守護騎士は英雄〜次期当主と私〜
※「守護騎士は英雄」シリーズの「呪いと誓いのあらまし」の続編です。やはり軽い読み物だと思ってお読みください。
「……おお……」
ころころと転がっていく、握りこぶしほどありそうな埃の塊を目で追って、思わず感嘆の声を漏らした。すごい、ここまで埃が育っていたとは思わなかった。
「アトル様。汚れてしまいます」
「箒で掃くくらいなら私にもできる。エリオは少し、過保護が過ぎるよ」
「過保護、ですか?」
エリオは心底不思議そうな顔をした。当然である、エリオにとってこの過保護はエリオ・トワフェストの生活の一部だ。
呼吸をするように私のそばに侍り、瞬きするように私を甘やかし、手を伸ばすようにフォローする。それがエリオ━━というよりは、トワフェストの性なのだろう。
なので、王宮勤務時の彼のやる気はちょっとあれらしい。彼の上司がほとほとあきれ果てたように零していた。
話が逸れた。
私は、身の回りのことをできる限り自分でやらなければならない時が訪れたのだと思うのだ。
何せ私はこれから恋する乙女たちと戦わねばならない。……いや、よくよく思い返せば結構エリオ関係で乙女たちと戦ってきた気もするようなしないような。いや、けれども、今回の相手は全員やんごとなき身分の女性たちである。本当に困ったときは「この見事な金髪巻き毛が目に入らぬか」となんとかしてくれたオフィーリアの身分すら通用しない天上人である。
そう、私は孤独なる戦いに赴かねばならない。
例え王女様以外、顔も名前もわからなくても。
「しかしアトル様。子爵の御息女が箒を持って掃除とは、如何なものかと」
「まだ言うか」
そもそもレタランテは呪いの影響でほぼ没落に等しい状況に陥っている。当主たる父の光る商才によって財産は得ているが、それが栄光に繋がらないのが貴族というものである。今はまだ呪いの影響が比較的少ない長老方がなにやらせっせと動いて血は続いているが━━まあ、無駄な努力、という結果になりそうだ。
そんなことを考えながら、肥大化していく埃の塊を目で追いつつ箒で床を掃いていると、狭い我が家にノック音が響いた。
はて、と首をかしげる。来客の予定はなかったはずが、部屋を間違えて、ということもないだろう。
このアパートメントはもともと古い・軋む・落ちない謎の血痕というなんともお約束な三重苦を背負った建築物であったが、無論それに見合った家賃であったので、そこそこ人気もあった。が、私という呪い持ちがなにやらよくわからない作用を生んだのか、入居してから奇々怪々な現象も起こるようになったため他の住人は早々に引っ越し、住んでいるのは私とエリオしかいない。
即座にエリオが警戒する。が。
「居るんだろう?窓からすごい量の埃が飛んでたから、もしかしなくても掃除中かな」
その声に、私はエリオを押しのけて扉を開いた。
煤けたようなアパートメントに、美しいひとがいた。エリオが陽の輝きを発する申し子ならば、彼は月の輝きを取り込む巫師といったところだろう。長い黒髪は艶やかに、白銀に近い色合いの瞳は甘さを含んでいる。相変わらず、病人と見紛うほどの白さの肌の色だ。
エリオと並び、間違ってもこんなボロ屋に居ていい人間ではない。
「アトル様」
エリオが苦味を含んだ声音で私を呼ぶが、私はスカートの端を摘んで小さくお辞儀した。
彼と私では立場が違う。
「お久しぶりです、おにいさま」
「うん、久しぶりだねアトル」
シオン・シュテルズ・レタランテ。この美しいひとは、私の従兄弟であった。
掃除中の部屋ではあったが、彼は特に気にした素振りも見せずに部屋に入り、そして継接ぎが目立つソファに腰を沈めた。こうなってしまえば最早掃除どころではない。
私がエリオを見ると、彼は顔を顰めたまま頭を下げ、茶を淹れるために動いた。それに軽く安堵して、おにいさまの向かい側に座る。
エリオは昔から、おにいさまに対してあまりいい表情を浮かべない。悩みの種である。
