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プロローグ 鮫太郎の章

 姉の小雨からその女の話を初めて聞いた時、変な苗字だな、と思った。

 俺が物心つく以前に住んでいた家のお隣さんの女の子だったらしいが、当然全く記憶にない。で、そのお隣さんが、姉貴の大学の同級生で、今更友達になったというのだ。しかも、話を聞いていると、どうやら瞬さんとただならぬ関係になりつつあるらしい。


 瞬さんというのは、向かいの家に住んでいる、姉貴と同い年の男だ。俺が物心ついた頃には、二人はいつも一緒にいた。所謂幼馴染ってやつ。小、中、高とずっと同じ学校、同じクラスで、今は同じ大学に通っている。俺はてっきり二人は付き合っているものとばかり思っていたのだが。なんでも、その西野園とかいうヘンテコな苗字の女は、名前に似合わず美人なのだそうだ。それで目移りしたんだろうか。姉貴もそこそこいけてると思うけどなぁと、まあ、最初に思ったことはその程度だった。


 話は変わるが、今から二か月ほど前、姉貴はとある事件に巻き込まれた。瞬さんのサークルの何とかについて行ったら、そこで死人が出たんだそうだ。そこには、例の西野園という女も同行していたらしい。姉貴はその件についてあまり多くを語ろうとしなかったが、俺は何故か気になって色々調べてみた。それで、匿名掲示板を漁っていると、やはり出てきた。警察関係者らしい奴からのリーク情報だ。現場は密室殺人のような状況だったが、証拠が何も出なかったため自殺扱いになった。だが、その密室のトリックを看破した女がいたというのだ。しかも、それがえらい別嬪さんだったという。

 あの女に間違いない。そう直感した。そしてその美人は、どうやら二重人格だったらしいのだ。俺は俄然興味が湧いた。是非ともその顔を拝んでみたい。そう思った。


 チャンスは案外早くやってきた。瞬さんの所属している怪しげなサークルが、今度はボートで無人島まで行って肝試しをするとかで、姉貴とその女もついて行く事になった。で、三人の集合場所が瞬さんの家の前になったのだ。しかし、今は霜月。十一月にもなって肝試しもクソもねえと思うのだが、とにかく偶然を装ってその女の顔を拝むチャンスだ。これを逃す手はない。


 そして当日。俺は自分の部屋の窓から、向かいの瞬さんの家の様子をこっそり眺めていた。瞬さんの家の前に、姉貴と瞬さんが立っている。二人ともダウンジャケットを着込んで、暖かそうなブーツを履いていた。姉貴はさらに白いニット帽を被っている。キャンプでもするつもりなのか、バッグの他に寝袋まで持って、結構な荷物の量だ。

 そこへ一人、でかいキャリーケースを引きずった、高そうなコートにミニスカート姿の女が、手を振りながら小走りでやってきて、瞬さんの目の前でずっこけた。ヒールなんか履いて走るからだ。姉貴と瞬さんが女を抱き起こした。あの女か……。よし、今だ。

 俺は、姉貴の荷物からこっそり抜き取っておいた財布を持って家を飛び出した。


「お~い姉貴!財布財布!」


三人の視線が俺に集まる。

「おう鮫ちゃん、元気?」


 俺を鮫ちゃんと呼ぶのは、昔から瞬さんただ一人だ。この頃、にやけ顔がますます太宰治に似てきたような気がする。髪は短いし、目はそれほどでもないのだが、鼻筋と口元がよく似ている。子供の頃はまだ鮫ちゃん呼ばわりも許せたが、俺ももう十六歳。青春真っ盛りの思春期だし、いい加減やめてほしいのだが、なかなか改善されない。


