「遺伝子混合計画《キメラプロジェクト》」
「それで、かの有名なヴィクター・フランケンシュタインが私に何の様だ?」
僕は頭を抱える。
いきなり出て行ったと思ったら、一時間以上も帰ってこない。
やっと帰って来たかと思ったら、山の様な大男を連れてきた上、それがかのフランケンシュタインだと言うのだ。
ついさっきまで観ていたゾンビドラマの展開などどうでもよくなる。
母さんは懐疑と好奇が入り混じった、不思議な表情を見せる。
敢えていえば泣き笑いしている顔に似ているが、なんというか、不細工だ。
そんな母さんの睨めっこの様な表情を真正面から見据えながら、自称フランケンシュタインさんは、微動だにしない。
眉毛一つ動かさずに淡々と喋る。
「ヴィクターと呼んでくれ。単刀直入に言おう。貴女は狙われている」
流暢な日本語に母、刹那の顔が一瞬にして真顔になる。
思い当たる事があったのだろう。
生前から、母の身を狙う輩は存在していたと聴く。
僕も一時期はボディガードなしでは出歩けない時期があった。
だが敵対、または技術を略奪しようとした人達の殆どは今の研究組織の傘下に置かれたと聞いている。
そんな中、母を狙おうとする人がいるのだろうか?
「エクソシストか。」
母が口を開いた。
確信に満ちた苦々しい口調だった。
母の研究。母の存在。そして生ける伝説、ヴィクター。
神の領域でこそ許される生命の創造に、目を潰れなくなったのだろうか。
僕は多くの日本人がそうである様に信仰が薄い。
だが世界的に見れば、信仰が薄い人間の方が少数派なのは知っている。
神の領域に踏み込んだ存在を無視できるか。
少し考えれば分かりそうなものだった。
だが、僕は、母との再会に浮かれて。
母の奇行に慣れてしまっていて。
そのリスクを念頭から外していた。
背筋に冷や汗が流れた。
当たり前の様に、この家で話している二人は、当たり前とは対極的な存在なのだ。
「ああ。」
「・・・何故、私に忠告をしに?」
「俺の事を貴女がどう思おうと構わない。だが、俺は貴女を仲間だと思っている。人は俺たちを人の道を踏み外した外道と思いがちだが、実際は人の欲望の産物であり、科学に対する供物に過ぎない。必要になれば作られ、不要になれば消される。そんなモノの様な扱いに納得していないだけだ。」
「ふ。耳が痛い話だな。」
二人の会話には僕が入れる隙間がなかった。
同族だけが持ちうる連帯感。
ヴィクターの虚ろな目とは裏腹に彼の口調は熱を帯びていた。
「エクソシストは数日の間にここへとやってくるだろう。貴女の息子は保護という名目で拉致される可能性が高い。ここからが本題だ。」
ヴィクターはチラリと僕を見る。
席を外せと言う事だろうか。
僕はその動作を無視する。
僕だって関係者だ。
強気に睨み返した僕の震える手を母が握ってくれた。
・・・母の手も、小さく震えていた。
「僕だって関係者だ。」
初めて、意見を言った僕を見て、ヴィクターは驚いたようだった。
「そうか・・・。済まない。君を侮っていた。日本人は特に面倒事を嫌うと思っていた。」
謝られた事に今度は僕が驚く。
ヴィクターから確かに、人間臭さを感じたから。
「ならば両方に問わねばなるまい。
過去を棄て、新しい人間として生きる気はないか?
新しい地で、新しい仲間達と、支えあって生きるのはどうだ?
・・・我が、ヴィクター・フランケンファミリーに入って貰いたい。」
・・・一瞬、思考がフリーズした。
・・・それって・・・
横を見ると、母が真っ赤になって狼狽えていた。
どう聴いても、完全に、プロポーズとしかとれない内容だったと僕は改めて確信する。
ヴィクターは一瞬凍りつき、機械の様に動き出す。
傷だらけの顔なのに、なにかと様になる。
むしろその傷が、陰を落とし、ヴィクターのミステリアスな雰囲気に色っぽさを加えているようだった。
「ファミリーといっても、実際は団員・・構成員のようなものだ。
鱗を持つ男や陽の光に火傷する女。
狼に育てられた少女等、現社会では異端とされるものが寄り添っているだけなのだが。」
「先天的なものか?」
母は顔をしゅるしゅると冷やし問いかける。
「半々だな。先祖返りもいれば、実験や治療の末というのもいる。
もしかして貴女なら、何人かを救う事ができるかも知れない。
何故ならその中には、貴女が『キメラプロジェクト』に参加したときに生まれたものもいる。」
キメラプロジェクト、という単語に母が反応したのを僕は見逃さなかった。
目付きは冷気を帯び、口は真一文字に結ばれる。
「キメラプロジェクトは実施されず凍結したはずだ。キメラが産まれる事などあり得ない。」
「表向きには原因不明の爆発により一切の活動は凍結、となっている。
だが実際は過激派人権団体の目を欺く為の偽装だ。」
「・・・何故、お前がそんな事を知っている。信じる証拠はない。」
「・・・実に単純な事だ。私がこれらの研究の出資者だからだ。」
肉体の生成。遺伝子の混合。不老長寿や、新たな治療法。
全てが目の前のヴィクター・フランケンシュタインが望んだことだったと知り、僕は何処か納得していた。
この人は、自分の居場所を創りたいのだと。そして自分の居場所を護りたいのだと。
僕と比べ物にならないほどの孤独と、敵意の中、彼はめげずに、折れずにひたすら歩みを進めてここにいるのだ。
「時間は限られている。24時間以内に決めてほしい。」
「・・・キメラプロジェクトがまだ生きているなら、一つだけ訊きたい。
・・・今の責任者は・・・?」
ヴィクターは眉をしかめた。
言いにくい事なのだろうか?
「・・・・当時と変わらない。」
「・・・・・行こう。」
僕は母の顔を見る。
相談もしないで決めるなんて!
だが、喉まで出かかったその言葉は空気を震わすことは無かった。
ーー他に道はない。
母の目が、そう語っていたから。
ーー私を信じろ。
強く握られた手が、そう伝えていたから。