0時17分
「待って……待って! 松野さん! 置いて行かないで!」
背後から、鹿島有希の間の抜けた声が聞こえてくる。
松野清二は、西野園真紀を探していた。
収容所に入ってすぐの分かれ道で右の通路を選び、暫く身を潜めて待ち伏せしていたのだが、真紀はやってこなかった。当てが外れたのだ。
それでも諦めきれない清二は、必死で追いかけてくる有希には目もくれずに、真紀を探し回っていた。
清二にとって、肝試しとか消火栓とか、そんなものはどうでもよかった。相手に有希を選んだのも、単純に斎藤明日香が鬱陶しかったからだ。
一回寝たぐらいで彼女面して付きまとってくる明日香に、清二はいつもうんざりしていた。ライブの後、一晩遊んだだけだったのだ。あいつだって相当遊んできたはずなのに……。
いい加減、避けられている事に気付いても良さそうなものだ。勘の悪いバカな女は実に面倒くさい。
有希だって、見た目だけは清楚に取り繕っていても、中身は明日香と似たり寄ったりの女だ。いや、明日香よりふしだらな女だと言えるかもしれない。彼女は知らないだろう、サークル内の男達の間で、有希は便所扱いされているのだ。ヤリマンの称号がついた女の末路は哀れなものだ。
こんなシケた島の、ホコリ臭い廃墟の中を歩き回らされて、相手がこんな、いつでもヤれそうな女では全く割に合わない。真紀が来るというからこんな辺鄙な所までついて来たんだ。
それに今は、あの目障りな一年生……瀬名瞬が、真紀の傍にいない。一緒にいるのは高校生のガキだ。これは千載一遇のチャンスが巡ってきたと言える。
有希を適当に撒いて、ガキを追い払って、無理矢理にでも突っ込んでしまえば、あの女はもう俺のものだ。
真紀の美しい顔が苦痛と快感に歪む様を思い浮かべると、清二は既に下半身の猛りを抑えられなかった。
ああ、早く見つけなければ。このリビドーを解放してやらなければ……。
清二はいつの間にか駆け出していた。
「松野さん! 松野さん! どうしたんですか? ひ……一人にしないで……」
有希の声だ。ああああああ、もう、つくづく喧しい女だ。
二階に上がってきて暫く歩き回っていたが、闇雲に歩いているせいか、全く道がわからない。
真紀は今何階にいるんだ。三階への階段はどこだ。さっきから、同じ場所ばかりグルグルと歩かされているような気がする。
気持ちばかりが焦ってしまい、頭が働かない。冷静にならなければ。
ほんの少し冷静さを取り戻した清二は、程なくして、ようやく三階へと続く階段を見つける事ができた。
「松野さん……はぁ、はぁ……もう少し、ゆっくり歩いてもらえませんか……」
有希が息を切らしながら駆け寄ってくる。疲れた女の顔は本当に不細工だと常々思う。突かれている女の顔もさほど変わらないのだが、行為中は不思議と看過できるものだ。清二は、有希を無視して階段を昇った。
三階に登っても、それまでと全く変わり映えのしない通路が続いている。いい加減うんざりしてきたが、仕方がない。気を取り直して、目の前に一直線に伸びた通路を懐中電灯で照らしていく。ここまでのパターンだと、この通路がまた四階への昇り階段へと続いているはずだが……。そう考えて、光線を遠くの方へ照射してみた、その時だった。
減衰した光の中を、誰かが横切った。
一人だ。
髪は長かった。
色まではわからなかったが、今この収容所内にいる人間の中で、背中まで髪を伸ばしているのは、有希と真紀だけのはずだ。
「松野さん……ちょっと待って……」
背後から、有希がドタドタと階段を昇ってくる音が聞こえる。つまり……。
間違いない。あれは真紀だ。
ようやく見つけたぞ!
一気に心拍数が上がり、体中の血流が増大していく。最も影響を受けたのは言うまでもなく、下半身だ。
清二は、真紀らしき人影が見えた場所まで全力疾走した。
ヒャッホウ! 今日は最高にツイてるぜ! 待ってろよ真紀、今すぐお前をブチ犯して……
その時突然、目の前に何か棒のようなものが飛び出してきた。驚いた清二は、慌ててスピードを落とす。
ザクッ
ん?
首の辺りに、何らかの衝撃を受けた。勢いを殺されて転びそうになったが、両足で踏ん張って何とか持ちこたえ、清二は訳もわからぬまま立ち止まる。
右に枝分かれした細い通路から、何か棒のような物が伸びていた。横目でそちらを見ると、仮面を被った何者かが、暗がりの中に佇んでこちらに腕を伸ばしている。その手に握られた棒のようなものが、清二の首まで達していた。
清二が恐る恐る自分の首を確認すると、そこには……手斧の刃先が、清二の喉笛に深々と突き刺さっていた。これまで感じられなかった痛みが、急激に知覚されてくる。
「松野さん、やっと追いついた……もう、どうしてそんなに……」
背後から迫ってくる有希の声。
「松野さん?」
有希が怪訝な表情で顔を覗き込んでくる。しかし、首に突き刺さった斧の刃先を目にした途端、息を呑み、目を見開いた。
「あ……あ……松野さん、これ……」
その次の瞬間、手斧の刃先が引き抜かれ、まるでスプラッター映画のように勢いよく血が噴き出した。
「キャアアアアアアアア!」
有希の顔が恐怖に歪み、じりじりと後ずさっていく。やがて、くるりと清二に背を向けると、一目散にどこかへ逃げて行った。
おい、待てよ。どこに行くんだよ肉便器……。
意識が朦朧としてきた。さっきまですぐそこにいた仮面の怪人は、既にどこかへ姿を消したようだ。体中から力が抜けていき、清二はその場にうつ伏せに倒れこんだ。
何なんだ、これ……どうなってんだよ。
誰か……誰かいないのか?
生温かい血液がみるみるうちに血溜まりを作り、清二のジャケットを汚していく。いつの間にか、下半身の血流も萎んでいた。
清二が最後に思い浮かべたのは、ステージから眺める風景。鼓膜をつんざくような爆音。彼を見つめる女達の恍惚とした表情。そして、それに陶酔する自分……。




