持ちながらも苦労の連続だった座学はそれでも情報に飢えていた俺にはありがたかった。

チャンバラから始まった剣術や馬術の指導には大変苦労させられたが、それも文句は言うまい。


一つ、文句を言うなら幼馴染みという立場になった幸村のことだろうか。


「終わったか、一秋?」

「…もうちょっと。そっちは?」

「日が暮れても終わらんな!!」

「アホか、堂々と胸張るな!いつもの集中力をいまこそ発揮しろよ!お前が終わらないと俺も解放されないんだぞ!?」


俺の上司はアホです。

上司にぞんざいな口の利き方をする俺は正常です。


一応最初は遠慮もしていたのだが、あまりにも馬鹿馬鹿しいのでやめた。

子供だから許されるだろうという打算もある。


「一秋が早すぎるんだ」


ぐったりと机に頬をつけた幸村が俺を恨めしそうに睨んだ。

どうでもいいけど、書いたばかりだろ、それ。

乾ききってない墨が顔につくぞ?


幸村はまさしくやんちゃな少年そのもので、俺が苦手な武術や馬術には嬉々として取り組むのだが、こと勉強に関してはダメというレベルじゃない。


真実、アホだ。

足し算は二桁になると途端に大混乱、かけ算は三段目が限界、割り算なんて出来たためしがない。


こいつに脳みそは足りているのだろうか?

それとも脳みそが筋肉で出来ているのかもしれない。

だから運動馬鹿。

割とそれが正解かもしれないと思いながら俺はこれ見よがしにため息を吐いた。


「手伝ってやるから、やる気を見せろよ。俺はやって出来ないことは認めるが、やりもしないで出来ないなんて言う情けない友達なんていらないからな」


言ってやると慌てて幸村が机から顔を上げた。

案の定頬にミミズのような文字が反転してスタンプされている。


ぶっちゃけて言えば、俺は苦手は避けて通る質なのでそんな台詞を言えた立場ではないのだが、この幸村、あまりにもアンバランスすぎて見ていられない。

このまま馬鹿なまま育ったら真田家はどうなるのだろうと不安になって、若木を育てるような気分で窘めている。


多分幸村の真っ直ぐな裏表のない性格も幸いしているはずだ。

生まれるもっと前に俺がどこかに置いてきたものを幸村は持っている。

俺が持つことの出来なかったもの、全部こいつは持ってる。


少し、憧れに似ているかもしれない。

そのまま素直に育ってくれと、傲慢にも俺は願っているらしい。


「だー!なんっでそこがそうなるワケ!?お前に学習能力はないのか!!」


唸る幸村をよそ目に俺は思う。

それにしても男同士というものは楽だ。

馬鹿だアホだとこうもずばりと言葉にしてもいいのだから。

しかも幸村は負けん気が強いのから言われても奮起するだけで気に止めたりしないしな。


「…で、できたぞ!一秋!!」

「やり直し」

「ぬう!?間違ってると言うのか!どこだ!?」


満面の笑みが曇って、悲しげに机に向き直る。

この表情豊かな顔は幸村のうるさい口より雄弁だ。

まあつまり二倍うるさい訳だが。


だが、裏はない。

何一つ、穿つ必要はない。

笑えば嬉しいのだ。

顔を顰めれば不満なのだ。


表情と腹の中が別、なんて器用な真似が幸村には出来るはずがない。

だから幸村に嘘はない。


あーマジでお前、楽。

こんな人間もいるということに驚きを禁じ得ない。


かつての生きにくい女社会を思い出しながら俺は真面目に取り組みはじめた幸村を微笑ましく見てしまった。


これが終われば次は幸村の大好きな剣術指南だ。

鬱憤を晴らすかのように暴れ回ることだろう。


ヤツの運動神経は人間をやめているとしか思えない。

仕方がない、脳が筋肉だからな。


そんな訳で仲間にはなるまいと俺は毎日必死で人間でいようと努力している。


…運動神経じゃ勝てないからって負け惜しみを言っているんじゃないぞ?


「一秋!これでどうだ!?」

「オーケイ、合格」


ぐっと拳を握る幸村。


こんなに素直でこいつはこれからどうするんだろうね。

真田という家を背負って、周りの狸どもと渡り合っていけるんだろうか。


それともいつか幸村も腹芸を覚えるのかな?


心配と、それから想像した未来を少し残念に思う俺の胸中など知る由もなく、幸村は嬉々として部屋を飛び出していく。


「一秋、早く来い!」


道場へと駆けだした幸村の後をのんびりと追った。


そうだな、この少年の行く末を見届けるのも悪くない。

幸村と違って、俺に背負うものはなく、するべき事もない。


「遅いぞ、一秋!」


まったくもって悪くない。


俺は幸村に合わせて駆けだした。




題名『スターレッド・レイ(Starred rays)』

歴史ものにカタカナの題名をつけたかった。

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