「あ~すまん鮫太郎、サンキュ!」

姉貴が顔の前で両手を合わせた。俺は姉貴に財布を手渡しながら、瞬さんに話しかけた。


「姉貴はマジでアホだからなあ。瞬さん、姉貴の事を末永くよろしくお願いしまっす!」

「お、おう」

「アホとは何じゃアホとは!」

元々吊り目がちな目を更に吊り上げて、姉貴がローキックを繰り出してきた。


「いてて……これが女の蹴りかよおい……」


「小雨、こちらが弟さん?」

その女が、俺と姉貴を見比べながら話に入ってきた。


 赤みが強いブラウン――マルサラといったか――の、ストレートのロングヘアー。センター分けの前髪の下に、黒く大きな瞳。三次元でこんなに目の大きな女は見たことがない。姉貴がプリクラで目を盛っても、これほど大きくはならないだろう。その上、きっちりメイクをしている。一度目を合わせてしまうと、そのまま吸い込まれてしまいそうな、ブラックホールみたいな瞳だ。


「そう、弟の鮫太郎。そっか、真紀は初対面なんだね」

姉貴が答える。真紀と呼ばれた女は、小さく整った唇で、穏やかに微笑んだ。


「西野園真紀です。よろしくね」


真紀が右手を差し出した。握ったら折れてしまいそうなほど、白くてか細い。俺はごつい右手を出して、できる限り優しく、子猫に触れるような気持ちで握手した。


「あんまり似てないね、二人」

真紀は俺と姉貴を交互に眺めている。大きな瞳がくるくると動いていた。


「そう、あたしは父親似で、鮫太郎は母親似なのよ」

「へぇ、なるほどね」

「ほら鮫太郎、挨拶は?」

姉貴が肘で小突いてきた。やべえ、そんな事もすっかり忘れて見惚れてしまっていた。


「あ、あの、弟の鮫太郎です。姉がいつもお世話になっております」

「いえいえ、こちらこそ、小雨にはいつもお世話になっております」

お辞儀のタイミングが被って、真紀の顔が近くなった。香水だろうか、ほのかに甘い花の香りがした。


「え、怪我? ああ、そうなんですか……そりゃ残念。え、代わりに誰かいないかって? ……急に言われてもなあ……」

会話の輪の外で、瞬さんがスマホを持って誰かと話している。

「瞬、どうしたの?」

真紀が瞬さんに近付いていった。そのまま腕でも組んでしまいそうなほど近くまで。ただの友達には見えない。


「ああ、なんか永井先輩が足を怪我して、行けなくなったってさ……で、男が一人足りなくなったから、誰かいないかって」

「あらら……別に一人ぐらい足りなくてもいいんじゃないの?」

「うん、俺もそう思うんだけどね。多分、人手が要るんじゃないか?」


男手が足りなくなったらしい。これはチャンスだ。


「あっ、はい、じゃあ俺行きます! 行きたい!」

「えっ?」

三人とも、狐につままれたような表情で俺を見た。

「大学生じゃないとダメなんですか?」

「いや……どうだろうなあ、ちょっと待って」

瞬さんは電話口で事情を説明し始めた。が、話は意外とすんなりまとまったらしい。瞬さんは例の、太宰のようなにやけ顔を作った。


「いいってよ。よかったね鮫ちゃん。もうすぐ先輩が車で迎えに来るから、急いで準備して」

「マジっすか、ありがとうございますっ!」

俺は勢いよく90度のお辞儀をして、再び家に駆けこんだ。玄関から、後ろをちらりと振り返る。三人が談笑していた。真紀は瞬さんに対して、やけにボディータッチが多い。


 西野園真紀。


 16年間生きてきて、一目惚れなんてしたことがなかった。そんなものの存在さえ信じていなかったのだ。

 あの女を自分のものにしたい。こんな感情は初めてだった。


 あの女を支配して、


 蹂躙して、


 ズタズタに引き裂いて、


 


 殺したい……。





拙著「アンダンテ」の続編になりますが、ジャンルはミステリからホラーに変わりました。新たな語り手も追加し、陰惨な雰囲気を楽しめる物語にできれば、と考えております。

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