「おにいさま。エレインはどこでしょう」
「今頃私を血眼で探し回ってるんじゃないかな」
のほほん、と宣う。エレインというのはおにいさまの騎士である、トワフェストの女性だ。いつもおにいさまに振り回されていて、こうやって撒かれることも多いので私は顔を見合わせたことが全くない。
まあ、別に構わないのだけれど。
しばらくして、エリオがお茶を持ってくる。来客用のティーセット。一見歓待しているように見えるが、テキパキ動くエリオは恐ろしく無表情だ。百年の恋も冷めそうだが、悲しいかなむしろ業火となって燃え上がってしまうのがエリオ・トワフェストの体質である。
「やあエリオ。華の騎士、救世の英雄が随分怖い顔をしているね。私に対してはいつもそうだ」
「……差し出がましいようですが。アトル様と個人的にお会いになるのはやめて頂きたい。我が主の立場をどうお考えなのでしょう」
「エリオ」
思わず名を呼ぶが、エリオが頭を下げたのは私に対してだけだった。……本当に、何年経ってもこんな状態で辟易してしまう。
おにいさまは従兄弟━━つまりは、当主一家ではない。母方の伯父様の子供、それがおにいさまであり、シオン・シュテルズが十二歳までの彼の名前だった。
レタランテは当主一家以外、レタランテのセカンドネームを名乗らない。何よりも尊崇されるのは当主一家ではあるが、同時に生贄のような扱いでもある。レタランテは基本的に貴族間では忌み名であるのだから、積極的に関わろうとする人間はほとんど居ない。
そして当主一家以外はレタランテを名乗らないので、上手くいけば……色んな幸運と奇跡が重なって本当に上手くいけたのならば、血族以外と婚姻を結ぶことも理論上、可能だ。
ちなみに成功例を聞いたことはないので、無駄なことなのではなかろうかと最近私は思っている。
閑話休題。さて、レタランテは近親結婚の血族である。もちろん私にも近親の許婚がいた。それがおにいさまである。
おにいさまは血族の中でもずば抜けて優秀で、さらに呪いの影響があまり見られないという、一族の福音的存在であった。そんなおにいさまが私と結婚することによってレタランテの当主となれば、ますますよい結果をもたらしてくれるかもしれない、とお爺様方は夢を見たのだ。
しかし、私が三歳の時、私の呪いの目処がついた。それが『感情の揺れ幅の極端な狭さ』である。それに伴う三大欲求の大幅な低下、生存本能の薄さ。これらを鑑みてお爺様方は私を「血族の呪いが段階を経た証」とし、当時緊急で開催された血族会議に招聘された父曰く、「高血圧で頭とか爆発して死ぬんじゃないかと心配したくらいアレだった」という形相で私に婚姻と出産の禁止を申し渡した。
それに伴い婚約は解消し、父が冥府に渡り次第、おにいさまの一家に当主権が移行することとなっている。
……恐らくは。私の時点ではまだ完成していない呪いが、私の残す血によって完成するのではないのかと恐れたのだろう。気持ちはわかる。私たちほど世代を重ねればなんとも思わない血族を蝕む呪いは、長老たるお爺様方からすればおぞましいものなのだ。
おにいさまは福音、私は禍音。お爺様方からすれば、おにいさまに私を近づけたいと思うはずがない。
けれどおにいさまは当然のように、度々姿を現した。その度に叱られるのは基本的に私である。おにいさまも何か咎められているかもしれないけれど、おくびにも出さないため定かではない。
「……そういえば、おにいさま。今日はどんな御用でしょう」
「うん?近くまで来たから、寄ってみただけだよ」
理由が軽かった。
エリオの表情がどんどん険しくなっていく。別にお爺様方からの招聘なんて気にしなくてもいいのに。
……ああ、でも。最近エリオのことでお爺様方がうるさいから、少し憂鬱かもしれない。
そんなことを考えながら、出されたきりになっていた紅茶に口をつけた。
……あ。よくよく考えたら、手を洗ってなかった。